上高地は今年も雨だった!

天気図を見ると、梅雨前線は北に上がっているので関東地方はもう梅雨明けの様相を呈しているが、長野県辺りはまだ雲が残っている感じ。朝6時に出発したが、忘れ物を取りにもどる15分の間に、中央高速はもう渋滞が始まった。三連休だから仕方がない。

そこで関越経由に変えた。30キロほど長くなるが、渋滞を待つ間に30キロ分ぐらい走ってしまう。関越渋滞もなく道の駅・風穴の里でスイカを食べる。沢渡でシャトルバスに乗り換える。上高地はマイカー規制でバスとタクシーしか入れない。大人四人で団体割引(7400円)になる。

釜トンネルを越えたころから雨になる。今年は徳沢園で泊まることになっているので、雨の中8キロほど歩かなければならない。と思っていたら、雨はやんだ。河童橋の前の河童食堂でお昼を食べて、歩き始めるが明神の手前で突然の大雨。合羽を着る暇もないぐらい。今年はみな雨の準備をしてきているので、あわてない。しかし明神ではもう晴れてきた。降ったりやんだりの雨で忙しい。早めに徳沢園に着いた。孫たちは成長しているので、全く疲れはないが、じいさんばあさんはその分衰えているので疲れた!

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明日から上高地、雨が降りそう!

恒例になった孫たちとの上高地行。今年で5回目になる。子どもたちが大きくなる分、じいさんたちはよれよれになる。昨年は上高地から横尾山荘往復だったが、今年はさらに涸沢まで行こうということになっている。子どもたちは大丈夫だろうが、ばあさんは無理だろう。

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上はクサボタン、センジュガンビ です。今年も見ることができるかな?

gozentatibana2ゴゼンタチバナ、キツリフネ

21日には戻ります。その日ごろに梅雨が明けそうです。お父さんたちがサラリーマンなので、日延べができず、大変です。

海宝 吹き矢 教室

第3水曜日は高田の馬場の体育館会議室で、サーキットトレーニング塾がある。今年は4月から皆勤。最近は30人近くの人が集まるようになった。海宝さんはいろいろ手作りの工具を使って、楽しく体操ができるようにしてくれている。私から見るとちょっと行きすぎという感じもあるが、その努力は半端じゃない。

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今回は吹き矢、年寄りにはいいスポーツなんですよ! という。すでに用具を6セット用意してくれている。公認のセットを買うと大変な金額になるが、海宝さんはナントカホームに行って、物干しパイプなど様々な材料を使って、公認吹き矢と同じセットを作ってしまった。練習するのはこれで十分すぎるほど。皆さん興味しんしん。とても体操どころではなくなった。来月からは海宝吹き矢教室になりそうだ。

 

暑い日には涼しさを求めて歩く! 出雲系の「逆さ狛犬」発見!

台風8号の後、まだ梅雨は開けていないが、暑さは完全に夏模様。クーラーがないと過ごせない感じになってきた。午前中は94歳のおばあさんを練馬のセンターに送って行き、デイサービスが終わるまで、近くのファミレスでモーニング朝食を食べながら時間をつぶす。まあ涼しく過ごし、家に戻るが、これが結構暑い。

今週末から、孫と一緒に恒例の上高地に行く。今年は涸沢まで上がるというので、足慣らしをしている。目標は炎天下毎日15000歩以上歩くこと。年をとると、炎天下に歩くと暑さよりも眩しさで疲れが倍増する。池袋まで歩き、メガネ博物館というなんやら怪しいお店で、サングラスを買う。我が家にとってのひいきにお店。度付きのサングラスでも750円、メガネの上からかぶせるのは500円から。度の入っていないサングラスは250円と言うのもある。私が使っているメガネの上に引っかけるのはなんと80円だ。今回はもう少し高級なのをと言ったら、奥から超軽量のメガネにかぶせるのを出してくれた。1950円という超高級グラスなので、即購入。ギラギラ太陽を防ぐと涼しい感じ。

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そのめがねやの傍に法明寺(鬼子母神はこの寺の境内)の裏側になんとか稲荷があった。この赤い鳥居の奥の方は何やら怪しい。昼間でも入るのにはちゅうちょする。でも入ってみると、冷たい風が・・・・。かなり涼しくなる。都心のミステリースポットだ。さらに東京音楽大学の脇からちょっとした森に出ると大鳥神社。ここもさびし場所だったが、副都心線の雑司ヶ谷駅が近くにでき、都電脇の道路が整備されたので明るくなった。狛犬も新しくなってとび跳ねている感じだ。逆さ狛犬は出雲系の神社に多いのだが、ここは日本武尊(やまとたける)を祭る神社で、出雲系ではないのだが。

家に戻って調べてみると、すぐ近くに出雲藩の下屋敷があったそうで、その嫡男が疱瘡にかかった時に、この神社に参ったら治ったので、疱瘡封じの神様として有名になり、出雲藩松平氏が庇護したという。やはり出雲と関係があったのだ。氏子は出雲の狛犬を祭ったのだ。さすがよくわかっている。それがわかる私もなかなか出雲通になったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

高尾山 第2弾 登り返し!

高尾山 後半 小仏城山から小仏峠へ、そこから下ってバス停へ。しかしバスに乗らずに道路を歩くが、暑い暑い。途中で日影沢に入り、高尾山に登り返した。つり橋からケーブル駅に出る。そこでもケーブルには乗らず駈け下る。頂上ケーブル駅のビヤマウントは2時間待ちだとか。長い行列ができていた。一日に二回高尾山に登ったのは久しぶり。

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一丁平から城山までは階段だが、人が多く歩くので路肩が崩れている。ここにボードウォークが造られている。4月に来たのだ、そん時にはなかったような感じなのだが。15分ほどで城山に着く。私は分岐から少し先まで歩き、下の中の写真のところから頂上に登る。こちらの方が近道だ。セルフタイマーで写真。

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昔は小仏峠にも茶屋があったが、今は何もなし。ここから下れば15分で車道に出る。ちょうど中央高速道路の小仏トンネルの上だ。

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バス停を通り越し、日影沢へ。そこからつり橋へ。

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久々の高尾山 2度登り

久々に高尾山に行ってきました。本日は土曜日。大勢の若者でにぎわってました。でも歩いている人はかなりの割合で外国人。韓国人が多いかな?? 日本人は子供連れが多くいました。おとうさんたちがんばっています。子ども4人を連れたオーストラリア人の家族もいました。ちょっと負けているなあ! 若者たちはどこへ行ったのかな? 電車にはたくさん乗っていたのに。軟弱にもケーブルかな。子ともをみならて欲しい!

地図と写真で本日のコースを示しておきます。これはなかなかいいコースです。お試しを! 2度も山に登りるなんて、と言われるけど、暑いアスファルトの道を5キロも歩くより、涼しい山道を6キロ歩く方がいい。

14年7月12日(土) 高尾山1回目の登り!

14年7月12日(土)高尾山1回目の登り!

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ケーブルがつんのめっているように見えますが、上の方の傾斜が急なことを示しています。お堂は琵琶滝のまえにある。修行の人が結構いました。いまは涼しくていいけど、冬は冷たそうだ。子どもたち元気に登っています。

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ケーブル駅をでて、琵琶滝をへて、大山橋をわたり、3つの沢を越えました。それでも30分で稲荷山コースの合流部に着きました。(右下の写真)

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上の左画像は高尾山頂上への階段下のベンチです。私は左へ出て、奥高尾山との鞍部(峠)に出ました。昔はここまでが30分でしたが、今は55分かかりました。高尾山には登らず、一丁平へ。ここまで1時間10分。赤いのはマムシ草の実? あと15分で城山の頂上に行きます。

すごい虹が・・・

本日は一番下の孫の保育園の夕涼み会。浴衣を着て近くの広場へ集まる。この保育園で、我が家の孫は全部で11年間お世話になっている。ときどきお迎えに行くので、私は子どもたちから「・・・・・ちゃんのおじいちゃん」と呼ばれる。

本日の天気予報は夕方から雷があるかもとのこと。盆踊りは、雨のために時々中断するが、それでも子どもたちは楽しそうに踊って、縁日でいろいろなものを買っている。我が家の子どもたちはみな共稼ぎなので、保育園にはお世話になった。今の時代の保育園はすばらしい。保育であって教育ではないという人もいるが、ほとんどの生活の知恵はここで学んでいるようだ。ありがたいことだ。140711rainbow

盆踊りの途中で、子どもたちが空を見上げて、虹だ! と騒いでいる。今日の虹は大きい。さらに副虹も付いている。

みつばちの大地 映画

私たちがお手伝いしているモモの農家では、花粉を受粉するのは人間の手でやっている。本来はミツバチがやってくれるはずなのだが、最近ミツバチが消えてしまったとの報道が世界中から伝わっている。おそらく農薬のせいだろうと言われている。

岩波ホールでやっている(11日まで)「みつばちの大地」は、とんでもなく精密な撮影でミツバチの生態を見せてくれた。驚いたのは空中での女王蜂の交尾。どんな方法で撮影したのだろう。私は内容よりも、撮影方法に関心があった。ミニヘリコプターとかを使ったようだ。

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ミツバチがいなくなったのは自然の変化も関係していると思ったが、実はすでにほとんどのミツバチは家畜化されており、女王蜂も自由に造りだすことができるようになっている。各地にさまざまな種類のミツバチがいたが、家畜化によって均一化していったらしい。同じような種類だけになると、効率はいいのだが、いったん衰退するとどんどん減少してしまう。アメリカの例では、大変な量の農薬を使っているうちに子どもができなくなって終わり。

アメリカの農家は資本主義社会ではミツバチもMONEYに見える。と言っていた。そんな人たちにとっては、新しいミツバチを作ればいいのかもしれないが、これだけ大量にいなくなると、生態系に大きな影響が出てしまう。なにせ我々が口にする食物の1/3 はミツバチが受粉していたのだそうだ。今中国などでは労働者を大量動員して受粉している。日本でも人工授粉で対応しているが、長続きはしないだろう。いろいろ考えさせられる映画だった。

 

 

巨大台風8号 ブラジル:ドイツ戦

沖縄あたりに巨大な台風が北上している。これまでにない巨大な台風で、70mの風速になると言っている。70m/秒というのは時速252kmになる。これは新幹線並みということだ。車は風に飛ばされる。木造家屋はつぶれるだろう。

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宇宙ステーションからの台風8号 目が大きく見える。

台風に慣れている沖縄の人たちでも、懸命に被害軽減のために動いている。那覇港の船はお互いにつなぎ合っている。ガラス窓に割れないように補強されている。ヒコーキは全便欠航だそうだ。東京付近にも金曜日辺りに影響がありそうだ。

明日朝、ワールドカップ準決勝が行われる。朝4時に起きなければならないが、もう勝負は決まっているので、後から見ればいいか。ブラジルはネイマールがいなくてもやれると言っているが、それは無理。さらに守備のかなめで、キャプテンのチアゴシウバがイエロー2枚で出場停止。守りはもうまったく機能しない。ネイマールがいないことよりも、チアノシウバがいない方が大きい。

津軽塗のお椀

昨日、今日と雨模様で、涼しい。ランニングをしてみようかという気持ちになる。暑いと走るどころか歩く気もしない体調が続いていた。

昨日も家から石神井川を下って帝京大学構内を通って王子駅まで行き、名主の滝から自衛隊の補給哨を回って再び石神井川にもどって東板橋体育館、区役所経由で家に戻る。ほぼ8キロ、昨日は1時間15分で行くことができた。不調の昨今ではいい記録なのだ。

本日もそんな感じで行くことができるかと思っていたが、愛誠病院近く6キロ地点で走る気がしなくて、歩きだした。野口研究所の前に古物商の店がある。ちょっと寄ってみたら、我が奥さまがいた。奥さまはなかなかの目利きで、古物商をめぐるのを趣味としている。

本日の成果は、写真の津軽塗のお椀、前に買ったお盆に載せるとなかなかはえる。たぶん一椀が数千円する。奥さまは三椀で・・・円。(3ケタ) 「掘り出しものでしょう」と満足そう。140705tugaru

 

徳之島のパッションフルーツ!

徳之島のパッションフルーツをいただいた。勝手に徳之島大使をしている女性からの贈り物。私は今から50年ほど前、大学生の時の卒業論文調査のために徳之島、沖永良部島、喜界島なとを回っていた。ヒコー場なんてないので、鹿児島からの船だけが頼りだった。徳之島には港があったが、沖永良部島ははしけでなければ近づけなかった。本船からはしけに移された牛が危うく落ちそうになったのも見た。

その後は皆既日食のときに奄美大島に行ったのだが、徳之島には行けなかった。かなり残念な思いをしたことを思い出した。大昔半世紀前にはパッションフルーツなどあったかな?? 徳之島のハブが一番毒性が高いというのしか思い出せないのだが・・・・

ともかくパッションフルーツ、森崎君と食す! 酸っぱいな!!

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胃カメラ ピロリ菌だ!

久々の胃カメラ。検診を受けたらたいてい2次検査になるので、10年ほど前から直接胃カメラをやってもらう。地下鉄の平和台駅の近くのクリニックでお願している。

ここでは麻酔をして胃カメラを挿入するので、のどの苦しみはない。昔は苦しくて涙が出て、もう二度とやるものかと思ったこともある。しかし今は「ストン」という感じで寝てしまうとそれで終わり。1時間ほど寝て起きたら説明がある。

今回はピロリ菌の判定もしてもらったら陽性で、除去する薬を1週間飲むことになった。それでほぼ80%は除去できるそうだ。ピロリ菌は胃がんを起こすと言われている。除去すれば胃がんの可能性はかなり減るようだ。1週間毎日写真のような量の薬を飲む。

お昼は、固いものは食べないようにとのこと。麻酔は覚めたとはいえ、まだ足元はふらふらするので、家に帰ったらすぐに昼寝。夕方になってやっと元にもどった。

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保育園は環境を壊す? 池田山

ぶらリバークラブのお散歩は、品川区の高級住宅街にある「ねむの木の庭」(皇后さまの実家跡の公園)を経由して池田山公園、自然教育園などを見学する予定。関東病院の脇から浜田山の高級住宅街に上がっていった。すごいお屋敷が並んでいる。

ところが、住宅の角角にこんな看板が立っている。いったいなんなんだ。保育園ができると騒音で環境が悪くなるっていうの? これだけ世の中で待機児童が多くて問題になっている時期に、それに反対する人たちがいるとは信じられない。高級住宅の方々は、自分たちさえよければいいのか? 皇后さまの住まいのおひざ元で! 恥ずかしいと思わないのだろうか?140702hoikusyo

すっかり池田山に失望して、池田山公園経由で自然教育園に行く。国立科学博物館の教育園だ。目黒駅近くの白金にある。昔は松平さまのお屋敷跡。ちょうど崖の途中にあり低いところには池や沼沢地があり、たくさんの植物が分布している。すばらしい。池田山はもと岡山藩主の池田家の屋敷跡。松平様の屋敷跡は立派に人々の役に立っているが、池田さまのところは名前だけ残っているが、実態は・・・・池田侯は何と思っているだろうか。

自然教育園から歩いて恵比寿ガーデンへ。ここは恵比寿ビールの工場跡。すばらしくおしゃれな街に変身している。そのしゃれた街のテラスでエビスビール。散歩の後のビールはすばらしい。跡地の利用はうまくいった場合、そんなつもりじゃなかったと草葉の陰で悔しがっている場合、いろいろあるなあ。と思った。

でもまあいいか! ビールがうまかったから。下の写真は自然教育園!

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月下美人が咲いた!

何年前だったか忘れるぐらい前に咲いたが、最近数年は枯れたのかと思うほどだった。先日つぼみ?が大きくなっているのに奥さんが気付いた。それから2,3日で咲くだろうと思って毎夜、3階の花を置いた廊下にあがって見ていた。なにせこの花は一夜花だから、見逃すと次にみられるのは何年先かわからない。

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予想よりも遅れて、今日強烈なにおいが漂ってきた。メキシコ産のサボテンの仲間で、小型のコウモリが受粉の手伝いをするという。他家受粉が起きなければ散ってしまう。日本ではコウモリが近くにいないことが多いので、花粉と花蜜を多量に用意し、強烈なにおいでコウモリを呼び寄せるという。

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受粉しないまま枯れてしまうのは植物としてかわいそうなことなので、急いで窓を開け、コウモリが飛び込んできてもいいようにしてあるのだが、近くにコウモリは居そうもない。

尿前の関所から山刀伐峠を越えて

芭蕉と言えば俳聖。古池脇の陋屋に一人静かに座し、蛙がポチャンと飛び込むのを見守る老人、のイメージだ。しかし私にとっては日本のウルトラランナーの先達というイメージだ。「奥の細道」をたどってみて、それが確信に変わった。 奥州平泉を出て「尿前の関」から奥羽山脈を越え立石寺にでる峠越えが「奥の細道」の最大難所だった。芭蕉が通ったと同じ時期に私もその道をたどってみた。 map-sitomae1 私は東京を朝出て10時半に陸羽東線の鳴子温泉駅から尿前(しとまえ)の関に行った。芭蕉は岩出山をでて、午後になって到着したが、密偵と間違えられ夕刻近くまで取り調べを受けという。解放されたのはもう薄暗くなってやっと出発した。

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取り調べを受ける芭蕉と曽良(与謝蕪村の画)

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封人の家

今はトンネルで抜けているが尿前坂、薬師坂を上り、小深沢、大深沢を越え、雨の中3里の道を芭蕉と曽良は歩いた。 7月3日だったが、途中でほとんど暗くなって、やっと堺田の「封人の家」に到着した。封人の家は、芭蕉が泊まった宿では唯一残っている家屋で、重要文化財という。 芭蕉は暗い道で難儀したが、今は復元が進みなかなかいいハイキングコースになっている。しかし奥羽山脈の深い山中なので、今だって夕方薄暗い中歩くのは恐ろしい。そうならないように私は明るいうちに鳴子温泉駅からそのコースを走ってみた。小深沢、大深沢はちょっとした上り下りがあるが中山越えは快適そのもの。ほとんど平坦でふかふかの道を気持ちよく走ることができる。日曜日だったがだれ一人出逢わない。熊の幻影におびえながら12キロ、3時間で到着。ランニングコースとしてはこれ以上ない道だが、芭蕉の時代にはこうはいかなかっただろう。

いくらでも走れそうないい道だ。

いくらでも走れそうないい道だ。

熊が出そう!

熊が出そう!

案内版は整備されている!

案内版は整備されている!

橋がないぞ! どうしよう!

橋がないぞ! どうしよう!

ある案内書には、橋がないので荷物を対岸に投げ、四つん這いになって滑りやすい石をたどって渡ったと大げさに書いてあった。どんなもんかと思っていたら、こんなもんだった。 封人の家(庄屋さんの家)を見学し、日本海と太平洋に水が分かれる「堺田」駅から赤倉温泉に向かい、私はそこで一泊した。芭蕉は堺田で雨に降りこめられ三泊する。ここでつくった俳句が「蚤虱 馬の尿する 枕もと」

ここが東北日本の大分水嶺

ここが東北日本の大分水嶺

  赤倉温泉から尾花沢へは山刀伐(なたぎり)峠がそそり立っている。堺田から尾花沢までは峠越えで31キロある。 芭蕉さまは朝早く堺田を発って昼過ぎには尾花沢に着き、地元の方々と俳諧の会を開いてma-natagiriいる。時速4キロで行っても8時間かかる。峠越えでは時速1キロがやっとだから、尾花沢への下り道は時速6キロ以上で行かなければならない。これは「歩き」ではなく完全な「走り」である。最初の写真は与謝蕪村が描いた芭蕉の旅スタイルである。この姿で峠越え30キロの山道を行ったのだからものすごい脚力だ。尿前の関で密偵(忍者)と間違えられたのは当然のことかも知れない。

峠には3つの道がある。

峠には3つの道がある。

私は赤倉温泉から山刀伐峠越えて尾花沢に向かった。山刀伐峠は新しいトンネル、旧道、古道の三つがある。古道はブナ林の中、歴史の道として整備されているので歩きやすいが、急坂でつらい。それでも高低差は150mなので30分で登れる。尾花沢への下りは杉林で暗く、ながい。おまけに倒木はあり、草ぼうぼう、靴は露でぐじゃぐじゃになる。

cropped-140623natagiri.jpg  本日もだれ一人逢わなかった。国道に出たとたん軽トラのおじさんが「乗りなよ」と言ってくれる。迷わず乗って高橋まで行き、そこから10キロほど走り、尾花沢の芭蕉清風記念館で、芭蕉像と対面した。

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走行距離は芭蕉の半分にも満たない13キロだが、芭蕉のように俳句をつくる体力知力も残っていない。やはり芭蕉は忍者にちがいない。

芭蕉の署名は「はせを」となっている。私の勝手なイメージだが、芭蕉さまは「馳男」=ランナーと自覚していたのではないか。

「芭蕉こそ日本のウルトラランナーの先達」説の証明になるかな?