地平線通信 印刷発送 業務 手順

1月20日(火)
地平線通信を印刷、発送作業。ここ1年間は新宿の榎町地域センターのリソグラフで印刷している。作業順序はまず
■1.編集長の江本さんが原稿集めを行う。同時に報告者の折衝もほとんど編集長が担当。

■2.長野画伯が報告者にインタビューをし、イラストと文章を作成。それをメールで武田くんに送る。

■3.武田くんはこれをB4版の裏表にレイアウト。今回は8ページ。丸山くんが1ページを担当することもある。

■4.地平線の封筒は早稲田封筒で1000枚単位で購入、表はリソグラフで印刷しておく。

■5.宛名ラベルは武田くんの住所管理エクセルからファイルメーカーにして私に送ってくる。それを20枚のラベルに印刷。

■6.用紙は裏表印刷が可能なものを、近くのイオキという紙問屋で調達。クリーム金マリという用紙を500枚注文する。ふつう印刷用では8枚に切って耳を落とすのだが、我々は9枚に切ってもらう。これで4500枚。500枚分お得で、しかもムダがでない。

■7.武田くんから送られたレイアウト済み原稿を江本メールランナーが榎町センターに自転車便で配達。三輪がイラスト、丸山分を貼り合わせて印刷。すこし乾かしてから折り機で半分に折る。これはなかなか優れもので労力が節約される。

■8.そのときに応じて有志に集まってもらい会議室でこれを1/3に折って封筒詰め。宛名ラベル貼り。これは人海戦術しかない。人が集まらないときにはこれに時間がかかる。

■9.終わったらご苦労さんで、北京亭で夕食。

■10.三輪は封筒を郵便局本局の夜間窓口に行って料金別納で投函。463通、37040円。印刷費1600円。会議室借用料1100円。でした。
■昨日集まった人は、三輪、江本、村田、大久保、大西、白根、武田、菊池、坪井、関根 さんでした。もう一人いたような気がするが、だれだっけ??

■思い出した!インド旅行中の藤原さんが、発送作業中にメールをくれたのだ。発送作業応援人人に追加。

大阪で、ランナーズ賞お祝い JT生命誌研究館

1月17日(土)

◆天王寺のビジネスホテルの窓から、雪が降っているのが見える。朝からサウナに入って、身体を十分い暖めてから、四天王寺にいく。聖徳太子がつくった日本で最も古い大寺で、五重塔が美しい。雪のなか、南大門のしたで、熊野権現遙拝石をみつけた。熊野詣での第一歩はここから始まる。ここのところ小森さんの案内で熊野へは何回か出かけているが、この次はここを出発にして、昔の「蟻の熊野詣」の道を歩いてみたい。kumanoyouhai

◆昼は高槻で、姪の夫婦(といっても今週の土曜日が結婚式なのだが)と一緒に食事をする。彼女は自分の父をパパとよび、私を「おとうさん」とよんでいた。実の娘が結婚するような、寂しくうれしい感じがする。

◆高槻にはJTの生命誌研究館がある。前々からぜひ見学したいと思っていた。この館の館長さんは中村桂子さんで、ゲノム研究の世界的な学者さんだ。昨日見た博物館と違って、こちらは本格的だ。オサムシの進化を中心にした展示はなかなかユニークだ。子どもたちにはかなり難しい。しかしこのような本物の研究に接することは、子どもたちの知的刺激には大変よい。ここは大阪大学の大学院にもなっている。

◆高槻から十三にもどって、坂本真理子さんのランナーズ賞受賞の講演会に出席しました。彼女はオーストラリア横断、アメリカ大陸横断、ヨーロッパ縦断を走って成し遂げたスーパーランナーだ。主催する100マイルクラブと共に受賞したので、その仲間の人たちもうれしそうでした。名古屋の岩田くん、八重樫さんら知り合いの人たちにもあえてよかった。楽しい時間になりました。
以上、報告おわり。

sakamoto

神戸大学で、教授先生にあう!

1月16日(金)

◆神戸からもどってきました。久々に神戸大の金澤先生にあって、マングローブの話をちょっとして、昔話に花を咲かせてきました。一体なにをしに来たのかと思われたかも知れませんが、楽しい時間を過ごしました。いつもみなさんに来ていただいて、「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」などと言っているので、時々はこちらから出向かなければと思ったわけです。金澤教授とは中学校高校以来の友人です。ぜひマングローブ見物に行きましょうと、お誘いをしてきました。

もう一人、書道の大家である魚住教授を訪ねたのですが不在。秘書の方にご挨拶をしてきました。神戸大学は六甲の山の斜面にひな壇状に立っているので、一番上の国際文化学部まで行くのは大変です。

◆その後、神戸の「水博物館」に行きました。浄水場に博物館を建てたものですが、ちょっとお粗末で、ほとんどすべての展示物は修理中で動きません。お客は私一人だけでした。帰りは異人館付近をとおり三宮へ。そこから96年に訪れた灘高校の付近に行ってみました。、周りの建物はほとんど地震の爪痕は見られませんでした。表面上は復旧しているように見えるのですが、人々の心の中はまだもとには戻っていないようです。公園では17日の震災の日の追悼の準備がされていました。あの時は、私は何もできなかった。フリーターになったので、今度は何かの手伝いをしなければいけないと思う。といっても地震が再び起こることを期待しているわけではない。

◆夕刻、大阪の天王寺にいき、昔の戸山の教え子である伊藤くんにあい、下関のフグをごちそうになった。教え子に「たかり」に行くというのは、とんでもない。でもうれしいことだ。ごちそうになったから言うわけではないが、子どもと一緒に遊べる立派な先生になりつつある。遊んでいると教育委員会や校長、PTAからにらまれる。しかし教育ではこれが一番大事なことなのだが・・

 

神戸に行くよ!

最初の1週間はパソコンに向かう時間が長かった。今年は毎日日誌をつけるぞという勢いだったが、3日坊主になった。勢い込んで写真ページを作ったが、枚数が多すぎるのと、1枚の画像が大きすぎ、表示に時間がかかり見ることができないとの苦情もあり、やり直し作業で日誌に向かうヒマがなくなった。

いま「マングローブ図鑑」をつくるべくパソコンに向かって奮闘しているが、どの葉っぱがどの木のものだったのか分からなくなり、ほかの図鑑と首っ引きになっている。時間がかかってしかたがない。現地できちんと同定しておかないからこんなことになる。もう一度整理をするためにミャンマーに行かなければと思う今日この頃!

16日、神戸大学に行って専門家の先生にアドバイスをもらうことにする。阪神大地震からもう9年たつ。96年に行ったときにはまだまだ被害の跡がそこここにあった。2000年はもう表面的には跡形もなくなり、「ルミナリエ」だっけ?の光がピカピカしていた。いま神戸はどうなっているだろう。

久々に神戸に行くんだから、友人に会いたいし、真理子さんのランナーズ賞のお祝いの会にも出てこようと思っている。夜行バスにしよう考えたが、最近年のせいで翌日がきついので、新幹線の割引切符で行くことにした。日曜日にはかえります。

今日はクリスマス? ユリウス暦

1月7日(水)
◆テレビを見ていたら、なんと今日が「クリスマス」だ。これはロシアの話だが、セルビア、グルジア、それにエジプトのコプト人の間でもクリスマスを祝っている。その理由は彼らはまだユリウス暦を使っていることにある。ユリウス暦はローマ皇帝ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)がエジプト暦に習って作った暦だ。この暦は1500年間も使われたのだが、4年に1回閏年を入れたために、春分の日が10日間ずれた。これを直すために1582年にグレゴリオ13世は新しいグレゴリオ暦を作った。この年の10月4日が終わると、翌日は10月の15日になった。10日間が消えたのだ。これに従わず、ずっとユリウス暦を使っているのがロシア正教で、そのずれは13日間に広がっている。

◆私はこういうのが好きだ。みんななんでも一斉にやらなければいけないということはない。お正月だって1月1日とは限らない。中国では1月22日の旧暦元旦が「春節」で、新しい年を祝う。横浜や神戸の中華街では21日深夜に新年のカウントダウンを行っており、春節は大にぎわいになる。私の通っているミャンマーでは4月の新月の日から新しい年が始まる。

◆暦というのはなかなかおもしろいものです。このホームページの科学のページに「2000年問題と暦」という文が入っています。お暇な節にお読み下さい。

マングローブ百珍(湾岸のマングローブ)

1月6日(火)

昨年は散々お世話になったACTMNG(マングローブ植林行動計画)の事務所に行く。数少ない所員の須田さん、鶴田さんがおられる。今年もよろしくとの挨拶。もと所員で、私もエクアドルでお世話になった鶴田幸一さんの本が届いていた。「マングローブ百珍」という本だが、こりゃおもしろい。アラビアでのマングローブ植林がいかにおもしろかったか。いろいろな報告書はあっても実際のところ第一次湾岸戦争でペルシャ湾岸に油が流れてマングローブがどうなったのか、私は知らなかった。この本でそのころの情景が目に浮かんできた。

■私は彼の作っていたホームページで一部は読んでいたが、本になるとさらにおもしろい。いい本だと思う。西日本新聞の発行なので、あまり読者はいないかもしれないが、興味のある人は一読を! 今の時代マングローブ植林がはやりだけど、適地でもないところにいい加減に植えてはいけないと。その通りだろう。

■彼のホームページは
http://www.smilepapa.com/~tsuru-g/contents/contents.htm
ただし、この「つる爺」は、パソコンやインターネットというものを嫌って隠遁生活に入ってしまった。ホームページの痕跡は残っているが、以後の更新はしないそうだ。

くるみ餅 

1月5日(月)
所沢の親戚の家から、「自然の食材で造ったお正月料理クルミ餅を食べにおいで」とよばれたので、出かける。ご夫婦とも田舎育ちなので、お正月は都会の八百屋で買った野菜ではなく、故郷でとった野菜や、地元の山で取った野生の山菜を使って料理を作っている。テーブルには山ほどごちそうが並べられた。味音痴のわたしでも、いつも食べている野菜や山菜とはまったく違った味がするのがわかる。自然のものはこんなにもおいしいのだ。

■そのなかでも特に気に入ったのは、くるみ餅。「それぐらい私のところでも作るよ」といわれるかもしれないが、クルミの種類がちがう。「お店で売っているのは柔らかくておいしくないんです」と旦那さんが言う。このクルミは特別なものではなくて近くの柳瀬川のほとりに生えているクルミを取ってきたもので、とても堅くてなかなか割れない。それをていねいに割って、すり鉢で半日かけてすりつぶし、水をほんのちょっと入れる。牛乳を加えたこともあるが、これは失敗だった。水加減で柔らかさが決まるのだそうだ。

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■焼きたてのお餅にねっとりとなったクルミをかけて食べる。これは絶品。お店のクルミで作ったものと食べ比べてみても、はっきりとわかる。特別な食材を使うわけではない。そこいらにある自然のクルミを使えばこんなにも旨くなる。これが料理の極意。

■この味を皆さんにつたえたい。今年の10月の「みわ塾」は、自分で取ってきたクルミで、ものすごく旨いクルミ餅を作り、食べるという講座にすることにし、講師もお願いした。前もって野生のクルミを取ってくるという事前学習も行うので、秋のハイキングもかねて、柳瀬川を歩しんでください。

■ついでに、宣伝をしておきます。今年の「みわ塾」は海外講座も行います。6月はモンゴル。ツアーでは行けないようなところに行き、地元の人たちにいろいろと生活の知恵、異なる文化を教えてもらおうと思っています。

日時は6月の10日ごろから1週間。まもなく募集を始めます。

 

書道を見て、お富士さんに登る!

1月4日(日)

●毎日が日曜日の生活なので、今日が日曜日かどうか判断できない。午前中は銀座松坂屋の画廊で行われている「日書學春秋展」に行く。友人の井垣清明くんの書を見る。エラそうに言えば、ここ数年の書には味わいがあるような気がする。大きな中国の歴史と空間の中に悠然と遊んでいる気配だ。さすがのものだ。

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今回の書は私の好きな「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」であった。ここに書いてある文字は「学而時習之不亦説乎 有朋自遠方来不亦楽乎 人不知而不慍不亦君子乎」である。朋(とも)の字が群がっており、遠方の「遠」がずっこけるぐらい遠い感じになっているのが私には心地よい。本人の了承を得て、ここに載せさせてもらった。体力のみと思われている私にもこんな高名な書家の友人がいるのだ。

●文化の香りに触れた後は、新宿に移って「コマ劇場」の細川たかしショーを見に行く。新聞の販売のおまけで当たったものだ。ここ数年の正月公演はコマ劇場だ。ミーハーと言われようがなんと言われようが、これも日本の文化だ。しかし音響がわるく、ただでかい音で耳が聞こえなくなりそうだ。

●そこから帰りついでに成子天神にいく。ここには立派なお富士山がある。いつもは登山口が閉鎖されているのだが、正月の7日間は登ることができる。途中関根さんの家の傍をとおると、奥さんが屋上で布団を取り込んでいる。「オーイ」と声をかけて一緒に天神さんに行き、富士登山をする。わずか10mほどの山だが、見晴らしはいい。でも本物の富士山は新宿のビル群に阻まれて見えない。江戸の昔は本物の富士と対抗する気概だったろうに。岩は「講」の人たちが富士山から運んできた溶岩でできており、一合目、二合目というように登山道がつけられている。頂上には真っ白い「木の花咲くや姫」の立像が建てられている。今年になって品川神社の富士山についで二つ目のお富士山登山がかなった。

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●神社ついでに鎧神社に行く。平将門を祀る神社で、S根さんの氏神さまだという。途中に「蜀江坂」(しょっこうさか)という緩やかな坂がある。将門の弟の将頼が夜襲にあって鎧を着るヒマもなく、蜀江の袖が切り落とされたという由来が書いてある。「蜀江」というのは古代中国の蜀の軍師、諸葛孔明がはじめたと言われる「錦」のことで、幾何学的模様が美しい。正倉院御物にもある世界的に有名な高級な錦である。これはとうぜん私の知識ではない。三人寄れば文珠ではないが、皆さんさすがに年の功だけ知識が深い。

●そのまま関根邸におじゃまをして、沖縄のオリオンビールを飲む。日本はビール寡占状態になっており、ビール味覚を画一化しようという意図がある。ドイツでもイギリスでもビールの種類は多い。日本でもオリオンビールのような中小ビールメーカーが必要だ。というビール文化の多様性を考える格調高い会話に終始し、「細川たかしショー」のチケットをもらうには何新聞がよいかなどと言う話はまったく出なかった。

●今日は格調の高い充実した一日であった。

恒例 箱根駅伝

1月2日(金)

2日は箱根駅伝1日目。今年はゆえあって城西大学を応援している。まだ駅伝部は創立3年目だが、もう箱根駅伝出場権利を得た。これはすごいことだ。監督はもとSBの平塚、コーチは箱根駅伝で伝説を創った櫛部くんだ。伝説というのは1991年の早稲田の第2区、エース区間を快調に走っていた櫛部は15km付近で突然不調になり、フラフラになった。あっという間にほとんどの大学我が家の食卓に抜かれほとんど最下位におちて、やっと3区の走者にタスキを渡した。13人抜かれという記録を作った。こういう苦労をした櫛部コーチだからいい選手を育ててくれるだろう。彼はまだ現役走者として元旦のニューイヤー駅伝に出ている。

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◆ところでいま小田原中継所を城西大学は19位(20大学中)で通過した。名門早稲田がその前、そのちょっと前にやはり名門中央大学が低レベル争いをしている。トップは駒沢、2位は日体大、3位の東海大学の中井が追い上げている。

◆今日はまもなくその城西大学関係者がおいでになる。我が家の第一回目の新年会だ。左の写真は、今日のごちそうなのだが、取り皿ばかりで、肝心のごちそうがちょこっとしか写っていない。あまりうらやましがらせてはいけないので、これぐらいにしておこう。

1月1日(木)
明けましておめでとうございます。
ことしもいろいろお助けをお願いいたします。

●暮れの3日間はほとんどパソコンの前に向かって、ホームページの引っ越し作業をしていました。これまでは、分からなくなればすぐに師匠に聞けば良かったのですが、フリーターになった今日、全部自分でやらなければなりません。どうしてパソコン用語はこんなにも分からないようにできているのか? 説明書を読んでもほとんど分かりません。今回特に困ったのは、このぺージに、アクセスカウンターをつけるところです。

これまでのAOLでは、簡単にくっつけることが可能だったのですが、INFOSEEKでは「どうぞ勝手につけてください」となっています。そのためにCGIなるものを少し勉強しなければならない事態になりました。読んでもほとんど意味が不明で、どうしようもありません。簡単にできるところはないか、インターネットで、「分からない人はそのまま貼り付けてください」と言うのをみつけて、そのまま貼り付けてみましたが、どこに貼り付けるのか分かりません。

そんなことで丸一日、機嫌の悪い顔をして過ごしていたので、家ではひんしゅくを買っています。パソコンは家庭不和を助長するというのが、3日間の結論です。しかし何とかなるもので、カウンターは動いています。これまでよりも機能は強化され、2日間のアクセス数もカウントされます。動き出したのは31日の午後でした。sibajingu
芝大神宮 後は上弦の月と東京タワー

●大晦日の夜は、東京十社巡りをやってみました。十社というのは、なんとなく格式があるという神社が組んで連合を作ったもので、それほどの意味はありません。日本三景、四天王とか五色不動、六地蔵、七福神、八大竜王、三十三カ所めぐり、四国八十八カ所などと同じように、組になった方が多くの人が訪れやすいのでしょう。一応明治時代の準勅神社だそうです。

昼間明るいうちに歩いて◆白山神社、◆根津神社、◆神田明神、おまけの湯島天神を巡りました。まだ掃除をしている時間で、神田明神以外は人影はありません。神田明神の鳥居前の天野屋で「甘酒」を飲んで神さま巡りの準備をしました。一旦家に帰って夕食をすませ残りの七神社巡りに再出発。最初に赤坂の◆日枝山王神社、ここは国会議事堂のすぐ下です。すでに屋台が営業を開始していましたが、参拝客は若者グループが数人。

そこから赤坂の町をぬけて◆氷川神社へ。目の前にあの六本木ヒルズの明るい光があるのですが、ここだけは闇の中。あの華やかな町の一角にこんな静かな場所があるのは驚きです。一軒の屋台もないので、参詣人は少ないのだろうと想像しました。六本木の外人街をぬけて◆芝大神宮へ。ここは芝増上寺の大門の脇にあります。立派な石段と鳥居がたち、その背後に上弦の月と東京タワーが輝いています。増上寺はすでに多くの参拝客が集まっていますが、こちらはまだまだ。そこから◆品川神社に行きました。ここは私の推薦場所で、鳥居をくぐると大きな富士山があります。レインボーブリッジ方面の夜景は見事です。

勝鬨橋を渡って、◆富岡八幡宮に行きました。ここは相撲の発祥の地。横綱の奉納もあります。そろそろ十二時で、2004年へのカウントダウンが始まっていました。ものすごい人出で、富岡(深川)八幡宮 初詣入り口まで行くのに1時間ぐらいかかりそうです。12時ピッタリに阪神タイガースの応援のように風船が飛ばされました。どうもテレビ局のヤラセのようで、地元の人は「今まで見たことないよ」とのこと。八幡さまの隣には深川不動が並んでいます。こちらもすごい人出で、屋台で正しい初詣(飲み始め)の人で賑わっています。この時間は若い人が半分以上います。tomioka

◆亀戸天神の賑わいはさらに大きく、香取神社から人の波がつながっています。ここも若い人だらけ。天神さんの境内に入れないので、香取神社におまいりして、最後の◆王子神社にいく。ここは天神さんや八幡さまの人気はないが、それでもかなりの人出だった。
これまで夜中にでて初詣などしたことはなかったが、世の人々はこうやって大晦日から新年の時間を送っていたのだ。子どもたちにとっては大いばりで夜通し友達と連んでいられるのだ。こういう日があった方がいい。日常がダラダラとつづくのはよくない、時々はハレの日があり日常とは違った違った過ごし方をするのは、子どもたちにとって良いはずだ。

 

今年もグダグダと年越しだ!

12月28日(日) 来年もよろしく
  掃除をしなければ家を出してもらえない。ちょっとだけ手伝いをするようなふりをして、マラソンにでかける。押し迫った年の瀬を感じさせるような門松や飾りの小屋がたっている。我が家には松飾りはない。どれだけの松が切られているのだろうか。

松の飾りだけでなく、切り花もきらいだ。せっかく気持ちよく咲いているのに、ちょきんと切って飾っておくのはかわいそうだ。花は人間を楽しまそうと咲いているわけではない。土にくっついている鉢植えの花ならまあいいけど、切られた花を美しいとは思えない。花業者さんには怒られるし、風情のない人だと蔑まれるかも知れないが、「やはり野におけレンゲ草」のことば通りだと思います。

◆パソコンの前でグダグダと愚痴をこぼしているというのは、精神上よくない。東京の富士山巡りに行って来よう。ことしもいろいろお付き合いいただいてありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。よいお年を!

2003年最後の高尾山

12月24日(水)  今年最後の高尾山
 クリスマスイブだ。不景気だといいながら世の中ははしゃいでいる。そんな景色を横目で見ながら、高尾山に向かう。今年は山岳耐久レースのトレーニングで何回も足を運んだ。京王線新宿-高尾山口の回数券を2回買ったから10回は行ったことになる。

9月は高尾山口から陣馬山往復を4時間を目標にかなりハードトレーニングをしたが、レースが終わると高尾周辺探索が主目的になって、さまざまなルートを開拓した。高尾山から城山、景信山を通って堂所山に登る。いつもはこの山は裾をまいてしまうが、今回はここから関場峠をとおって北高尾山稜を入ろうという計画だった。

◆こんな日には高尾山には人はいないだろうと思っていたら結構オジサン、オバサンがいる。一人足に鉛のベルトをつけ、重そうなザックを背負った人が登っている。こちらは12月というのに短パンだ。追い越すときに顔を見ると、ICIスポーツの越谷さんだ。お互いにクリスマスイブに都会にいられない人なのだ。

◆堂所山をこえたところでサルの群れに会う。野生のサルはかわいくない。敵愾心をむき出しにするので、一人だと怖い。走ると追っかけられそうなので、ゆるりゆるりと行きすぎる。関場峠近くで、こんどは木の枝をバギバギと折りながら動くなにかががいる。「クマか?」と思うが、ここら辺にはいないはず。イノシシだったようだが、陽射しが弱く薄暗くい山道では気持ち悪い。前回も八王子城址近くでイノシシにであった。恐ろしくなって関場峠から林道に下って、小下沢をかけおりた。

1時間ほどで中央高速道路の下に出る。圏央道とのジャンクションが建設中である。高尾山の下をトンネルで抜ける圏央道には反対が多いのだが、着々と工事は進められている。ここまで進めば、もう既成事実ができ、まあ仕方がないか!と言うことになる。やり方が汚い! 

◆私は署名をしただけで何も行動をしていないのだが、こういうやり方には腹が立つ。そのまま駅まで行くにはエネルギーが沸騰しすぎていたので、蛇滝から高尾山を越えて高尾山口の駅に降りることにした。4時間ほど走ってきた身には、少々きついが、立てた腹を納めるにはちょうどよい。がむしゃらに登って、コンクリート道を駆け下りる。膝とくるぶりが痛くなった。途中、眼下に巨大な空中橋がぐるりと回っている姿がみえた。蹴り倒したい感じだが、もうその力はない。

忘年会 赤い靴!

12月20日(土)  忘年会
 今年は忘年会が一つもない。と思っていたら心優しい卒業生が仲間に入れてくれた。紹介はみわ塾に時々きてくれる石澤さん、清瀬高校のOGだ。天文部時代の仲間が年末にいつも集まっている岸くんのお宅におじゃました。高校卒業以来にあう人もいて懐かしい。いつものように、お酒を飲み過ぎるて、はしゃぎすぎたかも知れない。

年をとったら人の話を聞きながら、ほんの一言、立派な発言をしなくてはいけないのに、UFOがたくさん来るのは北海道の喜茂別村だとか信用されない話をくどくどとしたようだ。(最近は福島県飯野町がUFOの里として「UFOふれあい館」を作っている)

◆ついでに「赤い靴」の女の子の話は喜茂別のとなりの留寿都(ルスツ)だという話もしたけど・・・・、

「いいジイサンに連れられて行ちゃった」 

女の子を札幌の宣教師に託した岩崎かよは留寿都村に開拓に入った。宣教師は帰国するが、女の子は長い船旅に耐えられないだろうと東京麻布十番にあった孤児院に預けられた。しかし9歳の岩崎きみちゃんはそこで息を引き取った。野口雨情はその話から「赤い靴」の詩をかいた。横浜の波止場から船には乗っていないのだ。麻布十番商店街に赤い靴の女の子の像が建てられている。

◆話がそれた。そんなほんとかどうか分からないような話ばかりするから、だんだんみんなから疎まれる。次はもっと静かにしているから、また呼んでくださいな。

都立大学が危ない!

12月13日(土)  都立大学が危ない
 都立大学の地理学科の同窓会の準備会が新宿で行われた。石原都知事が都立大学をぶっつぶすと言ったとかで、東京都はその方向に動き出したらしい。勤めている先生方は「むちゃくちゃ」という反応だ。

 新しい法科大学院に予定されていた教授たちは全員止めてしまったので、来年の都立法科大学の学生募集はできなくなった。この教授たちは引く手あまただからいいだろうが、他の教授先生たちはあわてている。

◆我田引水ではなく、都立大学は良心的な大学である。学問水準も高い。この大学をぶっつぶして予算を削減したと喜んで言いものか? 慎太郎というのは知的な人間を皆殺しにしたポルポトや文化大革命で学者を追放した晩年の毛沢東並の頭脳しか持っていないのだろうか。こんな人が都知事で、圧倒的な支持を受けているというのはどうにも納得ができないが、現実だからしかたがない。

◆1月に「都立大学」としての最後の地理学科同窓会を開くことになった。会の講演は私がやることになった。母校が亡くなる寂しさを少しは訴えたい気持ちがする。大学だけでなく、高校も前からめちゃくちゃな改革(?)が行われている。だれも気がつかないうちに、若者を親石原、親小泉、親ブッシュに向かわせようと言う意図が、私には見えている。為政者というのは世の中の雰囲気を上手に導いていくものなのに。

イラワジ河口にて

12月11日(木)
 しばらくホームページの更新をしていなかったので、どうしたんだろうと心配されている方々もいらしたかもしれません。(だれも心配なんかしてない!)9月に続いて再びミャンマーに行ってきました。向後さんの主催するマングローブ植林行動計画(ACTMANG)の一環です。前回は雨季の最中で、植物にとってはよかったのですが、我々にとっては暑くて湿気100%という最悪の環境でした。今回は乾季で気候としては最適で、日本からの観光客も多くいました。しかし私たちの行くイラワジ川の河口地域は、乾季になると飲み水不足になります。井戸を掘っても塩水ばかりで、真水は別の地域から運んでこなければならないので、大変な負担になります。旅行者が来るとそれだけ水不足になるので地元の人々には迷惑なのかも知れません。多少肩身の狭い思いをしながら、それでもご迷惑をかけてきました。その報告は後ほどします。