古希のクラス会 そのあとサッカー

11月3日は高齢(恒例)のクラス会ということになっている。高等学校の時のクラスは3年間変化なし。担任も変わらなかった。私は席もずっと同じだった。3年同じ担任でも先生とはほとんどしゃべったことはなかったなあ。そんな時代だった。

古希の会ということだったが、古典に詳しいIGAKI君によれば、古希は数え年だから、すでに終わっているとのこと。古希+1の会ということになった。クラス替えなしの高校時代にあやかって、来年も同じ日、同じ場所でということになった。これで7回目かな??

お昼の会だったが、お酒は沢山出た。でも私はウーロン茶。理由は2時からのサッカー試合に出るためだ。幸い近くの巣鴨三菱養和のグランドだったので、15分ぐらいで到着。走って行ったのでウォーミングアップはすませた。15分4回だった。2点は入れたいと思っていたが1点どまり。いい場面が2回もあったのだが、シュートが弱くキーパーに取られてしまった。

明日から京都高雄へ紅葉見物。明後日は大阪に移り石切神社にお参りする。この神社の祭神は天孫降臨の際、舟から落ちたニギハヤヒという神様を祭った珍しい神社だ。一昨年参ったが、奥さんにぜひお参りさせたくて、そこに行きます。

そん神社から生駒連山の暗がり峠に上がります。この道は松尾芭蕉が亡くなる直前に越えた道だ。奈良のほうから越えて住吉神社に行き、俳句の会をやった後亡くなった。私たちは逆に越えてみようと思っている。

あとで写真を入れます。

悪夢のリニア新幹線

昨日の地平線会議の報告会は「悪夢の超特急:リニア中央新幹線」という本を書いたKASHI田秀樹さんのお話だった。最近地平線会議にはご無沙汰なのだが、この報告会は興味があった。

私はリニア新幹線は山梨の実験線でもう終わったものだとばかり思っていた。しかし先日10月17日、建設着工に国からの認可がおりた。JR東海は2027年に東京・名古屋間の開業を目指すそうだ。これまでとは全く違った方式で、磁気で車体を10センチ浮かし、時速500kmの速度で、名古屋まで40分で着くそうだ。工事費は9兆円を見込んでいるそうだ。

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全線ほぼトンネルになる。南アルプスの下を掘るが、これが難物。中央構造線と糸魚川静岡構造線(フォッサマグナ)という大断層を横切るのだから、相当の出水があって大変な難工事になることは技術者たちは覚悟の上だそうだ。「黒部の太陽」のような多くの犠牲者が出ないことを願う。

樫田さんはこのトンネル工事に伴う環境破壊、とくに水の問題について詳しく説明してくれた。さらにトンネルを掘った残土はどうなるのか?それらについては地元には全く知らされていない。もっと丁寧に説明してから着工してもよかったのではないか。これは私見だが、アベノミックス、東京オリンピックに便乗して、どさくさにまぎれて着工を急いだとしか思えない。

JR東海単独事業と言うが9兆円もかかる事業を1企業に任せてよいのか。事故が起きたら、とても一企業では対応できない被害がでる。責任がとれるのか。環境破壊や、強力な電磁波で乗客にも影響が出るかもしれない。夢のリニア新幹線と言うだけで、マイナスになることは全く説明がない。国はそのマイナスもクリアしたうえで認可が必要だろう。

しかしJR東海は、反対派としてKASHI田さんを危険人物とみなし取材お断り。本の出版は直前に取りやめになったという。(別の出版社から出た)。そんな妨害などせず、堂々と国民に説明すべきというのが、本日の内容だった。

私は1.構造線を横切るトンネルは数10年かかると思う。2.さらに磁気浮上のための電力は原発を3つぐらい専用に稼働させないといけないほどの電力消費になる。3.強力磁石から発せられる電磁波(波長が違うだけで放射線とおなじもの:原子力規制庁で規制基準を作っている)が人体にどう影響するかわからない。1.2.3のことから、このリニア新幹線計画はとん挫すると思っている。たとえできたとしてもそのころは人口も減り、そんなに需要があるとも思えない。景色も見えない「地下鉄」に観光客は乗るだろうか。

などなど、とんでもない問題が山積している。こんなものを認可したお国は、とん挫した時にどう責任をとるのか。税金が山ほど投入される。もう少し慎重にやるべきだった。いまの安倍自民党は、原発推進を始めた時と似ているという。早いうちに止めないと、とんでもないことになることは分っている。

樫田さんの話は遠い先のことではなく、いま工事が始まる前に何とかしなければならないという焦りを感じさせてくれた。みなで声を上げたいが、年寄りは大声が出せない。若者よ、自分たちの上に降りかかる火の粉をいまのうちに振り払っておかないと、(財政的にも)取り返しがつかないことになるぞ。

奥さまのお供で京都にいます

DSCN0040W奥さまの舞囃子の本番が明日なので、ビデオ係として付いてきています。本日は打ち合わせだけなので、私はヒマ。愛宕山に登ろうと、清滝まで行きましたが、時間がちょっと遅くなったので、清滝から六丁峠を経て化野の念仏寺、野宮を経由して嵐山の渡月橋に戻りました。

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まだ紅葉には早いのですが、嵐山にはものすごい人数が集まっていました。でも半分ぐらいは中国からの観光客です。日中の交流は庶民レベルではとっくに復活しているようです。日本人は野宮に大勢いました。ここは縁結びのご利益があるそうで、われわれ爺さんはあんまり関係ないようです。

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御嶽山噴火 でもサッカー!

昨夜からテレビでずっと見ているが、これだけの噴火でも、大勢の人が駈け下りて助かったようだ。日本百名山だけあって大勢の方が登頂していたようだ。もし普通の噴火なら、高熱の火砕流が出てきて、雲仙普賢岳のように流れ下って焼き尽くすところだ。助かった人は奇跡的な幸運に恵まれたということだ。

助かった人でも火山灰を吸ってのどをやけどした人も多いという。水蒸気爆発のようだが、それでも細かい噴石などに覆われたらもう助からない。もし私がそこにいても何も対処できなかったろう。

気象庁の火山噴火予知の会見を見たら、「今回の噴火は予知できなかった」といいわけを繰り返している。確かに今回の噴火は突然だったかもしれない。しか2007年にも噴火しているのだ。たった7年で終息したと思うのが間違いだったのだ。ただちに、浅間山や三宅島のように登山禁止にした方がいい。観光業者や宗教団体などにちょっと配慮しすぎたのでは。

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午前中は孫の運動会を見物。午後は仙川の天然芝のグランドでサッカー練習試合。ここのところ毎回得点をしているが、今回も1点。本当は3点とれそうだったが、あせってゴール前のボールをわざわざ外に出してしまった。まあしょうがないか。

アジア大会、サッカー日本代表は韓国に押されっぱなし。開催国との韓国とは気合が違っているよな。0対1で敗戦。まあしょうがないな。

 

 

 

 

60万歩 到達できなかった!

6月、7月、8月は携帯電話についた万歩計の記録をエクセルに移して、いろいろ遊んでいた。6月は月間30万歩で、1日に10,000歩、歩いた。7月初めに気がついて、「ちゃんと歩くとどれぐらいになるか?」を意識しだした。7月の結果は49万6千歩、一日換算16000歩、」あと4千歩で50万の大台だったのに。

8月はかなり意識して50万越えを目標に歩き始めた。朝8千歩、夕方1万2千歩という感じで、けっこう順調に来ていた。8月後半まではかなり暑かったが、熱中症をものともせず歩きまわった。24日までは「60万歩越えは見えたな!我が足は偉大だ!」とわが身をほめたたえていたのだが、「ジジイの分際で1日2万歩などおこがましい!」と神さまが判断されたようで、26日から突然全身倦怠、38.5℃の熱、咳と鼻水に見舞われた。

27日は300歩、28日は2000歩程度になった。とても2万歩にはいかないし、気力もない。健康があってこそ、万歩計を楽しむことができるのだということを改めて感じた。万歩計に歩かされるのは止めた。結局8月は50万歩越えは達成したものの60万にははるかに遠かった。私の限界は1日2万歩だということが分かった。1万5千歩程度に抑えていれば、たぶん故障をしないで、快適に行くだろう。9月はあんまり歩数計は持たないようにしよう。歩数計に歩かされるのは、気分が悪いから。

今週もサッカー 巣鴨までウォーミングアップ

今週もサッカー。本日は三菱養和会の人工芝グランド。我が家からは5キロぐらいだから、ちょうどウォーミングアップによい。ついでにクー-リングダウンで走って帰るのもよいかな。本日は24日、4の日は巣鴨のお地蔵様の縁日。まさにじじばばの原宿のようで、都電の庚申塚から巣鴨駅まで延々と人の波。

私もじじばば仲間だが、青果市場の方に移動してサッカー場に行く。結構暑いのに、元気なジジババがすでに大勢待機している。交通の便がいいせいか、巣鴨の時には参加者は多い。本日も15分を5回やったので、1時間15分。ちょっと動きすぎた感じで、背中が痛い。

それでも整理体操はきちんとやらなければ、ということで歩いて帰宅。シャワーを浴びて、しばらく昼寝してからビール。背中がよけい痛くなってきた。こりゃまずい。奥さんに知られると、サッカー・ビール禁止になるから。

広島の災害は救援がなかなか進まない。なんであの地域だけに雨が降るのだろう。東京は予報では時々雨だが、ちっとも降らない。半分ぐらい引き受けてもいいのに。

わが故郷 広島では大変なことが!

広島県では大変なことになっている。とんでもない量の雨が降ったらしい。すでに緩んでいた斜面の土砂が崩れ落ち、土石流として家屋に流れ落ちて来た。避難勧告は土砂が崩れた後だったとのこと。勧告を受けても、バケツを何杯もひっくり返したような雨だったので、逃げたくても逃げられない状態だったようだ。

それにつけても、昨年の伊豆大島の土石流など斜面の崩壊での事故は痛々しい。しかしそれでも、「なんでこんな場所に家を建てたのか」と言いたい。この付近は以前にも土石流が発生した場所で、危険地域であることは、誰が見ても明らかだ。でもみんなが家を建てているから大丈夫という、根拠のない安心感があったのだろう。

私は広島県の出身で、今回の事故があった可部町辺りには何回か行ったことがある。30年前ごろには、こんな上まで家は登っていなかった。テレビ画面で見るとほとんどが新築家屋で、古い家は少ない。ヘリコプターからの映像をみると、家々はまさに新しい扇状地の上に乗っかっている。扇状地というのは繰り返し土石流が流れる場所だ。こんなところに家を建ててはいけない。そんなことは市役所の人たちも知っていた。しかし宅地造成や建築業者はどんどん造成していった。これはある意味では人災だよ。

造成した業者、認可した役所、それぞれに責任がある。「扇状地に住んではいけない!」という声を発しなかったということでは、私ら地学の教師にも、少しは責任があることは、私も自覚している。土木、建築の人たちは技術におぼれて、大局を見ていなかったという責任もある。私たちは、原発事故で、技術が進んでも自然をなめてはいけないという教訓を得た。皆で自分の住む地のことを見直さなければいけないと思った。

終戦記念日 知らない若者

テレビで靖国神社のにぎわいを中継していた。テレビ局の意図は、こんなに大勢の若者が靖国に集まって「英霊」にお参りをしているのだと言いたかったのかもしれない。しかしほとんどの若者は、この神社にどんな神様が祭られているか知らなかった。また本日なんで賑わっているのかも知らなかった。

8月15日が終戦記念日だということを若者は知らない。だいたいどこの国と戦争をしたかも知らないようだ。私の子どものころ、8月15日は登校日で、必ず投稿して校長先生のお話を聞いたものだ。いつのころからか登校日というのはなくなった。8月15日は終戦記念日だが、休日にはなっていない。なんだかよくわからない「山の日」というのが11日にあった。この日は来年から休日になるそうだが、そうなるとますます15日の記念日は忘れられがちになる。

年寄りは、8月15日を忘れてはいけない、若い人に教えなければいけないというが、若い人にはもう受け入れれ素地は何もない。若者の父親母親がもう戦争のことを歴史の中と思っているのだから、我々戦中派が何を言っても聞く耳はないだろう。それでも伝えなければいけないとは思うのだが、年寄りのくりごとと思われるだけだろう。なにかもっと別の方法を考えなければいけないようだ。どうしよう。

 

 

 

 

池袋まで2往復 歩き

孫が植物の細胞を顕微鏡で見るという夏休みの自由研究をするという。我が家の顕微鏡を出してきたが、なにせ古いのでレンズにカビが生えている。うまく見えないかもしれない。さらにカバーグラスが一枚もないので、池袋の東急ハンズに買いに行った。もちろん歩き。500円のグラスを買うのに、電車賃はけっこうする。どうせ暇なおじさんだから、まあいいか。

しかし帰ったらピンセットもないことに気付いた。150円だけど、またまた歩いて池袋に。我が家から池袋まで2往復。歩数計で見ると1万6千歩。 最近は毎日2万歩ぐらい歩いているので、まだ足りない。結構歩いているのだな。

久しぶりに顕微鏡で葉っぱや花の組織を見て、感激した。孫はよく見えないよ!面白くない。という。面白くなるためには準備からしっかりやらないといけない。私は池袋まで2往復したから、面白いのであって、準備された画像を見るだけでは、そんなに感激するはずもない。植物採集から始めた方がよさそうだ。

エイノイエ コタツタコ!

みわ塾に来てくれていたSEKI谷さんとバッタリ会った。よもやま話をしていると、「エイ」見たことある? と突然言う。 「エイ」って海にいるあのエイ?? 「そうよ! 見せてあげる」 と近くの路地に入って行った。なんと路地の脇に大きな水槽が置かれており、その中にエイが泳いでいる。それも大きなエイが数匹、小さなエイが金魚と一緒に数十匹泳いでいる。

なんだかよくわからないけど、この路地の奥の人が飼っているらしい。近くの学校の子どもたちが、放課後見に来ているとか。なんでこんなところにたくさんのエイがいるの?? SEKI谷さんに聞いても、「そんなことわかんないよ!」 とのこと。

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ともかく お子様番組で 「エイのイエ」 とか「コタツタコ」 とか歌っていた、あのエイがいる。結構かわいい顔をしている。携帯電話のカメラで撮ってみた。

 

仕舞「三輪」

水道橋の宝生能楽堂で、奥さまの仕舞いの発表。今回は「三輪」を舞うことになった。70歳の記念にぜひ「三輪」を舞いたいと練習を重ねていた。今回は短いバージョンで、本番は10月の京都大江能楽堂で行われる。10月まで練習が続くのだろう。本日の出来は練習の成果があり、年齢による体力低下を補っていた。なかなかのもの。私も負けずに体力強化(それだけだが)をしなければ。ビデオ2台用意して、失敗しないよう万全を期した。なかなかうまく撮れていた。youtube にアップしておかなければ。

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日本にも独立記念碑があった!

環七通りからちょっと入ったところに、独立記念碑があった。板橋区から独立して新しい区になった記念の日だそうだ。しかし独立というのは穏やかではない。その前には植民地化されていた感じがあるからだ。

練馬というのは板橋に隷属していたの??? 分離しただけだろうに?そんなに大げさに言わなくてもいいのに、と思うのは、私が板橋区民だからだろうか。

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ところで、明日から気仙沼の「おの寺君」を訪問する。山岳部の仲間で、3.11の時には、宮城県の高校の校長先生だった。あと数日で定年だったのだが、その後は学校が避難所になって大変な仕事を請け負ったようだ。その後体を壊し、心配をしていたのだが、少しは良くなったようだ。地震津波直後にも訪問して支援をしたのだが、今回の訪問は多少は気が楽だ。気仙沼の実家を訪ね、温泉にも泊まるつもりです。

海宝 吹き矢 教室

第3水曜日は高田の馬場の体育館会議室で、サーキットトレーニング塾がある。今年は4月から皆勤。最近は30人近くの人が集まるようになった。海宝さんはいろいろ手作りの工具を使って、楽しく体操ができるようにしてくれている。私から見るとちょっと行きすぎという感じもあるが、その努力は半端じゃない。

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今回は吹き矢、年寄りにはいいスポーツなんですよ! という。すでに用具を6セット用意してくれている。公認のセットを買うと大変な金額になるが、海宝さんはナントカホームに行って、物干しパイプなど様々な材料を使って、公認吹き矢と同じセットを作ってしまった。練習するのはこれで十分すぎるほど。皆さん興味しんしん。とても体操どころではなくなった。来月からは海宝吹き矢教室になりそうだ。

 

久々の高尾山 2度登り

久々に高尾山に行ってきました。本日は土曜日。大勢の若者でにぎわってました。でも歩いている人はかなりの割合で外国人。韓国人が多いかな?? 日本人は子供連れが多くいました。おとうさんたちがんばっています。子ども4人を連れたオーストラリア人の家族もいました。ちょっと負けているなあ! 若者たちはどこへ行ったのかな? 電車にはたくさん乗っていたのに。軟弱にもケーブルかな。子ともをみならて欲しい!

地図と写真で本日のコースを示しておきます。これはなかなかいいコースです。お試しを! 2度も山に登りるなんて、と言われるけど、暑いアスファルトの道を5キロも歩くより、涼しい山道を6キロ歩く方がいい。

14年7月12日(土) 高尾山1回目の登り!

14年7月12日(土)高尾山1回目の登り!

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ケーブルがつんのめっているように見えますが、上の方の傾斜が急なことを示しています。お堂は琵琶滝のまえにある。修行の人が結構いました。いまは涼しくていいけど、冬は冷たそうだ。子どもたち元気に登っています。

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ケーブル駅をでて、琵琶滝をへて、大山橋をわたり、3つの沢を越えました。それでも30分で稲荷山コースの合流部に着きました。(右下の写真)

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上の左画像は高尾山頂上への階段下のベンチです。私は左へ出て、奥高尾山との鞍部(峠)に出ました。昔はここまでが30分でしたが、今は55分かかりました。高尾山には登らず、一丁平へ。ここまで1時間10分。赤いのはマムシ草の実? あと15分で城山の頂上に行きます。