爺さんたちの同窓会

土曜日、若者で混雑している新宿のライオンで、30年前ごろ一緒した仲間が集まった。同じ屋根の下で過ごした同窓の30人が集まった。年齢は私はまだ若い方で、先日このブログで紹介したアホノミクスの浜先生の師匠である武藤先生もお元気で参加された。

近況報告はみんさん病気から生き延びた話ばかり。お仲間がたくさんいて心強い。不参加の皆さんからの便りもみな手術後なので不参加などなど。親しかった何人かは便りもない。ちょっと心配。女性陣は爺さんと違ってみなさん元気。鹿児島の鹿屋からも参加した女性は昭和一桁生まれ。一人で来たよ!とかくしゃくたるもの。女性は強い!

写真は後程。

逆さ狛犬 徒然草

私は狛犬愛好家である。インターネットには様々な狛犬があり、同好の志がおられるらしい。私はそこらで出会った狛犬を楽しむだけだが、これがけっこうおもしろい。最近廻った出雲系の神社には逆立している狛犬がけっこう多いことが気になっていた。きっと中央政権に歯向かっていた象徴ではないかと思って感慨にふけっていた。ところが丹波一宮の出雲大神宮の写真を整理していたところ、下記のような立札を見つけた。逆立とはちょっと違うかもしれないが、兼好さんの皮肉屋精神がよく表れている。私の感慨も、「考えすぎだよ!」ということかもしれない。立札を読んで、兼好さんに皮肉られたかもしれないが、まだ納得はしていない。人間のやったことなので、逆立狛犬には何か理由はあるはずだ。

徒然草第36段 出雲大神宮(亀岡)の立札
丹波に出雲といふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだのなにがしとかや 知る所なれば、秋のころ、聖海上人、そのほかも、人あまたさそひて、「いざたまへ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて、具しもて行きたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。御前なる獅子・狛犬(こまいぬ)、背きて、後さまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝のことは御覧じとがめずや。むげなり」と言へば、おのおの怪しみて、「まことに他に異なりけり。都のつとに語らん」など言ふに、上人なほ床しがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、定めて習ひあることにはらん。ちと承らばや。」と言はれければ、「その事に候。さがなき童どものつかまつける、奇怪に候ふことなり。」とて、さし寄りて、据ゑなほして去にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
吉田兼好:徒然草・第236段 (出雲大神宮にて 2012.11)

出雲大神宮の狛犬は普通だった。以下は出雲の熊野神社(出雲一之宮)

桃太郎と卑弥呼は姉弟だった!

 我が家はここ数年四国88箇所のお遍路をしている。まだ愛媛県の松山の第51番石手寺あたりでウロウロしている。なんとか88番までたどり着きたくて、この先の情報を収集している。83番の一宮寺の情報を見ていたら、隣に讃岐一宮の田村神社があった。一宮巡りはほぼ終わっているので、前にも来たことはあったが、その資料の中に上のような写真があった。

姉と弟が犬、猿をお供にして鬼ヶ島に進軍している姿である。桃太郎の「鬼が島」遠征の話である。私は桃太郎の鬼退治の話は吉備(岡山)が舞台であると思っていた。しかし鬼ヶ島は瀬戸内海で、出陣したのは吉備でも讃岐でもいいのだろう。ここ田村神社でも、桃太郎は香川から出撃したことになっている。
香川バージョンの特徴は桃太郎の後見役として姉が付いていることだ。姉の方が指導的役割だということはこの銅像を見てもよくわかる。この姉は「ヤマトトトヒモモソヒメ」と書かれている。どこかで聞いたような! そう!大和の三輪山の麓にある「箸墓」に葬られている姫様だ。通称モモソ姫だ。あれ!モモタロウにモモソヒメ、なかなかいい語呂合わせだ。

田村神社におられた姉弟、モモタロウとモモソ姫が鬼が島に遠征したのだ。モモソ姫は大和では箸墓に葬られた偉大な姫、近年は卑弥呼とほぼ確定している。ということは、鬼退治をしたのはヒミコとモモタロウの姉弟だった。魏志倭人伝には卑弥呼には弟がいて、姉の政治を補佐したと書いてある。その弟というのはモモタロウだったのだ。

なんか大発見をしたような気になっているのだが、・・・・・みなさんどう思いますか???ご意見をお聞かせいただきたい!

もう8月! 雨だ!

毎日平々凡々の生活。時間が過ぎるのが早い。若い友人が「なにごともなく、毎日を過ごすのが大事なんですよね!」と悟ったようなメールをくれた。私など「今日は・・・をやらなきゃ。今週は・・・なんと何がある」などという脅迫されるような生活を送っていたので、いまの「何事もない幸せ!」というのを感じられるのだが、この若者はどういう心境でこんなことを言ってきたのだろうか。きっと何事か心配を抱えているのだろうな、という心配をしてしまう。

東京は梅雨明け宣言がなされたあとは天気が悪い。毎年8月1日前後は安定した天気が続くのだが、今年は変だ。夕方からは少し雨が降り出した。なんとなく「雨に唄えば!」の心境になり、小雨の中、我がランニングコースの石神井川遊歩道を滝野川の大仏さんまで散歩してきた。大仏さんに「家内安全、国家安康」をお願いしてきた。

「国家安康」などというと徳川家康が激怒するかもしれない。昨年京都の方広寺の鐘楼で「国家安康」の文字を見てきたので、そんなこと思い出した。家康はなんでそんなことで怒ったのか?、たぶん言いがかりだろうが、それで豊臣家は滅びることになった。国家安康と祈れば、現在の怪しい政権は滅びるのではないかと思って!

大仏さんに祈ったら突然雨が激しくなった。我が家まで3キロ、ほぼ30分。びっしょり濡れたが、気持ちは良かった。すぐに風呂場でシャワーを浴びて、運動靴も洗った。悪い「気」を洗い流してくれた大雨だった。まあすばらしい8月の幕開けかもしれないな!

野川に水がもどった

7月2日に野川が枯れ川になっていると書いた。その後どうなっているかを確かめなかったが、24日に見たときには同じような枯れ川だった。昨日夜埼玉、多摩地域にかなりの雨が降ったらしい。本日昼過ぎに野川橋に行ってみたら、写真のように滔々と水が流れていた。
しかし気象庁のホームページを見たが野川上流で雨が降った形跡はない。府中の雨量は0なので、直接の雨で川の水が増えたわけではなさそうだ。きっとどこか別のところから引いているのだろう。今調べる方法はないので、とりあえず本日水が復活したと記録しておこう。地元のおじさんおばさんも水が戻ってきてよかったと喜んでいた。
東京の取水制限は20%がまだ続きそうだ。もうすこしまんべんなく降ってほしいものだ。秋田雄物川は氾濫して大変なようだ。九州、秋田の豪雨、東京の渇水、どうなっているんだろう。

追加:東京都の河川管理課の野川担当に電話してみた。暇人だな!返答は野川は自然河川なので雨量に応じて水量が変わるそうだ。ということは昨日から今日にかけて降った少量の水でも武蔵野台地全体ではこれだけ水量になるということだ。

 

還暦の同窓会!

 清瀬高校の第一回生は今年で還暦。それを機会に同窓会が渋谷で開かれた。我がクラスのSUGI本さんが奔走して大勢を集めてくれた。今回はグアム、カンボジア、アメリカなど海外組もこの同窓会のために集まった。日本国中あちこちからも集まってきた。SUGI本さんは在校生のころから行動派だったが、その気質は変わらずすごいパワーを発揮してくれた。えらい。
卒業以来40年ぶりという連中もしばらく話をしていたら思い出すことができた。小僧みたいだった連中が立派な大人になっている。と思ったがもう還暦、定年の年齢とは。ちょっと驚く。まあ自分の年齢を考えれば当然なのだが。そういえば私はこの年齢のときにはもうとっくに退職してたっけ。もう退職後15年もたつのだ。忘れてた。
落語家の世之介も来ていた。このところテレビでは見かけないがしっかり活躍しているようだ。ちょっとだけ話をしてくれたが、宴会中でも大勢の人を引き付ける話芸はすばらしい。さすがプロは偉い。私のあいさつはみなの話声の中に消えていた。
楽しい夕餉であった。と言っても私はウーロン茶を一杯飲んだだけ。皆さんとの話をするのが忙しくて食べる暇がなかった。もうごちそうに目を輝かせる年代ではなくなっている。それはちょっと寂しいが、本日は皆さんとの会話で胸いっぱい、腹いっぱいになった。二次会にも誘われたが、余韻を残して楽しさのうちに別れるのがいい。ということで9時半には家に戻った。
写真は後程HARI替君からもらって入れます。

練馬区独立記念!

本日は石神井公園に行った。近くに住んでいる先輩のパソコン設置を手伝うためだ。新しいパソコンはヤマダ電機で昨日購入。型落ちだったのでちょっと安く買えた。型落ちといっても2週間前までは新製品だったので、全く問題なし。

無線ランに変え、壊れたパソコンのHDを取り出して、データを救出。これが結構難しいが、NECなど日本のパソコンは裏蓋を開けるのはけっこう優しい。HDを取り出して、住所録や写真5000枚を取り出した。先輩は前のが壊れた時点で、諦めていたが全部取り出せて感謝された。業者に頼むと数万円するだろう。

半日かかって作業を終え、石神井公園、三宝寺池を散策して公園脇のレストランに行く。ここはいいレストランなのでよく利用している。障害者の人たちが気分良く働いているのをみるとなんとなく嬉しくなる。このレストランの入口に写真のようなポスターは貼ってあった。むかし練馬区は板橋区の植民地?だったのかな? そういえば江古田の開進なんとか小学校の近くに「独立記念碑」もあった。それから70年、練馬の歴史は私の年齢よりも若いのだ!!

ヒョウが降った

3時ごろ我が家付近では突然ゴロゴロと雷、そして豪雨になった。雷はかなり近くピカからバシャーンまではほんの少しの時間だった。音の速度は330m/秒ぐらいだから、ピカから1秒でバシャーンは330mの近さに雷があるということ。我が家付近ではほんの数分ヒョウが降ったが、池袋あたりでは大きな氷の塊が大量に降ったという。

車に乗っていた知人はガラスが割れそうなので急いでガード下に入ったと言っていた。でもガード下は凹地になっているので車が水没するおそれがある。ガラスが割れるか水没の危険をとるか、判断は緊急を要する。2週間前九州の日田あたりではこんな雷、ヒョウ、豪雨が何日も続いた。恐ろしかっただろう。我が家付近でもありうるのが、ここ数年の天候不順だ。

高齢者運転講習

免許更新の年になった。5月末に70歳以上の人は高齢者運転講習が義務になっているというはがきが来た。免許更新の前に講習を受けて修了証を警察署に出さなければいけないそうだ。教室での講習の他に実際の運転検査もあるそうだ。早速申し込んだが、2ヶ月先まで満員という。7月中頃にやっと予約を入れることができた。4650円

暑い日だったが、王子の自動車教習場に行った。講習は3人ひと組で、車に乗る。教習員の指示通りに運転するのだが、狭い教習場ではノロノロ運転しかできない。「35キロにあげて」と言われるがかなりアクセルを踏んでもスピードは上がらない。ちょっと焦る。車庫入れは得意なのですんなり行く。最後にアクセル踏み間違い体験があった。止まった状態から思いっきりアクセルを踏んで段差を乗り越えた瞬間にブレーキをかけるが反応が遅くて前の発泡スチロールの棒にぶつかりそうになる。

そのあともう一度やるのだが、教習員がギヤを秘密でバックに入れているので、今度はすごい勢いでバックする。急いでブレーキを踏む。私はなんとかクリヤしたが、棒にぶつかる人が続出。なかなかいい体験だった。

そのあとは視力検査、動体視力検査などが行われた。私は一昨年白内障手術をしておいたので1.0まで見える。動体視力も0.7と30代並になっていた。取り合えずは運転に支障はない感じ。車を手放すのではなかったかなと、ちょっと後悔。でも車のない安心はいいものだ。もう車を買うことはない。いい気分で北区。ありゃ王子自動車教習場は帰宅にある。あれれ

アサガオ・キツネノカミソリ!

大変な豪雨災害、政界でもいろいろ大問題が起こっているが、我が身近はそれほどの変化はない。元ガレージの小さな庭では朝顔が咲き始めた。裏のほうにはキツネノカミソリが咲き始めた。

「何事もない平々凡々とした日常が一番大事なんですよね」
というメールが若い卒業生から来た。今の私は
「そのとおり」
と言えるが、ちょっと前までは
「退屈な時間はいらない」
とばかり活動をしていた。若いのにもう日常の生活が大事と悟ったというのはえらい。たぶん平平凡凡ではない何かがあっただろう。
平平凡凡、なにごともないがごとく咲く花はえらい。

本日は今年第7回目のブラリバークラブ、おっと「峠」楽会のお散歩だ。5月に行き損ねた北赤羽桐ヶ丘峠に挑戦です。

線状降雨帯

九州の豪雨は大変な被害をもたらした。私のおじさんは九州日田に住んでいた。1953(昭和28年)に筑後川が氾濫し、日田市が水浸しになった。その少し後に日田を訪れたときに、ちょっと高台にあったおじさんの家のふすまに水の跡がついていたことが記憶にある。1999年東海村で核分裂が起こった日、下島さんと九州縦断マラソンの途中で日田市を走っていた。今回被害が大きかった宝珠山の駅近くで、大きな鹿が罠にかかって倒れていたのを知らせたらその家に一泊泊めてもらったことも思い出す。2008年には日田市のそばの朝倉にある三輪町の三輪神社を訪ねて歩いた。ここが卑弥呼の里で、神功皇后が朝鮮征伐の兵を集めた場所だということを知った。

そんな場所がまたもや大きな被害を受けている。線状降雨帯という聞きなれない言葉がテレビでは飛び交っていた。天気図を見ると確かに線状に猛烈な豪雨帯が伸びているのが分かる。今回の豪雨は福岡佐賀県境にある高良山がポイントになってここから線状に降雨帯が次から次へと発生しているのが分かる。高良山が積乱雲を作り出していた。

しかし線状降雨帯は珍しい現象ではないようだ。「平成27年9月の関東東北豪雨」では鬼怒川の堤防が氾濫して大水害を起こした。その時は台風18号のの影響で線状の豪雨帯ができた。広島の水害土砂崩れも線状降雨帯だったようだ。他人事のように思っていたが、いつ何時東京にも訪れるかもしれない。もう少し関心を深めて用心しておかなければならないだろう。線状降雨帯の天気図2枚

2015年9月、関東東北豪雨

 

 

 

 

 

 

2017年7月12日、今回の九州の豪雨。

 

胆沢城とアテルイ

水沢には緯度観測所の見学にやってきたが、地図を見ると国道4号線の先5キロほどのところに胆沢の柵、胆沢城がある。何回かここを通り過ぎたことはあるのだがじっくり見たことはなかったので、暑い中駅で借りたママチャリをこいで胆沢城址に行ってみた。田んぼが広がるだけでなにもなかった。

胆沢の柵は大和朝廷が蝦夷を治めるために作った城だったが今は何も残っていない。蝦夷のリーダーはアテルイという者だった。中央政府からは軍隊が派遣された。蝦夷はただの農民たちだったので簡単に侵略できると彼らは思っていたが、数回の侵略戦争の結果は中央政府の敗戦(巣伏の戦い)だった。アテルイという知恵者が蝦夷にはいたからだ。平安時代になって坂上田村麻呂がアテルイとの戦いに出てきた。田村麻呂はアテルイを京の都に連れていく。和睦をするためだったが、田村麻呂が亡くなったためにアテルイは処刑される。蝦夷にはもう戦いをする力はなかった。胆沢城は政庁として蝦夷を抑えるための役所になった。

アテルイは日本歴史の中にはほとんど出てこない。それは蝦夷の歴史であっても日本の歴史ではないとされてきたからだ。でも最近はシネマ歌舞伎でも取り上げられ、若者の間ではけっこう人気が出ている。自転車をこいで4号線バイパスを水沢競馬場方面に進むと田んぼアートが出てきた。北上川沿いに物見台のような建物があった。ここがアテルイの砦で巣伏の戦いの現場だ。アテルイの農民軍が中央政府の軍隊を追いやった場所だ。目の前の北上川で大勢の戦士が溺れ死んだそうだ。物見台の上から見ると、ドキンちゃんなど田んぼに絵が描かれているている。アテルイの砦だったが今は平和の象徴みたいな場所。感慨に更けった。珍しく募金箱に自転車の借り賃ぐらいの募金をした。毎年続けてほしいので。

 

水沢緯度観測所

奥州市の水沢に国立天文台がある。何でこんなところにあるのかと言えば、明治時代(1899年)に極運動(地球回転の乱れの一側面)を解明するため、国際測地学協会が「国際緯度観測事業」として、世界各地の北緯39度8分上の6か所に観測所を設置したそうだ。

日本では1899年(明治32年)岩手県 水沢市(現奥州市)に文部省所轄研究所として「臨時緯度観測所」を発足させた。初代所長は木村榮 (ひさし)。木村は東京帝国大学の星学科で天文学を学び、特に星を用いて緯度を決定する手法を身に
着けます。また大学を卒業後も大学院に進学し、震災予防調査会の下で田中館愛橘教授に学んだ。

ドイツの本部から日本の観測精度が悪いと批判を受けたが、実は日本の方が精度が高かった。従来知られていた緯度変化では説明がつかず、木村さんは、z項という項目を入れることを提唱し、世界で認められた。z項というのはちょっとしたブームになった。水沢のあちこちでzホールとかzアリーナ、zバス、などに使われている。

今は古い建物が「宇宙遊学館」として公開されている。敷地内も見学できるので10mの電波望遠鏡の下まで行くことができる。昔の観測所も残っており、こんな施設でよく観測で来たなあと感心する。宮沢賢治もこの観測所を何回も訪れている。銀河鉄道の夜のイメージはここで得たものだ。

九州で豪雨

 東京は熱中症を心配するような天気だが、九州では大雨が降る予想が出ている。梅雨末期にはいつも九州や紀州で豪雨になることが多いが、そろそろ梅雨も終わるのかと思っていた。しかしどうも、例年の大雨ではなく、これまでにないほどの豪雨になりそうなので、速めに避難するように警報を出している。雨が降り出したら逃げるのは難しいので、昼間のうちに避難所に移らなければならないだろう。

我が家の朝顔が咲き始めた。かわいらしい色と姿。なかなかいい。今年は私もほんのちょっと手伝って、朝顔のつるがまきつく格子を作った。

歯が欠けた!

 最近体のあちこちにガタが来ている。おひるにスパゲッティを食べていると前歯が根元から折れた。前歯がないとスパゲッティをかみ切るのに不便だ。こまっていると、スパゲッティはおソバやうどんのようにすすって食べるのではなく、フォークで丸めて口に入れればいいのだから、かみ切る必要はないと、奥さんに言われた。
 そうだったんだ。スパゲティを食べるといつも口の周りにソースがついてドラキュラ風になるので、なるべく食べないようにしていた。でもソバと違うのか!この年になっても知らないことが沢山あるなあと反省。
 肝心の歯は、我が友人の歯医者さんに行ったら、簡単に直してくれた。もう年なので腕が落ちているだろうと心配していたが、こんなに細かい技術ができるのだからすごい。尊敬しなおした。近年の医療技術の進歩はすごい。たいしたものだ。
 結局長年の習慣で、スパゲティをかみ切ることできそうなので、口の周りはべたべたに戻りそうだ。