徳之島のパッションフルーツ!

徳之島のパッションフルーツをいただいた。勝手に徳之島大使をしている女性からの贈り物。私は今から50年ほど前、大学生の時の卒業論文調査のために徳之島、沖永良部島、喜界島なとを回っていた。ヒコー場なんてないので、鹿児島からの船だけが頼りだった。徳之島には港があったが、沖永良部島ははしけでなければ近づけなかった。本船からはしけに移された牛が危うく落ちそうになったのも見た。

その後は皆既日食のときに奄美大島に行ったのだが、徳之島には行けなかった。かなり残念な思いをしたことを思い出した。大昔半世紀前にはパッションフルーツなどあったかな?? 徳之島のハブが一番毒性が高いというのしか思い出せないのだが・・・・

ともかくパッションフルーツ、森崎君と食す! 酸っぱいな!!

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笠井彦乃と夢二—-湯涌の日々を胸に抱いて—-

彦乃の妹の娘さん、昨日のお花見に遅れた方だが、その方から上記の本をいただいた。この本が出版されたばかりで、挨拶の電話が忙しくて、遅れたのが真相で、ボケたわけではありませんでした。昨日の記事の一部は訂正します。

以下は「刊行のご挨拶」から

今年もまた桜の季節が巡ってまいりました。皆さまにはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
さてこの度、亡母笠井千代の念願であった、姉笠井彦乃の真実の姿を伝える冊子が、金沢湯涌夢二館から出版される運びとなりました。母は昨年8月に92歳で没するまで、半世紀にわたり、姉笠井彦乃の姿を追い求めてきました。その思いがささやかですがここに結実したことを喜んでくれると思います。この本は金沢湯涌夢二館の、笠井千代コレクションを公開するための「夢二と笠井彦乃」展(4月12日から7月13日)の開催に合わせた関連出版として出版されたため、湯涌温泉での日々を中心に据えました。・・・初めて等身大の彦乃を知っていただくことに意義を認めたいと存じます。

以下は私の感想
竹久夢二の絵にある、あのなよなよとした女性は笠井彦乃がモデルだった。彦乃は夢二に寄り添うだけの女性だったと思っていたが、この本を読み、画家としてもすばらしい才能を持っていたと知った。23歳で亡くならなければ、きっと夢二を踏み台にして才能を開花させただろう。私は女たらしの夢二は好みではない。その夢二の最愛の人との評価しかない彦乃さんが、実はしっかり自立した女性であったことを知って、ホッとした。

この本の意図は私の思いとはまったく違って、日の目を見ていなかった彦乃さんの日記から、夢二への愛を再現しようとしたものだろう。これまで夢二の側からしか見られたいなかったが、愛された側の心を知る上で貴重な書だろう。夢二ファンの人、ぜひ読んでほしいな。金沢市湯涌町イ-144 湯涌夢二館 にたのめば送ってくれると思う。500円+税 です。

結婚式 亀岡八幡宮

3月27日(土)
久しぶりに抜けるような青空だった。市ヶ谷の亀岡八幡宮の石段はすごい急坂だ。しかし目を上にあげると満開の桜が白い雲のように広がっていた。
本日は宇井くんと三大寺さんの結婚式だ。最近にはめずらしく、古式にのっとった式で、披露宴も新郎新婦は和服で、座敷で行われた。この二人を結びつけたのは、私だと言うことになっている。司会者の紹介では、教育実習に来ているときに、地学準備室で二人を引き合わせたとのことだったが、私は面倒なので「あとは頼むな!」と言って先に帰ったので、二人が残されただけのことだ。

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披露宴で主賓の方が「宿命」と言われていたように、私は何もしていないのだ。でも義理堅い二人は、わざわざ招待状をもって我が家に来た。今どきは直接招待状を送ってきたり、メールだったりする。この二人は、なんか十数年前に戻ったようなカップルだ。いい感じの結婚式、披露宴だった。義理ではない挨拶が多く寄せられた。気分良く一日を終えた。

宇井くんのお父上は、我らが青春時代に目を覚まさせてくれた論客だった。記憶は定かではないが、公害原論の自主講座を聞きにいった覚えがある。病気をされたようだが、現在はお元気だった。

牛丼パソコンからDELLパソコンへ 

3月25日(木)
今日は1日中、DELLのコンピュータと中原さんのところで直してもらった牛丼パソコンを手なずける作業をしていた。一応両者とも前のように使えるようになった。前にはLANの設定が面倒だったが、こんどはただ差し込むだけで大丈夫だった。中原さんのおかげだ!

そのDELL のコンピュータの写真、液晶は19インチだ。となりの液晶が小さく見えます。DVDも見れるので、これを見始めるとまた時間があっという間にたってしまう。パソコンは高齢者のお守りには最適遊具だ。

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今年はパソコンと液晶プロジェクターを使って、年寄りホームを訪問して、押し掛けホームシアターをやろうかと思っている。DVDかデジタルビデオで「寅さんシリーズ」をやろうか。

ところで、たとえば「寅さんシリーズ」を老人ホームで上映すると、お金を払わなければいけないのだろうが、どこへいくら払えばいいの?どなたか知っていたら教えてくれませんか?

卒業式 君が代 教育

3月24日(水)
昨日は新宿山吹高校の卒業式だった。学校とはもう縁がなくなったはずだったが、まだ私が教えたり、遊んだりしていた生徒が何人かいる。彼らがみんな卒業するまでは、卒業式に出席しよう。
先生たちは指定席に座らされており、最後列には「先生一人一人起立しているか、君が代を声を出して歌っているか」を監視する教育委員会の、まさに小役人が2名陣取っている。先生たちには職務命令がでているので、それに逆らったら、命令違反で処分される。本来なら私もそこにいるはずだったのだが、一年前逃げだしてしまった。みんなには申し訳ない。どうにも重たい気持ちになる。

なにがなんでも、命令には従わせるというのがお上の態度だ。しかし学校でそんな方法をとっていいのだろうか。何が何でも命令をして従わせるという教育は、学校ではもっともまずい方法だ。先生に対しても同じことだ。先生たちのやる気はどんどん失われている。「もういいや!命令されたことだけしかやらないから!」 そんな気になるのも仕方がない。このさき日本の教育はどうなるのだろうか?

今日は雨が降っていたが、荒川の土手へヨモギ摘みに行った。スーパーのレジ袋にいっぱいなるほど摘んだ。枯れ草が混じっているのでよく洗って、ゆでて、刻み、すり鉢でよく擦ってペースト状にする。蒸した上新粉の団子とペーストヨモギを混ぜて、餅つきのようについて草餅にした。草のいい香りが、と思ったが匂いはほとんどなかったが、緑の草餅は春の到来を感じさせてくれた。

修理中のパソコンがなおった。さらに新しく買ったDELLの高級機がやってきた。どのパソコンをどこにおいて、どれをメイン機にするか思案中。この日記は新しいDELLのパソコンから発信している。また2,3日パソコンと格闘する日々が続くだろう。

雪が重たい 君が代も重たい!

3月22日(月)
雪が降りそうだというので、先日手入れをした植木の様子を見に行く。この時期の雪は重たいので、すぐに枝が折れる。枝に雪がついたらほうきで払ってやろうと手ぐすねを引いていたのだが。
しばらく待っていたがなかなか雪にははならない。近所のロジャースに行って、雪見酒の用意をしたのだが、まだ雨が降り続いている。しょうがないからまずビールを飲んでしまった。雪になったら熱燗をと思っていたが夜になっても雪にならない。

こんな一日を送ってしまったので、昨日の疲れはすっかりとれた。「さあ明日からがんばって働こう」と思ったが、行き先はないのだ。
あすは新宿山吹高校の卒業式だ。最後に担任をした子が一人だけ卒業する。本当は5人ぐらいは卒業してもおかしくないのだが、みんなのんびりしているというか・・・・・来年も私が出席できるように配慮してくれているのかもしれないなあ。でも、・・・・・君が代が終わってから(別に私が歌っているかどうかチェックされるわけではないが)参加するつもりだ。

荒川マラソン 4時間20分

3月21日(日)
昨日は山登り、今日は荒川マラソン。リタイヤおじさんは体力派だ。朝9時にスタートだったが、昨日の雪の名残か、少々寒い。今年は1万7千人も走るので、スタート地点に行くまでに8分かかった。まあ時間を気にする分けではないので、まあいいか?

最近マラソンの練習はしていないので5キロを30分のペースでもなかなか厳しい。荒川のコースはいつも走っているので、よく分かっているからよけいにきつい。そんな気分でいたら、なんと5キロ近い重さのザックを背負って走っている女性がいる。あほな人だと思っていたら、山岳耐久レースの時にズート私をリードしてくれた馬杉裕子さんだった。これぐらいの負荷をかけた方が走りやすのだそうだ。すごい人がいるものだ。

私の走りは可もなく不可もなく、淡々と終わった。タイムは4時間20分ぐらい。もう3時間台はムリになってきた。でも完走できただけでも喜ばなければ。ちょっと前になんとフルマラソン10年ぶりという中山嘉太郎さんがいた。沖山健司さんはゆっくり楽しんでますよと言いながら2時間台だった。

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写真は30キロ地点。もう足がバンバンになっているので、すり足状態だ。

雨が岳 おじさんたちの登山

3月20日(土)
昨日の夕方から、久々に山登りに出かけた。場所は本栖湖のさきにある毛無山から雨が岳へ。一行は都立大学山岳部OBの6人組。ほとんどがリタイヤ組だ。今から20年近く前、私はこの付近をとおる東海自然歩道を走ったことがある。そのときに本栖湖、上九一色村、割石峠をとおりA沢貯水池などをとおった記憶がある。

その時は、富士吉田からずーと走ってきたが、今回は車2台で、登山口と下山口においた。麓という集落は昔は千軒の家があったという。武田信玄の発掘した金山があったのだ。近世まで掘られていたそうで、鉄製の機械がまだ放置されている。竹川家という庄屋さんがこの地を仕切っていたらしい。この前来たときにも立派な門構えの家があった。今回再見。昔のままだった。

朝6時45分からから登山開始。最初は不動の滝を見学する余裕もあったが、だんだんと雪が舞いだして、冷え込んできた。天気が悪そうだとは思っていたが、まさか雪とは!おじさんたちは装備は完璧。ゴアテックスの雨具を取り出す。私は短パンで駆け抜けるぐらいのつもりでいたが、そうも行かない。三ピッチで1900mほどの頂上へ。吹雪いており、寒い。コンロでお湯を沸かし、卵スープとおにぎりおじやの昼食。

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アイゼンをつけて下りにかかる。私はアイゼンなど持ってこなかったのでW部さんの四本爪を借りる。これはなかなか快適。他の人たちは6本爪か8本爪。このくらいの雪では4本爪の方が威力がある。雪まみれになりながら、雨が岳へ。そこでアイゼンをはずしたのが失敗だった。雨が岳の下りは急坂でおまけに雪の下が凍っている。滑る滑る。もう一度つけるのは面倒なので尻で滑り落ちる。久々の尻セードだ。他の人たちは面倒がらずに、アイゼンをつけ直す。

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私はそのまま転がり滑りしながら下ったので、渡部さんと最初に車のところに到着。2人で登山口においた車をとりにいく。ちょうど他の人たちが下山してきた時間に車が到着。私と北島さんはそのまま東京へ。他の人は温泉へ。私は明21日に荒川マラソンだ。

道ゆく芸能研究会 お猿の学校

3月18日(木)
「道ゆく芸能研究会」という名前の会がある。猿舞座をやっている村崎修二さんが主催し、各地のお祭りなどで大道芸をやっている人たちの伝統文化を伝えていこうという趣旨の会である。村崎さんは宮本常一先生の意をうけて周防で猿回しを復活した人で、自身も猿回しを昔ながらにやっていた。アトム(安登夢だったかなあ、ちょと忘れた)と組んでやっていたころ何回かみたことがある。テレビには出なかったので有名ではなかったが、昔ながら大道で演じている姿はみごとだった。お猿のアトムくんの毛並みがものすごくきれいだったことが印象的だった。太郎、ジローはテレビで有名だったので、アトムもテレビに出ないの?と聞いたら、猿でも(?)テレビに出るのは大変なストレスがかかり、毛が抜けたりするんですよと聞かせれ、なるほどと感心したものだ。

私は30年ほど前に宮本千晴さんに「お猿の学校」の東京PTAをやれと言われて、村崎さんとは何回も会ったことがある。3年前「宮本常一没20年記念 まつりはエエもんじゃ」佐渡芸能大学に誘われて、佐渡で道ゆく芸能を楽しんだ。
1ヶ月間佐渡の各地の神社、公民館などで大道芸を演じていた。大勢の芸能人を集め、演じた祭りだったが、昔のように神社いっぱいの人が集まるわけではなく、投げ銭もそんなにはないので、主催者は大変だったろうと心配だった。佐渡には米山俊直先生や高石ともやさんなどが応援に駆けつけていた。

その村崎さんが、昨年10月に安登夢の公演で倒れたという。長嶋監督と同じような病気だったようだ。今年は年賀状が来ないので、どうしたのかとは思っていたのだ。なんとかリハビリの結果回復をしてきているという便りをもらったが、心配事が残っているようだ。

投げ銭で生計を立てている「道ゆく芸能」家たちは倒れると直ちに生活に響くのでしょう。人伝てによると一昨年の佐渡芸能大学の芸能人の宿泊代などの残務が残っているのだそうだ。急いで些少のカンパをしたところ、筆書きのお礼状が来た。ちゃんと字が書けるのだと少々安心した。
実は今年から始める「旅するみわ塾」の名前は「道ゆく芸能大学」のパクリみたいなものだ。本家「道ゆく芸能」がふたたび活動できることを念じているところです。

右の写真は「人形劇団くぐつ」のホームページにのっていた写真で、今年の1月「安登夢の公演」とありました。今は回復して、活動を再開されているようで、安心しました。(この写真は大きくなりません))

みわ塾の今年度最終回

3月17日(水)
みわ塾の今年度最終回。来年も行うことにした。4月からは「旅する みわ塾」も開催することにした。 詳細はのちほど、みわ塾のところに書きます。お楽しみに!

今日はそのテキスト作りであわただしい。PDFにアップしようとしたがうまくいかない。少々困っている。後回しだ。

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※追加
午後は「みわ塾」最終回。榎町区民センターの会議室は飲食禁止なのだが、まあペットボトルの飲料程度はOKとのことなので、最終回はそれぞれの紹介と手作りのケーキ、天ぷら、おいなりさん等の差し入れでパーティー。一緒の教室にいたのに、お互いが知らないというのはよくないという、意見が出た。来年はその反省で、時々こんな会をやろう。

みなさんそれぞれの時間を背負ってきているので、個性豊かな方々ばかりだった。こんな人たちに、いろいろ「教える」などという大それたことをしていたのかと思うと冷や汗が出てきた。

夜の部は、関谷さん誕生日とあって大いに盛りあがった。しげさんが今日は夜の部で、修了証書授与。中原先生にも参加していただき、写真も撮ってもらった。夜は人数は少ないが、教養が高くてなかなか大変だ。

と言いながら、4月からも図々しく「みわ塾」ならびに「旅するみわ塾」を開催する予定だ。何人もの方が留年して来てくださるとのことだ。第3水曜日午後2時から4時と6時半から8時半、旅する方はその週の土曜日です。どうぞお越しを、お待ちしています。

関根家は我が車の大家さん!

3月14日(日)
我が家の車を、新宿の関根さんお宅に停めさせて頂いている。関根さんは我が車の大家さんだ。そこに車を停めさせてもらっている「店子」が、大家さんに感謝のごあいさつという名目で、夕方集まった。

先日我が家に立派なウドが届いた。立川の下島さんからだ。立川はウドの産地。それを先週1本だけ大家さんに持っていったところ、「こりゃおいしい」ということで、下島さんも一緒にお招きした。関根さんはウドを期待していたのだが、そのとおり、沢山のウドを持ってきてくれた。我が家にもおすそわけしてもらった。

関根さんのお宅の窓からは新宿のビル群が間近に見える。こんな都会の中心地に、普通の人が住んでいるのだと、感心する。同じ店子のE本さんはさらに都心に住んでいるので、珍しくないかもしれないが、我らにとっては驚き。

ラオスお酒、(大家の奥さんが先日行って来た) ラベルも何にもない地酒だ。せっかく重たいのを持ってきてくれだのに申し訳ないがまあ珍しいというだけの味だった。北村さんのもってきたワインの方に傾いてしまった。

関根家には、とてつもないスピーカーと真空管のアンプがある。スピーカーにあわせて家を造ったと言うぐらいだから、まあ要はマニアックなのだ。その装置で、美空ひばりをきくのが最高なのだそうだ。ウンウン確かに、我が家で聞くのとはエライ違いだ。

 

うれしい便り 高校合格!

3月10日(水)
昔からの地平線会議の仲間であるW辺京子さんからうれしい便りが届いた。先月あったとき、娘が高校受験なのだけど、あんまりできなかったと言っているので・・・・・と心配そうだった。「できた、できた」と言っているやつに限って受からないことがおおい。できなかったと言っている方が、自分成績を客観的に見ているので、受かっていることがおおいよ。と学校の先生のようにアドバイスをしておいた。私は最近会っていないのでよくはわからないが、このかあちゃんととうちゃんの子どもなら間違いないと確信していた。

無事、神奈川県立高校に受かったと聞いてほっとした。・・・・私立の25万円の入学金、公立の5650円、この違いは地平線会議的な生活をしている我が家にとってはありがたいものです。おまけに近所の方に制服をいただきサイズまでピッタリ。オー ビンボーにはビンボーのよき神がいるもので、ありがたや~の世界です。と書いてありました。

いまの世の中は民間へ民間へと向いています。早稲田の付属小学校では350万円の寄付を面接時に要請するとありました。非難されても、合法的だとうそぶいていますが、受験を目の前にした親の弱みにつけ込んで要請するのはあまりにも非教育的じゃないかな。私立へ私立へとみんなの目が向いているのですが、本当にそんなによいのでしょうか? 私が公立高校にいたからひいきするわけではないが(多少はあるけど)、公立もそんなに悪いところではないはずですよ。

W辺家のように、どうしても公立でなければならないと言う人も多い。全部が全部、私立に行きたいわけではないでしょう。公立はどれといって特色がないという特色があります。私立は生き残りをかけて特色を強く打ち出しているが、その色に染まりたくない親も子もいるはずです。特色がなければ自分でそれを作り出すという楽しみがあっていいのではないでしょうか。
最近は公立高校もさまざまな特色をもった学校を作りはじめています。国際高校とか総合高校、進学重点高校、6年生高校、単位制高校、などなど。それらもおもしろいのだが、しばらくすると流行は廃れて、また混乱してきます。そのときに小回りができるのだろうか心配です。

私は、あんまりいろいろ凝らなくてもいいのではないかと思っているが、教育委員会は何か仕事をしていなくてはいけないという強迫観念をもっているらしい。しかしそれはかなりよけいなお世話なのです。いままでやったアイディアで成功したことはほとんどない。学校群をやったらレベルは低下した。大学入試センター試験のおかげで高校3年生の3学期の授業はなくなった。土曜日を休みにしたけど、結局は全員で補修をやっている。
学校というのは社会の縮図だ。学校だけを改革してもうまくいくものではない。画一的に上からのお達しをするよりも、そこの学校で小手先の手直しをするほうがよい。これだけ分化したいまの時代、一斉の改革などうまくいくはずはないのに。

昨日、今日とグダグダと私の思いを書きました。家にいるとこんなことばかり思って、まだウジウジしそうなので、外へ出てみなさんのためになる仕事をしてこようと考えています。
でもよけいなことをしないでくれ! との声も聞こえるのですが。・・・

お台場 24時間 ランウォーク

3月7日(日)
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実はいまは月曜日。日曜日中にお台場のマラソンの話を書いておこうと思ったのだが、くたびれ果てて風呂に入ってすぐに寝てしまった。私はせいぜい40数キロ走っただけだから、そんなに疲れるはずはないのだが、睡眠時間が少なかったのが原因かもしれない。それに土曜日の夜は例年になく寒くて、水たまりには氷が張っていたし、雪もチラチラと舞っていた。身体が冷えて固まると疲れはいっそう激しくなる。もう年なのかなあといいながら、いやまだまだ若い者には負けないとがんばっていると長嶋さんのようになるといけないので、そろそろ自重しなければ。・・・・・・

ウルトラランニングの神様である海宝道義さんが主催する「24時間チャリティラン・ウォーク」に今年もリレーチームで参加した。メンバーは昨年とほぼ同じ「山吹チーム」で、私は監督という名目だった。地平線会議チームもE本さんが監督で、1時間おきに交代し、何時間は寝袋で休むという緻密な計画を立てていた。我がチームは自主性を重んじて、好きなときに好きな時間だけ走るといういい加減な予定だった。しかしこれは失敗で、いつ走るか予定が立たないので、常にスタートゴール地点で待機することになり、身体を休めることができなくなった。この他に山吹の永井先生の家族チーム、田口さんの率いる埼玉のコーペルグループなどが参加した。

走るコースはお台場の船の科学館の外周道路1.5キロで、スタートゴール地点は「不審船」の展示のために場所がなくなってプールのレストランに移動した。1周回ると輪ゴム1本もらって、10本たまると黄色の輪ゴムにかわる。黄色が10本たまると、すなわち150km走ると赤色の輪ゴムになる。レース後半赤色の輪ゴムを持っているチームは「すごい」と尊敬される。

我々はリレー参加だが、本来は24時間個人の部がメインなのだ。この他にも12時間走、6時間走などもあるが、24時間走る人たちで、気合いがちがう。実際に国際大会で上位入賞をしているランナーも参加している。

しかし海宝さん主催の大会のいいところは、すごい人たちもいるが、我々チームのように1年に1回だけ走る人たちや、80歳を越えたおばあちゃんたちがとことこと24時間歩いてもいる。もうなにがなんだかわからないようなごちゃごちゃの大会なのだ。24時間の間、人間の最も根元的な歩く、走るという行為を通して、様々にものを考えることができる。本当は自分でもわからないが、忙しく動いていく世の中で、こんなにも優雅な時間はなかなかとれるものではない。

今年も私の教え子である、なめちゃんやよっちゃんが仲間を引き連れて来た。彼らはこんな経験はまったくないだろう。何かを求めているが、情報はものすごくたくさんあるのに、どれを選択していいのかわからいいまの若者にとって、なにかとてつもなく理不尽な世界に引き込まれた感じだろう。しかし彼らは自分たちでローテーションを作ってそれぞれ勝手に走っていた。そしてなんと200kmを越える距離を走った。最後は膝や腰の痛みでまったく走れなくなったのもいたが、自分たちの足跡をみて驚いたことだろう。個人の世界記録は24時間で240kmほどだろうから、5人とはいえそれに近い距離行ったのだから、自分でも驚きだろう。

走行時間 走行距離
高島 5:01 37.5
三輪 3:33 37.5
中澤 5:20 43.5
大幡 4:45 37.5
池田 3:25 31.5
大金 1:24 13.5
みんな 0:28 3.0
23:56 204.0

ここでの経験を糧にして、彼らはきっと立派に成長していくだろう。と行けばまさにテレビドラマである。これまで私は何人もの生徒をマラソン連れて来ている。そのときには一様に「いい経験をした」と言うのだが、その後生活に大きな変化をもたらしたという例はそれほどあるわけではない。学校の先生は、おもしろそうなものを見せてやることはできても、そのあとは自分次第である。きっとここで「努力したからって格別いいことがあるわけではないな」と感じた子もいるはずだ。
でも懸命に役に立たないことをやっている人もたくさんいるのだと思ったかもしれない。先生を辞めたが、相変わらず先生的立場で若者をみる意識が抜けていないので、少々困る。教育的効果を考えて彼らを連れてきたわけではないのだから。

24時間ランウォークの写真を入れておきます。この写真はほとんどが今回のスタッフの城定さんが撮影したものです。本人の許可を得て、ここに載せさせてもらいました。

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電子機器がぜんぶおかしくなった

3月5日(金)
我が家の電子機器がみんなおかしくなった。パソコンは中原さんのところにお願いした。ビデオは露がつきましたという表示が出たままとれないので田端にあるsharpの工場にもっていき、紙送りができなくなったレーザープリンターは日野にあるEPSONの工場まで直接もっていった。勤めているときだったら、ビッグカメラに頼んだだろうが、いまはヒマなので直接もっていって悪いところを説明して直してもらう。

高速道路を使わないで甲州街道を行ったので日野まではかなり遠い。帰りには国分寺のカフェスローにいってみたら、本日はライブがあるので閉店だった。残念。長野亮之介さんの書いたネームプレートがある。東八道路と国分寺への道路の交差点のそばに京王ストアがある。その隣がカフェスローだ。近くの人はどうぞ一度いってみてください。

ビデオは買ったばかりなので、無料で直りそうだ。EPSONはもう7年近く使っているので、かなりかかりそうだ。このLP8200というのはもともとは10数万円だったが、いつものように中原さん経由で買ったので2,3万円だったと思う。それぐらい直し代がかかりそうだ。でもB4版が印刷できるレーザープリンターは貴重なので仕方がない。

夜は榎町地域センターの交流会に江本さん、関根さんと一緒に行って来た。最近使用後にかならず新宿区民が何人?他区の人が何人?という質問がされる。「これは他区の人が使うのはまずい」という意味なのかどうかを質問したところ、区議会で新宿区民を優遇するようにという意見が出たので、それに従っている。別に登録団体に入っている人を排除しているわけではないので、どうぞ他区の方も使ってくださいという言質をもらった。「地平線会議」、「みわ塾」が 榎町センターから排除されることはないはずだ。

ところで、あすはお台場で24時間マラソン。昨年は山吹チームで200kmほど走った。その後に「退職を祝う会」をやってもらった。今年は山吹チームが2組、地平線が1組、田口一族が1組が参加する。いかなることか、明日は報告できないので、日曜日夜の報告します。

地下街の柱の陰に坐す人の白髪伸びて厳冬に入る

3月3日(水)
もう一日休んでしまった。昨日は午前中テニス。退職後のおっさんとその奥様が集まって優雅な「おテニス」をやっている。私は着ているものもテニスらしくないし、ボールをけっ飛ばしたりするので、マナーに問題があると思われているようだ。どうも優雅なスポーツというのは性にあわないのだが、フリーターになるとつき合いは大事だ。

最近、とびきり元気オジサンが入ってきた。なんでもかんでもボールを力一杯ひっぱたくので、周囲にいる人は危険なのだ。力があるのでボールがラケットの芯にあたるとすごいスピードになる。こんなボールは奥様方はとても受けられない。私の役割は前にたって、そのスピードボールを防ぐことになる。なかなか緊張感があってよい。スピードボールを受けて相手のコートに入れるのはストレス解消になってよい気分だ。ラケットに力が入りすぎたせいか、テニス肘、腱鞘炎になってしまった。パソコンのキーボードを打つにも痛みが走る。やはり走っている方が性に合っているのだろう。

知り合いの女性から「歌集」を送っていただいた。何で私のような文学に疎い人間に下さったのかといぶかった。中の歌を読んでみてわかった。

「地下街のはしらのかげに坐すひとの白髪伸びて厳冬に入る」

この歌を詠んだときに、おそらく私のことを思いだしたのだろうと思った。時々柱の陰に座って、・・・・・・でも、最近はそんなことはあまりないのですが。私のイメージはきっとそんなんだろうな!