調布でOB会

調布でわが山岳会のOBと現役の交流会が開かれた。最近調布はなじみの場所になっているので、近いところで開催されてありがたいという感じ。京王線の調布駅は地下に潜ったので、地上はなんとなく間抜けな感じだ。

ところでわが山岳会としたが、もとは都立大学山岳会だ。いま都立大学は東横線の駅にその名を残すだけの存在。後継の「首都大学東京」ができてもう十数年になりOBもたくさん出てきた。もう都立大学は使えないので、首都大学東京山岳会にしようと思ったが、旧都立大学OBからは反対が出る。英語名はTokyo Metropolitan Universityで今も昔も同じ。ということでTMU山岳会、TMUACにしようかという意見もあるが、まだまとまっていない。

もうひとつところで、若手OBの阿部くんと話しているうちに「地平線会議で話をしたことがあります。」という。江本さんや三輪さんと話したことがありますとのことだった。わが後輩が地平線で話したというのを忘れるはずはない。地平線のサイトには丸山さんが作った「検索」がある。調べてみたら確かに2002年7月の河野兵市を思い出す番外報告会に来てくれていた。箪笥町のセンターでやっているころは毎回出ていたので、河野さんビデオを見た記憶もある。しかしその時にいた若者の名前は思い出せなかった。ボケをしみじみと感じた。

ぶらりバークラブ 愛染川跡

 今年9回目のぶらりバークラブ。今回はお岩さんのお墓、染井霊園など納涼ツアーがテーマだった。しかし珍しく涼しい日で、楽しく歩くことができた。今年最高の人数14人が参加してくれた。若者もおり、平均年齢がふだんよりもだいぶ低くなった。

160716komagome 集合場所は駒込駅東口改札口。この場所は旧愛染川の流路だった。両側の商店街を見れば大体わかるが、駅構内に貼られた地図を見たら、はっきりわかった。ここが北区と豊島区の区界であることが示されている。これはいい。皆さんに川跡の証拠は区界!というのが浸透した。その後、武蔵野女子高校の下の細い路地の両側の住居表示を見ると北区と豊島区。この細い道が昔の川であることが分かった。

 この細道を出たところにお岩通りがある。四谷怪談のお岩さんだが、明治期にお墓のある妙行寺がひっこして来たのだそうだ。なんだ、そんなことか。ついでにお岩さんと夫の田宮伊右衛門は、歌舞伎とは違って大変仲の良い夫婦だったと田宮家では伝えら得ているそうだ。四谷怪談はただの怪談話だったそうだ。なんだ!…でもよかったよ。

植村直己冒険賞授賞式

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yuka06本多有香さんが第20回目の植村冒険賞を受賞した。カナダ在住で犬ぞりレースに全生活をかけて暮らしていることが評価されたということだ。

豊岡市の会場には植村さんの出身校の子どもたちが歓迎してくれた。彼女らは大きくなってから植村さんお偉大さを知るようになるだろう。受賞者本人はもちろん栄誉なことだと思うだろう。しかしこの賞の意義はそれ以上にも地元の子どもたちへのアピールのほうが大きい気がする。市長さんも子供たちが植村さんを誇りにして大きく羽ばたいて欲しいと言っていた。

本多さんは大変シャイな人で、人前でしゃべるのは大変苦手。ということでいつものように江本さんが出てきて、講演の手助けをしてくれた。彼女の言葉を引き出すのに苦労をしたよ! とのことだったが、江本さん9:本多さん1 ぐらいの割合で話は進んだ。毎日29頭の犬と暮らすだけなので、人間語を使うのは、めったにない。こんな大勢を前に戸惑ったのだろう。

がんこ亭で昼食会

160604ganko われらの親分!TA口さんをダシにして東新宿の「がんこ亭」で昼食会をした。本当は誕生会にしようと思ったのだが、「よけいなことをするな!」というお達しなので、まあ昼食会ということになった。「がんこ亭」という名前だが、ここは山野愛子邸のあとを和風のレストランにしたもので、お庭を見ながら個室で食事ができる。我々にとってはかなり豪華な昼食会だった。

我が家はここの所、運動不足だったので池袋から歩いて行ったが、奥さまは目白の珍しい靴屋で変テコな靴を買ったり、隣のレストラン入り口で「望星」の元編集長さんご一家に出会ったりしていたので、待ち合わせ時間ぎりぎりになった。主賓はちょっとお怒りになっていたが、おいしいお食事と、ごあいさつで機嫌を取り直してくださった。終了後、「スサノオ神社のお祭りに行ってやらなきゃ!」とすたすたと歩いて行った。年は秘密だが、あれぐらい元気でいたいものだ。

 

 

ぶらりバー 深大寺

ぶらりばクラブ、今年7回目。深大寺へ行った。ここは武蔵野台地と立川段丘の境目の国分寺崖線にそった場所にある。崖線にそっては湧き水が各所に出ているが、ここ深大寺付近にもたくさん出ている。この水を使って水車を回し、そば粉を作った。深大寺そばが有名なのはこの湧き水を使ったからだ。ACIMG4053 aCIMG4079

最初に水生植物園。あやめ、かきつばた、など今が最盛期。そのあとは台の上に上がって神代植物園へ。入場料は65歳以上は250円。参加者のかなりが該当者。月末までバラフェスタが行われている。すばらしい。参加者のおひとりは、こんな素晴らしいバラを奥さんに見せなきゃ。ということで、忘れないうちに来園するとのこと。さすが愛妻家!すばらしい。私も他家の家庭円満に役立っているなあ。

バラの写真・・・あまりのすばらしさに撮るのを忘れた!

オバマさん 広島訪問

伊勢志摩サミットが終わって、広島の原爆ドームをアメリカ大統領のオバマさんが訪問した。私は被爆者ではないが、その日、爆心地から20キロの乃美尾村で、母親の背に負われていた。閃光と黒雲を見たと母親は言うが、私には記憶はない。しかし10数歳で東京に出てきてから、ピカドンとかゲンバクとか言われ、いやでも原爆を背負っていた。 続きを読む

白根全企画のチャンビ写真展

160620zen1 白根全さんがペルー人の写真家マルチィン・チャンビの写真展を企画し、ペルー大使館で開催しています。写真もすごいけど、この写真展を一人の力と財力で成し遂げたことはもっとすごい。ぜひお運びを!残す日は23日(月)だけです。

チャンビという人がどんな人か、案内書を書き写しておきます。 続きを読む

ブラリバー 銀座から築地、佃島

「ぶらリバークラブ」って、ぶらりとバーに入るクラブですか?という質問があった。昼間っからバーに行くのもいいな!と思うけど、違います! ぶらぶらとリバーを散策しようというクラブです。「リバー」は「川」ですが、我らの川は「化石川」が中心です。化石川というのは昔川があったがいまは暗渠になったり、埋められたりしたもので、まあ「川跡」ですね。

我が師匠の貝塚爽平(「東京の自然史」の著者)さんは、東京のタクシー運転手は山の手では「坂」下町では「橋」を覚えておけば勤まるというようなことを書いていた。本日行く下町には川はほとんどないが「橋」名はたくさんある。昔は川がたくさんあったという証拠だ。「川じゃなくて掘りですよ」との指摘があったが、その辺りは細かく言わない。川も掘も運河も湖もみんな橋がかかっていた。

数寄屋橋、京橋、三原橋、万年橋、采女橋、海幸橋などなどをわたって波除神社前から築地の市場を見物。いまの時間はセリ人はだれもいないが、観光客が並んでいるところがあった。場外市場ではなくて場内のお店。ながめるだけで通過して聖路加大学のあたりまで来たら「なんで食べさせてくれないの」とクレーム。本日は10人、これだけ入るには1時間ぐらい並ばなけりゃ。年寄りはおいしそうなものを見るとすぐに食べなけりゃ気が済まないようだ。

隅田川土手に座ってお腹すいた!と叫ぶTさん。なだめるのは大変だ。それでも佃大橋をわたって佃小橋まで。その先で解散。佃煮やに行っておつまみを買うT さん。まだこの時間では「ぶらりバー!」はやっていません。

まだお花見!雲海桜

>ADSCN4318 もういい加減にしなよ! と言われそうだが、伊香保のグリーン牧場のKAMA田さんが誘ってくれたので急いで出かけた。もちろんソメイヨシノは散った後だがいま八重の桜の関山が最高の色を出している。なかなかいい風景だった。ついでに高山村のパエリアのお店に行く。アラゴンという知る人ぞ知るお店。火曜日は定休日なのだが本日はあいていた。群馬天文台に行く途中の道の桜も今が満開。いつまでもお花見なんかしていないで、もっと世のためになることをしなけりゃと思うのだが、その時には体はなかなか反応しない。XKIMG0399 ADSCN4319

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築地市場も間もなく移転!

5月7日にはぶらリバーくらぶのお散歩がある。ここのところ下見をせずに出たとこ勝負だったが今回は少し時間があったので急いで下見に行った。でも全部歩くことはできないのでもうすぐ移転する築地市場を見て回った。いつもは晴海通りから行くのだが、今回は采女橋から行ってみたところ、青果問屋さんの定松さんの前にでた。「おおーここは私のサッカーのお友達のお店」こんな大きなお店とは思わなかった。残念ながらお友達は外出中だったが、いつもベンツに乗ってサッカーに来るわけだ。。BCIMG3677

ここから連休で賑わう場外市場を抜けて、海幸橋脇の波除神社(TA口さんの馴染みの神社)にお参りして市場に入ってみる。外国人がかなり見学に来ている。もうこの時間セリはやっていないので閑散としている。セリ時間は見学は制限されているが、まああたりまえだよ。買い物はできないの、場外市場にあれだけいた中国人観光客は、ここでは全くいない。BCIMG3692

見学の後は築地川のあとをたどる。ほとんど建物が建っている。川跡の地盤は悪い。地震の時には一番先に倒れるよ。いいのかな?? 晴海通りをわたると築地川は駐車場になり、脇に遊歩道があり、それをたどると聖路加大学脇に出る。芥川龍之介の碑が建っていた。隅田川沿いに出て佃大橋を渡って佃島に行くのが予定コースだが、疲れたので新富町から戻る。入船橋の下の川は埋め立てられ運動場になっている。でも雨が降ったら大変そうだ。BCIMG3695

東京でまだお花見!

高尾に多摩森林科学園がある。広大な園内には日本中のサクラが移植されている。そのために2月末から5月まで様々な桜が楽しめる。ソメイヨシノはとっくに散ってしまったが、今はサトザクラが満開。本日はここで毎年サクラの写真展をやっている寺澤秀治さんに参加いただいて、いろいろ説明していただいた。寺澤さんは昔私が勤めていた清瀬高校の出身。当然私が教えていたと思っていたら、私が去った後に入学したそうだ。ずっと私の教え子だと思っていたがいつまちがえたのだろうか。

本日は現役清瀬高校の生物の先生も見えていて、レベルの高いお花見になった。「今日は二人の講師がいて、すばらしい会だったね!」との評価。私も講師の一人なのだが、数に入っていなかったみたい。ちょっとひがみながらも、関山、うこんなどのサトザクラ、それから匂いが強いサクラなど堪能する。さらに写真にあるような猫の尻尾みたいなのも桜だそうだ。知らなかった。やっぱり先達はあらまほし! ウワズミザクラだそうだ。(直ちに訂正が来た…ウワミズザクラ「上溝桜」でした)

おじさんたちはバスで新宿まで帰ろうという。でも後1時間待たなければ八王子行きが来ない。さらにそれから何時間かかるのか? つきあいきれないで駅へ行くと、なんとおじさんたちも待ちきれなくなって、結局京王線で戻る。

かわいらしいでしょう。なんという名前だっけ?

かわいらしいでしょう。なんという名前だっけ?

ウコンサクラ。黄緑色!

ウコンサクラ。黄緑色!

本日の講師。寺澤さん!

本日の講師。寺澤さん!

これも桜だって!ウワミズザクラ!

これも桜だって!ウワミズザクラ!

もうサクラは見あきたよ!バスでかえろう!

もうサクラは見あきたよ!バスでかえろう!

軽便鉄道(けいびん鉄道)

昨日は「旅の文化研究所」の主催によるシンポジウムがあった。テーマは軽便鉄道。いまさらなんで軽便鉄道かと思ったが、その鉄道とかかわった人々が消えていく中で、人々の中に残る痕跡を掘り起こしておくことは、地方創成の一助になるのではないか。あるいは地域の未来を考えるためのヒントになるのではないかということで話し合うことになった。私は軽便鉄道にはこれまで思い出はなかったが、沖縄の軽便鉄道の路線図を復元したことがある、というような経験からパネリストの一人になった。1959”N5ŒŽ‘Œy“d“S  沖縄与那原からの参加者の方から、沖縄では「けいべん」ではなく「けいびん」です。「消えゆく軽便」ではなく、本気で沖縄に県営の軽便鉄道を復活させる。それが沖縄県の復興につながる!という言葉があった。なるほど! 沖縄の人にとって「軽便」であっても鉄道の復興は悲願の一つなのだ。

三重県の北勢線、内部(うつべ)線は軌道幅762㎜の現役軽便鉄道だ。いまでも高校生の通学の足として活躍している。鉄道車両のデザイナーをされているMitookaさんが、最新技術を使った軽便鉄道を沖縄に復活させるのは大変いいことだと賛意を表された。私も多少ともか関わったからには応援したいものだと考えている。
消えゆく軽便ではなく、未来に向けた軽便というのもいいもんだ。シンポジウムの資料にSEKI根さんの写真とOGATAさんのデータを使わせてもらった。ぶらりバーの仲間のおかげで、無事パネリストの役割を果たすことができた。感謝!My beautiful picture

今日もお花見:ランナーと!

160402hanami02NISHI野さんお誘いで石神井川に行った。最近の彼の出没地域が我が家の近くなので、夕方に行ってみたらまだまだ宴たけなわ。30人ぐらいのランナーが集まっていた。NISHI野一家はいまやランナーの世界では一大勢力を誇っている。超有名キャスターさんも来ているし、往年の名ランナーも参加していた。サロマや四万十ウルトラマラソンの優勝者のみなさんなどすごいランナーたちだった。160402hanami01

昔シティランナーズクラブで走っていた仲間にも35年ぶりであった。昔話で大いに盛り上がった。我らはどうも一世代前のウルトラランニング開拓時代の人と見られて、現役世代からは一目置かれた。そう言われれば、ウルトラマラソンの神様である海宝さんよりも、20年近く前から走っていたのだから、開拓者かな?? いろんな人にあわせてくれたNISHI野さんに感謝!

 

 

いよいよ桜シーズン 几号高低標

昔勤めていたのは茗荷谷にある高校。通勤途中に播磨坂の桜並木があった。この時期は必ずサクラ並木の下を通って通っていた。その高校は私がいるころに100周年を迎えた。その時の実行委員の仲間が毎年集まって観桜会を行っている。今年は年度内の30日に集まることになった。半ボケなので、茗荷谷のひとつ前の新大塚で降りてしまい、集合時間に遅れてしまった。
集まった人は3人だけ。みなさん半病人で、本日は病気自慢?の会になってしまった。伝通院のサクラをみて昼食。なかなかしゃれたレストラン。私の勤務時期にはなかったなあ。
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忘れていた、地理の先生だったHOSO田さんが、明治期の水準点の記号(几号高低標:几号[きごう]とよむ)の着いた石柱が宗慶寺にあるので調べてみようということになった。宗慶寺は私の高校時代の担任のお寺。もう亡くなられたが、寺の方に事情を話して、極楽水の石柱の下を掘らせてもらった。確かに水準点の記号があった。インターネットで見ると、「極楽水の石柱が再建されたときに几号高低標が埋まって見えなくなった」と書いてあった。確かに15センチほど埋まっていた。寺の方に「文化財だから見えるようにして下さい」とお願いしておいた。

地平線会議の余韻

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 昨日は多くの方々が来て下さり感動モノでした。終わった後も早稲田駅近くの中華料理店を貸し切って、二次会があり、大いに盛り上がりました。久々に会ったヨーリンは重たい「高麗人参酒」を抱えてきてくれました。私は重くて持てないので後日送ってもらうことにしましたが、とてつもなく立派なニンジンが三本も入っている高価なものでした。すごい。
 あちこちに御礼の電話やらはがきやらで一日終わりになってしまいました。と思ったけど、そうだ、昨日会場に置いてきた自転車を取りに行かなけりゃ!夕方は晴れていたのですが、夜になって雷が鳴り大雨になったので、新宿のコズミックセンターに置いてきてしまった。
 バス券を使って池袋から渋谷行きに乗り、コズミックセンター前で降りる。20数年前、この道を走って通っていた。