2月会 小泉八雲

150202yamano01150203ogata1150202yagumo私の周りは2月生まれが多いようで、毎年豪華お食事会をしている。今年は東新宿の旧山野愛子邸に造られた「がんこ」という料亭でランチ。私は二月生まれではないが、お相伴にあずかっている。

お食事あとは、旧山野邸周辺をお散歩。小泉八雲の記念公園を見学。子どもたちがみんなでお掃除をしていた。小泉八雲がここで亡くなったとは知らなかった。「怪談」でしられるが、その物語は松江で奥さんの節子さんから聞いた話がもとになっていたと、私は習った。

長いこと松江に住んでいたと思っていたが、1890年に来日、島根の中学の英語教師。結婚したが翌年1891年11月には、嘉納治五郎校長の第五高校(熊本)で英語教師になった。松江のは1年ちょっと居ただけだった。その後1896年に東京帝国大学の講師になって東京の新宿に住んだということで、ここに記念公園が造られたのだそうだ。なるほど、散歩はいい発見があるなあ。

もうひとつ! 八雲の本名はラフカディオ・ハーン  八雲は「ハウン」と読むのだそうだ。それを日本人は八雲と読んだ! との説があるそうだ。なんとなくそれはありそうだな。

南会津 舘岩村 伊南村で歩くスキー

P1050344KAWA村さんに誘われて、福島県の南会津町の舘岩村、伊南村に行ってきました。我が車はP1050354P1050363こんな大雪初見参!
でもスタッドレスの威力はすごい。快適に進むが、夜雪が積もった後、翌日はガラス面は凍っていた。溶かすのが大変だったが
KAWA村さんの車は、さらっと凍りが落ちる。「ワックスをかけてないんでしょう!」・・・その通り。ワックスはスキーだけでなく
雪国に行く時には車にも必要なのだ。

ログハウスの周辺をうろうろ歩きまわる。深い雪のなか歩くのは楽しいが、ワンちゃんは苦労するみたい。しばらくは喜んでいたが、
体が冷えて、震えが来た。KAWA村さんは愛犬を抱っこして、雪の中戻って行った。家にもどってもしばらくは震えていた。

翌日は伊南村で雪遊びを呼びかけて、遊んでいるKAIHOさんを訪問。フミちゃんの「田吾作」を基地にして、春夏秋冬、各季節で
遊びをしようという企画だ。伊南村のもとスキー場の跡で楽しく遊んでいる。我らはゲレンデの一番上まで行って見た。
帰りは快適に新雪を滑るつもりだったが、板の裏に雪がべったりついてまったく滑らす歩いて降りてきた。雪が取れると急に滑るので
転ぶ。北海道大学出身の名人、NAGA野さんも苦労していた。ワックスをつけなきゃいけないのだ。

以下の場所に このときの画像があります。ご覧ください。

http://kazmiwa.sakura.ne.jp/kaz-yama/150201minamiaidu/150201inamura.htm

やったー 快晴だ!

AIMG3374AIMG3423 AIMG3387AAIMG3399SAIMG3407 朝外を見ると赤い朝日が昇ってきた。本日は快晴。天気予報では午前中は晴れ、でも午後からは崩れると言っている。8時にゴンドラが動くと同時に出発。一気にりーゼングラードという最上部ゲレンデに行く。しかしまだリフトは動いておらず、真っ白な一枚の壁がわれらを待っている。ここ二日間に50センチほど降っているようで、快適な新雪のようだ。 一回下に降りて、登ってきたらもうすでに何人か滑っている。急いでわれらも新雪にシュプールをつける。私の使っている新しいスキーはかなり幅が広く、新雪にも潜らない。快適に新雪を乗りこなすことができた。と本人は思っている。いいスキー板を買ったと自己満足。

しかし空には急速に薄い雲が広がってきた。白馬で遭難したらしい山スキーヤーの捜索のヘリコプターが飛んでいるが、だんだん雲いきが怪しくなってくる。早く見つけられたらいいのに、と祈るばかり。

だんだん雲が広がって、視界が悪くなっているのに、大勢の人が最終リフトから唐松岳に向けて上がっていく。「おいおい天気は悪くなっていくだけだよ。やめとけよ!」と言いたいけど、そんな声は届きそうもない。ほとんどの人は外国人。さすがにこんな時には日本人は行かないだろう。事故がなければいいのだが・・・・

白馬スキー

wide01八方尾根というのは、我らの時代のスキーヤーにはあこがれの地だった。私はどういうわけか行く機会がなかったが、3年前にサッカー仲間に誘われて、滑りに行った。しかし連日の雪で、ゴンドラに乗って、何にも見えない中を一階降りてきただけだった。

CIMG3339 今回またその彼に誘われたので、サッカー仲間のKIMURAくんと一緒にお世話になった。しかしまたもや天気は悪く、ほとんど視界がない状態だった。と言っても前回の足元しか見えないというよりは、ちょっとだけよくて、リフトの鉄塔ぐらいは見えた。午後しばらく滑ることができたが、サッカー仲間はいい年しCIMG3341てすっ飛ばすので、珍しく初日で筋肉痛。

新宿→白馬 あずさの自由席 往復:10800円                           リフト代 シルバー2日+半日券  7200円 + 3600円 =10800円                  シルバー2日券よりも平日半日券の方が安かった。 7000円

 

3日目に天気が良くなったので、写真を撮りました。一枚目は八方尾根から白馬三山のその写真です。 あとは白馬駅前と宿舎周辺。

 

 

ぶらりバークラブ ヘリコプター

150114DangoB本日はぶらりバークラブの最初の化石川探索。田端駅から音無川跡を歩くことにしている。途中日暮里の近くに羽二重団子があるので、そこでお休みかな。夏目漱石、正岡子規ら明治の文人の愛したお店だという。

150114ogyounomatu1その先にも面白いところがありそうで、なかなか興味深いコースだ。左は御行の松、初代は天然記念物だったそうだ。そのあと背面(うしろむき)地蔵をみた。ここでは方位が重要。SEKI根さんの方位磁石付腕時計が役に立った。

sikianA「根岸の里のわび住まい」  「子規庵」が鴬谷のホテル街の裏にあった。芭蕉庵ほどでないにしても、そこそこと思っていたが、こんなところだった。入館料500円と言うが、だれも入らないだろう。この家の前に書道美術館があるが、せめてその半分ぐらいの規模でいいから、整備してあげなければ、地元としては格好がつかないよな。

ところで、根岸の里とは関係ないが、本日ぶらりバー資料を印刷していたら、我が家の上空をヘリコプターがわんわん飛んでいる音がする。「きっと何かあったんだ!」と思ってパソコンを見ると、セガサミーの社長宅に銃弾が撃ち込まれたとのニュース。この邸宅は我が家の近くでは最も大きく目立つ家で、私もしばしば脇を通る。相変わらず我が家あたりは物騒だ。

サッカー 東西対抗

本日は70歳以上のサッカー、東西対抗の日だ。私も何とか仲間に入れてもらって出場できることになった。名簿を見たら東西それぞれ80人ずつ参加しているが、私は東軍の77番目。年齢順でその番号。ほとんど最年少だ。ふだんは「ジジイは引っ込め!」と言われているのに、ここではツカイパシリだ。ADSCN0850

11時キックオフと聞いていたが、年齢の高い方(昭和4年生まれ・・・何歳かな? 85歳かぁ)から始まるので、最年少組は午後2時からの試合になった。急いで我が家に連絡。本日は孫たちも応援に来ることになっていたのだが、11時から待たせるわけにはいかない。他の用事を済ませてから来てもらうことにした。

事前にポジション決めを行ったが、わがチームにはディフェンス希望が誰もいない。みなフォワードがいいという。遠路来てくださっている人も多いので、年少組はディフェンスということになった。孫たちに、得点していいところを見せようと思っていたのだが、守りに専念する位置なので何もアピールできない。ムリヤリ前に出ても,だれも代わりをしてくれないので、「前に出る  な!」と味方のバックスから声がかかるのでおとなしく守り専念していた。

活躍できなかったことの言い訳をして(本気ならいくらでも突っ走りことはできたはずだが・・・・)怪我がなくてよかったと、孫と自らに言い聞かせた。ちょっと悔しかったが、まあいいか。実力はこんなものだから。

海宝体操塾 本日で終了!

141217kaiho1141217kaiho2141217kaiho3第3水曜日の午後高田馬場の体育館で行われていた海宝さん主催の体操塾が本日で終了になった。ほぼ10年続けてきたが、70歳を超えた海宝さんはそろそろ仕事に終止符を打って、このさき新たなことをやろうということらしい。

私はこの塾の立ち上げのときから一緒させてもらっていた。ちょっと残念なことだが、人生引き際が大切。みんなに惜しまれながら、終止符を打つのは大変いい。

いつもはうるさいTAGUCHIさんが「感謝状」を作ったので、海宝さんに渡して欲しいという。この感謝状を作るために、筆と墨を買い、書道を師範に習って書いてきたという。それだけ海宝さんに入れ込んでいたんだ。

せっかく習って書いたのだが、紙はカレンダーの裏。大きくてきれいな紙はこれだけだった、言うがコーティングがしてあるので墨はしみ込まず、手にくっつく。そんなことで苦労をしたらしいが、カレンダーの裏とは、田口さんらしい。

会長の長老櫻井さんから手渡してもらう。海宝さん次の企画は?? みなさん期待しているのだが、3月までは完全休養とのこと。その間に1月31日2月1日は南会津の伊南川でスノーシューで冬を楽しもうという企画があるだけ。私は参加しようと思っているのだが、人が集まるかしら?

まあともかく長いことお疲れ様でした。新宿で有志が集まってお別れ会、次回の企画会を行って今日は解散。

ハタハタ がやってきた

141215hatahata 青森の友人からハタハタが送られてきた。「秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ」秋田音頭の一節。八森海岸がハタハタの本場だが、もちろん海に県境があるわけではなく日本海側で今はたくさんとれる。

江戸時代以前から秋田の食卓になじみの深い魚で、冬の雷が鳴る頃に沿岸に集まるので、別名「カミナリウオ」とも呼ばれている。しかし乱獲などがたたって一時激減、大衆魚から高級魚になってしまった。平成4年に自主禁漁に踏み切り、禁漁期間中は、稚魚の放流が行われた。そのおかげで現在は数を増やしているが、もちろん過去の大漁は昔話だらしい。

うろこがないのでさばくのは楽だがぬるぬるしてとらえどころがない。私は左手に軍手をしてつかんで出刃包丁で頭をとった。友人たちにも配ったが、頭は取らずに焼いた方がおいしいとのこと。もったいないことをしたかな。我が家は煮て食べた。大衆魚だったというが、いまは高級魚。白身で品がよくおいしい。

ライオンで忘年会 六地蔵

忘年会第何弾かな? わからないぐらい毎日昼夜続いている。みなさんに忘れられないように欠かさず出ている。今回は清瀬高校の天文部のOBの集まり。いつのころからか声がかかり、仲間に入れてもらっている。昨年は賀曽利さんも来てくれた。今から35年ぐらい前に、天文バイク部みたいのがあって、バイク小僧たちが暴れていた。「俺の弟子にカソリってのがいてなあ」といって、私は彼らを手なづけていた。そのころもカソリという名前はバイクの神様みたいな存在だった。虎の威を借りて、威張っていたのだ。

そのバイク小僧たちは今は立派な社会人。まだ一人だけ年末はスリランカを走るんだとほざいているのもいるけど。・・・(彼も立派な社会人だけど) そんなみんなと昔話をするのが楽しい年齢になってきた。前は昔の話なんかしたってしょうがない。先の話をしなけりゃなどどけしかけていたのだが。

141214shiokakeお酒が入ると ついつい威張ったり、説教をしたりしてしまう。もうみなさんの話をフムフムと聞く方の立場にならなけりゃいけないのに。じいさんたちが余計なことをのたまうから、若者は委縮してしまう。若者社会を育てるには、「そりゃいいね!」と励ましてやらなけりゃいけないのに、相変わらず「今の若者は!!」という言い方をして、芽を摘んでしまう。こんな調子じゃ未来社会はない。

ちょっとしゃべりすぎたことを反省しながら神保町にむかって歩いていると、新宿の太宗寺に出た。ここには江戸の六地蔵があるので、何回も来たことがある。背後を見ると塩地蔵があった。いままであまり気にしていなかった。手元に塩がなかったので下の方に流れていた塩をとって、お地蔵さんの口に少し塗った。もうあまり余計なことを若者には言わないようにしようという反省である。

 

 

伊予が岳 富山 

本日は房総の富山、伊予が岳 トレイルランニングならぬトレイルウォーキング、略して「トレウォー」に出かけた。以下絵日記!
岩井駅10:00 ⇒ 伏姫籠穴10:40 ⇒ 富山11:10 ⇒ 水車11:40 ⇒ 伊予が岳登山口12:10 ⇒
頂上12:40 ⇒ 平群天満宮13:05 ⇒ 水車13:35 ⇒ 富山14:00 ⇒ 福満寺14:30 ⇒ 岩井駅14:50
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サッカー 21人も集まった

 我がシラクチームはいつも11人とか12人とかで、ギリギリ人数で、疲れても怪我しても交代要員はいない。ところが最近若い後輩が参加してくれるようになった。若い連中と言っても、57歳ぐらいなのだが。
 本日は若手組と年長組を分けてチーム編成ができた。相手も年齢で分けたので、若手組はいつもとは違って、かなり本気でやっている。若手と言っても世の中では年長者。そんんいあガンガンやると壊れるのではないかとひやひや。
 試合後は西葛西の駅前で5時から反省会。7時にはお開き。
写真のキーパーは杉崎君。年長組、若手組両方のゴールを守った。ご苦労様!141130soccor

ぶらりバー 呑川の緑道

本日はぶらりバークラブ。都立大駅付近の緑道を行くことにしていた。レジメも作って準備はオーケーだったのだがおばあさんを病院に連れていかなければならないことになった。どうしようかと考えたが、大番頭さんの関根さんが昔このあたりに住んでいたことを思い出し、代理をお願いすることにした。ちょっと悩んでいたのだが、我が仲間には人材は豊富で、いつでも変わってもらえる。これからも困ったらお願いしよう。

本日は緑道を行くのだが、森崎さんがいい地図を作ってくれた。これをみると、昔の川、今の緑道が色分けしてあるので、実によく解る。これはいい。私は色鉛筆で採色してみたのだが、とてもこの凸凹地図にはかなわない。2枚の地図を並べておきます。

都立大学~学芸大学

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野菜、柿 いろいろいただく!

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昨日は現代アートの後に赤城山ろくに移動して、小林さんの農場に行き、大量の野菜をいただいた。ありがたいことで、帰ってから、近くに住む娘一家、息子一家、それに弟一家にも届けた。

141031okesakaki一昨日は佐渡からおけさ柿が大量に届いた。卒業生で地理を専攻した中島君が送ってくれたものだ。彼はトキを追って佐渡に住みついき、NPOの職員として環境問題を中心に取り組んでいる。「みんなすばらしい活躍をしているなあ」、柿を送ってもらったから言うわけではないが、偉い!

サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼

昨日記したTAGUCHIさんの報告を勝手に採録しておきます。ふだんは「なんてことないよ!」といつもクールな彼女にとっても、今回の巡礼は思い出深いものになったような感じでした。絶対に写真をとらせなかったのにゴールの聖堂の前で記念写真をとっていることでも、感動のゴールだったことが分かります。でもそのゴール写真を入れたら怒るでしょうから、その他の写真にしました。文章も報告書のまま採録。map-camino
 サンチャゴは、スペイン北部にある町。ここにある大聖堂にキリスト十二使徒聖ヤコブの墓があるキリスト教三大聖地。世界中の信者たちがお詣りに来る。カミーノといわれている巡礼道を歩いて着く。カミーノはイギリスからフランスから、ポルトガルからなどいくつかあり、今回歩いたのは「フランスの道」。ピレネー山脈を越えてサンチャゴまでは800K。5月、9月の2回に分けて歩いた。朝起きて、ただただ歩き、巡礼宿で寝て、次の日も朝起きて、ただただ歩く、宿で寝る。もちろん雨天も決行。カミーノは畑の中、草原の中、時々小さな村々を通り、霧の峠道もいくつかあった。一日の歩国距離は25k前後。寝袋、着替えなど旅に必要なものを背負っての旅。ぶどう、オリーブの畑、牛、馬、羊の牧場、ヒマワリ、カボチャの黄色、どこまでも続く麦畑、風に揺れるトウモロコシ、落ちたリンゴを拾い食い、栗もいっぱい落ちていた。生ハム、たこ、いか、ムール貝、赤ワインがうまかった。
 日本の熊野古道、四国遍路、西国巡礼など何度も歩いたが、カミーノ・デ・サンチャゴもたしかに巡礼者の道だった。年間20万人の人たちが歩いているという。歩きながら知り合いになり、友人になり、ゴールのサンチャゴでの感動を分かち合った。事故もなく元気に機嫌よく歩けたことに感謝。En Hora Buena!(おめでとう)
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忘年会1 コンポステーラ巡礼報告

御徒町のいつものお蕎麦屋さんで今年度第一回目の忘年会! (今年は何回あるかな??) 本日は今年2回に分けてスペインのサンチャゴデコンポステーラの巡礼を終えたTAGUCHIさんの報告会。通過した地点でのスタンプがぎっしりと押されたノートと巡礼証明書を見せてもらった。信者以外は壮大なスタンプラリーかもしれない。日本でも四国四十八か所札所巡礼があるが、信者でなくても多くの人が歩いている。TAGUCHIさんは四国八十八ヵ所も西国33ヵ所もすでに歩いているというつわものだ。

今回2回目はマラソンランナーの女性と2人だったので行程ははかどり、宿舎や食事も地元の人たちが泊る所を選んだので、大いに安上がりになったという。もちろんTAGUCHIさんは語学の達人で、英語、フランス語、スペイン語はぺらぺら。こんな人と行くと地元の人よりも詳しい穴場情報も手に入る。いい旅だったようだ。うらやましい。

安上がりにできたからということで、「お金が余っちゃたよ!」と気前よく、ご馳走してくれた。お酒は「だっさい」(漢字が難しくてでてくない)をいただいた。気持ちよく酔っぱらった。TAGUCHIさんとの会は、いつも5時開始。7時には終了なので、8時前には家に着く。年寄りには大変ありがたい。