北海道から野菜が!

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北海道の北の端に住む雄次郎君から大量の枝豆とジャガイモ、タマネギなど野菜が送られてきた。野菜の値段が高いこのごろ、我が家にとっては大変ありがたいことだ。

雄次郎君は20歳のころ、宗谷岬から佐多岬まで日本縦断徒歩旅行をやった。植村直己さんが日本縦断をやったころだ。雄次郎君は4万円で2カ月かけて歩いた。当時だってこれで食費、宿泊費を賄うことなどできるはずはない。基本的には野宿、農家の手伝いをしたりして食事を得たりしており、スポンサー付きの植村さんとはだいぶ違っていた。

縦断旅行の後、「あるくみるきく」という雑誌に旅行記を書いた。それを読んだ宮本常一さんが自書の「民俗学の旅」に「当時の日本の人々をこんなにうまく表現した若者はいない」と絶賛してくれた。この旅行記は「宮本常一とあるいた昭和の日本」(農文協)の第25巻の中に、細貝栄さんの「限りなき山行」と並んで再録されている。

手紙の一部:今朝は4℃まで下がりました。樹々の葉は紅葉の準備をしています。大豆は根粒菌利用栽培です。作物の間に大豆を作付け、ほかに一切の農薬、肥料も使用せず野菜を育てています。・・・・野菜栽培がだんだん面白くなっています。牛は体が大変なので野菜農家になって稚内に売り歩こうか!なんて考えています。売れなきゃ自給自足。・・・・牛の方はだんだん規模を小さくし経費を抑えるやりかたで、豊富でも1,2を争う小規模農家になっています。どうせなら北海道でダントツの小規模酪農家になろうと思っています。・・・・

さんま 

文寿さんから釜石のサンマとお酒を楽しむ会のお誘いを受けた。ちょうど奥さまの仕舞の会で京都に行かなければならないので出席できない。残念無念! でもサンマを食べたいなあと思っていたら、我が家の近くの魚角で「新さんま」定食があるのを見たので、食べに行く。たっぷり脂が乗ったサンマを想像していたが、まあ大山の定食屋ではこんなところで満足するしかない。釜石まで行きたくなった。

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食事前
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食事後

高坂のお蕎麦屋さん「つかもと」

大東文化大学へ行く道の途中になかなかすばらしいお蕎麦やさんがある。「つかもと」という名で、食べログにもすばらしい店として紹介されている。なかむら輝ちゃんに誘われて本日お昼を食べに行った。

7月末に連絡を受けていたのだが、ボケが進んでいるようで、12時の集合時間に電話をもらって、「そうだった!」と思い出した。あわててカレンダーの予定表を見たら、ちゃんと12時上福岡集合とメモしてある。それを朝確認しなかったのだ。申し訳ないのと、自分のボケの進度にがっくりくる。

ところで、この「つかもと」さんは輝ちゃんの小中学校の同級生、私も中学校の同級生なのだが、なにせL組とかM組があった時代なので、覚えていない。でも50数年たった今でも昔の事はけっこう覚えているものだ。年をとると目の前の事は忘れるが、昔の事は逆に鮮明になる(半分錯覚だが)感じがする。

ここではワサビはサメの皮でおろす。それだけですばらしいが、天ぷらはさっき泳いでいたえびが出てきた。もちろんお蕎麦も美味しく、話も楽しく過ごした半日だった。

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広島 原爆の日 平和祈念式

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カブトムシも毎日餌をやらなければいけない。水撒きも雨が降らないので休むわけにはいかない。広島の原爆記念日なので黙とうしてから水やりにいく。

安倍総理の挨拶は、子どもたちの立派な言葉の後で、まったく空疎に聞こえる。非核三原則も止め、原発を輸出することを決めた人が、平気な顔で、原爆犠牲者にいい訳しているが、恥ずかしい気持ちはないのだろうか。こんな総理への支持率が60%近くもあるというのは信じられない。

まあ世の中、経済がよくなれば何をやってもいいと思う人も多いのかな、と思う。カブトムシと戯れ、水撒きをするだけのじいさんは憤慨しているのだが、残念ながらなんの影響力もない。朝日新聞には吉永小百合さまが一面に出ていた。あの人が言えば、我が同年代の人の60%の人は賛同するだろう。原爆被害を忘れないよう、がんばって下さい。

今年の4月に原爆ドームに行った時の写真です。後ろの黒いビルが邪魔だな!

気仙沼 港付近 ウミユリ

 前回2012年に来た時には、気仙沼の町には大きな船が打ち上げられ、火事で焼けた跡が各所に残り、がれきが積み上げられていた。これをどうやって処理するのか、と心配したのだが、打ち上げられた船は撤去され、がれきはどこかへ運ばれており、町はすっきりしている。

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 しかし津波に襲われた地域の建造物は撤去され、広大な平野になっている。気仙沼大島の発着する港に、船はたくさんいるのだが待合室ターミナルは撤去され、岸壁から直接乗り込むようになっている。雨の日など大変だろうに。3階建の男山酒造のビルは1,2階が流されて、3階だけが残っていたが、保存されることになったそうだ。

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 私たちは港のすぐ上にある、エレベーター付きのホテルに宿泊した。岩盤の上にあるので地震津波の被害はほとんどなかったが、目の下では大惨事が来ていたばしょだ。周辺のホテルはかなり復活し、多くの宿泊者がいる。このホテルは観光客が多いが、他のホテルは復興工事の人たちが長期滞在しており、繁盛している。

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 手前の岩がごろごろしているところは、昔「一景島」と言われたところ。このホテルがある場所は明治の時代には入り江だったことが分かる。大昔からの陸地ではなく、埋め立てによってできた場所だったのだ。地震が沈んだのは、自然の摂理から言えば、不思議なことではなかったのだろう。
この岩は石灰岩で、近隣の地区は同じ地質だ。先日天皇さまが視察された岩井崎(横綱秀の山の像が立っている)も同じ石灰岩で、ウミユリの化石がたくさん見られる。
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上高地は今年も雨だった!

天気図を見ると、梅雨前線は北に上がっているので関東地方はもう梅雨明けの様相を呈しているが、長野県辺りはまだ雲が残っている感じ。朝6時に出発したが、忘れ物を取りにもどる15分の間に、中央高速はもう渋滞が始まった。三連休だから仕方がない。

そこで関越経由に変えた。30キロほど長くなるが、渋滞を待つ間に30キロ分ぐらい走ってしまう。関越渋滞もなく道の駅・風穴の里でスイカを食べる。沢渡でシャトルバスに乗り換える。上高地はマイカー規制でバスとタクシーしか入れない。大人四人で団体割引(7400円)になる。

釜トンネルを越えたころから雨になる。今年は徳沢園で泊まることになっているので、雨の中8キロほど歩かなければならない。と思っていたら、雨はやんだ。河童橋の前の河童食堂でお昼を食べて、歩き始めるが明神の手前で突然の大雨。合羽を着る暇もないぐらい。今年はみな雨の準備をしてきているので、あわてない。しかし明神ではもう晴れてきた。降ったりやんだりの雨で忙しい。早めに徳沢園に着いた。孫たちは成長しているので、全く疲れはないが、じいさんばあさんはその分衰えているので疲れた!

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明日から上高地、雨が降りそう!

恒例になった孫たちとの上高地行。今年で5回目になる。子どもたちが大きくなる分、じいさんたちはよれよれになる。昨年は上高地から横尾山荘往復だったが、今年はさらに涸沢まで行こうということになっている。子どもたちは大丈夫だろうが、ばあさんは無理だろう。

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上はクサボタン、センジュガンビ です。今年も見ることができるかな?

gozentatibana2ゴゼンタチバナ、キツリフネ

21日には戻ります。その日ごろに梅雨が明けそうです。お父さんたちがサラリーマンなので、日延べができず、大変です。

巨大台風8号 ブラジル:ドイツ戦

沖縄あたりに巨大な台風が北上している。これまでにない巨大な台風で、70mの風速になると言っている。70m/秒というのは時速252kmになる。これは新幹線並みということだ。車は風に飛ばされる。木造家屋はつぶれるだろう。

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宇宙ステーションからの台風8号 目が大きく見える。

台風に慣れている沖縄の人たちでも、懸命に被害軽減のために動いている。那覇港の船はお互いにつなぎ合っている。ガラス窓に割れないように補強されている。ヒコーキは全便欠航だそうだ。東京付近にも金曜日辺りに影響がありそうだ。

明日朝、ワールドカップ準決勝が行われる。朝4時に起きなければならないが、もう勝負は決まっているので、後から見ればいいか。ブラジルはネイマールがいなくてもやれると言っているが、それは無理。さらに守備のかなめで、キャプテンのチアゴシウバがイエロー2枚で出場停止。守りはもうまったく機能しない。ネイマールがいないことよりも、チアノシウバがいない方が大きい。

徳之島のパッションフルーツ!

徳之島のパッションフルーツをいただいた。勝手に徳之島大使をしている女性からの贈り物。私は今から50年ほど前、大学生の時の卒業論文調査のために徳之島、沖永良部島、喜界島なとを回っていた。ヒコー場なんてないので、鹿児島からの船だけが頼りだった。徳之島には港があったが、沖永良部島ははしけでなければ近づけなかった。本船からはしけに移された牛が危うく落ちそうになったのも見た。

その後は皆既日食のときに奄美大島に行ったのだが、徳之島には行けなかった。かなり残念な思いをしたことを思い出した。大昔半世紀前にはパッションフルーツなどあったかな?? 徳之島のハブが一番毒性が高いというのしか思い出せないのだが・・・・

ともかくパッションフルーツ、森崎君と食す! 酸っぱいな!!

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月下美人が咲いた!

何年前だったか忘れるぐらい前に咲いたが、最近数年は枯れたのかと思うほどだった。先日つぼみ?が大きくなっているのに奥さんが気付いた。それから2,3日で咲くだろうと思って毎夜、3階の花を置いた廊下にあがって見ていた。なにせこの花は一夜花だから、見逃すと次にみられるのは何年先かわからない。

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予想よりも遅れて、今日強烈なにおいが漂ってきた。メキシコ産のサボテンの仲間で、小型のコウモリが受粉の手伝いをするという。他家受粉が起きなければ散ってしまう。日本ではコウモリが近くにいないことが多いので、花粉と花蜜を多量に用意し、強烈なにおいでコウモリを呼び寄せるという。

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受粉しないまま枯れてしまうのは植物としてかわいそうなことなので、急いで窓を開け、コウモリが飛び込んできてもいいようにしてあるのだが、近くにコウモリは居そうもない。

お花見 柳瀬川

3月28日(日)
今日は柳瀬川の土手にヨモギ摘みに行った。水曜日にも行ったが、かなり摘んだつもりだったが、草餅を作ったら、すぐになくなったので、またまた摘みに来た。

先日は人出はなかったが、今日は桜が満開になっているので、ものすごい花見客だ。ブルーシートを敷いてカラオケがかかった定番花見がそこここで盛り上がっている。子供たちはに土手では草滑りをして喚声を上げている。われわれは土手にはいつくばって、ハサミでヨモギの柔らかそうなところを摘んでいる。ヒマそうな人が、「何をやっているんですか?」と聞きにくる。だんだんあほらしくなってきたので、近くでやっていたフリーマーケットの出店で焼きそばとうどんを買ってきて、我々もお花見に参加!

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午後、家に帰ると 姫孫がやってきた。奥さんの実家から今日帰ってきたところだ。私が抱いてやると、おとなしく寝始めた。何十年ぶりかで赤ん坊をだっこしたが、あやし方を忘れてはいなかったのだ!

卒業式 君が代 教育

3月24日(水)
昨日は新宿山吹高校の卒業式だった。学校とはもう縁がなくなったはずだったが、まだ私が教えたり、遊んだりしていた生徒が何人かいる。彼らがみんな卒業するまでは、卒業式に出席しよう。
先生たちは指定席に座らされており、最後列には「先生一人一人起立しているか、君が代を声を出して歌っているか」を監視する教育委員会の、まさに小役人が2名陣取っている。先生たちには職務命令がでているので、それに逆らったら、命令違反で処分される。本来なら私もそこにいるはずだったのだが、一年前逃げだしてしまった。みんなには申し訳ない。どうにも重たい気持ちになる。

なにがなんでも、命令には従わせるというのがお上の態度だ。しかし学校でそんな方法をとっていいのだろうか。何が何でも命令をして従わせるという教育は、学校ではもっともまずい方法だ。先生に対しても同じことだ。先生たちのやる気はどんどん失われている。「もういいや!命令されたことだけしかやらないから!」 そんな気になるのも仕方がない。このさき日本の教育はどうなるのだろうか?

今日は雨が降っていたが、荒川の土手へヨモギ摘みに行った。スーパーのレジ袋にいっぱいなるほど摘んだ。枯れ草が混じっているのでよく洗って、ゆでて、刻み、すり鉢でよく擦ってペースト状にする。蒸した上新粉の団子とペーストヨモギを混ぜて、餅つきのようについて草餅にした。草のいい香りが、と思ったが匂いはほとんどなかったが、緑の草餅は春の到来を感じさせてくれた。

修理中のパソコンがなおった。さらに新しく買ったDELLの高級機がやってきた。どのパソコンをどこにおいて、どれをメイン機にするか思案中。この日記は新しいDELLのパソコンから発信している。また2,3日パソコンと格闘する日々が続くだろう。

サクラ皇居東御苑

3月4日(木)
これまで使っていた牛丼パソコンが壊れた。おそらくフロッピーの回転軸が壊れたらしくガリガリ言うのをそのままにしていた。それをはずしてついでにWindowsの入れ替えをしようとしてフォーマットをし直したところ、windowsのCDROMがないことに気づいた。しかしもう遅い。どうしようもなくて夜遅く中原さんのところにもっていって直してもらうことにした。すみませんね。

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昼間は東京見物をしていた。皇居東御苑にはいるともう桜が満開だった。桜といってもツバキカン桜と沖縄の赤色が見事な寒緋桜だ。ソメイヨシノはまだつぼみが膨らんでいない。ソメイヨシノの開花はまだ先のことだろう。

地下街の柱の陰に坐す人の白髪伸びて厳冬に入る

3月3日(水)
もう一日休んでしまった。昨日は午前中テニス。退職後のおっさんとその奥様が集まって優雅な「おテニス」をやっている。私は着ているものもテニスらしくないし、ボールをけっ飛ばしたりするので、マナーに問題があると思われているようだ。どうも優雅なスポーツというのは性にあわないのだが、フリーターになるとつき合いは大事だ。

最近、とびきり元気オジサンが入ってきた。なんでもかんでもボールを力一杯ひっぱたくので、周囲にいる人は危険なのだ。力があるのでボールがラケットの芯にあたるとすごいスピードになる。こんなボールは奥様方はとても受けられない。私の役割は前にたって、そのスピードボールを防ぐことになる。なかなか緊張感があってよい。スピードボールを受けて相手のコートに入れるのはストレス解消になってよい気分だ。ラケットに力が入りすぎたせいか、テニス肘、腱鞘炎になってしまった。パソコンのキーボードを打つにも痛みが走る。やはり走っている方が性に合っているのだろう。

知り合いの女性から「歌集」を送っていただいた。何で私のような文学に疎い人間に下さったのかといぶかった。中の歌を読んでみてわかった。

「地下街のはしらのかげに坐すひとの白髪伸びて厳冬に入る」

この歌を詠んだときに、おそらく私のことを思いだしたのだろうと思った。時々柱の陰に座って、・・・・・・でも、最近はそんなことはあまりないのですが。私のイメージはきっとそんなんだろうな!