白子峠と熊野神社

東京峠楽会
東京都からちょっとだけ離れて、埼玉県に行きました。東京と埼玉の境に白子川が流れています。そこにかかる橋は「東埼橋」です。橋を渡ると川越街道旧道は急坂(大坂)を上っていきます。笹目通を越えたら今度は暗闇坂を下ります。まさに峠。白子峠となずけました。

そこから和光市方面行くと浅久保の公民館の裏に立派な富士塚がありました。ともかくたくさんの富士講の石碑があります。それらを載せておきます。

その後は川越街道を戻って熊野神社に行き、有名な富士塚に登っておやつを食べて、胎内めぐりをして本日終了。[

18年:第3回峠楽会 白子峠

すでに終わっている探索会ですが資料として残しておきます。

◆まえがき
一昨日四国遍路から戻りました。今回は65番の三角寺から76番の金倉寺まで歩きました。ほとんど雨の中でかなり疲労がたまりました。65番の三角寺は愛媛県、伊予の国にあります。そこから66番に行くには66番の雲辺寺(991m)に続く山脈の「峠」を超えなければなりません。そこは「境目峠」という名前が付いています。それまで阿波国、土佐国、伊予国の三国を経て、いよいよ最後の讃岐の国(香川県)に入ると思っていました。ところが峠を越えてその日の宿泊所の民宿岡田についたら、そこは徳島県でした。この民宿は歩き遍路のほぼ全員がとおる有名な場所です。

ということは歩きで行くと、伊予国から再び阿波国に入り、66番の雲辺寺に行くことになります。66番は阿波と讃岐の境の尾根上にあります。歩き遍路の人はほぼ1%ぐらいで、あとはみな車、バス遍路です。その人たちは境目峠を越えないで讃岐側からロープウェーで上り下りします。なので伊予から峠越をせずに直接讃岐の国に行きます。したがってガイドブックも伊予から、いよいよ最後の讃岐国となっています。しかし私たち歩き遍路は伊予国から阿波再入国して、そのあと讃岐国の雲辺寺ということになります。四国遍路と峠道、ちょっとおもしろい優越感(?)に浸れる経験をしました。

●本日のコース
■ 東武東上線 成増駅集合
東上線と東京メトロの駅があります。次の和光市で合流しますが、ここでは少し離れています。東京メトロの駅は川越街道の地下にあります。東京メトロで来た人は申し訳ありませんが、東上線の成増駅改札に来てください。
成増商店街を抜けて川越街道に出ます。ここから白子川に下ります。切り通しをしばらく行くと旧道との分岐に出ます。そこには小さな八坂神社があります。八坂神社の祭神は牛頭天王(スサノオ命)です。祇園さんで有名なのは京都の八坂神社が本社です。このあたりは新田宿と呼ばれたそうです。なので新田坂です。 旧道を行くと昔の街並みが少し残っています。 ■旧道 大阪へ
旧道は白子川を渡ります。ここは白子橋。、「くつがなる」の童謡を作詞した清水かつらが住んでいたそうだ。
▲お手々 つないで 野道をゆけば
みんな かわいい 小鳥になって
歌を歌えば くつが鳴る
晴れた みそらに くつが鳴る
道が突き当たるりまっすぐ進むと熊野神社に出ますが、それより先に左折して白子宿に回ります。川越街道の十字路に出ると立派なお屋敷があります。昔の代官屋敷です。ここは埼玉県側の白子宿、東京側が新田宿(しんでんしゅく)です。

 白子(しらこ)は新羅(しらぎ)からの渡来人の住む場所という意味だったようです。川越街道をこの先に進むと新座市に出ますが、こちらも新羅系なのだそうです。十字路で旧川越街道をこえて登り始めた急坂が旧旧街道の「大坂」です。今でもかなりの急坂です。途中には諏訪神社があります。諏訪神社は大国主命の次男のタケミナカタ命を祀っています。さっき前を通った熊野神社の祭神もスサノオ命を祀っています。このあたり出雲系の神社だらけです。出雲の神様は渡来系の神様と言われています。 ■ 白子のお富士山
笹目通りを歩道橋で渡ります。このあたりが峠なのですが、道路が作られており、はっきり分かりませんが、歩道橋を降りると下り坂になります。この下り坂は「くらやみ坂」と呼ばれていました。このあたりに、お富士山があったのですが!昔探しに来たことがあります。ちょっと探してみましょう。

■白子峠
お富士山を見つけたら、川越街道に戻ります。川越街道は切り通しになっています。上を笹目通りが通っています。
本当の白子峠はまえに通った滝坂を上り、くらやみ坂を下る場所です。しかし笹目通りができて地形が変わったので、いまは川越街道の切り通しの方が「峠地形」になっています。峠楽会ではこちらの方を白子峠としようと思っていますが、よろしいでしょうか!■湧水 峠の下には豊かな湧水が今も出ています。切通しの崖面から湧水が出ているのが見えます。よく見ると関東ロームの中をとおった地下水が粘土層の上から湧き出しています。昔はこんな湧水が切り通しの場所にはいくつもあったのですが。今は少なくなりました。
> ■熊野神社
峠を下りきったところが白子川ですが、その手前に左に入る道があります。熊野神社ですが、真正面に白子富士があります。登ることが可能です。熊野神社は熊野にある神社を勧請したのですが、もともと熊野大社は出雲の一宮です。そこの祭神はスサノオですが、和歌山県(紀州)の熊野にある熊野神社は出雲の熊野との関係がよくわかりません。
紀州の熊野神社はイザナギ命、イザナミ命を祀っています。日本の国土、神様を生み出した一番根源のかみさまです。一番偉い天照大神の親です。スサノオ命は天照大神の弟ですが、天照に逆らった反逆神ということになっています。
天照系が天津神、スサノオの出雲系が国津神という区分があります。
白子の熊野神社、どっち系なのかよく分かりません。。頂上に立ってみましょう。ここには胎内巡りもあります。

■東埼橋
先程は白子橋を渡りましたが、帰りは車の道を戻ます。東京と埼玉の境にある橋なので「東埼橋」というようです。
坂を登っていくと東京メトロの成増駅の入口です。ここで解散。東横線方面に直通で、横浜中華街にまで行きます。あるいは有楽町線にも行くことができます。

赤羽諏訪峠・(几号水準点)

 ここのところ毎日2万歩ほど歩いている。70歳を過ぎたころから入院したりなにかいろいろあって運動をしなくなった。そのせいで急に足腰が弱ってきた。3月になったので四国遍路を再開する予定だが、この調子だと次の難所である66番雲辺寺に登れない。雲辺寺にはロープウェーもかかっているが、ここまで自分の足で歩いてきたので(自転車も使ったが)使いたくない。

そこで毎日ウォーキングを始めたのだが、ただ歩くだけではおもしろくない。最近は東京峠楽会という散策会で峠探索をしているので、峠探し。さらにフェースブックで狛犬シリーズをやっているのでそれも併せて散策しまくっている。

本日の最大収穫は北赤羽の諏訪神社。前にも何回か通っていたが、北医療センターの方から来たことはなかった。医療センター前梅が満開でメジロがたくさん集まっていた。その場所から北赤羽駅を通る新幹線が眼下に見えた。ということはかなりの高台。ここから私たちが諏訪峠と名付けた峠に下った。目の前に諏訪神社に向かう参道があった。私の考えるに、この参道はほぼまっすぐ、平たんにつけらていたが、現在諏訪峠が開削されたためにいったん下がってまた登る地形に変えられたものだ。

これには大変感激。諏訪神社には私の気に行ったものが二つあった。一つは当然狛犬。もう一つは「几号水準点」。明治初期に内務省地理寮が高低測量のために設置した測量標(几号水準点)である。現在は機能はしていないが、大変珍しいので写真を撮っておいた。

池上梅園から六郷用水

本日は今年第2回目の峠楽会! 15人もの人が来てくれた。今回も都内の峠は大坊峠だけ。それよりも梅園見学。まだ4分咲きでしたがまあまあ。

大坊をとおって大坊坂。途中に多宝塔がありました。峠上のお堂を見学。すばらしい紙の形代がありました。

正面石段の脇にはもう桜が咲いていました。河津桜ですね。インコが桜の花を散らしていました。

解散後、清水さんの案内で、六郷用水を歩きました。

板橋周辺:氷川神社

昨日板橋仲宿の氷川神社に行った。夕方遅かったのでいい写真が撮れなかったので、今朝早く出かけた。実は我が家の歩ける範囲に氷川神社が4カ所ある。本日一気に回ってみようと出かけた。まず手始めに近くの熊野神社(高速道路が急カーブしている危険な場所として有名)でカメラを取り出した。電池切れになるといけないので充電はしっかりしてきたのだが、なんとSDカードがない。昨日パソコンに移す時に、はめてそのままになってしまった。家に帰ろうか思案していると目の前にドン・キホーテが見えた。8Gのメモリーを800円で買った。今はこんなに安いのだ。途中で喫茶店休みをしなければ買えるぐらいなのだ。

さて最初は:池袋・氷川神社

次は我が町内の神社:子安神社

次は本命:仲宿氷川神社

次は女神の氷川神社:弥生・氷川神社

次は環七を渡った:上板・氷川神社

東京タワーへ上った!

峠楽会の例会。足立支部長からの提案で、新年だから高いところへ登って、大所高所からものを考えようということになった。それには東京タワーがいい。スカイツリーは高いが値段も高い。こちらも3月から2900円になるそうだが、まだ今は900円。

しかし峠楽会なので、国道一号線にある飯倉峠にもう一度行き、その峠から東京タワーへ歩くことにした。集合場所は神谷町。今回は暮れにお餅をいただいたSさんも参加してくれた。

あまりいい天気ではなく、富士山方面は見えなかった。しかし眼下の増上寺などはよく見える。やはり高いところに登ると、気分は壮大になる。あとで六本木のNさん宅に伺うことにしていたので、道筋を確かめようとしたが、平地から見るのとは違い、なかなか見つからなかった。

峠道 国道一号線

2月の東京峠楽会の探索会は都内を出てみようということになっている。googlemapの凸凹ちずから、国道1号線(第二京浜国道)の鶴見と新子安の間には峠越えがありそうだと見当をつけて行ってみた。鶴見川を上がって1号線に出た。天然温泉が数軒ある。鶴見川の地中には、荒川低地と同じような厚い沖積層があって天然ガスや温水が含まれているのだろうと推定する。

温泉センターから正面には高台が続いている。この台地は都区内の武蔵野台地よりも一段高い下末吉台地だ。国道1号は徐々に登っている。聖ヨセフ学園の先に大きな陸橋が見える。国道は大きな切通し(峠)を越えている。陸橋の先は下り道と思っていたら、ほぼ水平な道になっている。

これじゃ「峠」とは言えないと思ったが、横浜方面に向かって右側に大きな谷が続いている。明らかに峠地形だが、国道は次の峠に上り下りをしないように山側を削って作られている。もともとの道路は2か所の峠越えをしていた。

私は最初の「響橋峠」をくだり、途中からまた国道に上がり新子安方面に下った。この付近には新しい道が作られておりトンネルを越えると生麦のICで首都高速とつながっている。高速道路は高架橋の上に作られているが、国道1号からのトンネルをでると下り道で合流する。ということは国道1号が通る下末吉台地はかなり高い。トンネル入り口には海抜30mとあった。下末吉台地は武蔵野台地よりもかなり高いことが分かった。
 カメラが不調だったので、写真はほとんどgoogleのストリートビューから。近々に入れ替えます。

新年はいつも箱根駅伝!

今年のお正月は平均年齢82歳の老人世帯ですごした。子どもたちはみな海外で、孫たちは「いまテレビで紅白を見てるよ!」と、動画で中継してくれた。昔は海の向こうから電話することも大変な状況だったが、いまは子供でも簡単にスマホの無料のテレビ電話(?)が使える。どういう機能になっているのか不思議で仕方がない。まあテレビ電波もどうやって送られてくるのかよくわからない。子どもたちは、考えもしないで使っているのだろう。

私は長いこと紅白歌合戦は見たことはないが、正月は毎年欠かさず箱根駅伝を見ている。わが卒業生が出たときには小田原中継所で数百メートル一緒に走ったこともある。東海道は何回も走っているので、景色をちょっと見ればどこかすぐにわかる。今、平塚中継所を東洋大学が1位で通過して行った。すぐ後ろに青山学院がいる。強いチームは強い! まもなく大磯に向かうが、高麗(こま)山がぽこんと立っているのが目前に見えるはず。

広重の東海道中の浮世絵でこの山を描いている。昨年同じ場所で写真をとって見た。こんな景色を魅力的に描くのはすごいことだ。山のふもとに高麗寺があったが、明治の廃仏毀釈で廃寺になり今は高来(たかく)神社となっている。埼玉の高麗郡にある高麗神社と同じ系統の神社であるが、高麗ではなく高来になっている。広重浮世絵と私のとった高麗山!

金戒光明寺はすごい寺だった!

  詩仙堂を出て白川通りをひたすら下っていく。京都の町は碁盤の目のように縦横に区切られているので目的地に行くのは簡単だ。銀閣寺のまえに着いた。ここは昨日とおった今出川通り。吉田山の上にあった茂庵から下がったこの道を薄暗くなった中を同志社大学まで歩き、大学のレストランで夕食をとった。  今日は白川通りをさらに下り、白川に沿って下ると「真如堂」への道が見えた。次の目的地だったが登り路になっている。すでに15000も歩いているので真如堂は即座に却下。岡崎神社を通って金戒光明寺へ上がることにした。岡崎神社はなかなか立派な神社。とくにウサギの狛犬(?)がうれしかった。

京都:宮本武蔵から詩仙堂へ

宮本武蔵の決闘の場を探して歩きました。記念の松が植わっていましたが、新しいもので吉岡一門との決闘の場を想像することはできません。今福寺(村山たか女の墓)の裏手から急坂を登り、沢筋を下っていくと赤い囲いの下に八大神社がありました。ここが宮本武蔵ゆかりの神社で下がり松が残されていました。

八大神社を出ると詩仙堂の入り口でした。我が奥さまは50年前に来たことがある。山茶花の大木がすばらしかったという。しかし入り口のサザンカは何代目かで、ちょっと寂しい。中は相変わらずすばらしい。英国のダイアナ妃もやってきたという写真があった。以下写真絵日記!

 

京都宝ヶ池

本日も明け方の空を見上げたが、志摩半島よりも明るく、流星群は見ることができなかった。寒いのでまた布団に潜り込んで、8時にやっと出発。京都国際会議場の裏手にある宝ヶ池を散策して叡山電鉄の一条寺にでるコースを歩く。宝ヶ池ではカワセミを見つけたが、教えてくれた方がいるだけで静寂。東京なら大砲のようなカメラを持った人が集まるだろうが、ここなら私でもゆっくり撮影できる。オシドリが群れて泳いでいる。

ちなみにオシドリ夫婦と言えば、末永く添い遂げる夫婦の象徴みたいだが、実は仲のいいのは卵がかえるまでで、ひなができるとオスはさっさと去っていき、オスだけで群れおり、翌年は必ず別のパートナーと過ごすのだそうだ。オシドリ夫婦というのはそういう夫婦のことだそうだ。

大文字焼きの「妙」の字がある山を過ぎ、叡山鉄道に出る。それには乗らず白川通りにでて、宮本武蔵の決闘の場である一条寺下がり松を目指して歩きました。京都の北は寒い。比叡山は雪がついています。

峠楽会 第11回 方南弁天峠(杉並区)

  12月16日土曜日、峠楽会(昔のブラリバークラブ)の今年最後の探索会です。今回は方南町(地下鉄丸の内線終点)から歩き出し。勝手に名前をつけた方南弁天峠をとおって善福寺川から荻窪まで歩きます。

そのあとは荻窪で忘年会。中央線沿線の人が多いのでそちらに場所を設定しました。もし参加希望の方は以下のページを見てお返事ください。

峠楽会のページ ←クリックしてください

大宮八幡宮・共生の木

  善福寺川をうろついていたら大宮八幡宮に出た。武蔵の国の一宮は埼玉県大宮の氷川神社だ。一宮が大宮と呼ばれることが多いが、こちら杉並区の大宮は一宮ではない。しかし大宮と呼ばれるだけあって由緒正しく立派な神社である。八幡宮は日本で一番たくさんある神社で、第15代応神天皇と母の神功皇后が祭神である。

神功皇后は夫の仲哀天皇が突然なくなったので、夫に代わって三韓征伐をした女傑である。韓国にいるあいだに子が生まれそうになったが腹に石を巻いて生まれるのを送らせて博多に戻り「宇美」で子を産んだ。仲哀天皇がなくなってから1年以上経っているのだから生まれた子の父は天皇のはずはない。しかし神がかりの皇后だから生まれるのを遅らせることができたのだ。これは古事記に書いてある話だ。

しかしこの子を天皇の後継者とするのは難しかったのだろう。神功皇后はその子を一旦敦賀(角鹿)に送り、そこで神さまと名前を取り替えて、都に迎えた。名前を取り替えた子は第15代応神天皇として即位した。これも古事記の記事であるが、なんでこんなおかしな記述をしなければならなかったのだろう。

私はここ数日北朝鮮からの木造船が日本海岸の漂着していることと関連させて考えてしまう。敦賀は日本海岸の良港で、昔は多くの朝鮮半島からの船がやってきた。応神天皇がそこからやってきたということは・・・
 そんなことを考えながら神社の裏手に回ると「共生の木」との表示があった。上を見上げると榧の木の途中から桜の木が伸びている。青い榧のいがいが葉っぱのなかに桜の黄色い葉がある。どこに桜があるのかと探したが地面から伸びる木はない。上手く写真が取れなかったが、なんとかわかる。不思議なことがあるものだ。
不思議な神様のいる神社だから不思議なことがあっても不思議ではない。この神社は都内でも屈指のパワースポットだそうだ。納得!

東京湾クルーズ

 4月12日(水)に新東京丸で東京湾クルーズをすることになりました。手配はすべてぶらりバークラブの尾方さんがやってくれました。この船を貸切にして東京湾のオリンピック競技場などを回ります。公の船なので、参加料は無料です。主催はぶらりバークラブですが、もともとぶらりバークラブはだれでも参加できますので、友人らを連れて参加ください。参加の方は早めに申し込んでください。

詳細は こちら へ。あるいはホームページのブラリバークラブのページから見てください

阿下喜の街がすばらしい

北勢線の終点である阿下喜。私には懐かしい街だ。我が父親はここからさらに山奥に入った相場という集落で生まれ育った。私は住んだことはないが長い間本籍地を置いていたので、員弁郡という名前は懐かしい。今は員弁を読める人がいなくなったのでひらがなで「いなべ」となった。相場の山の中からは員弁の中心であった阿下喜はまぶしい大都市だったが、いまでも穏やかに豊かな街を保っている。

今時、昔栄えた街はたいていさびれているのに、阿下喜では豊かな文化を残している。軽便鉄道を地元の人たちの熱意で残している文化レベルは大変高い。小さな町だが、医者は何軒もあり、大病院も2か所ある。桑名、四日市よりも医療環境はいい。仏壇やも何軒もあった。3月には町中でお雛さんを飾るそうだ。どの家にも立派な雛がある。たいしたもんだ。街角にはいくつも小さな博物館がある。街を大切にしようというボランティアの方々が各地から集まって活動している。うらやましい限りの街だ。