蔵王温泉に来ています。昨日までは高梨さらちゃんたちがジャンプを競っていましたが、それが終わったので少し静かになっています。いまは雪がしんしんと降っています。我らは早々と温泉です。
太郎眠らせ、太郎の屋根に 雪降り積む
次郎眠らせ、次郎の屋根に 雪降り積む
同行の江戸さんが教えてくれました。これが日本人の心だよ!
カテゴリーアーカイブ: 山 スキー
富士山に拝礼!
神社は大好きだが、どうも最近堅苦しくて苦手になってきた。いつもは人が少ない時にコソコソとお参りしているが、お正月はそうもいかない。今年は壮大な気分になれるように、壮大なお山にお参りしてきた。 さすがに富士山は雄大で神々しい感じがする。青春18切符を手に富士駅から身延線に乗った。車窓から右左に富士が見える。地元高校生に聞くと今年は雪が少ないとのこと。確かに静岡県側は日当たりがいいのか、黒々とした感じだ。富士宮駅は「富士山本宮浅間大社」の門前町(鳥居前町かな?)で、お正月には賑わっている。車は渋滞でちっとも進まない。
赤い大きな一の鳥居の前に近代的な建物ができていた。世界遺産になった記念に作られたセンターだそうだ。なかなかおもしろい建物なので入ってみた。70歳以上は無料。免許証を持って行かなかったので東京都のシルバーパスを見せたらOK。最上階は富士山のパノラマが見える。自撮りをしている人も多いし、富士山に手を合わせている人もかなりいる。(富士山のように見えるかな?逆さまにしてあります) 日本人は無宗教という人も多いが、大きな山や森、海や湖など自然物に対して自然に頭を下げる心を持っている人も多い。私はこれも立派な宗教心だと思っている。有識者は「教義・経典」のないのはアニミズム、原始宗教で宗教には入れていないようだ。しかし古代日本人は自然崇拝、八百万の神を崇拝してきた。
人類・神さま・動物・植物・無機物 なんでもみな兄弟姉妹! これなら宗教争いも起こらないのではないだろうか。あっちにもこっちにも神さまはいる。みんなちがっていいんだよ!と大らかにすればいいのに。イスラム教の神もキリスト教の神も元は一つ。みんな同じとすればいいのに、教義・経典でガチンコに縛るから、争いが起こる。日本人は昔からそれを知っていたから、緩やかな宗教心を育ててきたのだろう。あまり形式を厳格化すると、こぼれる人がでてくる。 新しい世界遺産センターも立派な神殿になっていると私は感じた。今回はこの新しい拝殿から富士山に向かってしっかりと拝礼をした。その後浅間大社に向かった。参道には屋台が並び歩くのも大変だった。拝殿前はものすごい行列。さっき世界遺産センターで富士山に拝礼をしたので、浅間大社では遠くから礼をするだけで富士宮駅に戻った。
なつかしい人に出会う!
12月2日(土)には高校時代の友人たちとあった。名古屋からわざわざ出てきてくれた。ラグビー部にいたいかつい体の男で、我が校のボス的存在だった。他校の悪童に睨みを効かしてくれていたので、私たちは他校に試合に行っても一目置かれていた。ありがたかった反面、テストの時には「オレは勉強してないから0点だ。お前も白紙で出せよ!」と威嚇されて、やっと解いた回答を消して0点になったこともあった。しかし彼はちゃっかり隣のを写して半分ぐらい得点していた。今から考えればとんでもないいじめだけど、当時は強いものには逆らってはいけないと思っていた。「そんなこともあったよな!わるかったなあ!」50数年ぶりの楽しい思い出だった。
数日後、これまた懐かしい人にあった。子どもたちが小学生だったころだからもう30数年前に英国のドーバー行った。彼女がドーバー海峡を水泳横断するのを応援に行ったのだ。日本人初の快挙の後のトライだったので結構気楽でわが娘も一緒に、冷たい海に入ったことを思い出した。私は手を入れただけでとても入る気はしなかった。ドーバーの水はとんでもなく冷たかった。その後、彼女に進められて書いたのがわが最初の著書である「水水水こぼれ話」(窓社)である。
彼女のダンナには数年前に2年続けて上高地から徳澤の間でであった。それも偶然も偶然! 今回彼女にあったのも我が家の近所で横断歩道にならんでいるときに目があったからだ。こんな偶然もあるものだ。我が家の奥さんを呼んでしばらく昔話に花を咲かせた。
もうひとり、こちらは今年の5月鳥海山のスキーでご一緒した方だ。大谷さんのドルポの会で半年ぶりの出会い。彼女は私よりも年上だが、とてつもない体力の持ち主。毎年夏は南アルプスの聖小屋(3000m)で3ヶ月間まかないをやっている。「暇なときには兎岳まで走っているよ!」とのこと。ここで会えるとは思っていなかったので写真を持って行かなかった。鳥海山の頂上からのテレマークスキーの勇姿です。私よりも数歳上の女性ですよ。すごいとしか言いようがない。
初めて晴れた! 樹氷見物!
天気予報は27日の午後から荒れ模様ということだった。山形県の海側の酒田などではもう強風注意報、警報がでてきたので、今日は一日温泉かなと思っていたら、急に青空が出てきた。昼間ではなんとか青空は持ちそうなので、急いでゴンドラに乗って頂上へ。すばらしい樹氷原を見ることができた。頂上付近はもうモンスターになっているが、下はもう一息。2月が一番見所だという。ライトアップもあすからだそうだが、私たちには十分すぎるほどの風景だった。満足して温泉街のレストランで食事をして、もう一回行こうかと外に出たら、風の音がすごくなった。気象庁の予報どおり、荒れ模様になってきた。急いでホテルに戻って、帰り支度。温泉から出てくると、雪まみれの人が戻ってきた。上のゴンドラは強風で停まったので、帰りは大変だったとのこと。早めに切り上げて良かった。早めに山形駅に向かい、駅前でご苦労さん会。東京には11時前についた。
トンネルを抜けても雪国ではなかった
この時期はJRジパングの3割引切符が使えないので、青春18切符(11850円)を使って越後湯沢にきた。池袋を10時18分の高崎行き、12時22分の水上行き、13時40分の長岡行きの2回乗り換えで越後湯沢には14時12分についた。片道2370円だから高速バスよりもかなり安い。「トンネルを抜けると雪国だった!」の関越トンネル(?)を抜ける列車は1日に3本しかない。本日は4両の増結だが、ほぼ満員だった。
◆我が家族は30年も前、越後中里駅前スキー場に日帰りで行き来していた。そのときはもう少し本数があったような気がする。いまはスキー場にはあまり雪が無いので、ほとんど人がいない。まあ空いてていいけど、これじゃ経営は大変だろう。
◆家にいると大掃除、窓掃除、正月用意など、邪魔になってはいけないので出てきただけだ。着いた時には青空も見えた(写真)。しかし夕方から大雪の感じで、窓の外、車の上はもう50センチ以上積もっている。ちゃんとワインも持ってきたので雪見酒!見る見るうちに積もっていく。お正月は雪国になるかもしれない。めでたしめでたあし!
ぶらりばー番外編 玉原高原
暑いので涼しい高原で避暑の趣旨で群馬県の玉原高原に行く計画を立てた。5、6人が参加してくれるかと思っていたら17人もの参加申し込みがあった。みなさん東京の暑さにヘキエキしているのだろう。水曜日の天気予報は晴れだった。
ところが金曜日の天気図を見ると関東の南に熱帯低気圧ができ、台風が3つもできている。いつの間に?? 天気予報は雨に変わっていた。土曜日当日朝起きたら大雨。我が家の前は水たまりになっている。都会靴でいいと書いたが、ゴアテックスの靴に変えた。 続きを読む
お花畑 湯沢高原絵日記
今日で車とお別れ!
最近年寄りの交通事故が多くて社会問題になっている。一昨日も歩道に乗り上げたとの報道。これも60歳以上だった。周りからの圧力は増しているのでついに我が家の車も手放すことになった。我が車は2014年に出たばかりのホンダのFitのハイブリッド。これはなかなか優れ物で、燃費はいいし、オートクルーズも付いているので運転は楽だ。低速度では追突防止機能もある。しかし周囲は「いくら車が良くても、ぼけ老人が運転したら逆走は防げない!」と容赦ない。
幸いなことに親戚の看護師さんが夜勤のときに必要だが、前のが古くなって買い換えようと思っているとのことだったので、渡りに船!じゃなくて渡りに車ということで、本日手渡すことにした。買主は娘に甘いお父さんなので、一緒に陸運局、今はなんとかと名称が変わっているが、そこへ直接持ち込む。本人同士なので実に簡単に名義変更ができた。昔は税金や自賠責保険など日割り計算をしたりしたが、いまは車検の時にも納税証明はいらないのだそうだ。
ただしまだ車検前の新しい車なので自動車の取得税は取られた。私の計算よりも安かったが、同じ自動車で二度取得税を取られるのは悔しい。ナンバープレートを自分でとり替え、刻印してもらって終了。引き渡そうとしたら、そのお父さんも運転は厳禁と言われているとのことで、お宅まで「他人の車」を運転して行った。家に娘さんはおらず、「お父さん!駅までも運転しないように!」とも書置きがある。バスで浦和駅まで戻る。
家の前の車庫はすでに奥さんの手でお花の鉢置き場に代わっていた。かなりの寂しさを感じたが、多少の不安があったので、すっきりしたことも確かだ。高級自転車のロードレーサーもすでにないし、まだほとんど使っていないスキーも寄贈してしまった。高速の遊び道具はすべてなくなった。ママチャリだけがお友達かな!
スキー場に雪が降った!
26日に越後湯沢に来たが、雪がほとんどないので人影はまばら。聞いてみると、湯沢町のスキー場で開いているのはみつまたかぐらだけで、そこへ行く国道は大混雑だそうだ。スキー場の人たちは「正月までに降ってくれないかなあ!」とこぼしていた。
気温は2時ごろ8℃だったから、冬型の気圧配置になっても雨になるかもしれない、と思っていた。
ところが朝起きてみたら、大雪! 車の上には20㎝ほど積もっており、スキー場のゲレンデは真っ白になっている。これならなんとかスキーができそう。いまごろきっと従業員を集めているのだろうな。
私はスキーの支度をしていないので、交通が途絶する前に雪国を脱出して、国境の長いトンネルを抜けた。こちらはまったくの青空。国境の山々でこれだけの気候の差があることを実感した。
高尾山駅はきれいになった!
ダイヤモンド富士を高尾山のもみじ台から眺めようと、急に「若い女性」のパーティから誘われたので、いさんでとんで行った。しかし雲いきはあやしく、午前中はまあまあだったが午後になるとぽつぽつと降り始めた。私は6号路という滝のあるコースを上がって行った。途中、SEKI根家の金魚のお墓がある祠に詣でて、大山橋を通りもうすぐで稲荷山コースにたどりつくところで、雨がひどくなったので、下り始めた。
先発隊はもみじ台で場所取りをしてくれていたが、富士山などどこにあるかもわからない状態で、ケーブル駅に向けて下ると携帯電話で連絡してきた。私たちは稲荷山コースを下ることにする。我ら後発組は食料、コンロ、ワインを持っているので、心強い。ケーブル乗り場の近くまで降りて来たら、先発隊はお店に入ってもう宴会らしい。我らは雨が止んだので、お稲荷さんの広場で、Oさんが作ってくれた冬至かぼちゃを肴にワイン! と思ったが、なんとワインオープナーがない。アルゼンチンからのワイン! 残念ながら眺めるだけになった。
再び雨、出来上がったチームと合流して駅へ。10月末に高尾山駅に温泉ができたのでそちらに移動。一緒に入るわけにはいかないので私は一人さびしく!ここでお別れ! なかなか立派な温泉施設。オープンしたばかりなのと雨の休日なので、超満員!
インド ラダックから戻りました。
12日に無事戻ってきました。ラダックの首都のレーの街は高度3500mにあり、その後4100mのドムカル村で5泊のテント生活でした。心臓には悪い環境でしたが、ダイヤモックスという高山病の薬のおかげで快適(?)な生活でした。4700mの聖なる石のある巡礼地には登れませんでしたが、聖地巡礼の気分は味わえました。
11日間の行動日誌を以下に入れておきます。ブログは時間順ですが、読みやすいように日時とは逆に連続させておきます。13日本日ラダクではマラソン大会が開かれています。4000mの高地を走るなんて・・・・ 地元民にはなんてことないのかな??
9月3日 ラダックの首都のレー
ニューデリーで一泊して早朝の便でラダックのレーにむかう。ヒコーキで1時間ほど。ヒマラヤの山々を見ながら3200mのレー空港に到着。ここで2泊して高度に慣れ、チベット仏教の霊地の一つであるゴンパランジョンの巡礼地のむかうことになっている。まあまあ埃っぽい町だ。やたらと咳が出る。埃アレルギーになったかも!これはレーの街を見下ろす高台にあるゴンパ(お寺)である。下から見上げるとチベットのポタラ宮殿に似ている。昔は王宮はお寺だったのかも。ここに歩いて登ると1時間はかかる。まだ高度順化していないので車で上がった。それでも九層の建物なので階段を上がるのは大変だった。紫外線が強く、サングラスは欠かせない。 町の入り口には立派な門がある。さらに入るとマーケットがある。ここは昔からの王宮前の大通りだが、現在は通りの正面にモスクがある。チベット仏教の聖地にもイスラム教が浸透してきている。チベットのラサとは違う感じだ。
ゆっくり高度順化をするするとのことだったが、小林さんの意見では少し動いた方が早く慣れるとのこと。少し、ではなくかなり歩いたので早く慣れたかな。高山病は感じられないが、ダイヤモックスのせいで夜中に5回もトイレに起きた。この薬は強力な利尿作用がある。たくさん水を飲んで、トイレに行ってを繰り返す。
9月4日 こんなところに日本人
レー滞在2日目。まだレー(3500m)の高度に慣れていないが、ストックという村に行くことになった。レーの町からよく見えるストックカンリ峰(6153m)の登山口だ。西遊旅行など日本の登山グループも多くくるという。その登山基地がストックという町だが、ここに日本人の池田さんという女性が住んでいる。第2子出産のために日本に戻っていた池田さんの子どもは、我がリーダーの小林さんの子どもさんと同じ保育園にいたそうで、お互いに知り合いとのこと。われわれもおまけでいろいろ御接待を受けた。 彼女のホームページ http://neo-ladakh.blogspot.jp/ です。 ストックカンリ峰、氷河があるが登れそうだ池田さん(左)宅の台所居間右は旦那(ラダク人)手作りのモモ 餃子かなこの実が酸っぱい。ジュースになっている。名前は??
9月4日‐2 ゴンパ巡り
ストックにもゴンパがある。ゴンパとは僧院。ほとんどの村の高台に君臨している。みなチベットのポタラ宮殿風だ。とくにこの後に出てくるティクセゴンパはすばらしい。とりあえずストックゴンパは王宮で、いったん外に出た王さまがいまは階下に住んでおられるそうだ。このゴンパには坂本龍一さんも来たそうで王さまとの写真が飾ってあった。テラスからの眺めは最高。下の方にインダスの流れが見える。
ストックからインダス河に下って橋を渡り、上流に向かう。シェーという村はレーが首都になる以前に首都だった場所だという。そこにもシェーゴンパがあるが、そこはパスしてさらに奥にあるティクセゴンパに向かう。このゴンパはラダクの中でも1,2を争うような壮大なもので、ラサのポタラ宮殿のモデルになったとか言われている。
周辺の村々は2010年のラダクを襲った洪水でほとんどの家が流された。お坊さんが見下ろしている村は、残っているのが国道沿いの緑のある場所のみだ。2015年にも追い打ちをかけるように再び洪水が襲った。
9月7日 ドムカル上村に泊る 3800m
インダスのほとりにあるドムカル下村は人口は150人ぐらい。上、中、下村全部で500人弱だという。下村の平地はごくせまい。そこへ流れ下るドムカル側は狭い渓谷なので、残りの人はどこに住んでいるのか不思議だった。しかしせまい谷を登っていく(もちろん車で)と茶色の世界に突然ポプラの森が出てくる。谷が大きく曲がっている場所に小さな段丘がありその上に本流からのかんがい用水を引いて耕作地ができている。アンズの実が沢山なっているのを勝手に取って食べる。村長さんの家に招待され、バター茶をいただく。3軒回ったら、おなかがチャポチャポになったので、あとは招待を断った。村は大麦の収穫で忙しい。アプリコットと大麦、小麦ぐらいしかない。野菜はジャガイモの他はほとんどないが、仲間の一人がどこからかカブとブロッコリーを手に入れてきた。浅漬けのもとに入れて、みなさんに振舞われた。久々の新鮮野菜。ちょっと上に散歩に行くと見慣れない家畜がこっちを見ている。「ゾ」というらしい。ヤクと牛のハイブリッド動物だ。ヤクの雄と牛の雌の雑種で、雄を「ゾ」といい雌を「ゾモ」という。ゾモは交配可能だが、ゾは一代限り。このゾモは子ども2頭を連れていた。子ゾか子ゾモかはわからなかった。