5月21日(水) |
第2回目の「みわ塾」の日だ。月曜日のうちにテキストを作っておいたが、パワーポイントの映像の準備ができていなかったので、午前中パソコンに向かって頑張った。いくらでも時間があるのだから、もっと前に準備をしておけばいいのに、いつもの通り「ドロナワ」だ。 テキストのコピーは裏表にしているので一人分6枚になる。細かいことをいうと一人分60円。これを40部作るので2400円。学校にいるときには、学習プリントの原価など考えたこともなかった。そこで同じお金を払うなら、知り合いの方がいいと思い、高田馬場「窓社」に向かった。 「地平線の200人」「水水水こぼれ話」「鏡の国のランニング」「ジャーニーランのすすめ」などの名著を作ってくれた大手零細出版社である。この不況時に社員が1.5倍に増えていた。めでたいことだ。(2人が3人になった) 今回は、生命の材料は超新星の爆発でできた。私たち人間も、「星の残骸」からできたのだ。という話だったが、なんと専門家の田中さんが聴講に来られたので、いつもの大ほらが吹きにくくなってしまい、自分では迫力が欠けた感じになった。エライ人はお断りしなけりゃいけないな。 すばらしいジャイアントインパクト(地球と巨大な惑星の衝突)のCGがあったので、それを見せたくて、話題に入れたが、生命の発生との関連についての言及が弱かった。今回の講座内容には入れない方がよかった。 まあそれでもなんとか、数億年間の地球歴史を2時間で終えた。あとはいつもの北京で談話会。大学生の娘と親子で来てくださった方もあり、盛り上がった。来月もやるぞと言う気にさせてもらった。 いつも応援をしてくれる塾頭さんの関根さん、桜井さん、真嶋さんに感謝。こりずに来てくださる塾生の方々に感謝。 |
「日常」カテゴリーアーカイブ
地球破滅の日!
5月15日(木) |
朝から雨だ。こんな日は「雨読」の日だ。といいながらテレビを見ていたら、なんと今日は地球破滅の日なのだ。パナウェーブ研究所では15日がアンドロメダの何タラで、地球最後の日になるとういう。 わたしはそういうのは好きなので、何か起こらないかと待っているのだが、あと3時間、まだ何事も起こりそうもない。少々残念だ。 雨が降ると体をうごかすことが億劫になるのでいけない。思い切って外にでて、ノンアルコールビールとやらを買いに行ったけど、近くのスーパーでは売っていなかった。仕方がないので、値上げあされた発泡酒を買って帰った。運動不足は解消されなかった。 |
あこがれの晴耕雨読
5月12日(月) |
無職の人間は、曜日がわからなくなる。明日雨が降りそうかどうかで、そのひの行動が決まる。 今日雨が降るという予報だったので、昨日ほんの小さな畑に、トマトとナスを植え付ける。キュウリの苗を買ったつもりだったが、まちがえてナスだらけになっていた。来週はキュウリを植えよう。 収穫の時には、畑の脇でとトマトとキュウリをつまみにしてビールを飲もう。つまみなら枝豆だ。苗を売っていたかなあ。苗を買うと高そうだ。 あこがれの晴耕雨読の生活になりつつある。 |
車検は自分で!
2003年5月7日(水)
●弟の車の車検にいく。なんたってヒマ人なので車やさんに頼んだりしない。自分で全部やってしまおうという言うことだ。でも少々知識は必要だ。そのためにちゃんといまでも代書やさんが活躍しているんだから。
◆九州から引っ越してきたので名義変更も必要だ。まず最初に車庫証明を取らなければならない。これは知り合いの駐車場にたのむが、証明書1枚で1万円必要だ。自分の家に駐車余地があればいいのだが、そうも行かない。自宅から2km以内に車庫を借りなければならない。譲渡証明に実印も必要だ。書類は結構多い。しかし新しいナンバーが付けられたときには、やったーという感じ。これから代書屋もやろうかな。
◆そのあと車検。車が新しければ、これは実に簡単。
事前に準備する書類は、車検証、納税証明書、強制保険証(27630円)
車検場で準備するものは 重量税納付書(37800円印紙貼付)
自動車検査表(1400円印紙貼付)
5月7日(水) |
●弟の車の車検にいく。なんたってヒマ人なので車やさんに頼んだりしない。自分で全部やってしまおうという言うことだ。でも少々知識は必要だ。そのためにちゃんといまでも代書やさんが活躍しているんだから。 ◆九州から引っ越してきたので名義変更も必要だ。まず最初に車庫証明を取らなければならない。これは知り合いの駐車場にたのむが、証明書1枚で1万円必要だ。自分の家に駐車余地があればいいのだが、そうも行かない。自宅から2km以内に車庫を借りなければならない。譲渡証明に実印も必要だ。書類は結構多い。しかし新しいナンバーが付けられたときには、やったーという感じ。これから代書屋もやろうかな。 ◆そのあと車検。車が新しければ、これは実に簡単。 事前に準備する書類は、 車検証、 納税証明書、 強制保険証(27630円) 車検場で準備するものは 重量税納付書(37800円印紙貼付) 自動車検査表(1400円印紙貼付) |
熊野奥駈け 5泊6日
2003年 |
5月5日(月) |
●5月1日熊野奥駈けから帰ってきました。4月26日から5泊5日という、最近では長期間の山旅でした。熊野には魑魅魍魎が住むと言うとおり、なかなかおもしろい山旅になりました。和歌山田辺の小森茂之さんを先達にして、東京からは「走る浮浪者」コンビの三輪、下島が参加しました。 結構厳しい山とは知らず、いつもの走り旅の感覚で行ったので、少々焦りました。初日の夜はベンチの下に入って雨風を除け、最終日は玉置神社の縁の下でまたも雨風をしのぎました。山の中で寝ていると、自然の声を聞くことができます。神社の縁の下では、なんと真夜中に琵琶法師の琵琶の音を聞きました。 遠くなったり近づいてきたり、耳なし芳一になったような気分で、なかなか寝付けませんでした。下島さんは全く気がつかず寝います。さてさていかなる結末になったか。 詳しくは熊野奥駈け! |
みわ塾をはじめました
2003年4月23日(土)
閑人の道楽に「みわ塾」なるものを始めた。世の大人たちに科学をもっと知ってもらおうという試みである。新宿区の榎町区民センターで月に一回行うことにしたが、一回1000円を払って、科学なんぞの講義を聴こうなどという変わり者がいるか危惧していたが、驚いたことに40人もの人が集まってくれた。
もちろん誰も来ないとかわいそうだからといって参加してくれた方もいるが、わざわざ愛知県から駆けつけてくれた人もいる。選挙中なのに聞きに来た市議会議員や、仕事の休暇をとってきた人や、中学生の子どもを連れて来てくれた人もいる。閑人を遊んでくれるありがたい人たちだ。
楽しんで帰っていただきたく、最新画像などを示すために新しくパソコンを買った。映し出すために液晶プロジェクターも買った。もっともこれは地平線会議の所有にしてもらったので、借り出してきた。そんな準備もたのしかった。内容はあとで別ページに示します。
久しぶりに疲れたが、心地よい疲れだった。次の教材づくりをしなけりゃ。でも来月はさくらがいなくなるので、ほとんど人はこないんじゃないかとちょっと弱気になっている。
●あしたから、こんどは熊野詣でだ。和歌山の小森さんの呼びかけで、東京からは下島伸介さんが一緒だ。吉野から入る「熊野奥駈」で、熊野古道の中では最難関の道だ。でもちょうどいい時期なので満開の吉野の桜を眺めながらの走り旅になりそうだ。今回は4泊5日の長丁場で、テント泊。 とは言うが重たいのでテントは持たないことにした。寒いかも知れない。雨降ったらどうしよう。などなど楽しい想像をめぐらしている。
第1回みわ塾
4月23日(水) みわ塾 |
閑人の道楽に「みわ塾」なるものを始めた。世の大人たちに科学をもっと知ってもらおうという試みである。新宿区の榎町区民センターで月に一回行うことにしたが、一回1000円を払って、科学なんぞの講義を聴こうなどという変わり者がいるか危惧していたが、驚いたことに40人もの人が集まってくれた。 もちろん誰も来ないとかわいそうだからといって参加してくれた方もいるが、わざわざ愛知県から駆けつけてくれた人もいる。選挙中なのに聞きに来た市議会議員や、仕事の休暇をとってきた人や、中学生の子どもを連れて来てくれた人もいる。閑人を遊んでくれるありがたい人たちだ。 楽しんで帰っていただきたく、最新画像などを示すために新しくパソコンを買った。映し出すために液晶プロジェクターも買った。もっともこれは地平線会議の所有にしてもらったので、借り出してきた。そんな準備もたのしかった。内容はあとで別ページに示します。 久しぶりに疲れたが、心地よい疲れだった。次の教材づくりをしなけりゃ。でも来月はさくらがいなくなるので、ほとんど人はこないんじゃないかとちょっと弱気になっている。 ●あしたから、こんどは熊野詣でだ。吉野から入るので、満開の桜を眺めながらの走り旅になりそうだ。今回は4泊5日の長丁場で、テント泊。 重たいのでテントは持たないことにした。寒いかも知れない。雨降ったらどうしよう。などなど楽しい想像をめぐらしている。 |

本格的フリーターになる。
4月11日(金) |
●4月も11日だ。フリーターになり、毎日が日曜日なので、今日が何曜日かわからない。こんな優雅な生活がいつまで続くか、自分でも興味深い。 ●夕方わが板橋区が誇る桜の名所、南蔵院に行った。 巷のソメイヨシノはすでに散っているが、ここは枝垂れ桜の名所だ。我が家に滞在しているオーストラリアのご夫婦は初めて見た夜桜に感動していた。彼らは10年前の夏にも我が家に来てくれたのだが、 「次は桜の季節に来るよ」 という約束を果たしてくれた。 来年は我が家もオーストラリアに行かなければ。 ●今月末からは、長年の懸案だった「熊野詣で、奥駆け」を和歌山の小森さんを先達にして、やることになっている。そのトレーニングにもかからなければいけないなあ。世界では戦火を逃れて逃げまどっている人たちがいるのに、そんな呑気なことでいいのかと反省はしているのだが、実行が伴っていない。 |

四万十楽舎
◆29日、1時までに中村に着かなければならないので、始発で大正駅までJRで行く。そこから四万十川沿いを走る。まだ寒いが、大正の先の昭和駅をめざして走る。桜が咲き始めた川辺の道は走る車も少なく快適。十川橋で車をひろって江川崎まで。そこから今晩の宿である四万十楽舎まで走る。目的地まではあと26kmあるのに、すでに11時、再びヒッチハイクで佐田まで乗せてもらい、さも全コース走ってきたかのような顔をして四万十川にかかる赤鉄橋の下の会場に到着した。8時頃までイベントは続き、車で宿舎まで送ってもらう。楽舎は廃校になった小学校を宿泊所に改造したもので、私は校長室に泊めてもらう。
◆明け方の5時まで飲んで騒いでいた賀曽利くんは6時きっかりにバイクで四万十川を取り囲む峠越えに出ていった。私は8時まで寝て、9時に昨日キセルした27キロを走って行くことにした。昨日よりも道は整備されていないので、走るのには快適。30分前に出発した神奈川の古山さんにはなかなか追いつけない。川にかかる沈下橋の写真を撮りながら進む。ちょっと広い段丘上には満開の桜と菜の花のジュウタン、気分は最高。フォレストガンプのおっさんのようにどこまでも走れそうな気分になる。川登集落でやっと古山さんに追いつく。彼は荷物を背負って歩いているんだが、私が走っているのとそれほど違わない速さだった。
3時間で27kmを走って会場に着く。午後は江本、賀曽利の両氏とバトルをする。4時に終了すると東京、関西に帰る人たちは大急ぎで中村駅へ。フリーターの私は、別に急ぐこともないので、中村の町を見物し、夕方は山田くんの実家でごちそうになり、再び四万十楽舎にもどる。夜はまだ四国の峠越えを続ける賀曽利君、古山さんと泊まる。翌日6時きっかり、バイクの音が大きくなり出発していった。
◆私は江川崎まで車で送ってもらい、JRの始発で宇和島にでる。ここから松山まで走ろうと思っていたが、雨の気配という言い訳を考えて、そのまま列車の旅になり、岡山からは新幹線に乗ってしまった。やっぱり軟弱な人間だ。「走ったゾー」とあんまり威張れたものではない。
当たり前のことだが東京は四月になっていた。これまで、新学期と考えるだけで緊張したものだが、もうその心地よい緊張感はない。今日からあこがれだった本格的フリーターだ!
四万十川、黒潮エコライフフェア
2003年 3月28日 (金) |
●3月27日夜8時半、川崎港発のフェリーに乗って高知に向かい、そこから走ったり列車に乗ったりして四万十川下流の土佐中村市に行ってきました。29日と30日に、地平線会議の仲間であり、四万十川に暮らす山田高司さんが委員長を務める「四万十川、黒潮エコライフフェア」に参加するのと、お遍路まねごとと、走り旅のためでした。 ●四万十川の広い河川敷にサッカーボール型の巨大なテントを中心に、フリーマーケットや多国籍飲食店、葦船製作体験など多くの展示が並んでいました。私たちの地平線会議はドームテントの中で「地平線報告会 in 四万十」と称して山田高司のスライドand トーク、賀曽利隆、石川直樹、江本嘉伸の水談義、翌日は賀曽利隆、三輪主彦の水自慢、遠来の地平線会議メンバーの紹介、さらに廃校になった小学校を転用した四万十楽舎に移っての地平線のオークションなど2日間まるますのイベントでした。集まった地平線のメンバーは40人。地元の人たちは、何でまたこんな所まで、こんなに大勢の人が集まったのかと驚いていました。委員長の山田さんはきっと地元で再評価されるでしょう。 ●地平線会議はおいといて、四万十川を走ったゾーの報告です。 ▲高知新港は外洋に面した新しい港で、交通の便は全くない。しかしフェリーの客は車で来ているので問題ない。私も「足」という交通手段を持っているので、ただちに巨大な浦戸大橋を渡って、桂浜へ。坂本龍馬の銅像が有名だが、それより私は荒天号という潜水艦が目当てだった。この船は宿毛に住む竹内静夫さん(1915~1992)が独力で作り上げた日本で唯一の手作り潜水艦だ。ボイラー工場を経営していた竹内さんは、荒天日でも潜水して航行すれば、海難救助にも役立つと考え、昭和45年頃より設計開始、51年より制作に着手しコツコツと自分の工場で作りを続け、ついに約15年を経て同59年に完成した。制作費は当時の金で約4500万円、結局工場も売り払って資金を作った。荒天号の主要仕様は次の通り。 全長 12.5m 全幅 3m 重さ 13.5トン エンジン 270馬力 10人乗り 完成した潜水艦は試運転では水深200mまで潜水可能だった。ところが日本のお役所は、個人が潜水艦を作った例はないという理由で、船舶の許可を出さなかった。車検証がない車が走ってはいけないのと同じで、この船は海を航行することはできなくなった。私が宿毛を訪れたのはそんな時だった。宿毛の港に荒天号は寂しく係留されていた。竹内さんのお宅におじゃまして話を聞いた。それは興味深いものだったが、それより奥さんの「この船のために家も工場もなくなったんですよ」という話の方が、胸に響いた。私の奥さんと竹内奥さんは意気投合して、お互いの亭主を非難しあった。その竹内さんは不遇のうちに亡くなった。しかし竹内さんの偉業をたたえる人もいて、荒天号は坂本龍馬と並ぶ、高知県のシンボルになっていた。 ◆荒天号に再会し、十分満足し、四万十に向かう。龍馬像の下で短パンになって走り出した。黒潮ライン花街道と書かれた道は一直線に西に続いている。しばらく走ると、中村まで105kmと出ている。「こりゃ明日の2時までには着かないや」 とりあえず5時まで走ることにした。土佐宇佐町はジョン万次郎の船出した港だ。ここには宇佐八幡があると聞いた。だいぶ行きすぎたが、もどって詣でる。最近私は宇佐八幡が日本歴史に果たした役割について大いなる興味を持っている。「宇佐」と聞けば疲れた足もいとわず回り道をする気分になる。桜が満開の参道を本殿まで行く。なかなかの神社あdったので満足し、足取りも軽く、いい気分で浦の内湾岸を走る。3時間で20kmほど走った頃からエネルギー切れ。車に乗せてもらって須崎まで。ちょうど発車間際のJR線に飛び乗り、窪川へ。ここには札所37番の岩本寺がある。6時すぎたがまだ明るい。お遍路のまねごとをして巡礼宿に泊まる。4500円。 |