本日は奥さまがお能の見学なので私は清滝の上にある愛宕山に登ことにした。愛宕山の頂上には神社があり、火伏の神様として知られている。地元の人たちは月参りと称して、毎月登っているそうだ。参道は整備されているが、かなりの急坂で、清滝から4キロあるという。清滝からは2時間半ぐらいかかりそうだ。
「神社」カテゴリーアーカイブ
斑鳩に行きました
斑鳩は「いかるが」と読む。どう読んでも「いかるが」にはならないが、法隆寺があることから、まあ私は読むことができる。聖徳太子のゆかりの寺だが、けっこう謎の多い場所だ。聖徳太子は日本歴史の中では最大の偉人だったと言われている。しかしその子供たちは「アッツ」という間に滅ぼされてしまった。それだけの偉人で、氏素性も高貴な方だったのに、なぜその一族は殺害されてしまったのか。私は古代の渡来人の勢力いが原因だったと思っている。今回何年かぶりの訪れてみて、百済観音を安置するお堂が平成になってやっと完成したとのこと。百済観音は長いこと法隆寺には居場所がなかった。それは百済からの渡来人があがめた仏像だったからだ。聖徳太子は親百済だった。それを面白くない勢力があった。そのあたりの説はいろいろあるが、今回百済観音を見て、渡来人勢力争いは根深いものだったことを確信した。時間があったので、そのあと法輪寺、法起寺をまわった。斑鳩の風景に三つの五重塔(三重もあるが)がとけこんでいた。
四国へお遍路に行きます!
湯島の白梅とお猿さん
蛇崩川 探索
サザエさんの像がどうなった、ちょっと気になっていたので、田園都市線の桜新町に行った。問題になっていたのは波平さんの頭の上にある3本の毛だが、残念ながらいまは1本になっていた。「それがどうした!」 と言われそうだが、現在の我が生活は、どうでもいいことがちょっと気になる。
イスラム国の人質事件で、世の中は大騒ぎなのに、波平さんの髪の毛などどうでもいいじゃないか。もっとまじめに生きなけりゃ、とは思うのだが、私には何もできないし、下手なことはやってはいけない感じだ。気になるけど、何かで紛らわさなければ、居ても立っても居られない。勝手な憶測はいくらでもできるが、とりあえずは政府の交渉に期待するしかない。
サザエさんを見た後は世田谷線の上町にに向かったが、世田谷区の図書館脇に「蛇崩川緑道」が見えた。この川は中目黒駅の脇を流れていることは、だいぶ前のブラリバの時に確かめている。どう続いているのか、新たに関心がわき、そちらに集中する。しかし三軒茶屋付近まで来たら、かなり疲れたのでここで終了。続きはいつの日か!
三軒茶屋の駅のすぐそばに江戸五色不動のうち、目青不動産がある。それを見に行く。今年になって先日目黄不動にもお参りしたので、今月中に目黒、目白、目赤にお参りに行かなけりゃ。
写真は上からサザエさんの兄弟像、蛇崩川緑道:下水管かな??、前面は環七の陸橋、最後は目青不動尊。
ぶらりバークラブ ヘリコプター
本日はぶらりバークラブの最初の化石川探索。田端駅から音無川跡を歩くことにしている。途中日暮里の近くに羽二重団子があるので、そこでお休みかな。夏目漱石、正岡子規ら明治の文人の愛したお店だという。
その先にも面白いところがありそうで、なかなか興味深いコースだ。左は御行の松、初代は天然記念物だったそうだ。そのあと背面(うしろむき)地蔵をみた。ここでは方位が重要。SEKI根さんの方位磁石付腕時計が役に立った。
「根岸の里のわび住まい」 「子規庵」が鴬谷のホテル街の裏にあった。芭蕉庵ほどでないにしても、そこそこと思っていたが、こんなところだった。入館料500円と言うが、だれも入らないだろう。この家の前に書道美術館があるが、せめてその半分ぐらいの規模でいいから、整備してあげなければ、地元としては格好がつかないよな。
ところで、根岸の里とは関係ないが、本日ぶらりバー資料を印刷していたら、我が家の上空をヘリコプターがわんわん飛んでいる音がする。「きっと何かあったんだ!」と思ってパソコンを見ると、セガサミーの社長宅に銃弾が撃ち込まれたとのニュース。この邸宅は我が家の近くでは最も大きく目立つ家で、私もしばしば脇を通る。相変わらず我が家あたりは物騒だ。
赤紙仁王 田端
なかなかいい狛犬 2題!
三渓園へ初もうで!
サッカー 蹴り始め 大仏様
北区の朝鮮高校の芝グランドで今年も蹴り初め。例年は箱根駅伝を見ながら過ごしているのだが、今年は駅伝の6区 山下りを見ただけで、サッカーにむかった。青山学院が山登りで驚異的なタイムをだして一着だった。下りで抜かれるかと思ったら、差を開いている。箱根の山登り、山下りを制したら、もう優勝は間違いなしだ。見なくていいや。
今年は12日にオーバー70歳の東西対抗試合がある。私もなんとか入れてもらえることになった。それに向けて少しはトレーニングを増やそうと思っている。明日もサッカー。
朝鮮高校までは石神井川沿いに歩いて行く。ちょっと早かったので、大仏様まで行って、怪我ないようにお祈りして練習会にむかった。おかげで快調のまま。
今年はひつじ年 でも我が家はキツネ年明け?
狐の行列 王子稲荷神社
ライオンで忘年会 六地蔵
忘年会第何弾かな? わからないぐらい毎日昼夜続いている。みなさんに忘れられないように欠かさず出ている。今回は清瀬高校の天文部のOBの集まり。いつのころからか声がかかり、仲間に入れてもらっている。昨年は賀曽利さんも来てくれた。今から35年ぐらい前に、天文バイク部みたいのがあって、バイク小僧たちが暴れていた。「俺の弟子にカソリってのがいてなあ」といって、私は彼らを手なづけていた。そのころもカソリという名前はバイクの神様みたいな存在だった。虎の威を借りて、威張っていたのだ。
そのバイク小僧たちは今は立派な社会人。まだ一人だけ年末はスリランカを走るんだとほざいているのもいるけど。・・・(彼も立派な社会人だけど) そんなみんなと昔話をするのが楽しい年齢になってきた。前は昔の話なんかしたってしょうがない。先の話をしなけりゃなどどけしかけていたのだが。
お酒が入ると ついつい威張ったり、説教をしたりしてしまう。もうみなさんの話をフムフムと聞く方の立場にならなけりゃいけないのに。じいさんたちが余計なことをのたまうから、若者は委縮してしまう。若者社会を育てるには、「そりゃいいね!」と励ましてやらなけりゃいけないのに、相変わらず「今の若者は!!」という言い方をして、芽を摘んでしまう。こんな調子じゃ未来社会はない。
ちょっとしゃべりすぎたことを反省しながら神保町にむかって歩いていると、新宿の太宗寺に出た。ここには江戸の六地蔵があるので、何回も来たことがある。背後を見ると塩地蔵があった。いままであまり気にしていなかった。手元に塩がなかったので下の方に流れていた塩をとって、お地蔵さんの口に少し塗った。もうあまり余計なことを若者には言わないようにしようという反省である。
また伊予ケ岳
京都 大原三千院 紅葉最高
昨日は奈良の新大宮で泊り、本日は法隆寺辺りを歩く予定だったが、雨がひどく、屋根のある美術館か博物館に行こうと思った。近鉄の駅で情報を収集しようと思ったが、本日は三連休のあとで、博物館美術館はお休み。
天気予報を見ると南の方を低気圧が通過中。ということは北の方へ行けば雨も弱いかも、と判断し京都まで北上し、さらに大原あたりまで行けば大丈夫だろうと判断。京都バス17番、C3乗り場から大原にむかった。運賃は600円、500円の一日券の範囲外だった。ほぼ1時間で大原へ。
奥さんは50年ぶりと言う。私は30年前の東海自然歩道を走って以来。その時に寂光院から奥に入り金毘羅山に登り、江文峠へ下りる道を間違え崖の上に出て難儀したことがずっと頭の中に残っていた。当時の私は頭がさえていたので、道を間違えることは絶対にないと信じていた。なのにまちがえた。その原因を探りたかった。奥さんは寂光院はいいから、三千院に行こうというが、私はなんとしても寂光院行きたかった。
写真の指導表を見れば、江文峠へ行くことができると思うのは当たりまえ。でも大変な道だった。30年前からこの道表はそのままになっているのかな。ともかくここがまちがえの原因だった。30年来の疑問が氷解した。寂光院には入らず、三千院にむかった。