日光二荒山神社・宇都宮二荒山神社

先日、一宮めぐりで下野一之宮を訪れた。下野国には一宮が2社ある。
日光はふたらさん神社、宇都宮はふたあらやま神社だ。

全国一宮は旧国に一つずつあるが、二か所以上ある国もある。昨年訪れた越中国、ここには4ヵ所の一宮がある。一番大変なのは立山の山頂にある雄山神社だ。高度3000mもある。山岳部にいたころはその前を素通りしていたが、4年前に奥さんと一緒に登って、しっかりとお参りした。今こうはもうとても行くことはできない。思い立った時に登っておいてよかった。

もう残っているのはほとんどないが、写真を撮っていないところもあるので、今年は再訪して写真入りのレポートを作ろうと思っている。
すでに30社ほどは作ったので、私のホームページにアップしてあります。お暇なときに、ご覧ください。

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古峰神社

我が家の近くの氷川神社の境内には富士講や榛名講、羽黒山などの石碑がある。その中に古峰山の石碑もある。他の神社にも古峰さんの石碑があった。古峰講は関東・東北地方には広く分布していたようだ。一度は行ってみたいと思っていた。

青春切符が残っていたので日光へ行く予定にしていたのだが、途中の鹿沼駅からバスが出ていることを知ったので、日光へ行く前に寄ってみることにした。駅からはリーバスが出ているが一日に4本しかない。9時発のバスに乗るために我が家を6時に出た。バスに乗ったのは3人だけ。運転手さんに聞くと、大勢の人が来るがバスに乗る人はいないとのことだった。

あまり期待していなかったが、少々驚いた。鳥居が並び、すばらしい狛犬が迎えてくれた。拝殿は何かよくわからない感じだったが、実は大きな建物の中に入って拝むようになっていた。たぶん寒いところなので外では信者さんに悪いと思ったのか。超巨大なカヤぶきの大きな建物の中には各講ちゅうの人たちのために休憩所がいくつお造られている。さらに奥には100畳以上の食堂がある。

知らなかったので食事はしなかったが講の人でなくても食事はできるようだ。失敗した。ともかく立派な神社で、訪れる人も多いことに感激した。後で聞いたら、会津の伊南村のSAKAIさん一家も私たちの前日に訪れたとのこと。知る人ぞ知るのいい神社だった。日光もいいけど、こちらも捨てたものではない。

駿河国一宮:富士山本宮浅間大社

駿河国一宮:富士山本宮浅間大社の記録ページを造りました。ほとんどの一宮は巡っているのですが、なかなか紀行のページが完成しません。今年中には何とか完成させますが、まだあと80ヵ所ぐらいありそうです。まあぼとぼちやります。明日は日光二荒山神社と宇都宮の二荒山神社に行ってくるつもりです。日光は寒そうです。

富士山浅間大社のページ

 

富士山に拝礼!

神社は大好きだが、どうも最近堅苦しくて苦手になってきた。いつもは人が少ない時にコソコソとお参りしているが、お正月はそうもいかない。今年は壮大な気分になれるように、壮大なお山にお参りしてきた。   さすがに富士山は雄大で神々しい感じがする。青春18切符を手に富士駅から身延線に乗った。車窓から右左に富士が見える。地元高校生に聞くと今年は雪が少ないとのこと。確かに静岡県側は日当たりがいいのか、黒々とした感じだ。富士宮駅は「富士山本宮浅間大社」の門前町(鳥居前町かな?)で、お正月には賑わっている。車は渋滞でちっとも進まない。
赤い大きな一の鳥居の前に近代的な建物ができていた。世界遺産になった記念に作られたセンターだそうだ。なかなかおもしろい建物なので入ってみた。70歳以上は無料。免許証を持って行かなかったので東京都のシルバーパスを見せたらOK。最上階は富士山のパノラマが見える。自撮りをしている人も多いし、富士山に手を合わせている人もかなりいる。(富士山のように見えるかな?逆さまにしてあります)   日本人は無宗教という人も多いが、大きな山や森、海や湖など自然物に対して自然に頭を下げる心を持っている人も多い。私はこれも立派な宗教心だと思っている。有識者は「教義・経典」のないのはアニミズム、原始宗教で宗教には入れていないようだ。しかし古代日本人は自然崇拝、八百万の神を崇拝してきた。
人類・神さま・動物・植物・無機物 なんでもみな兄弟姉妹! これなら宗教争いも起こらないのではないだろうか。あっちにもこっちにも神さまはいる。みんなちがっていいんだよ!と大らかにすればいいのに。イスラム教の神もキリスト教の神も元は一つ。みんな同じとすればいいのに、教義・経典でガチンコに縛るから、争いが起こる。日本人は昔からそれを知っていたから、緩やかな宗教心を育ててきたのだろう。あまり形式を厳格化すると、こぼれる人がでてくる。   新しい世界遺産センターも立派な神殿になっていると私は感じた。今回はこの新しい拝殿から富士山に向かってしっかりと拝礼をした。その後浅間大社に向かった。参道には屋台が並び歩くのも大変だった。拝殿前はものすごい行列。さっき世界遺産センターで富士山に拝礼をしたので、浅間大社では遠くから礼をするだけで富士宮駅に戻った。

新年はいつも箱根駅伝!

今年のお正月は平均年齢82歳の老人世帯ですごした。子どもたちはみな海外で、孫たちは「いまテレビで紅白を見てるよ!」と、動画で中継してくれた。昔は海の向こうから電話することも大変な状況だったが、いまは子供でも簡単にスマホの無料のテレビ電話(?)が使える。どういう機能になっているのか不思議で仕方がない。まあテレビ電波もどうやって送られてくるのかよくわからない。子どもたちは、考えもしないで使っているのだろう。

私は長いこと紅白歌合戦は見たことはないが、正月は毎年欠かさず箱根駅伝を見ている。わが卒業生が出たときには小田原中継所で数百メートル一緒に走ったこともある。東海道は何回も走っているので、景色をちょっと見ればどこかすぐにわかる。今、平塚中継所を東洋大学が1位で通過して行った。すぐ後ろに青山学院がいる。強いチームは強い! まもなく大磯に向かうが、高麗(こま)山がぽこんと立っているのが目前に見えるはず。

広重の東海道中の浮世絵でこの山を描いている。昨年同じ場所で写真をとって見た。こんな景色を魅力的に描くのはすごいことだ。山のふもとに高麗寺があったが、明治の廃仏毀釈で廃寺になり今は高来(たかく)神社となっている。埼玉の高麗郡にある高麗神社と同じ系統の神社であるが、高麗ではなく高来になっている。広重浮世絵と私のとった高麗山!

酉年にもっとも驚いたこと!

この石像は讃岐一宮の田村神社で見たものです。サル、キジ、イヌ です。この神社には桃太郎伝説があります。桃太郎というからには桃の産地の岡山県という印象がありますが、鬼退治に行くのは瀬戸内海の鬼ヶ島。なので桃太郎伝説は岡山県側と香川県側の両方にあるのです。近年は香川県にある鬼ヶ島のほうが桃太郎物語を盛り上げているようです。
桃太郎が引き連れたのは、サル、トリ、イヌ でした。この石像を見るまで桃太郎が連れていた動物が干支に由来するとは思っていませんでしたが、ハタと気が付きました。キジは干支にはないと思っていましたが、キジもトリの仲間。トリ年のうちに気が付いてよかった。

   ところで、この神社の桃太郎はまだ子どもで、実際にこれら動物を引き連れて鬼ヶ島に向かうよう指揮をしているのは桃太郎の姉の桃そ姫です。上の写真は田村神社に作られたレリーフです。姉が桃太郎を指揮しているのがわかるでしょ! この姉のモモソヒメは田村神社のご祭神なのです。
さらに歴史に詳しい人ならすぐに、「モモソヒメって三輪山のふもとの箸墓に祀られている姫なの?」と思うでしょう。まさにその人なのです。
さらに箸墓のヒメは卑弥呼であるということもご存知でしょう。ということはモモタロウの姉は卑弥呼なのです。桃太郎と桃そ姫、兄弟で鬼退治したのです。意外なところに卑弥呼が出てきて驚いたでしょう。

2017年、私が最も驚いたことの一つです。

金戒光明寺はすごい寺だった!

  詩仙堂を出て白川通りをひたすら下っていく。京都の町は碁盤の目のように縦横に区切られているので目的地に行くのは簡単だ。銀閣寺のまえに着いた。ここは昨日とおった今出川通り。吉田山の上にあった茂庵から下がったこの道を薄暗くなった中を同志社大学まで歩き、大学のレストランで夕食をとった。  今日は白川通りをさらに下り、白川に沿って下ると「真如堂」への道が見えた。次の目的地だったが登り路になっている。すでに15000も歩いているので真如堂は即座に却下。岡崎神社を通って金戒光明寺へ上がることにした。岡崎神社はなかなか立派な神社。とくにウサギの狛犬(?)がうれしかった。

京都:宮本武蔵から詩仙堂へ

宮本武蔵の決闘の場を探して歩きました。記念の松が植わっていましたが、新しいもので吉岡一門との決闘の場を想像することはできません。今福寺(村山たか女の墓)の裏手から急坂を登り、沢筋を下っていくと赤い囲いの下に八大神社がありました。ここが宮本武蔵ゆかりの神社で下がり松が残されていました。

八大神社を出ると詩仙堂の入り口でした。我が奥さまは50年前に来たことがある。山茶花の大木がすばらしかったという。しかし入り口のサザンカは何代目かで、ちょっと寂しい。中は相変わらずすばらしい。英国のダイアナ妃もやってきたという写真があった。以下写真絵日記!

 

京都大学・吉田神社

本日は志摩から近鉄特急で京都に移動してきました。今回目的は京都大学見学。その後に吉田山に登って、古民家レストラン「茂庵」に行き、同志社大学レストランで夕食を食べて、今宝ヶ池の京都国際会議場駅の近くのホテルに泊まっています。明け方はふたご座流星群が見えそうです。昨晩は数個見ることができました。

まず最初は京都大学、時計塔の下には売店や資料館があり、ヘディンのスケッチを見ることもできました。

その後吉田神社、吉田神道の本家。元本宮は全国の神さまがおられる。

吉田山のうえにテレビでしばしば紹介される古民家喫茶店がある。外国人が多い。

志摩国一宮・伊射波(いさわ)神社

志摩には伊雑宮(いぞうのみや)という一宮がある。ところが鳥羽にもう一つ志摩の一宮がある。一国に一宮が複数あることは珍しいことではない。昨年伊雑宮にお参りしたあと、それを知って軽トラックに載せてもらって、訪れたのだが、自分で探して行ったのではないので、ルートの記憶があやふやだった。今回志摩の竹内さんが古民家復元でウッドデザイン賞を受けたという連絡をいただき、見学に行くことにしたので、ついでに伊射波神社を訪れた。途中で道を間違えたぐらいで、軽トラック道は覚えていなかった。今回確かめることができたのはよかった。

大宮八幡宮・共生の木

  善福寺川をうろついていたら大宮八幡宮に出た。武蔵の国の一宮は埼玉県大宮の氷川神社だ。一宮が大宮と呼ばれることが多いが、こちら杉並区の大宮は一宮ではない。しかし大宮と呼ばれるだけあって由緒正しく立派な神社である。八幡宮は日本で一番たくさんある神社で、第15代応神天皇と母の神功皇后が祭神である。

神功皇后は夫の仲哀天皇が突然なくなったので、夫に代わって三韓征伐をした女傑である。韓国にいるあいだに子が生まれそうになったが腹に石を巻いて生まれるのを送らせて博多に戻り「宇美」で子を産んだ。仲哀天皇がなくなってから1年以上経っているのだから生まれた子の父は天皇のはずはない。しかし神がかりの皇后だから生まれるのを遅らせることができたのだ。これは古事記に書いてある話だ。

しかしこの子を天皇の後継者とするのは難しかったのだろう。神功皇后はその子を一旦敦賀(角鹿)に送り、そこで神さまと名前を取り替えて、都に迎えた。名前を取り替えた子は第15代応神天皇として即位した。これも古事記の記事であるが、なんでこんなおかしな記述をしなければならなかったのだろう。

私はここ数日北朝鮮からの木造船が日本海岸の漂着していることと関連させて考えてしまう。敦賀は日本海岸の良港で、昔は多くの朝鮮半島からの船がやってきた。応神天皇がそこからやってきたということは・・・
 そんなことを考えながら神社の裏手に回ると「共生の木」との表示があった。上を見上げると榧の木の途中から桜の木が伸びている。青い榧のいがいが葉っぱのなかに桜の黄色い葉がある。どこに桜があるのかと探したが地面から伸びる木はない。上手く写真が取れなかったが、なんとかわかる。不思議なことがあるものだ。
不思議な神様のいる神社だから不思議なことがあっても不思議ではない。この神社は都内でも屈指のパワースポットだそうだ。納得!

四谷階段?

寒い日だった。曙橋の駅から外に出るとちらほら雪が舞っていた。しかしそれだけで、積もるほどにはならなかったので、いつもどおりぶらりバー峠越え編を続行した。峠越えが目的だが、本日は新しい人も多く、ぶらりバー化石川探索をまず最初に行った。むかしフジテレビがあったあけぼの橋商店街が昔の川だったことを確認して階段を上り、合羽坂を下り、津ノ守坂を途中まで登った。「津の守」は松平摂津守の屋敷があったことからこの名が付いた。 続きを読む

旧国名

賀曽利隆さんのページを見ていたら、私がいま神社巡り、お遍路をしているうえで一番重要な旧国名について詳しく書いていた。私も神社巡りの項目でまとめておいたが。カソリさんの方が優れている。許可なくパクってここに載せおきます。カソリさんの偉大さがわかる資料でもあります。

旧国名
古代日本の行政区画は「五畿七道」といわれるように大和、山城、河内、摂津、和泉の畿内の5国を中心に、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の7道から成っていた。現在では東海道や北陸道というと街道名として使われているが、もともとは行政区域名だった。古代日本は「道州制」を敷いていた。畿内・七道の下に全部で68ヵ国の国があった。それぞれの国はさらに郡に分けられ、郡の下に里があった。 続きを読む

松戸のお富士さん

昨日常磐線の窓から見ていたら、線路際にお富士さんらしいものがあった。松戸に富士塚があることは知っていたので、あれに違いないと思っていた。しかし水戸まで行く予定だったので、途中下車はできなかった。

帰りに途中下車をして、寄ってみた。線路わきにあるのだが、線路沿いには道路がないので大回りしなければならない。金古神社とあり、線路を超す跨線橋が参道になっている珍しい神社だ。鳥居をくぐると金古神社の社殿があり、そのわきから石段を上るようになっている。神社の社殿から上は富士の溶岩が積み上げてあるので、富士塚の雰囲気だ。

途中には人穴もあり小御嶽神社もある。さらに昇っていくと頂上に浅間神社があった。頂上は都内の富士塚よりもかなり広く、数十人があるまることはできそうだ。その周りに清水講の登山記念の石碑がたくさん立っている。古いものは大正時代、新しいのは平成になってからのものもある。現在も続いている「講」のようだ。すばらしいお富士さんだ。

神を祀る松

170105hachimanyama 青々とした松は新年を迎えるにふさわしい植物だ。家々に門松を立てて、神様がおいでになるのを待つ(松)。松は神様の依代(よりしろ)として昔から大事にされてきた。

昨年来音信が途絶えていた友人のことを気にしていた。この正月に消息が分かった。八幡山の病院に入院していたのだ。本日急いで訪ねてきた。かなりやつれていたが、元気だった。本気で心配していたが、本人にであえて安心し、そしてうれしかった。

玄関を出たら、写真のような松が目に入った。今日の寒さの中でも堂々とたっている。彼の病状はよくはない。しかしきっと神様がこの松に依り付いて、彼を助けてくれるだろうと感じた。