初詣は酉年なのに猿田彦!

170105sarutahiko すでに申年は終わってしまったが、どういうわけか猿田彦神社で初詣になってしまった。最初は杉並区にある大宮八幡宮に行こうと思って、阿佐ヶ谷駅から歩き始めた。杉並6小学校を過ぎて青梅街道に出る手前に猿田彦神社があった。最近伊勢神宮についていろいろ考えていることがある。伊勢神宮の外宮と内宮の間にこの猿田彦神社がある。なんでこんな重要なところに猿田彦と天鈿女ご夫妻の神社があるのか不思議だった。

私の知るところでは内宮の神様である天照大神の孫が天から下って来るとき道案内したのは天鈿女という神だった。地上で待っていて導きをしたのが猿田彦。この二人はのちに夫婦になる。日本神話では重要な役割を果たした神様だが、現在の世の中ではそれほど評価は高くない。しかし内宮外宮のバランスをとるような場所に位置していることは、その昔はなにか因縁があったことが想像される。

今年は三輪神社巡りに加えて猿田彦神社もめぐって、その神様の意味を考えてみたい。そう思っていた矢先に猿田彦神社に出会ったことは何かのめぐりあわせだ。大宮八幡宮に詣でるのはやめて青梅街道でバスに乗った。バス券を持っているので大いに利用させてもらった。

 

尾張一宮 大神神社

a01cimg0353 尾張一宮は2社ある。真清田神社が大きく立派だが、こちらの大神(みわ)神社は名前の割には小さく、宮司さんも常駐していない。しかし近くの大神社の宮司さんが管理をしているらしく境内はきれいに掃除もされている。ご朱印を得たい人は連絡が必要だそうだ。しかし連絡先は神社に来なければならないので、朱印を頂くのは大変そうだ。a05cimg0352 大神神社は大和の一宮の系統で大物主を祀っている。真清田神社は天孫系統だがこちらは国津神の出雲系統だ。この地ではそれぞれの系統が並立していたが、近くに熱田神宮もあり、伊勢神宮も遠くはないので天孫系の勢力が支配的になったのだろう。三輪神社ヒイキとしてはちょっと寂しい。a04cimg0361

尾張一宮駅からは2キロほどあり、30分ほどかかる。隣に昔の神宮寺だった薬師寺がある。そちらのほうが立派だが、この神社も素朴で清々しい。名古屋でのんびりしたので訪れたのは4時頃。東京と違ってまだ明るい。4時半に尾張一宮駅に戻り、名古屋から新幹線で東京に戻る。7時半には家に戻った。a02cimg0358

尾張一宮 真清田神社

a07cimg0301 日本には一宮という地名がたくさんある。昨日歩いたところにも遠江一宮(天竜浜名湖鉄道)JR飯田線にも三河一宮駅があった。本日の尾張一宮は、その中でも市制をしいている唯一の場所である。名古屋から10分ぐらい。駅から歩いて10分ほどのところにこの神社があった。a03cimg0317a02cimg0323 真清田神社の祭神は「天火明命」(あめのほかり)である。この神の別名は「ニギハヤヒ」命で、天孫「ニニギ」命の兄とされている。天孫とは天照大神の孫という意味で、現在の皇室の祖先とされている。古事記によればニギハヤヒ命は浪速で神武天皇と戦い敗退させるが、紀伊半島を回って熊野から大和に入ってきた時に、神武天皇に帰順する書かれている。どう考えても時代が合わないのだが、神様だから時空を行き来する。a04cimg0311

ニギハヤヒ神は先日訪れた生駒山の大阪側の麓にある「石切劔箭(いしきりつるぎや)神社」(通称石切さん)に祀られている。また丹後の一宮の籠神社(元伊勢)にも主祭神として祀られている。もともと大和葛城の高尾張にいた尾張氏がこの地に移り、真清田神社にニギハヤヒを祀った。尾張氏の祖先も籠神社の海部氏も浪速の住吉さんもみな海人系統である。いまは内陸にあるが、真清田神社は天孫系、海人系の神社なのだ。

ニギハヤヒという神はいちおう天孫だが、関東の人間にはあまり馴染みがない。もう少し真清田神社の祭神さんを研究する必要があるなあと感じた。

遠江一宮 小國神社

遠州一宮は2箇所ある。事任八幡宮とこの神社である。ここは出雲系の大国主を祀る神社で、現在ではこちらの一宮の方がはるかに大きく格式もありそうだ。掛川から天浜線(天竜浜名湖鉄道)に乗って遠州森の石松の出身地に行く。日曜祭日には神社からのバスが来るが本日は平日なので遠州一宮駅から歩くしかない。a01cimg0131案内にはから45分と書いてあったが、1時間歩いてやっと700m地点の茶屋に出る。こんにゃく味噌のお接待を受け、元気を回復して歩き出す。大きな鳥居の奥には立派な神域があった。大国主さんと白うさぎのお話が書いてあったが、今の人たちは知っているのかな? a07cimg0175a07cimg0157出雲系だけあって社殿は出雲大社とおなじ様な作りだ。すっくと立った千木は立派。鰹木は3本a05cimg0189 行きだけで結構疲れたが、帰りも歩くしかない。誰か載せてくれないかと思ったが、運転している人はほとんど高齢者。今の時代、高齢者の車には乗りたくないな! 高速道路の下であと2キロ、車が停って「私は神社のものですが乗りませんか?」と言ってくれた。すぐに乗り込んで駅まで送ってもらった。
「今時の人は、乗りませんか?と言っても怪しんで乗ってくれないんですよ」とのこと。そういう時代なのかな!我らは古い時代の人なので、ありがたくお接待に預かる。天浜線で浜松まで行き、名物のうなぎを食する。a06cimg0220

遠州一宮 事任八幡宮

161219kotono1 先日最後の紅葉かと書いたが、ここ遠州は暖かい土地なのでまだまだ紅葉は真っ盛りだった。10月に小夜の中山を越えた時に、途中でバスに乗りこの神社の前を通り過ぎただけだった。かなり気になっていたので本日また掛川にやってきてバスで事任八幡宮(ことのまま)に向かった。ここは遠州の一宮である。161219kotono2

小夜の中山という峠は箱根、鈴鹿とならぶ東海道三大難所といわれる。京都からくるといよいよ難所の峠に向かうということで覚悟を決めなければならない日坂の宿場だ。その宿場の入り口にあるのがこの神社だ。ことのままというのは、ことだまという説もある。奥宮は「言霊の杜」にある。しかし一般には事が思った通りに行くという意味にとられるようになったらしい。cimg0067平安時代には清少納言の「枕草子」や多くの和歌、鎌倉時代には吾妻鏡、江戸時代には十返舎一九の「東海道中膝栗毛」などに「願い事が叶う神社」として登場している。
源光行の海道記
「事のままと申社に参詣す杉の村立は三輪にあらすも尋ねても参らん、思ふことままにかなへば杉立る神のちかひのしるしとそ見む」
阿佛尼の十六夜日記
「二十.途四日小夜の中山を越ゆ己登乃麻知とかやいふ社のほど道いと面白し」
鴨長明
「またもみむ吾ねき言のままならばしばし散すな木々の紅葉」a001cimg0062

御祭神は「己等乃麻知比売命」後に八幡さんとなってこの3柱が祭神になった。もともとはヒメの宮だ。

バスが2,3時間に一本という場所なので、40分しか時間は取れなかったが、奥宮まで上り紅葉を堪能した。気分良し。

最後の紅葉かな!

161216syoujuji いつも走っていた石神井川の遊歩道だが、最近は歩きなので景色がよく見えるようになった。王子駅近くに大きな伽藍が見えた。あんなところに大きな寺があったけ?と思って寄ってみた。

浄土宗の正受寺というお寺だった。門が竜宮城みたいでなかなかいいが、その脇のモミジがまだ真っ赤で、すばらしい。歩いたほうがいrぽんなものが見えるなあ、ということを感じた一日だった。

中に入ったら、蝦夷地探検の近藤重蔵の石像があった。近藤重蔵は正受院の隣に「滝野川文庫」と名付けた書斎を建て、居住していたことによるものである。

境内には滝不動もあった。石神井川には不動の滝があった。『江戸名所図会』にて説明されている。水子や赤ちゃんを供養する納骨堂があることから、「赤ちゃん寺」とも呼ばれているそうだ。

一口大田姫神社元宮

一口神社とかいて「いもあらい」神社と読むそうだ。JRお茶の水駅上の聖橋脇の木がお宮になっている。これはなかなかいい感じだ。cimg0024

右側の板に由来が書いてある。そのまま写しておく。

「一口である大田姫神社は江戸城外濠(神田川)を作るにあたり伊達家と徳川家が神田山を開削したとき、江戸城の結界また鬼門の護り神として旧江戸城よりこの地へ移された。
昭和6年(1931年)総武線開通に伴い現在の駿河台下に移る。尚鐡道(甲武線、現中央線の前身)は濠の中にあり開通時天皇家との間に濠幅を減じない、中で商売を営まない環境を守る約束がある」(明治期鉄道史より)
この木は椋の木 落葉高木 花は緑 実は濃紫

よくわからないけど、江戸城からこの地に移り、鉄道敷設でさらに移動したけど、ここが一口神社の本宮だよ。ということらしい。一口をなんで「いもあらい」と読むのか、大田姫ってだれか、わからないよ。

戸越銀座は谷間だった!

161201%e6%88%b8%e8%b6%8a%e9%8a%80%e5%ba%a7 戸越銀座という駅で降りた。国道1号線(第二京浜)の下を通る都営地下鉄浅草線の駅だ。改札を出て階段を上がると広い国道に出るが、それに直交して戸越銀座が伸びている。この辺りは小池都知事が推奨している電柱がない道路だ。電線バリバリの道に慣れた身には、ちょっとすっきりしすぎの感じだ。昔は荏原区だったのに品川区に乗っ取られた161201%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0というジイサンに出会った。

雨が降ると水浸しになる道路だったと言う。確かに両側は上り坂になっており、戸越銀座通りが昔は谷間だったことが分かる。ちょうど地質のボーリング工事をやっていたので1時間ほど眺めていた。鉄パイプを10mつないで土を採集している。私も昔は簡易ボーリングをやっていたことがあるが、本格的な仕事はすばらしい。10mもの地下の土を30分ほどで引き揚げてくる。その資料を見ると10mでけっこう硬いシルト層になるようだ。戸越銀座通りは武蔵野台地に刻まれた谷を埋め立てたものだから、ヘドロの層はそれほど厚くないので、10mほどの杭を打てば商店の土台になるようだ。もちろん高層ビルはこんな土台ではムリだろうが。161201%e5%85%ab%e5%b9%a1%e5%ae%ae

通りにミシンを並べた店があった。いまどきミシンを修理してくれる店は少ない。我が家の古いミシンを引き取ってもらおうかな。その店の横の道を上ってみる。途中に「八幡坂」と書いてあった。坂の上に戸越八幡宮があった。由緒正しい感じの宮だ。そこに「江戸を越え・・・」という古歌が書いてあった。戸越しと161201%e6%96%87%e5%ba%ab%e3%81%ae%e6%9d%9c言うのは江戸越から出た名前だそうだ。

八幡宮の前の「宮前」商店街を抜けて、「文書の杜」「戸越公園」を見る。三井家、細川家の屋敷跡だそうだ。昔の殿さまや豪商は江戸のいい場所を占領していたんだな。
161201%e5%a4%a7%e5%b4%8e%e9%ab%98%e3%83%88%e3%83%b3%e3%83%8d%e3%83%ab公園を抜けると大原通り。

大崎高校が空中に浮かんでいる。道路を通すためにコンクリートで敷地を造って盛り上げたようだ。歩道トンネルだけが完成しているので通ってみたが、大井町線をくぐったり大変な工事がなされている。補助何号線とかだが、我が家付近は何年たっても計画だけ。ここはオリンピック用地に関連しているようで、かなり工事は進んでいる。

しかし工事とは関係もなさそうなおじさんが、「小池知事になって工事が止まっているんだよ」と心配していた。小池さんの影響は大変なものだなあ。

お富士さん 田子山富士

東上線の志木市に敷島神社がある。昔は新河岸川から段丘の上に立派に見えただろうが、いまは福祉施設ができたので、下からは見えない。昔は神社の敷地にどどーんと富士山が見えていたろう。

前からこの富士さんはすばらしいと思っていたが、先日この富士さんを整備して町おこしに使おうと市民が立ち上がったという記事を見つけた。7月1日は金曜日なので1日ずらして土曜日に山開きをおこなうことになったようだ。

ちょうど枝豆を持ってきてくれたTAGUCHI さんを誘って行ってきた。よく整備され、登ることもできた。名所ができた感じで志木市にとってはよかっただろう。写真を載せておきます。160702tagoyama01 160702tagoyama02 160702tagoyama03 160702tagoyama04 160702tagoyama05 160702tagoyama06

お富士さん 山開き 

7月1日は富士山の山開き。富士吉田の北口浅間神社も今日が山開きだが、静岡県側の本宮浅間神社は10日が山開きだそうだ。まあ昔から富士山の山開きは7月1日だから東京近郊のお富士さんもこの日に山開きが行われる。最近はお富士さん(富士塚)に登ることができるのはこの日だけになった。なので私は忙しく各地のお富士山を回らなければならない。・・・別に「ならない」の理由はないが、家にいても落ち着かないので一日中駆け回っているだけの事だが。いや駆け回ったのは過去のことで、今年は自転車。

1番目:池袋富士。池袋の駅から離れたところにある。東上線の北池袋の駅からは近い。この富士さんは形がよく、富士講の石碑も多い。何年か前の山開きで高野山のお坊さんと一緒になったことがある。山頂で長く祈っておられたが、お坊さんがお宮に参っていいのですかと質問したら、「神仏は同じものです。」と答えくれた。西行法師も伊勢参りをして「なにごとのおわすかは知らねど、かたじけなさに涙こぼれる」と書いている。あんまり気にしなくていいのだ。神社の参道では朝顔市が出ている。爽やかでいい!160701ikebukuro01s 160701ikebukuro02 160701ikebukuro03

2番目:十条富士。私の知る限りでは東京の富士の中で一番の賑わいがある。十条駅から縁日のために作られたような広い道路の両側に屋台がびっしりと並んでいる。学校が終わっていないのでまだ子供たちが来ておらず、人出は少ないが夕方からは身動きが取れないぐらいになる。最近こんなにぎわう縁日は少ない。さすが演芸の町(篠原演芸館がある)、下町的だ。目の前は道幅の狭い岩槻街道が通っている。まえから拡張工事の計画はあったが、ついに工事が始まったようだ。オリンピックに合わせるために、来年はこのお富士さんは取り壊されるようだ。今年がこの姿の最後の見納め!160701jujofuji02 160701jujofuji03 160701jujofuji04 160701jujofuji05

3番目:江古田富士:西武池袋線の駅裏にある。国指定の重要文化財になっている。都内で重文の富士塚は江古田、長崎、・・・富士の3つだ。テレビで紹介されたようで大勢の参詣登山がなされている。私も久々に登ってみるが富士山の溶岩が積み重なったお富士さんはなかなか気分がよい。合目石が新しくなっている。大天狗小天狗の像もなかなかかわいい。本日は滝に水が流れている。たいへん気分がよい。縁日はなし。江古田の駅前の学生街の喫茶店!でこのブログを書いている。江古田には日大芸術学部、武蔵大学、武蔵野音大などハイソな大学がある。160701egota01 160701egota02 160701egota03

姫路城とお菊さん

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本日は本多有香さんの植村直己冒険賞の授賞式に豊岡市まで行く。岡山を朝早く出たが、11時近くまで播但線の列車はないので、新装なった姫路城を外から見学した。

 

 

早いのでまだ中には入れなかったが、外から見るだけで十分の美しさ。市民ホール?の屋上にビヤガーデンがあるのだが、そこからの眺めが最高。朝早いので誰もおらず特等席だった。

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順序が逆だが、姫路城の石垣は、熊本城とちがって、頑丈なようだ。まだしばらくは大丈夫かな??

 

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姫路は「播州」といった。そこに恐ろしい物語が語り継がれた。称して「播州皿屋敷」、あれ「番町皿屋敷」じゃないの? 本家はこちらなのです。お菊さんお神社があります。今回も十二所神社(お菊神社)にお参りしてきました。
 

深大寺 散策

テレビで深大寺の門前風景を写していた。奥さまは何回も行ったことがあるというが、私は行ったことがなかったので即行動。京王線の調布駅に向かった。いつもなら歩いて行くのだが、最近はバス券があるのですぐに機械力に頼ってしまう。私たちのようなジジババが大勢並んでいたが、みなさん来たバスに乗らないで待っている。私たちのバスは空いていた。後で気がついたら、我々の乗ったバスは深大寺入り口からまっすぐにどこかへ行っった。一緒に降りたじいさんが、こんなに歩かせて!とおばあさんに文句を言っている。門前まで行かないバスに乗ったかららしい。300mぐらいよけいに歩いた感じだが、いい道だからいいじゃない!Jindai01 門前には深大寺そば屋さんが並ぶ。赤い花は花ミズキ。jindai02 なんじゃもんじゃの花の名所なのだそうだが、まだこの程度。>
jindai04 なかなかすばらしい古刹だ。もともとは法相宗のお寺だったらしいが、元三大師が天台宗になおしたらしい。jindai03元三(がんざん)大師さんの名前は関東東北でよく聞く。大師さんといえば弘法大師と思っていたが、佐野の厄除け大師、川越の喜多院の大師様はこの元三大師さんだそうだ。元三大師さんのお札を貼っておくと魔除け、厄除けになるらしい。その姿はちょっと恐ろしい。
jindai06 鬼太郎のほうがユーモアがあって恐ろしくないなあ! 

ぶらリバー小合溜 若者たち

本日はぶらりバークラブのお散歩。目的地は葛飾区の水元公園の小合溜。なんとなくばばちぃ響きだが、都内で一番広い公園だそうだ。旧利根川の流路をとめたダムで葛飾辺りに農業用水を配ったものだ。現江戸川は江戸以前は利根川の流路の一つだった。TAGUCHIさんの家に近いこともあっているいろいろ説明してもらう。160409koai02

本日は本当の若者 二人も参加。一気に平均年齢が下がった。彼は2014年に世界的な賞を受賞したそうだ。その様子は下のURLをクリックしてみてください。こんな若者がいれば、日本の将来は明るいな。いつも後ろ向きジジババに大きな希望を見せてくれた。ありがたいことだ。ちなみにこの若者、わが大学の後輩だ。

ジェームスダイソンアワードURLです。
 
 桜の土手からおりて、以前「しばられ地蔵」へ。南蔵院というお寺にある地蔵さんだが、荒縄でしばられお顔もほとんど見えない。以前同じような地蔵は茗荷谷の林泉寺でも見た。インターネットで見るとここ南蔵院の方が本家みたいだ。我が仲間も一本100円の荒縄で結んだ。いまの世の中、縛りが多すぎる。すこしほどいてやりたいものだが・・・

ジャーニーランの話 地平線会議

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 地平線会議で、ジャーニーランの話をさせてもらいました。地平線会議は1979年に発足した『探検と冒険のネットワーク」です。第一回の報告者は私で、その時にはトルコ全土を回った話をしました。今回の報告会は443回目、月一の報告会、通信は一度も休んでいないのでほぼ37年間続いている大変な会議です。私は第一回からほぼ30年間地平線通信と報告会を担当してきましたが、2011年以降は引退して、いまは見守隊で地平線通信を読むぐらいの付き合いです。
 そこに久々に呼んでいただいて、報告をすることができました。人の前で話をすることは、あまりなくなっていたので、準備をしっかりやりました。何を話すかメモ用に映像を作っておき、時々止めては話をしました。最近はボケが進んでいるので、メモがないと前後の脈絡がなくなるし、言いたいことが欠落するからです。しかし予想通り、人の名前や地名を間違えて、みなさんからたくさんの指摘を受けました。「年だからしょうがないなぁ」とお許しいただきたいものですが、ちょっとショックですなあ。
 大阪や福島、山梨、茂原など遠方からも来て下さいました。30年ぶり、もっと40年ぶりの方々もおられました。「話を聞くのはこれが最後かもしれない!」と思っていた人も多かったようで、機嫌よく話していたのを見て安心、あるいは期待外れと思ってくれたようです。私も2時間立ちっぱなしで話すのはきついかと思っていましたが、楽しく話せて、さらに二次会にも行くことができました。家に戻ったのは午前様直前、何年ぶりのことでした。
 ともかく元気に2時間話すことができたのは良かった。みなさんからパワーと花束を頂きました。ありがとうございました。参加して下さった皆さんに感謝感謝。E本、MARU山、NAGA野、TAKASYO の皆さん Special Thanks!

大仏さんは阿弥陀さん?お釈迦さん?

160109daibut我がぶらリバークラブの面々、それぞれの分野に造詣が深い。昨日はSEKI根さんから「この大仏さんは阿弥陀さんか、それともお釈迦さんか?」というクイズを出された。私は「大仏さんてみな同じじゃないの?」と答えたが、宗旨によって大仏さんもそれぞれ違うのだそうだ。ちなみにここは妙法寺、日蓮宗の寺なのでお釈迦さんの大仏だ。

与謝野晶子の和歌に
「かまくらや みほとけなれど  釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」

鎌倉の大仏さんをたたえた歌だが、大仏さんのいる高徳院は浄土宗の寺だから、阿弥陀様でなければならない。釈迦牟尼とおもった与謝野晶子は間違っているそうだ。

インターネットで調べてみたら、次のようになっていた。大仏さんにもいろいろある。年寄りは知識の塊だから、やはり大事にしたほうがいいな。

鎌倉大仏:浄土宗・阿弥陀如来

奈良の大仏:東大寺・華厳宗 毘廬舎那仏

兵庫大仏:天台宗・毘廬舎那仏  元日本三大大仏

牛久大仏:浄土真宗・阿弥陀如来

東京(赤塚)大仏:浄土宗・阿弥陀如来