四国お遍路の最中なので、朝は早くから起きて支度しています。空にはこんな月が出ていました。これは「下弦」の月です。「エエーッ 弦は上の方にあるじゃないか。上弦の月だろ!」と言われることがあります。私も長いこと教えていて、大いに疑問を持っていました。月が沈むときに弦が上にあるか下にあるかで決めたようですが、今見えている月が地平線に沈むときには弦が下になるので下弦です。しかし太陽が高くあるので見ることはできません。ということで、下弦になった月を実際に見た人はいないのです。見えることはない「下弦の月」、やっぱりおかしいなあ!
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四国88ヵ所 79番天皇寺高照院
78番郷照寺の大師様にご挨拶をして急いで坂を下りる。新町という古そうな町をとおり、国道をくぐって小さな峠を上る。うどん屋があったが本日終了。香川県はうどん県と称しているが、まだ讃岐うどんを食べていない。残念。
峠を越えると田尾坂公園にでる。眼の下にまっすぐな道が坂出の駅方面につづいている。荷物がないので快適に本町アーケードを行き、坂出の駅を右手に見て進む。線路を越えて山麓をまわるいい道を歩き八十場(やそば)の水場をすぎる。この水で日本武尊は生き返ったという由緒ある湧水だ。日本武尊はいろんなところに出没するものだ。
八十場の「ところてん」清水屋さんをすぎると大きな椎の木がある建物の境内に入る。境内に入ると反対側に赤い鳥居が見えるのでそちらに回る。近所の人に「天皇寺はここかな?」と聞くと、「ここは神社だけど、天皇寺といっしょだ!」と教えてくれる。赤い鳥居は三つ鳥居、我が三輪神社の鳥居と同じで「三輪鳥居「」ともいう。その鳥居の右手の大きな岩に「四国79番霊場天皇寺」と彫りこんである。さらに白峰宮という柱もたっている。何がなんだかよくわからないがみんなごっちゃになっているらしい。
とりあえず本堂と大師堂にご挨拶をするが、正面にある神社の拝殿、本殿に比べると見劣りがする。それもそのはず、ここは明治まで神仏混淆の天皇寺だったが、神仏分離で寺は廃寺になりその後末寺だった高照院が再興したようだ。したがって天皇寺高照院というのが正しい。お遍路地図などには79番天皇寺とあるが、それじゃ高照院はかわいそうだ。天皇寺高照院と書くのが正しそうだ。
さて天皇とは第75代の崇徳天皇だという。ちょっと調べてみたら
小倉百人一首の『瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ』
の詠み人で、文化人らしい。
しかし崇徳天皇は平将門、菅原道真をしのぐ大怨霊であるとされている。
崇徳天皇の祖父は白河天皇、父は鳥羽天皇だが、実際は祖父の子だったようで、父は崇徳のことを忌み嫌った。権力者だった祖父は息子の鳥羽を上皇にし、崇徳を天皇にした。
白河法皇がなくなった後、鳥羽上皇は崇徳天皇を廃して近衛天皇をたてた。近衛天皇はすぐに亡くなるが、崇徳が呪い殺したという噂が立った。近衛天皇の後に立った後白河天皇は平清盛と組み戦いを起こした。「保元の乱」である。負けた崇徳上皇は四国の讃岐へ流された。
自分の血をとって書いた写経を京都に送り、帰還を願ったが、破り捨てられたのを知り絶望して、1164年舌をかみ切って死んだ。「日本国の大魔縁となって、天皇を民とし民を天皇となさん」と呪ったという。その後、後白河法皇の近親者に次々と不幸が襲った。崇徳が予言したように武士が台頭し、天皇の地位は地に落ちた。
その後100年ごとに起こる大きな事件は崇徳上皇の呪いだとされてきた。怨霊をおそれた明治天皇は崇徳天皇の御霊を京都に戻し白峰神宮を創建してから即位した。亡くなって800年後の1964年には、昭和天皇が崇徳天皇陵に勅使を派遣し、霊を鎮めた。そのおかげで東京オリンピックは無事成功したという話も残っているそうだ。
100年ごとに呪いを発揮するなんてまさに大怨霊だ。私にはなんの関係もないが、崇徳上皇の呪いが残っている場所には長く居たくない。赤い鳥居をあとに一の鳥居に向かって急いで駈け下りた。そのせいで、行先の表示をちゃんと確認しなかった。ふつうは門前にある案内板(下の写真)を確認して次の札所に向かう。私はあわてていたので鳥居前の参道をまっすぐ下って行った。おかげで翌日「へんろ転がし」の難所に苦労をした。翌日出会った外国人の歩き遍路はみな「へんろ転がし」の急坂を下りに使っていた。
彼らのもつ案内書には、79番天皇寺から81番白峰寺にあがり、82番根香寺に参ってから一本松にもどり「へんろ転がし」を下って80番に行くと書いてある。この道の方が昔のへんろ道であると書いてある。日本人は順番通りに行かなければいけないような気がしているが、ここは 79→81→82→80 と順序を変えたほうが合理的である。その時には知らなかった。残念。
四国88ヵ所 78番郷照寺
78番郷照寺
宇夫階神社の鳥居前は参道になっているのだろう。まっすぐな道が付けられている。鳥居からすぐのところに立派なお寺が、きっと郷照寺に違いないと思ったが、実は別の寺だった。郷照寺はそのさき、右手に入り少し登ったところにあった。
一番下には鐘楼がある。そこから宇多津の街が一望できる。坂出の街は峠を越えた向こう側らしい。鐘楼から石段を上がると納経所がある。本堂はさらに数段あがり、さらにその上に大師堂がある。1日目でまだ石段登りに慣れていないので庭園脇の緩い坂を上る。立派な池を巡る庭園があった。なかなかいい感じだった。
大師堂のさらに上には淡島様がある。女性の守り神様だ。奥さまはお参りしたが、私はちょっと近づきがたく、地下にある阿弥陀堂に降りて行った。小さな阿弥陀様の像が千体万体並べらられている。奉納した方々の気が満ち満ちているようで、急いで外に出た。まだ修行が足りないのでどう対処してよいかわからない。
四国88ヵ所歩き旅:77番道隆寺
今年3月に、5泊6日で76番の金倉寺までまわった。後半の2日は雨の中、弥谷寺の555段の石段登りはかなりハードだった。帰ってきてしばらくは体調が戻らなかった。ほぼ1週間、休みなしに歩くのはきつい年齢になったことを悟った。次回は交通費はかかるが2泊3日ぐらいにしたいと考えた。
今年中に何とか88番まで回りたいと考えていたが、残り1回で12札所をまわるのはムリになった。そこで暑くならないうちに6札所をまわり、残り6札所を秋に回り完成させることにした。全部札所をまわれば結願ということになるが、我が家は仏さまになんの願いもしていないので「結願」とは言えない。そこで歩き旅の完成ということにした。
東京駅を7時10分の「のぞみ」で出発したら多度津に11時40分には到着する。4時間半で四国の年に着くのだからすごいものだ。ヒコーキでもこれぐらいはかかる。5月の最初は暑い日が続いたが、本日は日差しはあるもののかなり涼しい。暑さにはたいへん弱い我が家の奥さんでも十分に歩くことは可能だった。多度津駅から30分、距離は1.5キロほどだが駅前にあった太胡石を見ていたら遅くなった。この石は先日訪れた上海で見た石だった。説明文を読むと友好都市になったので上海のなんとかいう町から送られたとのことだった。
第77番 道隆寺
多度津駅から行ったので、寺の裏手にでた。76番から歩いてくる場所が正面なのでぐるっと回って大門前に出た。道隆というのは領主さまの和気道隆から名をとった。彼は怪しい光を放つ桑の木に向かって矢を射た。その矢は乳母に当たってしまった。それを悔いた道隆は桑の木で薬師如来を彫った。息子は唐から戻った空海に頼み、さらに大きな薬師如来を彫って、その体内に道隆の薬師如来を本尊とした。本尊は「眼直し薬師」として今も信仰は厚い。眼がよくなってご典医になった京極左馬造の御廟がある。
丸亀へ
寺の裏から国道に出る。先を歩く本格遍路さんについていくが、すぐに見えなくなる。途中民家の壁にこんな看板があった。セクハラ・パワハラの財務省幹部に読ませたい。お遍路をしていると人間ができてくるそうだが、私はどんどん不満や怒りが増して来る。お遍路をしてもあまり得るものはないかな。
本日は丸亀のホテルに泊まることにしてあるので、荷物を預けて先に進む。貴重品とカメラだけになったら、足はすいすい進み、気分はよくなって、財務省大臣への怒りも和らいだ。
宇多津には宇夫階(うぶしな)神社があった。
宇多津を通り越し県道の下をくぐってすぐにわき道に入る。気を付けていないと見過ごす。少し登って下るとなにやら不思議な神社前に出る。宇夫階(うぶしな)神社と名前が付けられているが石段を登るといくつもの鳥居があり、かなりの神社が集合している。末社や摂社ではなく並立しているようだ。伊勢の社をもらってきた社殿もあるし金毘羅さんもある。
本殿の裏に回ってみると巨大な花崗岩がある。注連縄がはられているので磐座(いわくら)だと分かる。これぐらい大きいと何となく神秘性が感じられる。ここに神さまが降臨されるのだろう。私は無神論者ではない。人知を超えた偉大な存在があると考える方が合理的で自然だと考えているからだ。
えびの高原 硫黄岳噴煙
安倍トランプ会談、明恵夫人・元大臣秘書同行、麻生大臣訪米(あれれ、問題ある人が皆行っちゃった)、財務省次官更迭、テレビ朝日記者セクハラ被害、新潟県知事辞任、一日にこれだけ大事件が起こるなんて、まさに歴史的一日になった。と思っていたらさらに九州えびの高原の硫黄岳が噴火したという。テレビ局は大忙しの一日だろう。
硫黄岳は2007年に登った韓国岳の寄生火山みたいだ。韓国岳の火口は大きいが、ある方向に小さな火口が連なっている。その一角が噴火したようだ。私が登った時の写真を見つけた。その時は気配はなかった。
月と火星と土星
上海にいます。昨夜から黄浦江の高層ホテルに泊まっています。上海の夜景は世界三大夜景とかで、夜中に起きてみました。暗い川面には無数の大型石炭輸送の船が上っていく様子が見えます。派手なネオン街を裏側から支えるパワーでしょう。昼間のこの街はあまりにも巨大エネルギーが渦巻いています。 PM2.5 せいでのどが痛いのですが、夜空は晴れています。3時ごろ窓から空を見上げたら、半月が輝き、その右下に赤く見える火星、その上に土星が見えます。こんなに密集していることは珍しいことでしょう。ここのところ星空を見ることが少なかったのですが、空が曇っているはずの上海で星見ができて感激です。
今日もお花見! 明日から上海!
昨日とは打って変わって老人会のお花見。こちらもお花見の名所である「環三通り播磨坂」である。地元のTAKEHAYA高校で一緒だった仲間が年一回集まっている。「毎年、今年で見納めかな!」と言いながら、ここ数年は誰も欠けることなく集まっている。しかし9人ののうち5人がガン患者、抗がん剤治療中も数名。話題はもっぱら健康話題。集まったらお花も見ないで、昔なじみの料理やさんの「天しゃぶ」に移動。90数歳の昔のおかみさんも来てくれて楽しく会合。来年も欠けずに会えることを約束して散会。そういえば9人全員ウーロン茶、ノンアルコールビール。昔昼食+ビールという人たちだったのに。
家に戻って明日からの上海行の準備。10日まで滞在です。中国は今GmailやFacebook Line など使えないそうで、中国版Line であるWeChat を使うしかないようだ。孫たちに教わっていま練習中。音声通話だけでなく動画、画像なども使える。テレビ電話も可能で、孫たちと隣にいるような会話ができる。それも無料だという。どういう仕組みになっているのかよくわからないが、それを使うよりも他に方法はないそうだから仕方がない。
と言うわけでしばらくFacebookもGmailもできません。このブログの更新もできなそうです。一応パソコンも持っていきますが・・・。電話をもらっても受け取ることはできないようです。受け取ることができても情報は筒抜けになるとか。聞かれて都合の悪い会話はしませんが、それでも気味悪いことは確かです。
戸隠奥社、雪遊び!
例年この時期に長野県の戸隠高原で雪遊びをしている。我が都立大の山岳部の有志がお金を出し合って山小屋を作ったのはもう40数年前。それから2代目のログハウスもでき、OBたちが楽しく前向きに使ってきた。近年は山岳部の現役を集めてきたが、若い連中は群れることを嫌う傾向にあり、大OBたちと同じ釜の飯を食うという楽しみを知らない。 現役連中は近くに来ても、山小屋に寄らないことがおおい。年寄連中は何とか若者に引き継いでもらいたいのだが、どうもうまく世代交代はできそうにもない。ここ数年同じ話をしているが、うまい解決策はない。じいさんたちが自分たちで細々と維持していくしかないようだ。翌日はスキーを始めたが、顔にバチバチ当たる氷粒のために早々に引き上げ。老人の半日券は2600円、十分に元は取ったかな!
日光二荒山神社・宇都宮二荒山神社
先日、一宮めぐりで下野一之宮を訪れた。下野国には一宮が2社ある。
日光はふたらさん神社、宇都宮はふたあらやま神社だ。
全国一宮は旧国に一つずつあるが、二か所以上ある国もある。昨年訪れた越中国、ここには4ヵ所の一宮がある。一番大変なのは立山の山頂にある雄山神社だ。高度3000mもある。山岳部にいたころはその前を素通りしていたが、4年前に奥さんと一緒に登って、しっかりとお参りした。今こうはもうとても行くことはできない。思い立った時に登っておいてよかった。
もう残っているのはほとんどないが、写真を撮っていないところもあるので、今年は再訪して写真入りのレポートを作ろうと思っている。
すでに30社ほどは作ったので、私のホームページにアップしてあります。お暇なときに、ご覧ください。
駿河国一宮:富士山本宮浅間大社
駿河国一宮:富士山本宮浅間大社の記録ページを造りました。ほとんどの一宮は巡っているのですが、なかなか紀行のページが完成しません。今年中には何とか完成させますが、まだあと80ヵ所ぐらいありそうです。まあぼとぼちやります。明日は日光二荒山神社と宇都宮の二荒山神社に行ってくるつもりです。日光は寒そうです。
大谷投手:アナハイム
金戒光明寺はすごい寺だった!
京都:宮本武蔵から詩仙堂へ
京都宝ヶ池
本日も明け方の空を見上げたが、志摩半島よりも明るく、流星群は見ることができなかった。寒いのでまた布団に潜り込んで、8時にやっと出発。京都国際会議場の裏手にある宝ヶ池を散策して叡山電鉄の一条寺にでるコースを歩く。宝ヶ池ではカワセミを見つけたが、教えてくれた方がいるだけで静寂。東京なら大砲のようなカメラを持った人が集まるだろうが、ここなら私でもゆっくり撮影できる。オシドリが群れて泳いでいる。
ちなみにオシドリ夫婦と言えば、末永く添い遂げる夫婦の象徴みたいだが、実は仲のいいのは卵がかえるまでで、ひなができるとオスはさっさと去っていき、オスだけで群れおり、翌年は必ず別のパートナーと過ごすのだそうだ。オシドリ夫婦というのはそういう夫婦のことだそうだ。
大文字焼きの「妙」の字がある山を過ぎ、叡山鉄道に出る。それには乗らず白川通りにでて、宮本武蔵の決闘の場である一条寺下がり松を目指して歩きました。京都の北は寒い。比叡山は雪がついています。
京都大学・吉田神社
本日は志摩から近鉄特急で京都に移動してきました。今回目的は京都大学見学。その後に吉田山に登って、古民家レストラン「茂庵」に行き、同志社大学レストランで夕食を食べて、今宝ヶ池の京都国際会議場駅の近くのホテルに泊まっています。明け方はふたご座流星群が見えそうです。昨晩は数個見ることができました。
まず最初は京都大学、時計塔の下には売店や資料館があり、ヘディンのスケッチを見ることもできました。
その後吉田神社、吉田神道の本家。元本宮は全国の神さまがおられる。
吉田山のうえにテレビでしばしば紹介される古民家喫茶店がある。外国人が多い。