実はいまは月曜日。日曜日中にお台場のマラソンの話を書いておこうと思ったのだが、くたびれ果てて風呂に入ってすぐに寝てしまった。私はせいぜい40数キロ走っただけだから、そんなに疲れるはずはないのだが、睡眠時間が少なかったのが原因かもしれない。それに土曜日の夜は例年になく寒くて、水たまりには氷が張っていたし、雪もチラチラと舞っていた。身体が冷えて固まると疲れはいっそう激しくなる。もう年なのかなあといいながら、いやまだまだ若い者には負けないとがんばっていると長嶋さんのようになるといけないので、そろそろ自重しなければ。・・・・・・
ウルトラランニングの神様である海宝道義さんが主催する「24時間チャリティラン・ウォーク」に今年もリレーチームで参加した。メンバーは昨年とほぼ同じ「山吹チーム」で、私は監督という名目だった。地平線会議チームもE本さんが監督で、1時間おきに交代し、何時間は寝袋で休むという緻密な計画を立てていた。我がチームは自主性を重んじて、好きなときに好きな時間だけ走るといういい加減な予定だった。しかしこれは失敗で、いつ走るか予定が立たないので、常にスタートゴール地点で待機することになり、身体を休めることができなくなった。この他に山吹の永井先生の家族チーム、田口さんの率いる埼玉のコーペルグループなどが参加した。
走るコースはお台場の船の科学館の外周道路1.5キロで、スタートゴール地点は「不審船」の展示のために場所がなくなってプールのレストランに移動した。1周回ると輪ゴム1本もらって、10本たまると黄色の輪ゴムにかわる。黄色が10本たまると、すなわち150km走ると赤色の輪ゴムになる。レース後半赤色の輪ゴムを持っているチームは「すごい」と尊敬される。
我々はリレー参加だが、本来は24時間個人の部がメインなのだ。この他にも12時間走、6時間走などもあるが、24時間走る人たちで、気合いがちがう。実際に国際大会で上位入賞をしているランナーも参加している。
しかし海宝さん主催の大会のいいところは、すごい人たちもいるが、我々チームのように1年に1回だけ走る人たちや、80歳を越えたおばあちゃんたちがとことこと24時間歩いてもいる。もうなにがなんだかわからないようなごちゃごちゃの大会なのだ。24時間の間、人間の最も根元的な歩く、走るという行為を通して、様々にものを考えることができる。本当は自分でもわからないが、忙しく動いていく世の中で、こんなにも優雅な時間はなかなかとれるものではない。
今年も私の教え子である、なめちゃんやよっちゃんが仲間を引き連れて来た。彼らはこんな経験はまったくないだろう。何かを求めているが、情報はものすごくたくさんあるのに、どれを選択していいのかわからいいまの若者にとって、なにかとてつもなく理不尽な世界に引き込まれた感じだろう。しかし彼らは自分たちでローテーションを作ってそれぞれ勝手に走っていた。そしてなんと200kmを越える距離を走った。最後は膝や腰の痛みでまったく走れなくなったのもいたが、自分たちの足跡をみて驚いたことだろう。個人の世界記録は24時間で240kmほどだろうから、5人とはいえそれに近い距離行ったのだから、自分でも驚きだろう。
走行時間 | 走行距離 | |
高島 | 5:01 | 37.5 |
三輪 | 3:33 | 37.5 |
中澤 | 5:20 | 43.5 |
大幡 | 4:45 | 37.5 |
池田 | 3:25 | 31.5 |
大金 | 1:24 | 13.5 |
みんな | 0:28 | 3.0 |
23:56 | 204.0 |
ここでの経験を糧にして、彼らはきっと立派に成長していくだろう。と行けばまさにテレビドラマである。これまで私は何人もの生徒をマラソン連れて来ている。そのときには一様に「いい経験をした」と言うのだが、その後生活に大きな変化をもたらしたという例はそれほどあるわけではない。学校の先生は、おもしろそうなものを見せてやることはできても、そのあとは自分次第である。きっとここで「努力したからって格別いいことがあるわけではないな」と感じた子もいるはずだ。
でも懸命に役に立たないことをやっている人もたくさんいるのだと思ったかもしれない。先生を辞めたが、相変わらず先生的立場で若者をみる意識が抜けていないので、少々困る。教育的効果を考えて彼らを連れてきたわけではないのだから。
24時間ランウォークの写真を入れておきます。この写真はほとんどが今回のスタッフの城定さんが撮影したものです。本人の許可を得て、ここに載せさせてもらいました。