1944年8月6日、母親は1歳直前の私を背負って、裏の山で松根油(しょうこんゆ)を採集していた。日本軍は石油が入らなくなったので松の根から油をとって航空燃料を得ようという計画だった。作業にかかってすぐ、遠くに黒い雲が沸き上がったのが見えた。それをみんなで見ていたという。
最近松根油をとっていた里山から原爆投下の爆心地までの距離を調べてみたら直線で20㎞だった。今なら避難地域だったかもしれない。母たちは何も知らぬまま翌日も松の木の根っこから垂れる油を採集していた。9日に長崎で同じことが起き、大勢の人が犠牲になった。そして15日終戦。もう少し早く敗戦を認めていれば沖縄戦もなかったし、東京空襲も、広島、長崎の原爆被害もなかったろうに。国体護持に固まった指導者に導かれた悲劇だったことが、今になるとよくわかる。 続きを読む