我が夫婦は昨年の11月で結婚50周年を迎えた。 金婚式を祝うはずだったが、母が大腿骨折し入院を繰り返した。昨年の正月には年賀状を書いたりパーマをかけに行くなど普通の生活を送っていたが一気に100歳の年齢相応の介護度5になった。皆さんのアドバイスのおかげで我が家から徒歩3分の特養に入ることができた。最初は毎日食事手伝に行ったが、安心したので母は自分で食事ができるようになった。2,3日行かなくても騒がなくなった。安心して特養の方々にお願いできるようになった。
私も安心して金婚旅行に行けるようになった。我家の新婚旅行は1970年万博の年ボルネオ島のキナバル山に行った。ヒルのいるジャングルや4000mを越える高度を考えると夢よもう一度というわけにはいかない。そこで40年前に子づれで初めて行った台湾に行くことにした。その時に圓山ホテルに泊まったが今回また行ってみようと考えた。40年前、貧乏時代にあの高級ホテルによく泊まれたなあと思う。今でも金婚旅行でなければとても泊まれない。
24日は旧暦の大晦日25日は新年だった。考えなしだったが南部の高雄で暑い新年風景を体験できたことは面白かった。高雄は日本統治時代の名残が多く残っている。ハマセンという場所は昔の浜線が走っていたところ。そこに2017年に新しいトラムが開通した。なかなかいい。日本の地方都市にはこんなトラムが走ったらいいのになあ。富山、高岡にあるが規模はこちらの方が大きい。
翌日台中に行ったが途中とんでもなく珍しい田寮月世界(バッドランド)を体験することができた。カナダのカルガリーや四国の土柱も似た風景だ。厚く堆積した泥岩層が強い雨によって浸食されて多くの谷ができたものだ。これだけ侵食が速いといずれは平らな平地になってしまうだろう。
ところで海底にたまった泥岩層は褶曲して地表にあらわれたものだ。褶曲の背斜部分には石油やガスがたまる。実はこのすぐ近くに背斜構造(ドーム)にたまったガスが噴き出した泥火山地形があると聞いた。時間がなくて行けなかったがもしまた来る時にはぜひ行って見たい場所だ。
高雄で新年(春節)を迎えた。商店はみな休みだったが初詣の場所は賑わっていた。私たちも多発詣での真似事。すばらしくキンキラのお寺だった。私の好みの狛犬もいた。中国の狛犬は阿吽にはなっていない。阿吽は日本の特徴。
台中ではちょっと奇をてらってSOFホテルに予約をしておいた。
奥様が喜ぶかと思ったが、雨が強いしバッドランドでは2万歩も歩かされたりして機嫌が悪くなっていた。そんな時にこのホテルは間が悪かった。怒り心頭、「なんでこんなホテル予約したのよ!別のホテルに行く!」今話題の廃墟ホテルだ。外側はボロボロ、でも中はシンプルライフでいい感じなんだが、いったん怒り出したらもう大変。何とかなだめたが、夕食も食べずに寝てしまった。こりゃまずかった。
翌日は再び圓山大飯店。お正月の賑わいがあった。さらに故宮博物館もゆっくり鑑賞してやっと機嫌は直った。しかし本日も歩き回って2万歩を越えた。ガイドさんを雇えば効率的には見て回れるのだが、自分の足で歩きながら面白そうなところを見つけるというのが私のスタイル。今さらツアーには入りたくない。しかし奥さんは「もう年なんだからツアーに入ろう」というのだが・・・
今回台北に行った理由はもう一つあった。1昨年お遍路の途中で台湾の同年齢の女性に出会って住所交換をしていた。その方に会いに行くことも目的だった。電話は通じないので住所を頼りに探したら繁華街の真ん中のビルに住むお金持ちだった。とても喜んでくれごちそうになった。
歩き旅はいい出会いがこれまでも何回もあった。これがあるから旅はやめられない。ツアーじゃダメだろうといまだに私は思っているのだが。5日間で10万歩を越えた。お遍路さん並みだった。奥様、よく耐えたなあといろいろ感謝している。27日夜に無事帰国。日本国はコロナウイルスで大変なことになっていた。