ぶらりバー 呑川の緑道

本日はぶらりバークラブ。都立大駅付近の緑道を行くことにしていた。レジメも作って準備はオーケーだったのだがおばあさんを病院に連れていかなければならないことになった。どうしようかと考えたが、大番頭さんの関根さんが昔このあたりに住んでいたことを思い出し、代理をお願いすることにした。ちょっと悩んでいたのだが、我が仲間には人材は豊富で、いつでも変わってもらえる。これからも困ったらお願いしよう。

本日は緑道を行くのだが、森崎さんがいい地図を作ってくれた。これをみると、昔の川、今の緑道が色分けしてあるので、実によく解る。これはいい。私は色鉛筆で採色してみたのだが、とてもこの凸凹地図にはかなわない。2枚の地図を並べておきます。

都立大学~学芸大学

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毎日がめまぐるしい!

 年寄りになると、やることは一日一つで目一杯になる。昔トルコで1人暮らしをしていた時には、朝ごはんを作ったらもう一日終わり、今日は日本へ手紙を書いたので充実、という暮らしをしていた。それは現地の皆さんにあわせた暮らしで、楽しかった。しかしいまは他に何かをやろうとおもっても、体も頭も動かない。ブログを書くのは頭の体操のつもりなのだが、それだけで一日終わってしまうので、3、4日に一回まとめて書くことが常になってしまった。

 先週はおばあさんの入院騒ぎで、京都から飛んで帰ったり、あちこちへの連絡だったり、一日に5個ぐらいの事件?がある。こうなるとほとんどパニックで、ひとつ何かやって、お茶を飲んでしばらく休み、さてそれから次へ・・・。

 本日あばあさんは無事退院。何事もなかったような感じで出てきた。いったいなんだったのか? 「年寄りはいつ何があるか分からないので見守っていてください」と医者に言われた。私も見守ってほしい年代になっているのに。・・・・いよいよ老老介護の生活かな。

 ぼーっとテレビを見ていたら、今月解散だって。やはりじゃぶじゃぶお金を印刷したアベノミックスは行き詰まったので、また政権投げ出しなのか。そんな兆候はあったよなあ。

と思っていたら、消費税を先延ばしにしますということの信をとう選挙だとの解説があった。消費税を10%に上げるのを先延ばしにするといえば、皆さんは賛成するので、圧倒的に支持を得る。その勢いで原発再稼働、沖縄辺野古基地移転、集団的自衛権などの難問を一挙に解決するつもりなのだそうだ。あれれ! 私の想像は全く違っていたなあ。困っての解散ではなく、政権維持のための選挙なんだ! それでみんな納得するのかな?? 国民って、たぶん私程度の認識しかしていないので、賛成票は入れないと思うのだが???  政治家のやることはやはり分らん。少なくとも私たちのような年寄りを相手にしていないことは確かだな。

大丈夫かい?? 羽生選手!

 上海で行われているアイススケートのなんとかファイナルで、ソチオリンピックの金メダリスト羽生選手が、練習中に中国選手と激突した。氷上に倒れてしばらく起き上がれなかった。たぶん脳震盪だろう。しばらくして立ちあがった彼は頭やアゴにテーピングをして4分半の演技に登場した。観客は驚き歓声を上げた。しかし10分前に脳震盪を起こした選手が、まともな演技ができるわけはない。私はまさか出場するとは思ってもいなかったが、5回も転倒しながら演技を終え、抱えられる様にして控室に戻った。5回も転んだにかかわらず得点は高く、銀メダルになった。マスコミは褒めたたえているが、私は怒りでいっぱいだ。

 ラグビーの選手でさえ、脳震盪を起こした選手は24時間は安静にして様子を見ることが義務付けられている。ボクシングなどただちに試合停止になる。テレビを見ていて私は、コーチは絶対に出場させてはいけないと思った。外国人のコーチなので、危険させるだろうと思っていたが、「大丈夫か??」と聞きながら出場させた。これは選手生命を短くする犯罪的行為だ。スケート連盟はこのコーチの資格停止をすべきだ。
1.脳震盪を起こした選手が10数分後にまともな演技ができるわけはない。
2、脳みそが振動を起こす異常状態は簡単には治らない。様子を見るべき。
3.お涙ちょうだい演技をやることはマスコミ受けはするが観客に対して失礼だ。
4.こんな前近代的な態度はスポーツを貶める行為だ。
5.スポーツ選手を見世物にしているとしか思えない。 

 もし羽生選手になにごとかが起こったら責任はだれが取るのか。スケート連盟、コーチ、そしてマスコミは責任を逃れられない。もしかすると羽生選手に声援を起こった観客にも責任があるかもしれない。みんなで寄ってたかって羽生選手を壊している。いまはただ安静にしてあげるべきだ。アイスショーならいざ知らず、スポーツは人のためにやっているのではない。次につながるためにはここで傷を広げるべきではない。いくら本人がやりたいと言っても正常な判断ができるわけではないから、主催者、コーチは止めるべきだった。

ラグビー 勝ちそうだったのに!

娘一家がラグビーの試合を見に秩父宮ラグビー場に行った。まだ小学生と保育園生の女の子だが、親の影響でラグビースクールに通っている。ラグビーもオリンピック種目にもなるそうだ。夕方からラグビーの放送があったので見ていたら、なんと日本代表が世界最強と言われるマオリオールブラックスに勝ちそうになっている。15点対15点だったが、フルバックの五郎丸選手のペナルティゴールで18対15になった。後3分踏ん張れば、歴史的な勝利になるとアナウンサーは叫んでいる。
 しかしあっという間にトライされて18対20と逆転されて、日本代表は敗戦。残念なことだが、我が家の孫たちは、あとほんのちょっとで歴史的瞬間に立ち会うチャンスだったのに。残念だったが、大人になってもきっと思いだせる試合だろう。写真はわが孫たちのラグビー姿。
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散歩 地下鉄があった!

本日はやることもないので、目先を変えて散歩。池袋へ向かう道に重林寺という真言宗豊山派のお寺がある。そのお寺の裏道を通ってみたら、写真のような建物があった。さらにその脇には丸ノ内線を走っていた車両がある。建物の方は学校の校舎。なかなかユニークでいい。ここは昔の昭和鉄道高校、現在は豊昭高校になっている。鉄道員の養成高校で、卒業して東上線の駅員になった同級生もいる。昔は鉄道員といえば花形職業だったが、いまは鉄道高校では生徒が集まらないという。しかたなくあまり特徴もない高校名に変わったようだ。
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 やることがないと言ったが、95歳の母親が入院中だ。一日中ついているわけにもいかず、かといってどこかへ遊びに行くこともできない。そこで携帯電話を持ってその辺りをウロウロしているしかない。困ったもんだけどどうしようもない。

古希のクラス会 そのあとサッカー

11月3日は高齢(恒例)のクラス会ということになっている。高等学校の時のクラスは3年間変化なし。担任も変わらなかった。私は席もずっと同じだった。3年同じ担任でも先生とはほとんどしゃべったことはなかったなあ。そんな時代だった。

古希の会ということだったが、古典に詳しいIGAKI君によれば、古希は数え年だから、すでに終わっているとのこと。古希+1の会ということになった。クラス替えなしの高校時代にあやかって、来年も同じ日、同じ場所でということになった。これで7回目かな??

お昼の会だったが、お酒は沢山出た。でも私はウーロン茶。理由は2時からのサッカー試合に出るためだ。幸い近くの巣鴨三菱養和のグランドだったので、15分ぐらいで到着。走って行ったのでウォーミングアップはすませた。15分4回だった。2点は入れたいと思っていたが1点どまり。いい場面が2回もあったのだが、シュートが弱くキーパーに取られてしまった。

明日から京都高雄へ紅葉見物。明後日は大阪に移り石切神社にお参りする。この神社の祭神は天孫降臨の際、舟から落ちたニギハヤヒという神様を祭った珍しい神社だ。一昨年参ったが、奥さんにぜひお参りさせたくて、そこに行きます。

そん神社から生駒連山の暗がり峠に上がります。この道は松尾芭蕉が亡くなる直前に越えた道だ。奈良のほうから越えて住吉神社に行き、俳句の会をやった後亡くなった。私たちは逆に越えてみようと思っている。

あとで写真を入れます。

野菜、柿 いろいろいただく!

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昨日は現代アートの後に赤城山ろくに移動して、小林さんの農場に行き、大量の野菜をいただいた。ありがたいことで、帰ってから、近くに住む娘一家、息子一家、それに弟一家にも届けた。

141031okesakaki一昨日は佐渡からおけさ柿が大量に届いた。卒業生で地理を専攻した中島君が送ってくれたものだ。彼はトキを追って佐渡に住みついき、NPOの職員として環境問題を中心に取り組んでいる。「みんなすばらしい活躍をしているなあ」、柿を送ってもらったから言うわけではないが、偉い!

柿の木プロジェクトに参加!

群馬県の渋川にあるHARA MUSEUM ARC のマネージャーのKAMA田さんから、「おもしろいイベントがあるから来てください!」との招待を受けた。前橋の小林さんご夫妻と一緒に参加した。子どもたちが主体のイベントだったので、ちょっと浮いた存在になったが、まあ還暦から数えれば、同じくらいの年だからまあいいか。

1945年8月長崎原爆が落とされた。その爆心地の傍にあった柿の木が奇跡的に1本残った。その柿の木を樹木医の海老沼さんが回復させ、二世の柿の苗木を生み出した。その苗木は日本各地に、さらに世界各地に送られて、子どもたちの平和学習のきっかけに活用されているそうだ。

その苗木の一本がHARA MUSEUM の庭で育っている。この木をテーマにしてアーティストの中島さんが、柿の墨を使って絵を描こうと企画したのが本日のテーマだった。柿の炭は、中島さんが炭焼き窯を使って作成した。その炭を粉にして墨にして絵を描き、それを持って柿の木の周りをあるこうというものだが、本日は雨。そこでゴミ袋のカッパを着て、ぐるぐる回り心霊写真みたいな写真を撮影。

 子どもたちは何のことかよくわからなかったが、面白がっていた。私たちも、「こんな経験はないよね!」と言いながら、長崎に思いをはせ、楽しませて?もらった。これが現代アートというものか?? それについてはよくわからなかったけど。

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サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼

昨日記したTAGUCHIさんの報告を勝手に採録しておきます。ふだんは「なんてことないよ!」といつもクールな彼女にとっても、今回の巡礼は思い出深いものになったような感じでした。絶対に写真をとらせなかったのにゴールの聖堂の前で記念写真をとっていることでも、感動のゴールだったことが分かります。でもそのゴール写真を入れたら怒るでしょうから、その他の写真にしました。文章も報告書のまま採録。map-camino
 サンチャゴは、スペイン北部にある町。ここにある大聖堂にキリスト十二使徒聖ヤコブの墓があるキリスト教三大聖地。世界中の信者たちがお詣りに来る。カミーノといわれている巡礼道を歩いて着く。カミーノはイギリスからフランスから、ポルトガルからなどいくつかあり、今回歩いたのは「フランスの道」。ピレネー山脈を越えてサンチャゴまでは800K。5月、9月の2回に分けて歩いた。朝起きて、ただただ歩き、巡礼宿で寝て、次の日も朝起きて、ただただ歩く、宿で寝る。もちろん雨天も決行。カミーノは畑の中、草原の中、時々小さな村々を通り、霧の峠道もいくつかあった。一日の歩国距離は25k前後。寝袋、着替えなど旅に必要なものを背負っての旅。ぶどう、オリーブの畑、牛、馬、羊の牧場、ヒマワリ、カボチャの黄色、どこまでも続く麦畑、風に揺れるトウモロコシ、落ちたリンゴを拾い食い、栗もいっぱい落ちていた。生ハム、たこ、いか、ムール貝、赤ワインがうまかった。
 日本の熊野古道、四国遍路、西国巡礼など何度も歩いたが、カミーノ・デ・サンチャゴもたしかに巡礼者の道だった。年間20万人の人たちが歩いているという。歩きながら知り合いになり、友人になり、ゴールのサンチャゴでの感動を分かち合った。事故もなく元気に機嫌よく歩けたことに感謝。En Hora Buena!(おめでとう)
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忘年会1 コンポステーラ巡礼報告

御徒町のいつものお蕎麦屋さんで今年度第一回目の忘年会! (今年は何回あるかな??) 本日は今年2回に分けてスペインのサンチャゴデコンポステーラの巡礼を終えたTAGUCHIさんの報告会。通過した地点でのスタンプがぎっしりと押されたノートと巡礼証明書を見せてもらった。信者以外は壮大なスタンプラリーかもしれない。日本でも四国四十八か所札所巡礼があるが、信者でなくても多くの人が歩いている。TAGUCHIさんは四国八十八ヵ所も西国33ヵ所もすでに歩いているというつわものだ。

今回2回目はマラソンランナーの女性と2人だったので行程ははかどり、宿舎や食事も地元の人たちが泊る所を選んだので、大いに安上がりになったという。もちろんTAGUCHIさんは語学の達人で、英語、フランス語、スペイン語はぺらぺら。こんな人と行くと地元の人よりも詳しい穴場情報も手に入る。いい旅だったようだ。うらやましい。

安上がりにできたからということで、「お金が余っちゃたよ!」と気前よく、ご馳走してくれた。お酒は「だっさい」(漢字が難しくてでてくない)をいただいた。気持ちよく酔っぱらった。TAGUCHIさんとの会は、いつも5時開始。7時には終了なので、8時前には家に着く。年寄りには大変ありがたい。

 

 

みわ塾 代表交代

退職後すぐに、大人のための科学塾「みわ塾」と称して12年間やってきました。その間代表者は櫻井さん、番頭さんは関根さんにやってもらっていました。自分でやらなかった理由は、講座をやっている新宿区の榎町地域センターの登録団体になるには、新宿区民でなければいけないという規定があるからです。私は最初、榎町のすぐ脇の高校に勤務していたので、新宿区民扱いをしてもらっていたのですが、退職後には認めてもらえず、新宿在住の皆さんにやってもらっていました。

しかし12年もたつとみなさん高齢化してきたので、若い人に交代してもらおうと思っていました。丁度その時に、榎町センターのすぐそばに住む、卒業生に出あいました。みわ塾や地平線会議の状況もよく解っている人なので、お願いしたら・・・・もちろんタダではお願いできない!神楽坂のインド料理「想いの木」というレストランでランチをごちそうしました・・・・快く引き受けてくれました。ということで来年度から代表交代ということになりました。菊谷さんです。よろしく。

サッカー 韓国遠征

本日は巣鴨の人工芝のサッカー場で日立市の選抜軍を迎えての試合を我がシラク会グループとSOIの3チームともえ戦で行った。日立市選抜軍は平均68歳と言う。我が方は64歳のだが、全くスピードが違って前半は歯が立たなかった。結局たてつづけに2点入れられた。私はほんの数回しか球に触れることができなかった。

後半は年齢の差がでてきたのか、審判がかわいそうと判断してくれたのか、わからないが急激に我が方に風が吹いてきたようで、KOYASU君がハットトリック。最後は3:2で勝利してしまった。彼はいま話題の某研究所のお偉いさん。ストレスがたまるのをサッカーで発散させているようだ。

終了後の懇親会の席で、11月に韓国で行われる高齢者の国際サッカー試合のメンバーの募集があった。日本からは70歳以上のメンバーから選ぶそうだ。早速応募したところ、本日の動きなら大丈夫ということで、メンバー入りすることになった。権威はないが一応国際大会の日本代表だ!

ということで、11月末に行われる地平線会議の豊岡大集合をキャンセルすることになった。まあ国際サッカー試合のメンバーになることなど、昔だったら夢のまた夢。長生きしたおかげで参加できることになったのだから、ありがたいことだ。怪我しないように、頑張らないように、日韓親善に努めてきます。

 

 

悪夢のリニア新幹線

昨日の地平線会議の報告会は「悪夢の超特急:リニア中央新幹線」という本を書いたKASHI田秀樹さんのお話だった。最近地平線会議にはご無沙汰なのだが、この報告会は興味があった。

私はリニア新幹線は山梨の実験線でもう終わったものだとばかり思っていた。しかし先日10月17日、建設着工に国からの認可がおりた。JR東海は2027年に東京・名古屋間の開業を目指すそうだ。これまでとは全く違った方式で、磁気で車体を10センチ浮かし、時速500kmの速度で、名古屋まで40分で着くそうだ。工事費は9兆円を見込んでいるそうだ。

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全線ほぼトンネルになる。南アルプスの下を掘るが、これが難物。中央構造線と糸魚川静岡構造線(フォッサマグナ)という大断層を横切るのだから、相当の出水があって大変な難工事になることは技術者たちは覚悟の上だそうだ。「黒部の太陽」のような多くの犠牲者が出ないことを願う。

樫田さんはこのトンネル工事に伴う環境破壊、とくに水の問題について詳しく説明してくれた。さらにトンネルを掘った残土はどうなるのか?それらについては地元には全く知らされていない。もっと丁寧に説明してから着工してもよかったのではないか。これは私見だが、アベノミックス、東京オリンピックに便乗して、どさくさにまぎれて着工を急いだとしか思えない。

JR東海単独事業と言うが9兆円もかかる事業を1企業に任せてよいのか。事故が起きたら、とても一企業では対応できない被害がでる。責任がとれるのか。環境破壊や、強力な電磁波で乗客にも影響が出るかもしれない。夢のリニア新幹線と言うだけで、マイナスになることは全く説明がない。国はそのマイナスもクリアしたうえで認可が必要だろう。

しかしJR東海は、反対派としてKASHI田さんを危険人物とみなし取材お断り。本の出版は直前に取りやめになったという。(別の出版社から出た)。そんな妨害などせず、堂々と国民に説明すべきというのが、本日の内容だった。

私は1.構造線を横切るトンネルは数10年かかると思う。2.さらに磁気浮上のための電力は原発を3つぐらい専用に稼働させないといけないほどの電力消費になる。3.強力磁石から発せられる電磁波(波長が違うだけで放射線とおなじもの:原子力規制庁で規制基準を作っている)が人体にどう影響するかわからない。1.2.3のことから、このリニア新幹線計画はとん挫すると思っている。たとえできたとしてもそのころは人口も減り、そんなに需要があるとも思えない。景色も見えない「地下鉄」に観光客は乗るだろうか。

などなど、とんでもない問題が山積している。こんなものを認可したお国は、とん挫した時にどう責任をとるのか。税金が山ほど投入される。もう少し慎重にやるべきだった。いまの安倍自民党は、原発推進を始めた時と似ているという。早いうちに止めないと、とんでもないことになることは分っている。

樫田さんの話は遠い先のことではなく、いま工事が始まる前に何とかしなければならないという焦りを感じさせてくれた。みなで声を上げたいが、年寄りは大声が出せない。若者よ、自分たちの上に降りかかる火の粉をいまのうちに振り払っておかないと、(財政的にも)取り返しがつかないことになるぞ。

南高尾山稜 山岳部仲間と

今年の秋は高尾山にしばしば通っている。3週続けて京王線の多摩境駅の上の戦車道を通って高尾山に向かった。最初は途中で道を間違えて到達できなかったが、その後は介護人付きでなんとか到着した。10月に入ってからは日やマウントの閉まる直前を狙ってビール。いや古希祝いをしてもらった。

10月半ばにUSHI田さんから「INA村さんが帰国したから、歓迎会を高尾山でやります」との連絡を受けた。山岳部仲間なので、都会の飲み屋で騒ぐよりも、健康的に山の空気を吸おうよ!との企画だ。USHI田さんの人柄なのだろうが、彼が声をかけるとすぐに人が集まる。本日も10人参加。
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休日の高尾山はラッシュの駅みたいなので、それを避けて金曜日に設定されたのだが、本日は子どもたちの大軍で登りの細い道は占領されている。こりゃ無理だと、国道20号線をわたって南高尾山稜に向かうことを提案。MITOKU君は30年ぶりの高尾山だと張り切っているが、「この道で頂上へ行けるの?」と不安そうだった。大垂水峠経由で行けることは行けるが、まあ5時間くらいかかる。そんなことは知らせずに草戸山(365m)に向かう。

昔山岳部と言ってもいまは高齢者の10人組で、ふつう1時間のところを1時間半かかる。元気なのはシンガポール在住のINA村さんだけ。彼は毎日シンガポールの山々を走っているそうだ。(シンガポールに山なんてあるのかな?)

そこでコース変更。三沢峠から梅の木平をとおって、国道に出て高尾山口のお蕎麦屋さんでINA村くんの歓迎会と言うことになった。3時間ぐらいの歩行でちょうどいい感じだった。おいしいビール(自主規制で私はお茶)とお蕎麦でみな満足と思っていた。

しかしお店を出たところで「せっかく来たのに高尾山の頂上に行っていない!」との声。草戸山で勘弁してと思っていたが、こだわりの山岳部! 暗闇になりそうだが行くことになった。私はそのあと地平線会議に行くつもりだったのでケーブル駅の下でお別れ! しかしUSHI田くんはしかたなく付き合って頂上に向かった。やはり人間ができている。だから人に信頼されるのだろうな!

写真はUSHI田さん、MITOKUさん 提供

 

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