明日はビデオ係

    11月10日金曜日。暇な一日なので遊びに行こうと思ていたら、「明日は・・の学芸会だからね。ビデオよろしく!」と言われた。孫のおかげで、珍しく「仕事」ができた。最近は社会から必要とされていないという雰囲気がひしひしと感じられる。私と同年代のみなさん、毎日をどう過ごしているのだろう?
    ありがたいことで、失敗がないようにビデオの充電、残り撮影時間の確認など楽しい作業をする。この前は、撮り始めたらすぐに撮影時間がありませんとなった。前の画像をパソコンに取り込んでおかなかったからだ。その時は短い時間だったので、デジカメのビデオで撮ったが、大変慌てた。
    年を取ると入念に下調べをしていても失敗をすることがある。愛嬌ですめばいいが、責任を持った仕事はもうできないだろう。わが同年代だがトランプさんは大したものだ。メディアはトランプさんの考えを様々に分析しているが、実は前になんて言ったか覚えていない、そんなことが度々あるのではないかと思う。メディアは老人心理の研究者を使ってトランプ語録を分析したほうがいいのではないかな。
     話はビデオからはるかに離れてしまった。これが老人の妄想というものだ。我々一般人はまあそんなものだが、大統領とか首相とかになったら、それは大問題。はやくもっと若い人に変えないと、取り返しがつかないことになるのではと心配だ。

民泊が我が家の近くにも!

  10月に京都に行ったが、観光客であふれていた。ホテルはみな満員で、結局泊まることができずその日のうちに戻った。京都市役所裏手で奥さんの仕舞の会があったのだが、その周りの格子戸の家がいくつも民泊になっていて、外国人が出入りしていた。テレビでも話題になっていたが、その民泊が東京にも表れている。

先日テレビで大山ハッピーロードでも民泊ができたと放送していたが、まさかこんなに近くにあるとは思っていなかった。先日までは普通の家だったが、写真のような外装をしただけで、旅館に変わっていた。規制緩和とかでこんなことが許されるようになったのだろうが、だれがとまるのだろうか? 世の中の動きが速すぎてついていけないという感じ。

早起きは三文の得?

早起きといっても、朝はしばらくぼーっとしていないとエンジンがかからない。起き抜けに散歩をするというのは体に良くないとテレビで言っていたので、ゆっくり朝食をとってからお茶など飲んでから散歩に出かける。

魔法の手の持ち主、文寿整骨院が新築移転するというので見学がてら千川付近まで行った。現在の場所からほんのちょっと行った、同じ通りに面した場所に新しい整骨院ができた。腰痛、ひざ痛、肩こりなどの人はどうぞ行ってみて下さい。文寿さんは、釜石ラグビーチームのチームドクターだった人。今でも英国では魔法の手の持ち主として尊敬される人です。

帰りに水道タンク付近を歩いていると黒い手袋が片っ方落ちていた。本日は少し寒かったので手袋をしていた。どういうわけか黒色と青色の片方づつしかなかったので格好悪いが、奥さんには「新ファッションだ」と称してはめて歩いていた。落ちていた片方は黒色のボツボツが付いた手袋。まさに私の片方とぴったり合う。100円ショップで買ったものだから、同じものはいくつもあるのだろうが、こうもぴったりしたものはなかなかない。

うれしくなって今日一日よいことがあるだろうとはしゃいで帰った。お昼ごろまで気分よくしていたが、はっと気が付いた。本日2か月おきの検診の日だった。手袋を拾っているちょうどその時間が検診予約の時間だった。さて困った。近年こんなことがちょくちょくある。やはりボケ年齢なのだろう。

東京駅 秘密の通路!

都内はトランプ人気で大変盛り上がっている。こんな日に都心へ出かけるのは無謀だが、友人の展覧会を見に行かなければならないのでしかたがない。そういえば一昨日も銀座の画廊に出かけた。ここのところちょっと文化的だ。

その通路に沿って外国の駅の写真が展示されている。それを写真に撮ってきた。東京駅もすばらしいが、外国の中央駅は個性があってすばらしいな。モロッコにもこんな駅があるのだ。

根津美術館・お茶会

 表参道から歩いて根津美術館に向かう。トランプ効果で人出は多い。お巡りさんに道を聞いても無駄。どこか地方から呼び寄せられているらしい。こんな時だから最高の警備体制なのだろう。ちょっとやりすぎみたいだが、まあこのご時世しかたがな い。

おもてなしの精神らしいが、先週来ていたフィリピン大統領とはあまりにも扱いが違い過ぎる。ちょっとごますり過ぎる。「おもてなし」ではなく「饗応」みたいだ。おもてなしは見返りはないが、饗応は大いに見返りを求めている。我々の税金を湯水のごとく饗応するのはいかがなものか。この前はプーチン大統領に大変な大盤振る舞いをしたが、何にも見返りはなかった。今回はどうなのだろう。

などと思いながらお茶会に臨んだ。正座をすることがなかったので、すぐに足が攣ってしまった。「痛い!」と胡坐に変えたがますますひどくなった。しかし隣で奥さんが「静かに!」とジェスチャーで知らせるが、痛いものはどうにもならない。胡坐で必死に伸ばして何とかなったが、お菓子もお茶も味はまったくわからなった。そのあと懐かしい仲間と一緒にお食事。お菓子もお食事も超一流だが、私には猫に小判!

峠楽会・夕やけだんだん峠など

今年10回目の「峠」楽会のお散歩。番頭さんが入院のために参加者はいつもより少なかったが、なかなかいい峠が見つかった。
◆その1 夕やけだんだん峠(日暮里の駅前の御殿坂を上りす話題通りの高台を過ぎると夕やけだんだんに下る。経王寺峠という名もいいかと思うが、だんだんの方がいいかな?)
◆その2 富士見峠 有名な富士見坂の上からはもう富士山はちょっとしか見えないが、昔はよく見えたろう。反対側には諏方神社があり下町低地の先に筑波山が見えたはずだ。西日暮里駅に降りる坂は地蔵坂。現在は寺、神社が有り両側を見下ろすことはできないが、昔の視界を想像することはできる
◆その3 道灌山峠(開成学園峠)西日暮里駅前の通りを上がると歩道橋があります。そこが峠上で反対側は緩やかに藍染川の低地に下っています。この峠道は諏訪台通りをブチ切るように切通している。まさに峠の地形である。目の前に開成学園があるので開成学園峠もいいかなと思うが、きっと反発もあるだろうから道灌山峠のほうがいいだろう。
凸凹地図を参考にしてください。

また新宿御苑・同窓会

本日は恒例になっている高校のクラス会。還暦の頃から始めたのでもう15年近く続いている。一回ずつ幹事をやることになったが、もうふたまわり目も終了する感じだ。その間にポツポツかけていく仲間もある。いつまで続くか分からないが、来年は3回目の幹事ということになった。クラスにはサンシャイン60にあるレストランチェーンの会長がいるので、場所と日時はここ10年間固定している。幹事は「忘れないで!」と確認メールを出すだけでいいので楽だ。

12時からなので、その前に新宿御苑に行った。先日行った時に「菊」展を見なかったので、孫を連れて再度行ってみた。新しいカメラの調子を見るのに、菊の色がどう映るかも確かめてみたかった。ということで、菊の写真。

高尾山紅葉見物

 テレビでは各地の紅葉だよりをやっている。昔ならすぐに秘密の紅葉名所である照葉峡に行くところだが、いまは車を取り上げられたので、電車で行けるところしかない。まだちょっと早いかもしれないが、高尾山に行くことにした。

久々の山登りなのでゆっくり歩いたら稲荷山コースで山頂に行くのに3時間近くかかった。昔はケーブル駅から3時間半で陣馬山往復ができたのに。まあ年なのだから仕方がないか。先日の台風で6号路は崩れたらしく、下山者は通行禁止になっていた。

頂上は人がいっぱい。小学生の遠足と日本語学校の生徒たち200人がいた。前にきたときには中国人がいっぱいだったが、今回はベトナム、台湾、ラオス、ネパール人など多国籍だった。ケーブルには乗らずに歩いて降りてきた。外国人もみな歩いて下っていた。人数が多い割には、地元商店などはあまり商売にはなっていないようだ。

旅の文化研究所発行「旅の民俗」シリーズ

旅文化研究所から「旅の民俗シリーズ」3巻が発行された。それを記念したシンポジウムが開かれたので、我が家の奥さんと出かけた。執筆者の多くは知り合いなので、興味深かった。「女相撲の旅」の著者の亀井さんとは何年ぶりだったか。むかし観光文化研究所で女プロレスの話を聞いたことを思い出した。冒険と探検を書いたのは岡村さん、行商人の旅を書いたのは山本さん、みな活躍している人だ。

竹細工の旅を書いたのは稲垣さん、あのガキやんだ。今も竹細工職人として各地を回っているのだ。数年前にもあったが、迫力は昔のままだった。著者の人たちはほとんど会場に姿を見せたが、彼だけは来ていなかった。私には文章を寄せたというだけでも驚いた。人前に姿を見せることはしないのは彼の流儀だろう。彼に文章を書かせた神崎所長はえらい。

津軽三味線の旅は二代目高橋竹山さんが書いた。さらに津軽三味線は演奏は本日の目玉だった。友人の関根夫妻は大ファンだというので誘った。満足してくれたようでよかった。津軽三味線奏者の車谷君も誘ったら、台湾から来てくれた。かれも満足してくれたようだ。よかった。

石神井川と隅田川の合流部

昨日(29日)は台風22号の雨と風でとても歩くことはできなかったが、孫が退屈しているので科学未来館に行った。台風最中に科学館に来る人はいないだろうと思っていたが、新橋から乗った「ゆりかもめ」は満員だった。でも彼らの行き先は東京モーターショーだった。科学館で降りた人は少なかった。でもなかなかおもしろかった。孫も少しは満足したようだった。

私は我が家周辺3万歩お遍路は3日で途切れた。本日は台風一過。すばらしい青空。でも風は強く、歩くとフラフラする。なので本日は杖(折り畳みのスキーストック)を持ってでかけた。我が家の近くの石神井川を下って行った。石神井川は隅田川に合流するのだが、その合流部にはいろいろな工場が密集していて立ち入ることができない。

本日その近くまで行くと清掃工場の門が開いていたので、係の人に頼んでみたら、「いいですよ!」とのこと。この工場からは不燃物を船に乗せて埋立地に運ぶのだそうだ。いつもはトラックがいっぱいなのだが本日は川の波が高いせいか、船が到着していなかったので、しっかりと写真を撮りことができた。係のお兄さん、ありがとうございました。

王子の西福寺の天井絵

東京はまだ台風の影響はないが、愛媛国体の開会式は雨の中で行われている。長い間準備をしてきただろうに関係者はがっかりだろう。私たちのお遍路中止とはがっかり度も違うだろうに。お気の毒に。でも雨にも負けず頑張ってほしい。と思ったが大雨、大風ではがんばりようもないな。

私は3万歩を今日も維持している。王子方面に行ったが途中で西福寺に寄ってみた。前にきた時には工事中だったが、今日はもう仁王門の天井絵も完成し、最後の仕上げにかかっていた。なかなか美しいので写真に残しておこう。

お遍路中止! 東京で峠探し!

26日から四国遍路に出ることにしていたが、直前になって台風22号接近、松山で受け入れ予定のOさんの入院が分かった。Jetstarのチケットはキャンセルできないので放棄することにした。まあLCCの安売り切符なので仕方ないが変更ぐらいしてくれてもよさそうだが・・・

昨日からへんろ道を歩いているはずだったので、我が家の周辺を歩いてみている。本日は3万3千歩、昨日は3万歩ピッタリ。本番では1日2万歩が限界だが、うちの周辺では荷物もないし上り下りもないので3万歩(22㎞)ぐらいは歩ける。でも少々自信が出てきた。

本日は11月4日の峠楽会の下見を兼ねて鶯谷から田端までの崖を辿ってみた。谷中の墓地の下が一番いい感じで崖が見える。いい坂もあるのだが、崖の上はひろい墓地で平たんなので「峠」地形はない。少々残念。でも日暮里の駅前から上がった坂は、その先で夕焼けだんだんに向けて下っている。ここまいい感じの「峠」だ。

台風一過、台風被害:金魚

23日の明け方、東京付近を台風21号が通過していった。中心が来る前はかなりの雨が降ったが、通過したらすぐに雨はやみ、強い風だけが残った。我が家は植木鉢が行くとか転がり落ちただけと思っていたら、金魚池の水があふれたらしく、孫から預かっていた大きな金魚が植木の間に横たわっていた。

亡くなった人もいるのに金魚ぐらいで落ち込むなと言われそうだが、動物を飼う、いや植物でも育てると愛情が湧くものだ。植木鉢が落ちて、根がむき出しになっても植物は再生するが、金魚は水からでるともうだめだ。かわいそうに、金魚さん、申し訳ない。ごめん!

今回の台風、選挙一色の報道だったので我々は知らなかったが、かなりの被害があったようだ。特にヨット競技が行われる江の島あたりは高潮で大変だったようだ。報道というのは難しいものだ。一局ぐらい災害情報を主にする局があってもよさそうだ。

月曜日午後は台風一過の秋晴れだった。昨日今日も晴れの予想だったが、今日は雨。プールの駐輪場に自転車を置いてきたが、取りに行けない。こまったなあ。

 

衆議院選挙 

ちょっと前、新しい党ができたときに「百合子がんばれ!」とこのブログに書いた。百合子さんが頑張ってくれたおかげで、民進党は解体して雲散霧消となった。おかげで自民党は大勝も大勝。安倍さんは小池さんに足を向けて寝れないだろう。もし希望の党ができていなかったら、民進党、共産党で選挙協力して自民党の2年生議員を追い落としていたはずだ。それは今回の野党の票数を考えればありうることだった。

安倍さんは選挙前に233の過半数をとれば勝利だとしていた。だいぶ低いハードルだと考えられていたがも自民党の予測としてはこんなものだったのだろう。実際に比例区の投票を見れば、それぐらいの数だ。安倍さんは300の議席が取れるとまったく予想をしていなかったはずだ。ところが相手が勝手に転んでしまった。いまは安倍さんの時を見る慧眼をたたえるしかない。

もうすぐトランプ大統領がやって来る。安倍さんはトランプ大統領を100%信頼しているというが、それは慧眼だろうか。もう少しで結論が出るかもしれないが、それまで日本人としてはじっと見守っていくしかない。安倍さんも強調しているが、北朝鮮状況あまりにも複雑怪奇、トランプ政策で大丈夫なのか心配だ。

 

ホームカミングデー

昼に友人にあったら、明治大学のホームカミングデーに行くと言っていた。私もHCDに行くのだと言ったら、どこの大学だっけ? と聞かれた。「大学じゃないよ、高校だよ」と言ったら、「高校でHCDなんかやるの?」と言われた。HCDというのは大学で、が常識のようだ。

しかし我が戸山高校では13年前からHCDをやっている。私は自分が勤務した年代が当番の年から出席している。戸山高校では卒業から30年後の学年が当番になり、同期会も兼ねたHCDをやっている。通常はその学年の担任団がゲストとして呼ばれるのだが、3年前に委員から手紙が届いたので私は出席し、花束などもらった。しかし「なんで担任じゃないのに来たのか?」とその学年の担任に言われた。

でも呼んでくれたのだからいいじゃないかなあ!と昨年も嫌味を気にしながら出席した。卒業後も付き合っている連中がいるので、彼らが「担任じゃないけど来てくださいよ!」と言ってくれたからだ。ついに今年は堂々と自分の学年なので担任団として花束を受け取った。150人もの同期生が来ていた。私のクラスの生徒は30人近く来ていた。これはすごいことだ。私のことを嫌がっていた生徒は、たぶんクラスの半分ぐらいはいたと思っていたので、少々驚いた。年月はいやな記憶は薄め、懐かしさは増幅させてくれるようだ。

私にとっては彼、彼女らはまだまだ高校生の延長のように思っていたが、卒業30年というのは当時の私の年齢をだいぶ上回っている。今の社会を動かす中枢にいる連中もかなりいた。もう彼らにとっては先生というのはもう敵対するものではないのだろう。みな妙にやさしくいたわりを持ってくれた。ありがたいのか、寂しいのか。高校生の時のように「そうじゃないだろう!」などと言い合ってみたいが、もう簡単にかわされてしまうだろうな。

大変うれしい一日であったが、反面もう世の中から「いい人だった!」と祭り上げられた存在になっているのだと感じた。「あの野郎め!」と言われるようなエネルギーはもうない。静かに余生を生きていこうか。それはそれでいいのだが、でもほんのちょっとだけ寂しさも感じた一日であった。