サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼

昨日記したTAGUCHIさんの報告を勝手に採録しておきます。ふだんは「なんてことないよ!」といつもクールな彼女にとっても、今回の巡礼は思い出深いものになったような感じでした。絶対に写真をとらせなかったのにゴールの聖堂の前で記念写真をとっていることでも、感動のゴールだったことが分かります。でもそのゴール写真を入れたら怒るでしょうから、その他の写真にしました。文章も報告書のまま採録。map-camino
 サンチャゴは、スペイン北部にある町。ここにある大聖堂にキリスト十二使徒聖ヤコブの墓があるキリスト教三大聖地。世界中の信者たちがお詣りに来る。カミーノといわれている巡礼道を歩いて着く。カミーノはイギリスからフランスから、ポルトガルからなどいくつかあり、今回歩いたのは「フランスの道」。ピレネー山脈を越えてサンチャゴまでは800K。5月、9月の2回に分けて歩いた。朝起きて、ただただ歩き、巡礼宿で寝て、次の日も朝起きて、ただただ歩く、宿で寝る。もちろん雨天も決行。カミーノは畑の中、草原の中、時々小さな村々を通り、霧の峠道もいくつかあった。一日の歩国距離は25k前後。寝袋、着替えなど旅に必要なものを背負っての旅。ぶどう、オリーブの畑、牛、馬、羊の牧場、ヒマワリ、カボチャの黄色、どこまでも続く麦畑、風に揺れるトウモロコシ、落ちたリンゴを拾い食い、栗もいっぱい落ちていた。生ハム、たこ、いか、ムール貝、赤ワインがうまかった。
 日本の熊野古道、四国遍路、西国巡礼など何度も歩いたが、カミーノ・デ・サンチャゴもたしかに巡礼者の道だった。年間20万人の人たちが歩いているという。歩きながら知り合いになり、友人になり、ゴールのサンチャゴでの感動を分かち合った。事故もなく元気に機嫌よく歩けたことに感謝。En Hora Buena!(おめでとう)
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忘年会1 コンポステーラ巡礼報告

御徒町のいつものお蕎麦屋さんで今年度第一回目の忘年会! (今年は何回あるかな??) 本日は今年2回に分けてスペインのサンチャゴデコンポステーラの巡礼を終えたTAGUCHIさんの報告会。通過した地点でのスタンプがぎっしりと押されたノートと巡礼証明書を見せてもらった。信者以外は壮大なスタンプラリーかもしれない。日本でも四国四十八か所札所巡礼があるが、信者でなくても多くの人が歩いている。TAGUCHIさんは四国八十八ヵ所も西国33ヵ所もすでに歩いているというつわものだ。

今回2回目はマラソンランナーの女性と2人だったので行程ははかどり、宿舎や食事も地元の人たちが泊る所を選んだので、大いに安上がりになったという。もちろんTAGUCHIさんは語学の達人で、英語、フランス語、スペイン語はぺらぺら。こんな人と行くと地元の人よりも詳しい穴場情報も手に入る。いい旅だったようだ。うらやましい。

安上がりにできたからということで、「お金が余っちゃたよ!」と気前よく、ご馳走してくれた。お酒は「だっさい」(漢字が難しくてでてくない)をいただいた。気持ちよく酔っぱらった。TAGUCHIさんとの会は、いつも5時開始。7時には終了なので、8時前には家に着く。年寄りには大変ありがたい。

 

 

みわ塾 代表交代

退職後すぐに、大人のための科学塾「みわ塾」と称して12年間やってきました。その間代表者は櫻井さん、番頭さんは関根さんにやってもらっていました。自分でやらなかった理由は、講座をやっている新宿区の榎町地域センターの登録団体になるには、新宿区民でなければいけないという規定があるからです。私は最初、榎町のすぐ脇の高校に勤務していたので、新宿区民扱いをしてもらっていたのですが、退職後には認めてもらえず、新宿在住の皆さんにやってもらっていました。

しかし12年もたつとみなさん高齢化してきたので、若い人に交代してもらおうと思っていました。丁度その時に、榎町センターのすぐそばに住む、卒業生に出あいました。みわ塾や地平線会議の状況もよく解っている人なので、お願いしたら・・・・もちろんタダではお願いできない!神楽坂のインド料理「想いの木」というレストランでランチをごちそうしました・・・・快く引き受けてくれました。ということで来年度から代表交代ということになりました。菊谷さんです。よろしく。

サッカー 韓国遠征

本日は巣鴨の人工芝のサッカー場で日立市の選抜軍を迎えての試合を我がシラク会グループとSOIの3チームともえ戦で行った。日立市選抜軍は平均68歳と言う。我が方は64歳のだが、全くスピードが違って前半は歯が立たなかった。結局たてつづけに2点入れられた。私はほんの数回しか球に触れることができなかった。

後半は年齢の差がでてきたのか、審判がかわいそうと判断してくれたのか、わからないが急激に我が方に風が吹いてきたようで、KOYASU君がハットトリック。最後は3:2で勝利してしまった。彼はいま話題の某研究所のお偉いさん。ストレスがたまるのをサッカーで発散させているようだ。

終了後の懇親会の席で、11月に韓国で行われる高齢者の国際サッカー試合のメンバーの募集があった。日本からは70歳以上のメンバーから選ぶそうだ。早速応募したところ、本日の動きなら大丈夫ということで、メンバー入りすることになった。権威はないが一応国際大会の日本代表だ!

ということで、11月末に行われる地平線会議の豊岡大集合をキャンセルすることになった。まあ国際サッカー試合のメンバーになることなど、昔だったら夢のまた夢。長生きしたおかげで参加できることになったのだから、ありがたいことだ。怪我しないように、頑張らないように、日韓親善に努めてきます。

 

 

悪夢のリニア新幹線

昨日の地平線会議の報告会は「悪夢の超特急:リニア中央新幹線」という本を書いたKASHI田秀樹さんのお話だった。最近地平線会議にはご無沙汰なのだが、この報告会は興味があった。

私はリニア新幹線は山梨の実験線でもう終わったものだとばかり思っていた。しかし先日10月17日、建設着工に国からの認可がおりた。JR東海は2027年に東京・名古屋間の開業を目指すそうだ。これまでとは全く違った方式で、磁気で車体を10センチ浮かし、時速500kmの速度で、名古屋まで40分で着くそうだ。工事費は9兆円を見込んでいるそうだ。

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全線ほぼトンネルになる。南アルプスの下を掘るが、これが難物。中央構造線と糸魚川静岡構造線(フォッサマグナ)という大断層を横切るのだから、相当の出水があって大変な難工事になることは技術者たちは覚悟の上だそうだ。「黒部の太陽」のような多くの犠牲者が出ないことを願う。

樫田さんはこのトンネル工事に伴う環境破壊、とくに水の問題について詳しく説明してくれた。さらにトンネルを掘った残土はどうなるのか?それらについては地元には全く知らされていない。もっと丁寧に説明してから着工してもよかったのではないか。これは私見だが、アベノミックス、東京オリンピックに便乗して、どさくさにまぎれて着工を急いだとしか思えない。

JR東海単独事業と言うが9兆円もかかる事業を1企業に任せてよいのか。事故が起きたら、とても一企業では対応できない被害がでる。責任がとれるのか。環境破壊や、強力な電磁波で乗客にも影響が出るかもしれない。夢のリニア新幹線と言うだけで、マイナスになることは全く説明がない。国はそのマイナスもクリアしたうえで認可が必要だろう。

しかしJR東海は、反対派としてKASHI田さんを危険人物とみなし取材お断り。本の出版は直前に取りやめになったという。(別の出版社から出た)。そんな妨害などせず、堂々と国民に説明すべきというのが、本日の内容だった。

私は1.構造線を横切るトンネルは数10年かかると思う。2.さらに磁気浮上のための電力は原発を3つぐらい専用に稼働させないといけないほどの電力消費になる。3.強力磁石から発せられる電磁波(波長が違うだけで放射線とおなじもの:原子力規制庁で規制基準を作っている)が人体にどう影響するかわからない。1.2.3のことから、このリニア新幹線計画はとん挫すると思っている。たとえできたとしてもそのころは人口も減り、そんなに需要があるとも思えない。景色も見えない「地下鉄」に観光客は乗るだろうか。

などなど、とんでもない問題が山積している。こんなものを認可したお国は、とん挫した時にどう責任をとるのか。税金が山ほど投入される。もう少し慎重にやるべきだった。いまの安倍自民党は、原発推進を始めた時と似ているという。早いうちに止めないと、とんでもないことになることは分っている。

樫田さんの話は遠い先のことではなく、いま工事が始まる前に何とかしなければならないという焦りを感じさせてくれた。みなで声を上げたいが、年寄りは大声が出せない。若者よ、自分たちの上に降りかかる火の粉をいまのうちに振り払っておかないと、(財政的にも)取り返しがつかないことになるぞ。

南高尾山稜 山岳部仲間と

今年の秋は高尾山にしばしば通っている。3週続けて京王線の多摩境駅の上の戦車道を通って高尾山に向かった。最初は途中で道を間違えて到達できなかったが、その後は介護人付きでなんとか到着した。10月に入ってからは日やマウントの閉まる直前を狙ってビール。いや古希祝いをしてもらった。

10月半ばにUSHI田さんから「INA村さんが帰国したから、歓迎会を高尾山でやります」との連絡を受けた。山岳部仲間なので、都会の飲み屋で騒ぐよりも、健康的に山の空気を吸おうよ!との企画だ。USHI田さんの人柄なのだろうが、彼が声をかけるとすぐに人が集まる。本日も10人参加。
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休日の高尾山はラッシュの駅みたいなので、それを避けて金曜日に設定されたのだが、本日は子どもたちの大軍で登りの細い道は占領されている。こりゃ無理だと、国道20号線をわたって南高尾山稜に向かうことを提案。MITOKU君は30年ぶりの高尾山だと張り切っているが、「この道で頂上へ行けるの?」と不安そうだった。大垂水峠経由で行けることは行けるが、まあ5時間くらいかかる。そんなことは知らせずに草戸山(365m)に向かう。

昔山岳部と言ってもいまは高齢者の10人組で、ふつう1時間のところを1時間半かかる。元気なのはシンガポール在住のINA村さんだけ。彼は毎日シンガポールの山々を走っているそうだ。(シンガポールに山なんてあるのかな?)

そこでコース変更。三沢峠から梅の木平をとおって、国道に出て高尾山口のお蕎麦屋さんでINA村くんの歓迎会と言うことになった。3時間ぐらいの歩行でちょうどいい感じだった。おいしいビール(自主規制で私はお茶)とお蕎麦でみな満足と思っていた。

しかしお店を出たところで「せっかく来たのに高尾山の頂上に行っていない!」との声。草戸山で勘弁してと思っていたが、こだわりの山岳部! 暗闇になりそうだが行くことになった。私はそのあと地平線会議に行くつもりだったのでケーブル駅の下でお別れ! しかしUSHI田くんはしかたなく付き合って頂上に向かった。やはり人間ができている。だから人に信頼されるのだろうな!

写真はUSHI田さん、MITOKUさん 提供

 

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ぶらリバークラブ 雨の桃園川

map-momosono1久しぶりの化石川探索で、神田川支流の桃園川を歩くことになった。すでに暗渠になった化石川であるが、その流路の後は浅い谷になっているのでたどることはできる。下流域は立派な「緑道」になっている。中野駅の南側のくぼみ、高円寺駅の南につながる凹地はこの川の急流路である。高円寺駅と阿佐ヶ谷駅との間で高架をくぐる。そのすぐわきに杉並学園の校舎がある。石川遼の母校。もとは女子高で浅丘ルリ子とか天海祐希らの出身校だったと書いてある。

天沼が水源と書いてあるし、流路はつながっているように見えるが、この辺りは網目状に灌漑用水路になっていたようで、杉並区役所の方にも旧流路がつながっている。今回は地元のHARAさんの案内で路地裏を歩く。雨の中、やっと杉並区役所にたどりついて、喫茶室でお茶と言うか遅い昼食。私はカラスミカレー、不気味な真っ黒なカレーだがなかなかおいしい。この喫茶店の店員は障害者の方々。和やかでいい雰囲気だった。

本日は雨だったので、より道もせずただひたすら桃園川を歩いただけだった。でも最後になかなか心地の良い喫茶室を見つけたことで、いいブラリバー体験になった。

 

 

 

日常に戻る 連載開始!

走ったわけでもないのに、伊南川100kmの後はちょっと疲れて、お散歩はちょっとお休み。月曜日はちょっと休養。火曜日はいつもの週のように、午前中は95歳のおばあさんを練馬の区民センターに連れて行く。昔練馬に住んでいた時に集まった教室仲間が今も集まっておしゃべりをしている。昨年までは1人でバスに乗って行っていたが、さすがに今年は1人で出すのは、心配になって、私が車で送り迎えすることにした。

教室が終わるまでは、私は近くのファミレスで原稿書き。1週間に一回だけどこのファミレスは静かでいい。2時間ほど集中すると結構すすむ。これを「三輪神社紀行」と題してホームページにアップし、皆さんに読んでもらうようにしようと思っている。とりあえず現在は第1章「三輪山はなにやらあやしい」をPDFでアップした。次をクリックすると出てきます。お暇な人は読んでみてください。

http://kazmiwa.sakura.ne.jp/himiko-rensai/miwatoise.pdf

午後から駒沢球技場でサッカーの試合があるはずだったが、雨のために中止。休養中なのでよかった。もし試合があったらきっと無理して走っただろうから、天の声だったかもしれない。

雨の後はかなり涼しくなった。ちょっと早いがストーブを出した。我が家はまだ石油ファンヒーター。私は発電所で作った電気で暖房するよりも、じかに石油を燃やして温める方が暖房効率がいいと思っている。電気を作るのに発電所で石油を燃やして電気を作るのだが、当然エネルギーの交換時にロスが出る。したがってじかに燃やすのが一番効率がいいはずなが、電力会社は電気の方が安いと言う。それは税金が安い燃料を使っている、発電所の建設費用など費用を入れていないからで、省エネルギーになっているわけではない。地球環境にやさしいわけではない。

暖房に一番いいのはマキストーブなのだが我が家付近では使えそうもないので残念。伊南川でお世話になったKAWA村さんのお宅のストーブはよかったなあ。あこがれだ!

 

 

 

 

伊南川100km遠足

当日の写真をアップしておきます。私は車で追っかけて、七入りまで。そこからは御池まで乗せてもらい、御池から沼山峠まではシャトルバスで登り、バス停からはふつうの格好で登山道を下りながら、皆さんの姿や紅葉の写真を撮ったりしながら、七入りまで下りました。多くの知り合いに会いました。その後は83キロの河村邸エイド、ゴールなどに出没。最後は午後八時、真っ暗な山の中で往生しているおじいさん(75歳最年長)を見つけて、車に乗せて送り届けました。

そのあと河村邸で宴会。今年も大勢で泊めてもらいました。ご迷惑をかけましたがありがとうございました。

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伊南川100kmウルトラ遠足

福島県の南会津町と桧枝岐村の伊南川流域で100kmのウルトラ遠足が毎年行われている。ウルトラマラソンではなく遠足となっているのは、「七入」(なないり)から尾瀬の沼山峠まで700mの高度差登る山道区間があり、走ることはできない。いや国立公園内なので「走ってはいけない」区間になっている。走ってはいけないのに「マラソン」とは言えないので「遠足」なのだ。高低差700mというのは登山ルートでは、速い人でも2時間はかかる。この区間の距離は7キロ。平地なら40分ぐらいだ。まあ大変過酷な遠足ということになるだろう。
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そんな過酷遠足でも今頃の「紅葉」で疲れはすっ飛んでしまう。歩かなけりゃわからないすばらしい紅葉を求めて大勢の物好きランナーが集まる。スタート地点はまだ緑葉でも徐々に赤や黄色の色が増してくる。昨年は沼山峠はみぞれで紅葉どころではんなかった。今年はどうかな?
企画者はウルトラランナーの神様、海宝道義さん、事務局は地元民宿田吾作の若女将のフミさん。コース作りは実は、何を隠そう私であります。という経緯で、もう走れない状態でも毎年応援に駆け付けるのです。
事務局長:ふみさん
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本日は東上線が事故でストップ。前日から泊っていた一家を車で其々の行先に送り届けてから出発したので、ちょっと遅くなったが、日光経由で南会津向かった。平日なのに日航は紅葉見物で渋滞のろのろ。
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台風一過! 

台風19号は寝ている間にすごい勢いで太平洋に抜けて行った。空は真っ青、まさに台風一過だ。朝方は蒸し暑い風が吹いていたが、昼過ぎからは北風で涼しいというか寒くなってきた。夕方やってきた孫は半そで半ズボン姿で、寒いと震えている。

落ち葉だらけの道を歩いて平和台まで行った。途中川越街道の上板橋付近で五本けやきを見る。いつもは車で通り過ぎるので五本あるかどうか確かめたことがない。一本枯れたから4本だようと言う人もいたが、どうなったのだろうと思っていた。いいチャンスなので横断歩道の真ん中で「五本」あることを確認し解説版を読んだ。なるほど確かに一本は細いので、4本のことがあったのかもしれない。

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本日の歩行数は28000歩、ちょっと歩きすぎたかもしれない。ちょっと体調不良。ビールを飲みたくない。私の体調はビールで測ることができる。現在サッカーブラジル戦。ネイマールに2点入れられた。まだ後半始まったばかりなのに。

台風19号縦断中

台風は中心よりもかなり前方で大雨が降る。今四国から大阪市に上陸したと報じているが大雨が降っているのは名古屋から東の方向で、伊豆あたりもかなりの雨が降っているようだ。下の天気図は8時ごろの雨の図だ。赤い矢印は我が家付近。これを見ると間もなく強い雨域が北上してくる。私の見るところ9時ごろには雨は激しくなるだろう。

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10時過ぎたら、我が家付近もかなりの雨になってきた。私の予想通り雨域は北上した。雨はひどいのだが風はほとんどない。まだ台風の中心は遠いのだろう。下の天気図は10時過ぎの雨天気図だ。風が強くなる前に、寝ちゃお!
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台風がまた来ている。世の中大変だ!

先週6日月曜日、台風18号で新幹線がストップした。私たちは京都にいたが、帰りは午後遅くになった。思い出すと1昨年も京都駅で台風の影響で新幹線が数時間遅れたのに遭遇したなあ。昔は9月の二百十日(にひゃくとうか)が台風シーズンだったが、最近は10月にずれた感じだ。まさに地球温暖化の影響だ。

下の図はアメリカ海軍の台風19号画像
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それから1週間もたたないうちに台風19号が追っかけてきて、あす月曜日(体育の日)にほぼ同じコースで日本列島を縦断しそうだという。前回江東区に住む弟の家の真上を台風の中心が通過したそうだ。今回の台風の方が大きいので、どうなることやら。

その影響で御嶽山の捜索も困難になりそうだ。火山灰や噴石に覆われてしまった人たちは雪崩に埋もれたのと同じで、探すのは難しそうだ。どこで打ち切るのか難しい判断になるだろうが、捜索の人たちの安全を考えなければならない。もうすぐ雪も積もるし。

午後1時、宮もと、川ぞえの両先輩と一緒に多摩センターに行った。山岳部でいっしょだった先輩の奥さんが亡くなったのでお焼香させてもらった。この先輩とは昨年8月北海道の幌尻岳に行った。その頃、奥さんには何の異常も見えなかったが、帰った翌日に病気が発見され、奥さんは1年足らずで亡くなった。「あっという間の1年だった」とのこと。憔悴のあまり10キロも痩せたそうだ。元気を出して欲しいと励ましたが、そう簡単に悲しみは癒えないだろう。でも早く元気になってほしい。

 

 

 

 

朋あり遠方より来る!

9日の夕方に北海道のくまさん(女性)がやってきた。2年ぶりかな、東京に来た時には必ず寄ってくれる。今回は娘が結婚するとの報告を持ってきてくれた。お母さんによく似た美人になっている。

そのあと彼女の仲間のTAKE田、ハリ替、田中てる君がやってきた。田中君は何年かぶり。みんなおっさんになって、私との年齢差が縮まった感じがする。考えたら私が退職した年齢だ。私はつい先日退職したと思っていたが、もう13年もたつのだ。その間、何をしていたのだろうか。退職したら、目いっぱい遊ぼうと思っていたが、そうもいかなかった。

我が奥さんは、「うちみたいに定年前に止めると、後後まで経済的にも困るから辞めてはダメだよ」と皆に念押しをしていた。そう言われたら、私は何も言えない。定年まで働いて退職した人と年金も貯金も違うもんなあ。先日会った中学の同級生からは、「どうやって生活しているの?」と同情された。「よけいなお世話だよ!」と言いたかったが、まあしょうがないか。

 

 

 

 

皆既月食だ!

本日皆既月食。インターネットではLIVE中継をやっている。岡山の美星天文台からだ。すばらしい。欠け始めは、ビルが邪魔して我が家の3階からは見えないので、LIVE中継をみた。6時50分ほどからは自分で写真をとった。デジカメ。

マニアルシャッターで1/10秒、 6時59分DSCN0142A

シャッタースピード4秒  7時11分DSCN0157S

シャッタースピード5秒  7時44分DSCN0186S