忖度、斟酌、

午前中からテレビを見ているが「もういいよ!」という感じ。この問題は9億円の国有地が安倍首相、稲田防衛大臣のお友達である森友学園「瑞穂の國小学校」に格安で払い下げられていたことが問題になっている。8億円値引きというから1億円で買ったのかと思ったら、さらに1億円近い補助金が出ているそうだ。ということはほとんどただで学校が建設されたことになる。

こんな優遇をなぜ受けることができたのか、ということが問題だ。理由は簡単で、官僚たちが忖度して斟酌したからだ。忖度したのは官僚で、安倍さんは「私は全く関知していない、していたら総理も議員もやめる」と言っている。そのとおりで悪いのは官僚で安倍さんはないもしていない。「忖度」(そんたく)というのは「他人の気持ちをおしはかること。推察すること」

今回の問題では「斟酌」(しんしゃく)という言葉。あまり使われていないが、こちらの方が適切な言葉ではないかと思う。すなわち「相手の事情や心情をくみとって手加減すること」、忖度しただけなら何の問題もないが、斟酌したら今回の事件は犯罪である。

今安倍さんの奥さんが森友の名誉校長を引き受けていたが、それを斟酌したことは誰でも推測できる。安倍首相のお友達なら、協力しなければいけないと考えて、値引きしてあげたのだ。こういうのを斟酌という。斟酌した方は罪になる。された方は法律的にはなんのおとがめはない。しかし道徳的には大いに問題だ。「李下に冠を正さず!」総理ならこれぐらいの注意が必要だ。

瑞穂の國小学校は儒教精神を徳目にした学校である。当然斟酌を厳しく戒める精神があったろうが、その学校がこの体たらく。安倍総理はそんな人を見抜けなかった責任がある。悪いと分かった後もメル友を続けている総理夫人はさらに悪い。かわいそうなのは「善意」で斟酌をして逮捕される官僚たち、そして「善意」で安倍さんを選んだ国民だ。

森友、安倍、稲田

毎日パソコンに向かっていたが、その間テレビもつけていた。北朝鮮の金正男がVXで殺害され、北朝鮮とマレーシアの外交関係が危うくなった。さらに北朝鮮はミサイルを4発同時に打ち上げて、日本の米軍基地を射程に入れたと言っているそうだ。

北朝鮮は必死になって世界情勢をかき乱そうとしているが、賢い日本のマスコミは、そんなことよりも森友小学校事件の方にシフトしている。北朝鮮のことなど知ったことかという感じ。それよりも森友!!

こんなでたらめな学校ができる直前まで行ったことは例がないそうだ。厳格な財務省や文部省がこんなでたらめ許すはずはない。その点日本の官僚は世界のほかの国にくらべて大変清潔である。汚泥に見回れてはいない。だからこういう危うい案件は必ず政治案件となっている。政治家はみな口をつぐんでいる。まったく政治的圧力がなくてこんなになることはあり得ない。

単純に言えば安倍総理の奥さんが校長をしている学校を不認可にはできない。安倍首相も稲田防衛大臣もいい学校だといい、防衛大臣表彰もしているぐらいだから、手伝ってあげるのは当然だ。理事長も奥さんも首相、大臣と懇意だそうだから。

李下に冠をたださず、という詩を素読した方がいいんじゃないかな??

四国遍路の報告書を作りました。

 帰ってから数日かけて「四国遍路第6弾」の報告書を作りました。上の断面図は遍路地図に出ているものです。地図中の23日24日とかあるのは1番から通して歩くときの標準日数です。私たちはもう30日ほどかかっていると思いますが・・・ちゃんと数えていないけど。

四国遍路第6弾 ← をクリックしてください。あるいはこのブログの「四国遍路」からも到達できます。私の半ボケ頭では、どこにどうリンクしているのか確認することが大変難しいのです。いろんなところから到達できるようにはなっているので確かめてみてください。

日本橋は桜満開

日本橋に住む昔の友人を訪ねた。30数年ぶりだった。大いに変わっていたが30数年の年月は飛んでいった。お互い感慨深い日だった。

日本橋の街には桜が街路樹になっていた。満開だが、どうも河津桜ではないようだ。タグをみると「オカメザクラ」となっていた。まあ綺麗だからいいか。

お遍路から戻りました。

四国遍路1週間の歩き旅でした。伊予の国に入ってからは峠越えが多く、距離は、はかどりませんでした。1週間で100キロちょっとです。これでやっと全行程の半分ぐらいかなという感じです。札所の数も43番まで、88番のうちほぼ半分。でもこれからは四国山脈を越えるのでますます高度は高くなります。我が高齢者にはなかなか難しいコースです。幸いなことに友人が松山にいて、応援してくれるとのことなので心強く思っています。

春にもう一回行って、あとは涼しくなる秋ということにします。まだあと7回ぐらい。40日はかかるでしょうね。それまで体がもつかどうか、われえながらちょっと心配です。まあ先のことを心配しても仕方がない。松尾芭蕉先生の「夢は枯野を駆け巡る!」ですなあ。

第6日目 卯之町から内子へ

途中、少しバスと列車を使いましたが、峠を2つ超えて、内子の街へ降りてきました。この街にはすばらしい芝居小屋がありました。多くの歌舞伎や狂言が演じられました。我が奥さんは大喜びで、今回の遍路旅の一番の見どころだと喜んでいます。
内子で今回の遍路旅は終了。列車で松山に来ました。古い友人のOさんと食事をしました。明日の午前中の便で羽田に戻ります。
写真は後程。とりあえず表紙を作りました。

第5日目 43番にお参り

昨日は宇和島のホテルに泊まりました。本日の天気予報は大荒れとのこと。しかし朝起きたら青空が出ている。急いで計画変更して、昨日お参りした42番の仏木寺にバスで行く。その先に歯長峠という難所があるが、雨では無理と思っていたので、列車で行くことにしていた。しかしこの天気、午前中は持ちそうなので頑張って超えることにした。予想通り11時ごろまでは晴れてた。何とか峠を越えて、卯之町の誓うまで来たら、雨が降り出した。それでも頑張って4番札所まで急坂を上った。無事お参り。とちゅに愛媛県の歴史文化博物館があった。そこへの上りは43番よりもきつかった。しかしすばらしい博物館。建物は国立歴史博物館よりもいいかも。富士廻屋という古い旅館に泊まっています。寒い寒い!

第4日目、宇和島につきました

本日は松尾峠という大きな峠を越えて宇和島につきました。この峠にはトンネルがありますが1770mもあり、国道56号線には大型トラックが行き来しているので、とても歩けません。そばに昔の峠越えのお遍路道があるので、そちらに入りました。
ところがそこはあまり整備がしてないので、道は崩れ、倒木にもおおわれていました。しかしここは遍路道でお休みどころもあります。昨日泊まった「大畑旅館」は獅子文六という作家が2年間も逗留していた宿。代表作が「てんやわんや」だそうで、それにあやかった「わんや」という命名らしい。「わんや」を過ぎて下ると巨大な採石場、ごみ焼却場が建設中で、ダンプやローリーが入って来る。そんな道は少しだったが、山道もあまり整備がしていない。国土省の人が、「整備していないでしょう。四国の道はトンネルを通る道ですよ」とのこと。遍路道と、四国の道とは管轄が違うので整備状況は違う。国土省は「四国の道」を通したいのだろう。私としては遍路道のほうを整備してほしいのだが、力がなくてなかなか整備できないようだ。
国道56号線を歩ているとここ三日間毎日会うオーストラリア人にあった。替えの方が早いので先に行ってもらう。宇和島警察あたりでバスに乗る。