敦賀でお花見!

昨年から敦賀に何回も来ている。日本地図をひっくり返して日本海の反対側から見ると、弓なりになった日本列島の弧の底は敦賀ではないかと思う。その上方に能登半島が突き出している姿は、このあたりがアジア大陸から見ると中心のような感じがする。さらに第26代の継体天皇はこの辺りから出現する。ということは大陸の方からやってきたということが想像される。そんな雰囲気を体験したくて何回か角賀(つぬが)=敦賀へやってきているが、まだよくわからない。今回も金崎宮に上って海のかなたを見てが、石炭火力発電所が見えるだけだった。結局は気比の松原、金崎宮で花見!満開からちょっと過ぎていたが、うば桜もなかなかいい。

琵琶湖のほとり、海津大崎さくら

琵琶湖の北岸に突き出た海津大崎の周りには桜の並木があると聞いていた。インターネットで15日16日が満開で桜まつりとわかったので朝の新幹線で飛び出した。なにせ高齢者パスがあるのでJR線は3割引き。もうあと何回も見られるわけではないので、思ったときに出かけることにしている。米原から北陸線で近江塩津で乗り換えマキノ駅で降りる。駅前にはシャトルバスが待っていて、どんどん観光客が海津大崎に向かう。湖と桜の取り合わせは、今年初めて。カヌーや海のバイクでやってきている。湖の上から見る桜もいいだろうな。カヌー犬が救命具をつけて泳いでいる。犬は水を怖がらないのかな?

今日もお花見!南蔵院

 我が家の近くにも桜の名所がある。南蔵院のしだれ桜はライトアップもされて大勢の人が押しかける。ソメイヨシノが終わったことが見ごろで、今日は最高。そこからオリンピックセンターをへて赤羽の自然観察園にも行った。赤羽の角上魚店でお魚や貝などを買って、バスで家に帰りお昼。アサリ酒蒸し!


東京港クルーズ?視察!

東京都が運営している東京港の視察船「新東京丸」で東京港見物をしてきた。いや見物ではなく、視察。東京都が都民に東京港の役割を知ってもらうために無料で運行している船だ。大きさはほぼ200トン、乗船定員は60名。2階建てだが一回部分だけが使われている。座席は巨大なテーブルを囲んで60席ある。外に出ることはできないが、展望はよく、案内の方の話もすばらしい。乗船希望者は多いようだが、我が仲間の尾方さんがいろいろ手配してくれ、ぶらりバークラブの仲間20人と乗船することができた。以下に写真でコース紹介をしておきます。下船後は汐留にでて後輩にご馳走になった。ありがとうございました。

 

 

野川の桜など

雨が止んで青空が出た。それお花見。本日は小金井市の友人の家に行く。彼の家は野川のほとり。お花見がてらごきげん伺い。彼は数年前に大病をして会社もたたんで治療に専念。大変な時期もあったようだが、5年生存をへてテニスもできるようになったとか。我が家も大病なら負けない。お互いに同じ戦場で戦った仲間みたいな感じ。我らの年代は多かれ少なかれ、半病人。戦友のような感じ。

お昼は野川のはけの美術館のレストランで食べようと思ったら月曜日は休館。そのまま野川沿いに花見をしながら下っていった。ICUの近くの一ノ橋でバスに乗って三鷹に戻る。駅ナカで遅いランチを食べて帰途についた。今日も桜を堪能。

森林軌道の記憶

午前中は雨模様。お花見も一時停止。午後から高輪の都ホテルで行われた旅文研のシンポジウム「森林軌道の記憶」を聞きに行った。久しぶりにアカデミックな雰囲気の中での話だった。内容は豊富だったが、私の一番の感心は以下の写真。四国の森林鉄道では土佐犬が森林軌道の台車を引っ張っていたという証拠の写真としてよく見る。ところがこの写真、犬は下流に向かって台車を二匹で引っ張っている。森林軌道は材木を積んだ台車が下り勾配をゆっくり下る。その時には動力は必要ない。河口で材木を下ろした台車を犬が引っ張って上流に運ぶのである。犬は下る台車の材木の上に乗っていることが多い。この写真を改めて見ると下り道で犬が台車を引いている。地元の人から「おかしい」という指摘があったそうだ。実はこの写真はヤラセの写真だということがわかった。お役所ではまだこの写真を使っているそうだ。地元の人に聞かなければわからないな! といういい例だ。

日八会さくら祭り 無段差社会

日本橋八重洲さくら通りで、「日八会」さくら祭りが開催されている。まさに東京駅の真ん前という場所だ。両側の桜並木の下、生ビールやワイン、お酒などの飲み物や焼き鳥などの軽食やおつまみの模擬店が出ている。通りを閉鎖してラグビーの世界選手権を盛り上げるイベントも開かれ、実業団のラグビー選手が大勢壇上に上がっている。

 このイベントに古い友人のAIDAくんが「無段差社会」のブースを出しているので見に行った。彼は現在は電動車いす生活である。その生活から街にはいかにたくさんの段差があるかを知った。車いす生活者が外で生活するために、段差がどこにあるかを示す地図アプリを作るNPOを立ち上げたとのこと。まだ第一歩だがいい企画だと思う。

 彼はさらに段差は地面だけではなく、人間の心の中にもたくさんあることも知り、心の段差も考えなければいけないと言っている。この指摘も重要だが、いかにして段差を取り払えるか我々も考えなければならないなあ。最近私も高齢者と社会の段差を感じている。どう考えればいいのかヒントが欲しい。ともかくAIDAさん、頑張ってほしい!

桜の下で入学式

我が家の近くの中学校では今日が入学式。まさに満開の桜の下を新入生が入って来る。やはり入学式のときに満開なのはいい。あちこちの桜の名所もいいが、学校の桜ってのもいいものだ。

播磨坂 お花見

文京区の茗荷谷、そこから小石川植物園に下る坂が播磨坂である。むかし何とか播磨の守の屋敷があったのでその名になった。この坂は東京の環状三号線の予定地だが、何年たってもこの部分しか開通していない。道路の真ん中が広い分離帯になっているがそこに桜が植えられている。こんな道路が東京を取り巻いたらさぞや壮観だったろうが、ほんの500mほどで途切れている。
私はこのすぐ近くに勤めていたので、花見時はいつもここに来ていた。退職したのちにも毎年仲間で集まっている。しかしここのところじり貧になり、昨年はとうとう3人しか集まらなかった。それも病人ばかり。ところが今時のじいさんばあさんはけっこうしぶとい。ことしは四国からの仲間も集まり、7人にもなった。みな病人みたいな人ばかりだが、元気は回復している。桜の花はそっちのけで、昔行きつけのお店に行って大いに盛り上がる。来年もこの調子で集まれればいいな!ということで別れた。

長倉洋海写真展 目黒川お花見

恵比寿の写真美術館に長倉洋海さんの写真展を見に行った。これはすばらしい。長い間世界の紛争地に繰り返し入って人を撮ってきた。アフガンでのマスード司令官とは何年も共に過ごしてきた。長倉さんでなければ撮れない数々の写真があった。これまで見た写真展の中でももっとも感動させられたものだった。写真展の写真を撮ることはできないので言葉で伝えたいが、我が言語能力が乏しいのが悔しい。

写真展をでて目黒川へ花見に行ってみる。長倉さんとは比べるべくもないが、まじめに写真を撮ってみた。でも我が写真からは何も伝わらないなあ。ちょっと寂しいが、2017年の記録として並べておきます。

アンモナイト発見!

目黒駅近くにAmazon の本社がある。玄関に行くにはドレメ通りから入るが、その壁が自然石になっている。よくみると丸い模様がついている。エスカレーターを下りながら見るとアンモナイトらしい。急いでカメラを取り出して写真を写していると、警備員が「ここは写真禁止です」とのこと。テロを警戒しているらしいが、「これはずばらしい化石ですよ」というと「接写ならいいです」とのこと。警備員に「社長にすばらしいアンモナイトがあると伝えておいて!」と言っておいた。

隠岐の島 人口は増えているそうだ!

島後の西郷港の前のホテルに泊まっている。食事は付いていないので外に食べに行かなければならないが、なんと6時にはほどんどの店が閉まっている。一軒だけ7時半までやっている店を見つけたので、空腹で寝ることは免れた。昨日は野菜の物産店でお弁当を買っておいたので夕飯、朝飯をたべた。この島では昼間に外食はするが朝晩は自宅で食べることが原則のようだ。飲み屋もほとんどない。

人がいないのかと思っていたら昨日の朝フェリーターミナルはすごい人だった。地元高校のブラスバンドもでて、転勤で本土に帰る先生や進学、就職の生徒たちとの送別だった。テレビでもその様子を放映していたが、私たちも感動しながら眺めていた。東京ではこんな別れはあまりないだろう。ここでは、出て行ったらもう戻らない子たちも多い。今生の別れ、そんな涙をたくさん見た。

隠岐の島はまだ寒かった。桜はまだまだ。銘木「世間桜」の看板があった。「よのなかさくら」だそうだ。咲いていたのは河津桜、梅、サンシュウ、ヤマザクラ。

ところで隠岐の島、最近人口が少し増えているという。海士町(中ノ島)の民宿のお兄さんが、高校の留学生を受け入れていると聞いた。日本国内だけではなくオーストラリア、ニュージーランド、グリーンランド(?)と言っていた。海士町の人口は2339人だが360人が島の外から来た人。高校は2008年に30人を切って廃校寸前だったが「島前高校魅力プロジェクト」が成功して2013年度には45人が入学した。寄宿舎の関係で島外からは24人くらいだからけっこう狭き門になっている。

隠岐についた日に英国人に出会ってお宅にお邪魔した。まさか最初に話す人が外国人とは予想もしていなかったが、隠岐の島は島外の人、外国の人の活躍で活性化している。「ないものはない!」というのは海士町の町長の言葉だが、まさに何でもある町なのだ。やりようによっては、こんな辺鄙なところでも人口増加は見込めるという実情を見た思いだった。なかなかすばらしい。皆さん来てください。

玉若酢命神社(たまわかすのみこと)

 西郷の街の近くに玉若酢命神社がある。北にある水若酢神社が隠岐の一宮であるが、玉若酢命神社の方が格式は高いという。それぞれ水若酢命と玉若酢命を祀るが、その二柱は隠岐の国を作った神さまと言うだけで、中央ではまったく知られていない。玉若酢命神社の宮司は「億岐」(おき)家が受け継いできた。億岐家は隠岐の国の国造を務めていた。ということはもしかするとこちらが隠岐一宮だった可能性も高い。しかし今は隠岐の総社ということになっている。

玉若酢命神社の宮司家は重要文化財、見学もできる。と言いながら時間がなくて素通りしてしまった。
神社の裏山には前方後円墳をふくむ古墳がたくさんあるが、整備はされていないので、どこが古墳高まったくわからない。蜘蛛の巣だらけになった。

隠岐一宮:水若酢神社

 隠岐一宮は「島前」の西の島の由良比女神社、島後の五箇に水若酢神社とされているが、島前の知夫里島にはさらに一宮神社がある。島後には水若酢神社によく似た名前の玉若酢命神社があり、水若酢神社よりも格式が高いと言われている。そこで玉若酢命神社は隠岐の総社とされている。
水若酢命と玉若酢命は隠岐を作った神さまと言われるが、本土のどの系統かよくわからない。神社の建物はいずれも隠岐造りと呼ばれる豪壮華麗な屋根を持つ。私が見るところでは出雲大社の社殿に似ている。昔は大社造りと言われたそうだが、いまは春日造りの変態とされている。というが昔の人はきっとすぐ近くの出雲大社を模したろう。遠い奈良の春日大社をまねるはずはない。

隠岐の神社には必ず土俵がある。現在隠岐の海をはじめとして6人の力士がいる。こんなに相撲取りがいる島はないだろう。


神社の裏に五箇創生館や郷土博物館がある。地元の先生が作った丸木舟があり、これで本土まで漕いだそうだ。