今日も大量のネギ消費のためにネギラーメン。昨日はネギお好み焼きだったが、かなりおいしかった。本日もネギの白い処は柔らかく大変おいしい。でもとても全部は消費できないので、あちこちへ配って歩こう
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本日はネギ料理
靖国神社でお茶会
原発再稼働 伊方原発
あと二カ月で今年も終わりか!
10月も終わり 戸山高校OB会
10月は30日で終わりのような気がしていたが、31日まである。なにか得したような感じだが、実際にもすばらしく得した。卒業生の集まるHCDというのにおまけで呼ばれたのだ。HCDというのはホームカミングデーだそうで、母校に集まる同期会かな?? その学年の担任以外で参加したのは私だけ。担任の方から「なんで今日来たの??」と不審がられたくらいだから。要は担任は年寄りばかりだから「若手」を1人ぐらいと、おまけに入れてくれたようだ。
今年のHCDは30年前の卒業生が中心となって主催した。HCDといっても他の期の人はいないので、まさにこの学年の同期会。それでも二百数十人が集まった。これはすごい人数だ。当時のクラスの60%もの人が集まったんだから。二次会は早稲田のリーガロイヤルホテルの一番大きなホール。懐かしい顔が大勢。ほとんどが30年ぶりだ。
この日午前中に20日に白内障の手術をするための事前準備があり、目に麻酔薬を使ったので、一次会の時にはぼんやりとしか見えなかったが、夕方からはだんだんと目の見えと記憶が戻ってきて、顔を思い出すことができるようになってきた。最近のことはすぐ忘れるが、昔の記憶はけっこう残っているものだ。自分では毎日走ってばかりいたイメージだが、恐竜の名前は覚えているとか「ハンセンカリアゲ」(火成岩の名前の覚え方)、三浦半島城ケ島へ地層を見に行ったことなど覚えている人も多かった。私も少しは授業もしていたようだ。
そんなことでいい気分になっていたら、明日行く房総の山の集合時間を連絡するのを忘れてしまった。房総のみなさんは「何時に集まるんだよ!」と怒っていることだろう。明日朝一番に連絡しなけりゃ!
十三夜(栗名月)
紅葉 紅葉
南会津 紅葉見物
やっぱり新内閣は傷だらけ
先日新内閣は何か傷があるのではと書いたが、その通りだった。週刊誌によると復興大臣は昔下着ドロボーという破廉恥罪で警察に捕まったのだそうだ。でも父親が市長さんだったので有罪にはならず釈放されたそうだが、地元ではみんな知っているそうだ。そんな人がよく国会議員になり、さらに大臣になるとは。罪を償ったんだから、もういいだろう。それは一般人だったがまあ納得するが(・・・実際は破廉恥罪は一般人でも難しいが)、大臣にするとは。安倍さんもちょっと陰りが見えたな。
さらに週刊誌情報では農水大臣も暴力団に親しい付き合いをし、傷害事件が起きた時も現場にいて仲裁をしたとか。暴力団となれ合っていたとしか思えないが、これも市議会議長を辞めただけで決着したそうだ。いま社会では暴力団追放が大きな流れになっているのに、それに逆行する。なんでこんなに問題のある人ばかりを選ぶのだろう。よほど人材不足、あるいは安倍さんにおごりがあるのか。
さらに小渕優子元経産大臣(わずか1ヶ月だが大臣は大臣)は自分で選んだ第三者委員の報告書を提出した。当然身内びいきをするに決まっている。そんな委員の報告でだれが信じるだろうか。でも地元では出陣式のように、頑張れ!一色だ。小渕さんはなかなかの人だと思っていたが、これじゃ天下をとるような仕事はできない。秘書が有罪になっているのだから、一旦は議員を辞めて再起を期すべきだろう。有能な人材だろうにもったいない。
と知ったかぶりをする。全部テレビ、週刊誌の知識だが、これも何か操作をされた情報だろうから軽々しく知ったかぶりはできないことは承知である。ちゃんと国会を開いて所信表明をしてから、仕事にかかってくれ!
新内閣 一億総活躍内閣
新しい内閣が発足した。昨日のテレビではもう新国土大臣が9月の豪雨の被災地を訪れていた。それはけっこうなことだが、でも新大臣はまだ国会で挨拶もしていない。天皇さんに認証されたのだからそれでいいと言うのはちょっとおかしいのではないかな。いずれ国会で挨拶をするのだから、順序は問題ではないという感じだ。 たぶん国会を開いて挨拶をしたら、何か傷が出てきてもめるだろうから、しばらくは表に出ないようにしようと言う配慮だろう。
河野太郎という新大臣は原発再稼働大反対というブログを閉じてしまった。国会が開かれていたらその点を着かれるだろう。大臣になりたくて自説を引っ込めてしまったと言うのはちょっと恥ずかしいではないか。安倍さんという人は反対派を餌で釣って取り込むと言うのはうまいなあ。石破さんだって、派閥を立ち上げたばかり。なのにのこのこと内閣に閉じ込められた。石破さんを担いだ人たちは二階に上がってはしごを外された思いだろう。
目玉は一億総活躍大臣というのができたことだが、いったい何をする大臣なのだろうか。大臣というのはナントカ省を統括する親分だが、省もないということは事務局がない大臣なのだろうか?? まあ好きにやってくれという感じだが、安倍さんほんとうは何をしたいのだろうか。やっぱり国会で何をやるか「ていねいに」国民に説明してよ!
四国遍路4-2日目 高知市内
昨日は安芸から20キロを歩いたが、その間一つも札所はなかった。野市の黒潮温泉ホテルに泊まったが、なんか物足りなかったが、本日は一気に3札所と土佐の一宮をめぐることができた。奥さんはかなりのお疲れだが、私は満足。「のいち」駅から28番大日寺までは35分と書いてあったが、我らは一時間でやっと参道の下まで。さらに急な石段が続いている。この寺にはお大師様が爪で掘ったという爪堀薬師さんがあるというが、奥の院まで行くのはやめた。私たちは上のような姿でお参りをしてるが、ホームレスと間違われることが多いので、白い法衣を買うことにした。
石段の上に、さらに石段がある。なかなかいい感じの本堂があった。下の写真は本堂から納経所への道。
赤いTシャツの上に法衣を羽織る。これでお遍路さんに見えるだろう。物部川を渡ったところ。
29番の国分寺へは途中物部川を渡る。「もののべ」だと思っていたら「ものべ」川だそうだ。古代日本の豪族の物部氏と関係があると思っていたが、ちょっと残念。国分寺も聖武天皇が各地に立てた国分寺はすでになく、その跡地に作られたものだ。
達筆すぎて何と書いてあるか読めないが十が二つなので二十なのだろう。28番から8キロと書いてあったが、ひろい田園地帯、暑くてかなり苦戦した。お昼にやっと到着。
本堂がいい感じだ。萩の季節。白いのはなかなかない。ところでここで大事件。今はやりの自撮り棒をつかって奥さまと二人の写真を撮ろうとしたら、棒の先からデジカメがころっと落ちて石畳の上に。レンズが飛び出した。ムリヤリ治めたが、残念ながらもう機能はしない。周りは田んぼで、お店はない。しばらくの間、写真がない。
しかし30番善楽寺について気がついた。パソコンをもっているので、そのカメラで撮ればいい。使ったことがなかったが、以下のような写真が撮れた。とりあえず良かった。
29番から30番までは7キロとあったが、途中に逢坂峠という難所がある。奥さまは爺さん遍路に負けてなるかと自転車を押して登ったので、すっかり消耗して30番ではお参りする気力もなくなった。長丁場ではムリすることは厳禁。それを忘れていた。善楽寺の隣には土佐一宮がある。立派な神社だ。
神社前の長い参道を抜け土佐一宮駅へ。一宮は「いっく」とよむ。奥さまは本日の宿がある高知駅へ2駅電車にのる。私は自転車で高知駅へ、駅前のケーズデンキでデジカメを買う。9600円也。落としたデジカメを修理するより安い。
明日からお遍路へ
明日から四国遍路第4弾です。1週間で、安芸から須崎まで行こうと思っています。第28番大日寺、29番国分寺、30番善楽寺、31番竹林寺、32番禅師峰寺、33番雪渓寺、34番種間寺、35番青龍寺(朝青龍の母校がある)を巡る予定。今回は高知の街中を歩くので、今までよりもたくさんの寺を行くことができそうです。
しばらくの間、パソコンもできません。ブログが更新されなくても心配しないでください。
9月3日 ラダックの首都のレー
ニューデリーで一泊して早朝の便でラダックのレーにむかう。ヒコーキで1時間ほど。ヒマラヤの山々を見ながら3200mのレー空港に到着。ここで2泊して高度に慣れ、チベット仏教の霊地の一つであるゴンパランジョンの巡礼地のむかうことになっている。まあまあ埃っぽい町だ。やたらと咳が出る。埃アレルギーになったかも!これはレーの街を見下ろす高台にあるゴンパ(お寺)である。下から見上げるとチベットのポタラ宮殿に似ている。昔は王宮はお寺だったのかも。ここに歩いて登ると1時間はかかる。まだ高度順化していないので車で上がった。それでも九層の建物なので階段を上がるのは大変だった。紫外線が強く、サングラスは欠かせない。
町の入り口には立派な門がある。さらに入るとマーケットがある。ここは昔からの王宮前の大通りだが、現在は通りの正面にモスクがある。チベット仏教の聖地にもイスラム教が浸透してきている。チベットのラサとは違う感じだ。
ゆっくり高度順化をするするとのことだったが、小林さんの意見では少し動いた方が早く慣れるとのこと。少し、ではなくかなり歩いたので早く慣れたかな。高山病は感じられないが、ダイヤモックスのせいで夜中に5回もトイレに起きた。この薬は強力な利尿作用がある。たくさん水を飲んで、トイレに行ってを繰り返す。
9月6日 ドムカル村に向かう。
途中りケールゴンパや洞窟壁画、アルチゴンパを見て、今回の目的地であるドムカル村に向かう。この村は上、中、下の3つの村に分かれている。下村はインダス川沿いにあるが上の村は支流の上の方にある。インダス川から支流にないるとV字形の狭い谷になる。いったいどこに村があるのかと思っていると、氷河が侵食したあとの広い谷に集落が出てくる。狭い谷の奥にこんなに広い草原があるのは驚きだ。こんな別天地をどうやって発見したのだろう。下村は300人ぐらい、後は150人ぐらいの集落が上に続いている。ドムカル上村のさらに上の4100mのところにはクラムリックという小さな村がある。広くていい場所だが、寒そうだし畑もできそうにもない。今回はそこまで上がってテントを張ることになっている。テント生活は2,3日ならいいけど5泊にもなるとけっこうきつい。
ドムカル下村の遺跡を見る。目の下はインダス川の深い谷だ。
ドムカル村のちょっと下流に石に書かれた古代の絵が出てきた。仏教伝来以前のものようだ。
私の好きな地層が見える。大ヒマラヤの創造の時期のしゅう曲構造が見える