みわ塾 代表交代

退職後すぐに、大人のための科学塾「みわ塾」と称して12年間やってきました。その間代表者は櫻井さん、番頭さんは関根さんにやってもらっていました。自分でやらなかった理由は、講座をやっている新宿区の榎町地域センターの登録団体になるには、新宿区民でなければいけないという規定があるからです。私は最初、榎町のすぐ脇の高校に勤務していたので、新宿区民扱いをしてもらっていたのですが、退職後には認めてもらえず、新宿在住の皆さんにやってもらっていました。

しかし12年もたつとみなさん高齢化してきたので、若い人に交代してもらおうと思っていました。丁度その時に、榎町センターのすぐそばに住む、卒業生に出あいました。みわ塾や地平線会議の状況もよく解っている人なので、お願いしたら・・・・もちろんタダではお願いできない!神楽坂のインド料理「想いの木」というレストランでランチをごちそうしました・・・・快く引き受けてくれました。ということで来年度から代表交代ということになりました。菊谷さんです。よろしく。

サッカー 韓国遠征

本日は巣鴨の人工芝のサッカー場で日立市の選抜軍を迎えての試合を我がシラク会グループとSOIの3チームともえ戦で行った。日立市選抜軍は平均68歳と言う。我が方は64歳のだが、全くスピードが違って前半は歯が立たなかった。結局たてつづけに2点入れられた。私はほんの数回しか球に触れることができなかった。

後半は年齢の差がでてきたのか、審判がかわいそうと判断してくれたのか、わからないが急激に我が方に風が吹いてきたようで、KOYASU君がハットトリック。最後は3:2で勝利してしまった。彼はいま話題の某研究所のお偉いさん。ストレスがたまるのをサッカーで発散させているようだ。

終了後の懇親会の席で、11月に韓国で行われる高齢者の国際サッカー試合のメンバーの募集があった。日本からは70歳以上のメンバーから選ぶそうだ。早速応募したところ、本日の動きなら大丈夫ということで、メンバー入りすることになった。権威はないが一応国際大会の日本代表だ!

ということで、11月末に行われる地平線会議の豊岡大集合をキャンセルすることになった。まあ国際サッカー試合のメンバーになることなど、昔だったら夢のまた夢。長生きしたおかげで参加できることになったのだから、ありがたいことだ。怪我しないように、頑張らないように、日韓親善に努めてきます。

 

 

悪夢のリニア新幹線

昨日の地平線会議の報告会は「悪夢の超特急:リニア中央新幹線」という本を書いたKASHI田秀樹さんのお話だった。最近地平線会議にはご無沙汰なのだが、この報告会は興味があった。

私はリニア新幹線は山梨の実験線でもう終わったものだとばかり思っていた。しかし先日10月17日、建設着工に国からの認可がおりた。JR東海は2027年に東京・名古屋間の開業を目指すそうだ。これまでとは全く違った方式で、磁気で車体を10センチ浮かし、時速500kmの速度で、名古屋まで40分で着くそうだ。工事費は9兆円を見込んでいるそうだ。

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全線ほぼトンネルになる。南アルプスの下を掘るが、これが難物。中央構造線と糸魚川静岡構造線(フォッサマグナ)という大断層を横切るのだから、相当の出水があって大変な難工事になることは技術者たちは覚悟の上だそうだ。「黒部の太陽」のような多くの犠牲者が出ないことを願う。

樫田さんはこのトンネル工事に伴う環境破壊、とくに水の問題について詳しく説明してくれた。さらにトンネルを掘った残土はどうなるのか?それらについては地元には全く知らされていない。もっと丁寧に説明してから着工してもよかったのではないか。これは私見だが、アベノミックス、東京オリンピックに便乗して、どさくさにまぎれて着工を急いだとしか思えない。

JR東海単独事業と言うが9兆円もかかる事業を1企業に任せてよいのか。事故が起きたら、とても一企業では対応できない被害がでる。責任がとれるのか。環境破壊や、強力な電磁波で乗客にも影響が出るかもしれない。夢のリニア新幹線と言うだけで、マイナスになることは全く説明がない。国はそのマイナスもクリアしたうえで認可が必要だろう。

しかしJR東海は、反対派としてKASHI田さんを危険人物とみなし取材お断り。本の出版は直前に取りやめになったという。(別の出版社から出た)。そんな妨害などせず、堂々と国民に説明すべきというのが、本日の内容だった。

私は1.構造線を横切るトンネルは数10年かかると思う。2.さらに磁気浮上のための電力は原発を3つぐらい専用に稼働させないといけないほどの電力消費になる。3.強力磁石から発せられる電磁波(波長が違うだけで放射線とおなじもの:原子力規制庁で規制基準を作っている)が人体にどう影響するかわからない。1.2.3のことから、このリニア新幹線計画はとん挫すると思っている。たとえできたとしてもそのころは人口も減り、そんなに需要があるとも思えない。景色も見えない「地下鉄」に観光客は乗るだろうか。

などなど、とんでもない問題が山積している。こんなものを認可したお国は、とん挫した時にどう責任をとるのか。税金が山ほど投入される。もう少し慎重にやるべきだった。いまの安倍自民党は、原発推進を始めた時と似ているという。早いうちに止めないと、とんでもないことになることは分っている。

樫田さんの話は遠い先のことではなく、いま工事が始まる前に何とかしなければならないという焦りを感じさせてくれた。みなで声を上げたいが、年寄りは大声が出せない。若者よ、自分たちの上に降りかかる火の粉をいまのうちに振り払っておかないと、(財政的にも)取り返しがつかないことになるぞ。

南高尾山稜 山岳部仲間と

今年の秋は高尾山にしばしば通っている。3週続けて京王線の多摩境駅の上の戦車道を通って高尾山に向かった。最初は途中で道を間違えて到達できなかったが、その後は介護人付きでなんとか到着した。10月に入ってからは日やマウントの閉まる直前を狙ってビール。いや古希祝いをしてもらった。

10月半ばにUSHI田さんから「INA村さんが帰国したから、歓迎会を高尾山でやります」との連絡を受けた。山岳部仲間なので、都会の飲み屋で騒ぐよりも、健康的に山の空気を吸おうよ!との企画だ。USHI田さんの人柄なのだろうが、彼が声をかけるとすぐに人が集まる。本日も10人参加。
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休日の高尾山はラッシュの駅みたいなので、それを避けて金曜日に設定されたのだが、本日は子どもたちの大軍で登りの細い道は占領されている。こりゃ無理だと、国道20号線をわたって南高尾山稜に向かうことを提案。MITOKU君は30年ぶりの高尾山だと張り切っているが、「この道で頂上へ行けるの?」と不安そうだった。大垂水峠経由で行けることは行けるが、まあ5時間くらいかかる。そんなことは知らせずに草戸山(365m)に向かう。

昔山岳部と言ってもいまは高齢者の10人組で、ふつう1時間のところを1時間半かかる。元気なのはシンガポール在住のINA村さんだけ。彼は毎日シンガポールの山々を走っているそうだ。(シンガポールに山なんてあるのかな?)

そこでコース変更。三沢峠から梅の木平をとおって、国道に出て高尾山口のお蕎麦屋さんでINA村くんの歓迎会と言うことになった。3時間ぐらいの歩行でちょうどいい感じだった。おいしいビール(自主規制で私はお茶)とお蕎麦でみな満足と思っていた。

しかしお店を出たところで「せっかく来たのに高尾山の頂上に行っていない!」との声。草戸山で勘弁してと思っていたが、こだわりの山岳部! 暗闇になりそうだが行くことになった。私はそのあと地平線会議に行くつもりだったのでケーブル駅の下でお別れ! しかしUSHI田くんはしかたなく付き合って頂上に向かった。やはり人間ができている。だから人に信頼されるのだろうな!

写真はUSHI田さん、MITOKUさん 提供

 

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ぶらリバークラブ 雨の桃園川

map-momosono1久しぶりの化石川探索で、神田川支流の桃園川を歩くことになった。すでに暗渠になった化石川であるが、その流路の後は浅い谷になっているのでたどることはできる。下流域は立派な「緑道」になっている。中野駅の南側のくぼみ、高円寺駅の南につながる凹地はこの川の急流路である。高円寺駅と阿佐ヶ谷駅との間で高架をくぐる。そのすぐわきに杉並学園の校舎がある。石川遼の母校。もとは女子高で浅丘ルリ子とか天海祐希らの出身校だったと書いてある。

天沼が水源と書いてあるし、流路はつながっているように見えるが、この辺りは網目状に灌漑用水路になっていたようで、杉並区役所の方にも旧流路がつながっている。今回は地元のHARAさんの案内で路地裏を歩く。雨の中、やっと杉並区役所にたどりついて、喫茶室でお茶と言うか遅い昼食。私はカラスミカレー、不気味な真っ黒なカレーだがなかなかおいしい。この喫茶店の店員は障害者の方々。和やかでいい雰囲気だった。

本日は雨だったので、より道もせずただひたすら桃園川を歩いただけだった。でも最後になかなか心地の良い喫茶室を見つけたことで、いいブラリバー体験になった。

 

 

 

台風がまた来ている。世の中大変だ!

先週6日月曜日、台風18号で新幹線がストップした。私たちは京都にいたが、帰りは午後遅くになった。思い出すと1昨年も京都駅で台風の影響で新幹線が数時間遅れたのに遭遇したなあ。昔は9月の二百十日(にひゃくとうか)が台風シーズンだったが、最近は10月にずれた感じだ。まさに地球温暖化の影響だ。

下の図はアメリカ海軍の台風19号画像
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それから1週間もたたないうちに台風19号が追っかけてきて、あす月曜日(体育の日)にほぼ同じコースで日本列島を縦断しそうだという。前回江東区に住む弟の家の真上を台風の中心が通過したそうだ。今回の台風の方が大きいので、どうなることやら。

その影響で御嶽山の捜索も困難になりそうだ。火山灰や噴石に覆われてしまった人たちは雪崩に埋もれたのと同じで、探すのは難しそうだ。どこで打ち切るのか難しい判断になるだろうが、捜索の人たちの安全を考えなければならない。もうすぐ雪も積もるし。

午後1時、宮もと、川ぞえの両先輩と一緒に多摩センターに行った。山岳部でいっしょだった先輩の奥さんが亡くなったのでお焼香させてもらった。この先輩とは昨年8月北海道の幌尻岳に行った。その頃、奥さんには何の異常も見えなかったが、帰った翌日に病気が発見され、奥さんは1年足らずで亡くなった。「あっという間の1年だった」とのこと。憔悴のあまり10キロも痩せたそうだ。元気を出して欲しいと励ましたが、そう簡単に悲しみは癒えないだろう。でも早く元気になってほしい。

 

 

 

 

朋あり遠方より来る!

9日の夕方に北海道のくまさん(女性)がやってきた。2年ぶりかな、東京に来た時には必ず寄ってくれる。今回は娘が結婚するとの報告を持ってきてくれた。お母さんによく似た美人になっている。

そのあと彼女の仲間のTAKE田、ハリ替、田中てる君がやってきた。田中君は何年かぶり。みんなおっさんになって、私との年齢差が縮まった感じがする。考えたら私が退職した年齢だ。私はつい先日退職したと思っていたが、もう13年もたつのだ。その間、何をしていたのだろうか。退職したら、目いっぱい遊ぼうと思っていたが、そうもいかなかった。

我が奥さんは、「うちみたいに定年前に止めると、後後まで経済的にも困るから辞めてはダメだよ」と皆に念押しをしていた。そう言われたら、私は何も言えない。定年まで働いて退職した人と年金も貯金も違うもんなあ。先日会った中学の同級生からは、「どうやって生活しているの?」と同情された。「よけいなお世話だよ!」と言いたかったが、まあしょうがないか。

 

 

 

 

ぶらりばー 赤ちゃんも参加!

141001ogi9小雨だったが、ぶらリバークラブは開催。荻窪駅に集合して環八の荻窪橋から、善福寺川を下流に向かう。最初は「荻の窪」、」荻が生えているくぼ地だったことからこの名前が出たそうだ。荻はすすきに似た植物、写真でみると見分けるのは難しいかも。

忍川橋(おしかわばし)の脇に与謝野晶子の旧宅跡があった。関東大震災のあとにここに移ったのだそうだ。当時はど田舎で、電車の本数も少なく旦那の鉄幹さんはなかなか引越してこなかったそうだ。でも最晩年はここで過ごしたようだ。現在は荻窪と言えば高級住宅地。2丁目にはアカマツの巨木のある「お屋敷」が並んでいた。

141001burariver1本日は途中から生後6カ月の赤ちゃんも参加。哲太ちゃん。お母さんは前にぶらりばに参加していたマリナちゃん。おばあちゃんは現参加の容子さん。と親子三代の参加。哲太くんは砂利道を行く乳母車の中でぐっすりお昼寝でした。

また若手参加者の陽子さんは、お誕生日お祝いにケーキを焼いて来てくれました。じじばば連、みな御相伴にあずかってうれしそう。陽子さんありがとうございました。ちなみに哲太のお母さんと私は同じ誕生日。「40歳違い!」と言われたが、昨日書いたように、私は満年齢で古稀と言ったが、彼女は数えで言ったので、本当は41歳違いでした。

141001sakura1 大宮八幡宮近くで哲太くんと分かれ、八幡様へ。サクラが咲いていました。さらに多摩清水という名水がありました。蛇口がついているので、「本当の湧水??」と疑問がつくが、清水さんはペットボトルに詰めていました。

さらに歩いて方南町に出て、地下鉄で戻りました。この地下鉄は丸ノ内線。でも3両連結で3つの駅を往復しているだけのローカル地下鉄でした。みなさん「初め乗ったよ!」とのこと。

 

 

 

 

アラ古稀から本古希!高尾山ビアマウント

ここ数年、年賀状にはアラウンド古希と称していたが、いよいよ本古希になった。ものの本を読むと数えの70歳のこととある。あらそれなら昨年だった! でもだれも注意をしてくれなかったので、今年あっちこちで「古希」だと言って回った。

唐の詩人杜甫の詩 「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」からきている。(酒代のつけは普通行く所には、どこにでもある。しかし七十年生きる人は古くから稀である)と言うことらしい。でも前段の酒債と人生、何か関係があるのかな。

最近ランニングを一緒にやっているお姉さんたちが、高尾山のビアマウンテンに集合と言ってきたので本日4時に登って行った。走った後のビール、プファー! かと思っていたら、なんと走った後の古希のお祝い! ということだった。最近お友達も少なくなり、遊んでくれる人も少なくさびしい思いをしていたら、こんなにうれしことはない! ありがたいことだ。

141001kokiT 古希のお祝いの色は紫だそうで、紫色のTシャツをプレゼントにいただいた。こんな派手派手なのを着て歩けないが、ランニングの大会にはいいかな? 70本のローソクが立ったケーキ(写真がないや!)も美味しくいただきました。

DSC_0748Sこんなにお祝いをしてもらい御馳走になって、「酒債」がたまってしまった。そうか前述の杜甫の詩にある酒の債務、古希にもなるとあちこちにたまるということか。

幸せそうな写真をのせようと思ったが、同年代に嫉妬されると困るので、小さいのにしておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御嶽山噴火 でもサッカー!

昨夜からテレビでずっと見ているが、これだけの噴火でも、大勢の人が駈け下りて助かったようだ。日本百名山だけあって大勢の方が登頂していたようだ。もし普通の噴火なら、高熱の火砕流が出てきて、雲仙普賢岳のように流れ下って焼き尽くすところだ。助かった人は奇跡的な幸運に恵まれたということだ。

助かった人でも火山灰を吸ってのどをやけどした人も多いという。水蒸気爆発のようだが、それでも細かい噴石などに覆われたらもう助からない。もし私がそこにいても何も対処できなかったろう。

気象庁の火山噴火予知の会見を見たら、「今回の噴火は予知できなかった」といいわけを繰り返している。確かに今回の噴火は突然だったかもしれない。しか2007年にも噴火しているのだ。たった7年で終息したと思うのが間違いだったのだ。ただちに、浅間山や三宅島のように登山禁止にした方がいい。観光業者や宗教団体などにちょっと配慮しすぎたのでは。

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午前中は孫の運動会を見物。午後は仙川の天然芝のグランドでサッカー練習試合。ここのところ毎回得点をしているが、今回も1点。本当は3点とれそうだったが、あせってゴール前のボールをわざわざ外に出してしまった。まあしょうがないか。

アジア大会、サッカー日本代表は韓国に押されっぱなし。開催国との韓国とは気合が違っているよな。0対1で敗戦。まあしょうがないな。

 

 

 

 

埼玉で環境講座 33回目だって!

140926syokuji 140926unagi 埼玉の生協団体であるコーペルで環境講座をやっている。今回で33回目だという。1年に3,4回の講座なので、もう10年近くもやっていることになる。ちょっと感激だ。私も高齢者になったが、皆さんもそれぞれ10年も年をとっている。

今回は講座の前にお食事を一緒にと言われたので、それにも参加。コーペルの皆さんは、お料理自慢の方が多く、時々自慢料理を持ち寄ってお食事会を開いているのだそうだ。ほとんどが自家製の野菜やお米を使っての料理は大変おいしいものでした。私がわざわざ環境を守るには・・・・などと言わなくても、みなさん環境に負荷をかけないいい生活をしておられる。

お食事の写真 と埼玉名物? のおせんべい。

 

四面道のピエロ

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 前回ぶらリバーで歩いた後に、新青梅街道と環八通りとの交差点である四面道にある喫茶店に行こうと思っていた。ところが道路を一本間違えて、その店が見つからなかった。本日善福寺川を方南町から歩いて来て、環八通りに出たので、再挑戦。こんどはすぐに見つかった。

 マスターは高尾山満行、それだけじゃないが、で有名なMIYA寺さんだ。満行というのは 3×7=21 で1満行、それを85満行を成し遂げた。1785回高尾山にお参りしたことになる。最近ではMIYA寺さんを追いかけて100満行もなしとげた人は何人もいるが、長いこと高尾山にはMIYAさんがトップの札が架かっていたものだ。

 河野兵市さんらJACCメンバーの親分みたいな豪快な人だ。私の教え子の熊本に住むサイクリストのINA垣くんもこの親分の配下だ。絵も描く。驚いたことに喫茶店の母屋と塀に巨大な壁画を描いてしまった。それが上の写真。すごいね。この絵を見つけられなかったのだから、私の目も節穴かな!! 四面道に行ったら、この絵を見つけて、コーヒーを飲んでください。 

北海道から野菜が!

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北海道の北の端に住む雄次郎君から大量の枝豆とジャガイモ、タマネギなど野菜が送られてきた。野菜の値段が高いこのごろ、我が家にとっては大変ありがたいことだ。

雄次郎君は20歳のころ、宗谷岬から佐多岬まで日本縦断徒歩旅行をやった。植村直己さんが日本縦断をやったころだ。雄次郎君は4万円で2カ月かけて歩いた。当時だってこれで食費、宿泊費を賄うことなどできるはずはない。基本的には野宿、農家の手伝いをしたりして食事を得たりしており、スポンサー付きの植村さんとはだいぶ違っていた。

縦断旅行の後、「あるくみるきく」という雑誌に旅行記を書いた。それを読んだ宮本常一さんが自書の「民俗学の旅」に「当時の日本の人々をこんなにうまく表現した若者はいない」と絶賛してくれた。この旅行記は「宮本常一とあるいた昭和の日本」(農文協)の第25巻の中に、細貝栄さんの「限りなき山行」と並んで再録されている。

手紙の一部:今朝は4℃まで下がりました。樹々の葉は紅葉の準備をしています。大豆は根粒菌利用栽培です。作物の間に大豆を作付け、ほかに一切の農薬、肥料も使用せず野菜を育てています。・・・・野菜栽培がだんだん面白くなっています。牛は体が大変なので野菜農家になって稚内に売り歩こうか!なんて考えています。売れなきゃ自給自足。・・・・牛の方はだんだん規模を小さくし経費を抑えるやりかたで、豊富でも1,2を争う小規模農家になっています。どうせなら北海道でダントツの小規模酪農家になろうと思っています。・・・・

唐木田から高尾山に向かった!

kaiho0039月の第3水曜日は、海宝サーキット教室は町田市の小山田公園で少し走って体を動かし、西野建設の事務所で「ほにゃらかうどん」をいただくというのがここ数年の定番だ。今年は唐木田駅から、西野建設まで走って行こうかと思っていたが、駅までお迎えの車が来たので、走行距離はほんの100mぐらいだった。

こりゃいかん! と思い、海宝さんのうったうどんをいただいたあと、皆さんはまだ宴会が盛り上がっていた最中に、皆さんと分kaiho004kaiho001かれて高尾山に向かった。小山田からは鶴見川の源流の泉を見ながら南大沢駅方面にむかった。海宝さんの勧めでついビールを飲んでいたので、トイレに行きたくてしょうがなかった。源流脇にバイオトイレがあったので助かった。体が軽くなって多摩の尾根幹線道路にでて、戦車道に上がった。たぶん西野建設からは3キロぐらいだろう。

kaiho005kaiho006尾根緑道と書いてあるが、地元では戦車道と呼ばれる道を行く。木製のチップを敷いた道は、裏がすり減った靴でもクッションがあって、膝にはまったく響かない。こんな道ならいくらでも走れそうだ。しばらく行くと、数年前に体操をやっていた展望所にでる。kaiho007kaiho008さらに行くと給水塔が見える。ここも何回か走ったなあ。多摩美大の脇を抜けると国道16号にでる。道路の向こう側は多摩丘陵。登り口がよくわからないが、すこし相原方面に下ったところに急坂がある。

kaiho010kaiho011住宅街をどんどん登っていくと、尾根道にでて、16号バイパスを越える。その先に大きな鉄塔があるのだが、今回はここで道を間違えた。本来は鉄塔の下を行き、造形大の脇を通り、家政学院大学の脇のジェラード屋に出るのだが、今回は道がどんどん細kaiho012くなって、最後は日本閣の近くに出た。明らかに間違っていることは分っていたが、地図がないので、仕方なく大きな道に出た。東京工科大学の前を過ぎ、昔よくとおった御殿峠に出た。ここにバス停があったので、仕方なく乗ってしまった。片倉高校をとおって京王線の片倉駅から電車に乗った。走行距離はせいぜい12キロ、時間は2時間半ぐらいかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨の中サッカー!

朝6時、お茶ノ水まで行き、帰りは歩いて家にもどる。本郷東大前から白山東大前をとおり、巣鴨地蔵通り経由でほぼ7キロ。8時からの「花子とアン」を見る。

朝9時に94歳のおばあさんをディサービスに送っていく。400mほど先なので、リハビリをかねて歩いて行くことにしている。10時からは保育園の「敬老の日」のお楽しみ会。おじいさんおばあさんの参観日だ。子どもたちの歌や演技をみて、お茶とクッキーを一緒にいただいた。20人ほどのクラスに、ジジババが9人も来ていた。父母会よりも出席率がいいな。

11時半に終了。家に戻りサッカーの支度をして西が丘の味の素スタジアムに向かう。予報が午後から大雨。NAKA村君に聞くと江東区は大雨なので、今日は行かないよ! とのこと。こちらはまだ降っていないが、人数は集まらないだろうと思っていたら、40人も来ていた。この芝生は天然芝で、きちんと整備されている。試合が始まるころから雨が激しくなってきたが、みな元気。私は95%は中止だろうと思っていたので、着るものが足りない。

試合後懇親会が本蓮沼駅前であるのだが、乾いたウエァがないので、走って家に戻り、シャワーを浴びて電車で本蓮沼に戻る。焼き肉、ビールをしっかりいただきました。家に戻って携帯電話の歩数計を見たら3万歩を越えていた。サッカー試合の間は携帯していないので、全部で3万5千歩にはなったろう。