9月7日 ドムカル上村に泊る 3800m

インダスのほとりにあるドムカル下村は人口は150人ぐらい。上、中、下村全部で500人弱だという。下村の平地はごくせまい。そこへ流れ下るドムカル側は狭い渓谷なので、残りの人はどこに住んでいるのか不思議だった。domkal05しかしせまい谷を登っていく(もちろん車で)と茶色の世界に突然ポプラの森が出てくる。谷が大きく曲がっている場所に小さな段丘がありその上に本流からのかんがい用水を引いて耕作地ができている。アンズの実が沢山なっているのを勝手に取って食べる。村長さんの家に招待され、バター茶をいただく。3軒回ったら、おなかがチャポチャポになったので、あとは招待を断った。domkal04村は大麦の収穫で忙しい。アプリコットと大麦、小麦ぐらいしかない。野菜はジャガイモの他はほとんどないが、仲間の一人がどこからかカブとブロッコリーを手に入れてきた。浅漬けのもとに入れて、みなさんに振舞われた。久々の新鮮野菜。domkal06ちょっと上に散歩に行くと見慣れない家畜がこっちを見ている。「ゾ」というらしい。ヤクと牛のハイブリッド動物だ。ヤクの雄と牛の雌の雑種で、雄を「ゾ」といい雌を「ゾモ」という。ゾモは交配可能だが、ゾは一代限り。このゾモは子ども2頭を連れていた。子ゾか子ゾモかはわからなかった。domkal07DSCN0833

9月8日 岩の聖地へ(ゴンパランジョン)

今回の旅のメインである「岩の聖地」ゴンパランパジョンへ向かう。岩の聖地は4750mの高所にあるためにこの日まで高度順応をしてきた。昨日のテント地は4100m、今回の最高所の宿泊だった。前日からダイヤモックスを飲んで準備したが、2度目なので身体も慣れているらしく、夜中に1度しかトイレに起きなかった。klaric09
夜のテント場は素晴らしい星空。寝る前には頭の上に天の川を泳ぐ白鳥座が見え、南の天の川にはサソリが尻尾を浸していた。こんなに明るい天の川を見たのは何十年ぶりだ。夜明け前にトイレに起きた時にはオリオン座が上がっていた。昨晩はまだ28日月(三日月の反対)が出ていたが、今日は月明かりはなかった。>klaric02
朝は周りの水たまりは氷が張っている。しばらく行きとシモバシラの花(?)が咲いている。冬の寒い日高尾山で見るのと同じだ。シモバシラに見とれていたが、歩くのは一歩一歩がやっと。klaric01ダイヤモックスを飲んだからといって、呼吸が楽になるわけではない。年寄りにはかなりきつい旅だが、皆さん「岩の聖地」まで何としてでもたどり着くぞと意欲は高い。私と清水さんは「年寄りにはきついよ!」とテンションが上がらない。kraric04お花を見ながら上がる。この青色の花は何だろう。ブルーポピー??トリカブトと同じいろだけど・・・ kraric03これが球状花崗岩、「聖なる岩」である。拡大写真は下!<kraric06
kraric08このゴンパが高度4,600mほど。この先に聖なる岩はあるのだが、私と清水さんは「聖なる岩」のかけらを見たからもういいや! と暖かい日差しの下で昼寝。2時間ほど待つと、4750mの岩まで往復してきた皆さんが降りてきた。疲れたが満足した様子。60歳過ぎのおばさんたちが登れたのに、我々は登れなかったのは少々残念だった。
でも「聖なる岩」にタッチしたら「ハーイ ご苦労さま!」と言われて、すべてが終了してしまうのではないかと危惧したことも確かだ。我が尊敬するTA女史も「満願」というのは避けて、いつもあと一つを残しておくという。四国八十八ヵ所も八十七か所で終えて、あとひとつは残しておけば次につながる。全部達成したら、それで「ハイ終わり!」と神様に言われそうな気がする。まあいいわけだけど!

ラダクに行ってきます

画像1 インド北部のラダク地方はインダス川の最上流辺りで、すぐそばに世界第二位のK2峰、ナンガパルバット山など8000mの山々が点在している。私は1968年にパキスタンのギルギットからフンザ王国に入ったことがある。そのすぐ先がラダク地方だったが当然国境を越えることなどできなかった。

map-6私の友人の成田君や森崎君はインド側のマナリやレーという町に住んだことがあるそうで、いろいろ話を聞いていた。そこはチベット仏教のはずれの地で、今はイスラム教世界との最前線でもある。チベットが中国化している現在、チベット文化がもっともよく残っているのがラダクだとも言われているそうだ。

thiksay_gompa地平線会議でも話をしてくれた小林尚礼さんが率いるツアーに山岳部時代の仲間の清水さんと一緒に入れてもらうことにした。9月2日から12日までの11日間。半分以上は3500m以上の地でのテント生活になるそうだ。もちろんシャワーなどなし。10℃以下の地なので川で水浴びもできそうもない。久々に山の匂いのするたびになりそうだ。

以下に西遊旅行のHPにある写真を借りました。帰ってきたらすぐに取り換えます。なかなかすばらしいところです。高山病にならないように気をつけて行ってきます。
 

 

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スイカおしまい!

今年の収穫はミニトマトが多数。これはなかなかだったが黄色いのは水っぽかった。赤いのはけっこうおいしいかった。水っぽかったのは7月の雨のせいだろう。ナスはダメ。キュウリも7月に少し取れたが、トマトに邪魔されたせいか、不作。ピーマンもダメだった。昨年はスイカが不作だったが、今年は大変良かった。10個収穫してすべて赤くおいしかった。ということで今年の畑作は終了。秋はお遍路さんが忙しいので今年はお休み。来年のために畑を準備しておかなければ。わずか2坪ぐらいでも掘り起こすのはけっこう大変なのです。

スイカが畑からはみ出した。

スイカが畑からはみ出した。

かわいい実がついた

かわいい実がついた

芝生の手入れはできない

芝生の手入れはできない

大きくみのった。おいしい!

大きくみのった。おいしい!

8月末のびた鶴を始末

8月末のびた鶴を始末

来年のために掘り返し

来年のために掘り返し

 

 

石射太郎山

房総に石射太郎山というのがある。高さは240mほどで、登山口は150m、なので90mほどしか登らない。距離は0.3キロと書いてあった。10分も登れば頂上かと思ったら、なんと40分もかかった。距離は水平距離なのだろう。地図と途中であった動物などの写真です。150816isitaro1 150816isitaro2 150816isitaro3 150816isitaro4 150816石射太郎

本日は「山の日」だそうだ 川内原発再稼働!

来年から8月11日は「山の日」の休日になる。そのことを知っている人は何人いるだろうか。私は昔から「山の日」は各地の山で山開きをする7月1日だろうと思っていた。しかし昨年だったか、突然国会で決まった。

山岳関係者は喜んでいるのだろうか。先日富士山に登るために富士吉田の浅間神社に行った。来年から8月11日になんか行事をやるのですか?と聞いたら、そんなことは何にも決まっていないとのこと。確かにまだまだ認知されていないな。

さらに8月11日は、御巣鷹山の日航機事故の前の日。登山と言えば「慰霊登山」が話題になっている。なんでこんな日を選んだんだろう。あるいはディズニーランドの「8月9日!なんでもない日おめでとう」と同じように、ただの無知だったのだろうか。いずれにしても8月11日は「山の日」としては定着しないだろう。お盆休みが一日長くなるという意味だけだな。

8月11日鹿児島の川内原発が再稼働した。よくもまあそんなことができるもんだ。今年福島の浜通りを歩いた。いやバスからはほとんど出れなかった。4年以上たってもまだ浜通りは津波の被災者の捜索もできない状態だ。メルトダウンした原発にはまだまだ大量の放射性物質が閉じ込められている。福島を全部片付けてから審査をしてくれ。

経済界は歓迎しているようだが、アメリカではとっくに経済的には引き合わないという結論が出ている。東京電力ではとても補償はできないので、国が肩代わりしている。もしこの補償費を入れて、さらに問題になっている廃棄物処理を経費に入れたら、とても儲けを出せる産業ではない。そんなことも考えていないのかな??

 

 

8月9日 奥さまの仕舞

今年の夏の発表会は「紅葉狩り」だそうだ。今回はフルオーケーストラ(?)の伴奏ではなく小編成。難しい曲のようだが、今回も猛稽古の成果があってなかなか立派な舞台でした。ちょっとえこひいきか?

150809紅葉狩2

ビデオをとってすぐに新小岩のサッカー試合に。11人しかいないので私も出場しなければいけないかなと思っていたが、助っ人をたのんで試合が始まった。相手は60歳平均。我が方は64歳平均。この差は大きい。私の体調が戻っても、もう試合には出してもらえそうにもない。UCHI田さんと70歳以上のリーグを作ろうという話になった。元気なオーバー70歳は25人ぐらいいるので。

ハトラの女神さま

イスラム国が中近東の考古遺跡を次から次へと破壊している。昨日から写真資料を探していたら、イラクのハトラ遺跡の女神の像の写真が出てきた。この女神も爆破されたという。写真を残しておきます。もっとたくさんあるはずですが、見つからない。コダクロームを複写したので、ちょっとボケているな。

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四国遍路から戻りました

3日から梅雨入りだそうですが、昨日天気が悪くなりそうなところで、いったん終了。まだ250kmほど、27番神峯寺までしか行っていません。

今回は暑くて大変でした。秋まではもうムリです。新しく買った自転車は安芸市で預かってもらっています。

とりあえず一日分だけ報告書を作りました。みわかずひこ で検索してください。A題字神峯Adaijirenkondaiji01A

斑鳩に行きました

aDSCN0090 aDSCN0106 aDSCN0097 aDSCN0069斑鳩は「いかるが」と読む。どう読んでも「いかるが」にはならないが、法隆寺があることから、まあ私は読むことができる。聖徳太子のゆかりの寺だが、けっこう謎の多い場所だ。聖徳太子は日本歴史の中では最大の偉人だったと言われている。しかしその子供たちは「アッツ」という間に滅ぼされてしまった。それだけの偉人で、氏素性も高貴な方だったのに、なぜその一族は殺害されてしまったのか。私は古代の渡来人の勢力いが原因だったと思っている。今回何年かぶりの訪れてみて、百済観音を安置するお堂が平成になってやっと完成したとのこと。百済観音は長いこと法隆寺には居場所がなかった。それは百済からの渡来人があがめた仏像だったからだ。聖徳太子は親百済だった。それを面白くない勢力があった。そのあたりの説はいろいろあるが、今回百済観音を見て、渡来人勢力争いは根深いものだったことを確信した。時間があったので、そのあと法輪寺、法起寺をまわった。斑鳩の風景に三つの五重塔(三重もあるが)がとけこんでいた。

奥さまの舞囃子

今年は神楽坂の矢来能楽堂で花月を舞った。私はいつものように撮影かかり。能楽の舞台を映すことは通常はできないのだが、素人の会だから、許可は出る。この能楽堂の客席は狭いので、近すぎて映すのはなかなか難しい。

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房総 嵯峨山

150207saga028150207saga015150207saga036150207saga039150207saga070房総半島には低いけど、面白い山がたくさんある。前回は富山から伊予が岳へ行ったが、今回は鋸山の東にある嵯峨山を目標に歩いた。出発はJR内房線の保田駅から。7時半の東京発の特急に乗れば9時半に到着する。

ここから鋸山ダムの脇を登っていく。ここは関東ふれあいの道で、林道口まではほとんど舗装道路。駅から2.5キロで車止めがあるが、軽自動車なら入ることができる。最近まで砕石場だったのでまだ宿舎などが残っている。砕石場跡はだんだんになっており、西部劇か何かのロケに使えそうな感じだ。どこかになんとかキャニヨンと書いてあった気がする。

地層が見事に表れた切り通しをすぎると峠に出る。ここが林道口。保田駅から4,5キロ地点だ。この峠は郡界尾根の鞍部だ。休んでいた人たちはほとんど鋸山方面に上がっていくが、私たちは嵯峨山方面に向けて歩く。ここにいたどの人に聞いても嵯峨山方面の道は知らないという。指標があるにはあったが、手製でとても小さく見つからない。それでもちょっと歩いてみたが、ほとんど踏まれておらず、下りが急なので、奥さんには無理と判断して下山。

本来の登山口である小保田に移動。青バスが通っている。バス停から15分で下貫沢の登山口。ここにもほとんど道標はない。観光案内所にハイキング地図もない。どうもあまり人に来てもらっては困るという感じだ。2004年に30人もの高齢者パーティーがヘリコプターが捜索するほどの遭難騒ぎがあった。こんな低山で?? とみなが不審に思ったが、行政はほとんど手を入れていないようだ。

遭難の反省文にこんなのがあった。・・・・・1973年の千葉国体の時多くのコースが拓かれたが、それ以後放置されてきた。例えば、メインコースとしての鋸山から清澄山のうち、道とよべるのは保田から日本寺の遊歩道まで。鋸山の三角点までも一般道ではない。<中略>その先は、道なき道を求めるがごとくである。小保田からあがった脊梁上の嵯峨山に至るコースも、山頂から先はヤブ漕ぎである。ほとんどはテープを頼りに地図とのにらめっこが続く。・・・・・

こんな里に近く、頂上近くまで水仙が咲いている。地元では水仙の里として売り出しているが、もうちょっと歩く道を整備した方がいい。私たちは泥んこになりながら、頂上を目指したが、残念ながら届かなかった。散歩のつもりで来る人が多いようだ。もうすこし整備をすれば、すばらしくいい散歩道、ハイキング道になるのに。投資にそんなにお金はかかないだろうに。森田健作知事さん、アクアライン800円に続いて、房総の散歩道を整備すれば、人気も上がりますよ。すぐそばに「小さな岬の物語」の明鐘岬がある。これに続けてコースを整備することを吉永小百合さんにお願いすれば・・・・

 

南会津 舘岩村 伊南村で歩くスキー

P1050344KAWA村さんに誘われて、福島県の南会津町の舘岩村、伊南村に行ってきました。我が車はP1050354P1050363こんな大雪初見参!
でもスタッドレスの威力はすごい。快適に進むが、夜雪が積もった後、翌日はガラス面は凍っていた。溶かすのが大変だったが
KAWA村さんの車は、さらっと凍りが落ちる。「ワックスをかけてないんでしょう!」・・・その通り。ワックスはスキーだけでなく
雪国に行く時には車にも必要なのだ。

ログハウスの周辺をうろうろ歩きまわる。深い雪のなか歩くのは楽しいが、ワンちゃんは苦労するみたい。しばらくは喜んでいたが、
体が冷えて、震えが来た。KAWA村さんは愛犬を抱っこして、雪の中戻って行った。家にもどってもしばらくは震えていた。

翌日は伊南村で雪遊びを呼びかけて、遊んでいるKAIHOさんを訪問。フミちゃんの「田吾作」を基地にして、春夏秋冬、各季節で
遊びをしようという企画だ。伊南村のもとスキー場の跡で楽しく遊んでいる。我らはゲレンデの一番上まで行って見た。
帰りは快適に新雪を滑るつもりだったが、板の裏に雪がべったりついてまったく滑らす歩いて降りてきた。雪が取れると急に滑るので
転ぶ。北海道大学出身の名人、NAGA野さんも苦労していた。ワックスをつけなきゃいけないのだ。

以下の場所に このときの画像があります。ご覧ください。

http://kazmiwa.sakura.ne.jp/kaz-yama/150201minamiaidu/150201inamura.htm

ぶらりバークラブ ヘリコプター

150114DangoB本日はぶらりバークラブの最初の化石川探索。田端駅から音無川跡を歩くことにしている。途中日暮里の近くに羽二重団子があるので、そこでお休みかな。夏目漱石、正岡子規ら明治の文人の愛したお店だという。

150114ogyounomatu1その先にも面白いところがありそうで、なかなか興味深いコースだ。左は御行の松、初代は天然記念物だったそうだ。そのあと背面(うしろむき)地蔵をみた。ここでは方位が重要。SEKI根さんの方位磁石付腕時計が役に立った。

sikianA「根岸の里のわび住まい」  「子規庵」が鴬谷のホテル街の裏にあった。芭蕉庵ほどでないにしても、そこそこと思っていたが、こんなところだった。入館料500円と言うが、だれも入らないだろう。この家の前に書道美術館があるが、せめてその半分ぐらいの規模でいいから、整備してあげなければ、地元としては格好がつかないよな。

ところで、根岸の里とは関係ないが、本日ぶらりバー資料を印刷していたら、我が家の上空をヘリコプターがわんわん飛んでいる音がする。「きっと何かあったんだ!」と思ってパソコンを見ると、セガサミーの社長宅に銃弾が撃ち込まれたとのニュース。この邸宅は我が家の近くでは最も大きく目立つ家で、私もしばしば脇を通る。相変わらず我が家あたりは物騒だ。