越後湯沢 いい季節です!

越後湯沢に来ています。雪が解けて新緑が輝くこの時期が一番好きな季節です。里にはもう桜はないと思っていたら、枝垂れ桜がちょうど満開でした。なんかすごく得したような気分です。 電動自転車で岩原の上にある超人気のイタリアンのお店に行きました。電動はすごい。リフト1本分を軽く乗り越えてしまうのだから。珍しくナントカパスタを食べ、コーヒーを飲んでゆっくりしました。

目の下に関越高速道路が見えます。店を出て駐車場へ。ここから遠くに神楽峰のスキー場が見えます。まだまだ雪がいっぱい。目の下には関越高速道が谷川岳に向かって伸びています 。

この写真の中の矢印が我がマンション。平成の前から我が家はスキー用ハウスとして持っていました。スキーができない時期には「おやじの隠れ家」として利用しています。大浴場とサウナ、トレーニングルームも完備しているので、ごろごろするには最適です。

来年も隠れ家にしばしば隠遁しようと思っていたところ、奥様、子どもから「終活をするように」との厳命が下った。第1弾として車の処分が終わり、第2弾として我が唯一の不動産の処分に取り掛かることにした。

4月に地元の不動産「ひまわり」に売り出しを頼んだ。

来年のスキーはここではできそうもないし桜も見られなくなる。残念なことだがもう年なので仕方がない。 ということで本日はセンチメンタルジャーニー!
だれか、引き継いでくれないかな・・・!!

今年のボタン 西新井大師

昨日は落合の薬王院に行った。本日、奥様はお友達と西新井大師へ。
今やボタンの真っ盛り。すばらしい写真が撮れた(スマホ)
本日のボタンの写真はすべて奥さん。奥さんの方がうまいな。

私は珍しく旅文研の研究会に参加。最近は半ボケなのでしっかり聞いたつもりでも 理解が進まない。困ったもんだ。

今年のボタン

例年落合の薬王院に行く!ボタンの名所だから。といあえず写真!
22日に奥さんが西新井大師に行って写真を撮ってきた。
薬王院では黄色いのが撮れなかったので、借用し追加した。

大鳥神社の狛犬

腰痛は歩いて治す!

本日は家から出て巣鴨の染井稲荷神社へいき、開花寸前のソメイヨシノを眺めてきた。巣鴨から山手線に沿って大塚駅に行き、駅前の天祖神社に行ってみた。ここには3種類の狛犬がいるのだが、日差しが強くてうまく写真が撮れなかった。残念。

そこから二駅都電に乗って大鳥神社へ行く。ここにも狛犬がいる。目の前の通りが工事中で日当たりがいい。写真はバッチリ。威張り狛犬の足元にカエルがいる。こりゃ何だ?

背後に高層ビルがある。下層のは豊島区役所だが、このデザインはなんだろう?どうみてもスラム街だよな!でもオリンピックのメインスタジアムを作った隈研吾の作品だそうだ。そう言われてみると凄い!とは思えないな。

狛キツネ、新宿の女

高田馬場の馬場では流鏑馬が行われる。今は水稲荷神社の前の直線の馬場で行われるそうだ。稲荷神社なので狛犬はいないはず。ここには立派なお狐様がいる。社殿の裏側には冨塚というのがある。たぶん富士塚だろうと思う。この塚の上に鳥居がいくつもあり、狛犬がいくつもある。

狐は稲荷神のお使いであって狛犬のような番犬ではない。もっと神に近い存在なので狛犬の真似をすることはないのだが、ここではまったく狛狐だ。裏手にでてみると壊れたお狐様がたくさんいる。まえの氷川神社で見たように人工的に壊したものだ。これもたぶん廃仏毀釈のなせる業だろう。気になるとどんどん気になってくる。

水稲荷を出て、大久保の西向天神社に行った。ここには藤圭子の「新宿の女」の碑がある。富士塚もあるので何度も来たことがある。しかし狛犬はよく見ていなかった。石段途中と拝殿前にそれぞれ一対づつある。


拝殿前の狛犬は右側の阿の頭には宝珠が、吽の頭には角がついている。これは1700年代に多く作られたものらしい。王子稲荷神社の石段の上にも宝珠と角の狛犬があった。他にもいろいろあるのだろうな。西向き天神はお富士山(富士塚)でも有名。石段下から見るとかなり高い感じがする。富士講の石碑が多数ある。

平将門の鎧神社の狛犬

  新宿柏木に鎧神社がある。ヤマトタケルの東征の際に武具を保管した場所と言われると書いてあったが、地元の人は平将門の鎧を埋めた場所として信仰が厚い。平将門は関東では人気のヒーローだ。平安時代関東の国々を征服して「新皇」と宣言したが、わずか2か月ほどで朝廷軍に討たれなくなった。 その首は京都でさらし首になったが、怨霊が強く、大手町の将門塚の場所に飛んできた。それが今も残る首塚だ。何度も移転しようとしたがその都度作業員や責任者が亡くなったために、進駐軍でさえも怨霊を信じざるえなかった。今でもどんな大企業も手を付けない超パワースポットになっている。

鎧神社は将門の鎧が埋められたというのだから、パワーは感じられるようで、多くの人が訪れる。実はこの神社の神さまはヤマトタケルと大己貴命である。平将門は明治初期、天皇に反旗を翻した逆賊として祭神から外された。千年以上も前のことでも明治天皇は許さなかったのだ。しかし戦後天皇様の権威が薄れると再び祭神として祀られるようになったとさ! 境内は特徴的だ。拝殿前のものは巨大な花崗岩つくりで立派、昭和11年作。裏門の天保年間の狛犬はツギハギでかなり痛めつけられている。ここは明治の廃仏毀釈で大いに痛めつけられた。 鳥居脇の天神社には新宿区の文化財である庚申塔型狛犬?がある。これは享保年間のものだという。なんか変な狛犬だが、意味があったのだろう。不気味でかわいい。天神社というからやはり怨霊を鎮める神社なのだろう。

お仕事 浅草寺の狛犬

浅草浅草寺(浅草神社)の狛犬。本日はお仕事をしています。でも、「なんで私がこんなことやらなきゃいけないの?」と不満顔をしています。国民の義務だから・・・・  板橋の税務署の前を通ると、今年は例年よりも大混雑している感じです。恣意的な統計よりも、税務署に並んでいる人の顔を見れば、毎年景気がどのように変動しているかわかります。

 ここに並んでいる人は税金を払いに来ているのではなく、確定申告をして払い過ぎた税金を還付してもらおうとしている人たち。サラリーマンにはわからないが、個人事業主、アルバイター、非正規社員などは、とられ過ぎた税金は確定申告をしなければ返ってこないので、面倒な書類を書いて提出しているというわけです。

今年は、特に若い人たちが多い感じ。税金を返してもらおうという若者が多いってこと。一応企業に属していれば、払い過ぎた税金は年末調整で戻ってくる。しかし弱小零細企業ではそうはいかない。非正規社員、個人事業主は自分でやるしかない。もともと給料の少ない人にとっては面倒だなどといっていられない。小さな子供連れのトウちゃんカアちゃんも多い。がんばれよ!と声をかけたくなる。 政府統計は、アベノミクスのおかげで景気は上昇というが、それは景気のいい企業だけを選んだマジックだ。NHKは「ボーッと生きてるんじゃないよ!」と庶民を叱っているが、ボーッとしているのは政府の方だ。「庶民をだますんじゃないよ!」と政府を怒り飛ばしてほしいものだ。

本日は浅草神社のお仕事狛犬。新井薬師北野神社の子守り狛犬、中野打越天神の子育て狛犬、哲学堂の紅白梅

植村直己冒険賞 丸山さんのページ

昨日の植村直己冒険賞の報告をしようと思ったのですが、丸山純さんが的確に様子を描いているので、勝手にシェアします。本来は丸山さんのページにリンクさせればいいのですが、やり方がわからないので、私のページにコピーペーストしました。丸山さん、事後報告ですがよろしく。

遅ればせながら、私も……。今日(もう昨日ですが)、明治大学紫紺館でおこなわれた植村直己冒険賞の発表記者会見に行ってきました。今年度(2018)の受賞者は、岡村隆さん。

配付資料によると、対象となる《冒険名》は「『未知』の遺跡探査に情熱を傾けて約半世紀、南アジア密林遺跡探検調査」だそうで、《実施期間》は「1969年4月1日〜2018年8月25日」となっています。

《工夫・独創性》の項目には「調査が困難な現地の人々の代わりに調査を進め、少しでも早く文化遺産として世に導き出すことと、現地の人々と協力して進めることによって、これ以上の遺跡破壊を食い止めることを目的に、2008年NPOを設立。後世にも続く仕組み作りに情熱を注ぐ。探す遺跡がどんなに小さな見栄えのしない遺跡でも、そのひとつひとつの調査の積み重ねと地道な作業の継続にこそ、自分にも結果がわからない『意味』があり、未知の対象への邁進という一点にこそ、なにものにも勝る『面白さ』があると信じて取り組んできた」と書かれていました。

記者のみなさんもこれまでと毛色の異なる受賞者の登場にやや戸惑っていたようで、探検と冒険の違いとはどこにあるのかとか、植村さんとのいきさつ(『モルディブ漂流』参照)とはどんなことだったのかとか、岡村さんが答えにくい質問も寄せられて、苦笑しながら説明することになりました。でも、中貝宗治市長や西木正明選考委員長の発言にもあったように、植村賞の可能性をさらに広げる受賞になったのではないかと思います。

植村さんの母校である、豊岡市立府中小学校の6年生の男の子の挨拶がとてもよかったし、岡村さんもやっとここで笑顔がこぼれました。

横のほうの席だったのであまりいい表情が撮れませんでしたが、写真を載せておきます。

岡村さんが主宰するNPOのウェブサイトは、以下です。このサイトから引いた文章や写真、昨年11月の地平線報告会のレポート(地平線通信476より)も配布資料に載っていました。
http://npo-sarers.org

八甲田山 その1

八甲田山に入った1月23日は、1902年に青森歩兵第5連隊の兵士210人が雪中行軍で遭難した日だった。八甲田山という映画が評判になったが、兵士たちがかわいそうで見るに堪えなかった。雪の中、散りじりになって若い兵士たちが凍死した。生き残ったのはわずか11人、世界でも類のない山岳遭難事故だった。
 同じころ弘前歩兵31連隊も雪中踏破訓練をしていた。こちらは38人という少人数だったこともあるが全員無事に帰還した。装備の違い、指揮官の能力の違い、地元民の協力など差異はいくつもあった。弘前連隊の方がすぐれていたと思った。しかし彼らは遭難中の青森連隊とすれ違っているのに助けなかった、さらに弱った地元案内人を置きざりにし、自分たちだけが逃げ帰った。

 弘前連隊ではこのことを口外しなかったので、近年までそんなひどいことがあったことは知られていなかった。無茶苦茶だが、昔の軍隊組織はそんなものだった。

自衛隊の雪中訓練:地元のテレビで放映! 雪上車の付けた道を歩いている。

1月23日は自衛隊でも記念日になっているので青森の連隊はその日は八甲田で雪中訓練を行う。私たちが泊まっている宿の大広間は本部になっていて広場には雪上車などが泊まっている。600人の隊員はみな雪の中で幕営。装備は格段に上がっているが、天候は当時とあまり変わりはない。零下11度にはなっている。きっと寒いことだろう。

しかし私たちが話した隊員たちは結構楽しそうにしている。完全装備を女性もかなりいるので驚いた。ちょっと気の毒に思ったのは、彼らが履いているスキー。一般スキーヤーはみな最新式の幅の広く軽いスキーを履いているが、彼らのは皮ベルトで靴の先だけを止めるもので、扱いは大変難しい。機敏に安全に動くためにはもう少しましなスキーを配布すればいいのに。

銅像茶屋という建物が雪に埋もれている。銅像は茶屋の後ろの丘に建っている。青森連隊の後藤伍長は雪の中、立ったまま仮死状態で発見された。その地に銅像が建てられたのだ。八甲田に来たのだからお参りをしておかねばならない。ということでシールを付けて上った。当然自衛隊員もここから雪中訓練に出かけたかと思ったが足跡はまったくなかった。ダメじゃないか。

国立科学博物館へ

孫と一緒に上野の国立科学博物館。昔の古いイメージとは違って展示がすばらしくなっている。連休の一日目、多くの家族ずれがやってきている。科学離れが心配されるこの頃。結構まじめに科学に向き合っている親は多い。

久しぶりだったがフタバスズキ竜は健在、フーコーの振り子も機嫌よく動いていた。孫は嬉しそうに写真を撮りまくっていた。あとでみると私よりも数倍上手だった。カメラは私の方がいいのに。

動画もとったので入れようと思ったら、5メガ以上はダメとのこと。残念。

狛ブタがいる御岳神社

  今年は亥(いのしし)年だ。正月に中国に行った友人からの情報では、日本ではイノシシ年だが、中国ではブタ年だという。干支が伝えられたころ日本にはブタがいなかったそうだ。なのでブタに一番近いイノシシが十二支に選ばれたそうだ。

今年も初詣に行こうと思っていた武蔵御岳山には狛ブタがあった。前にも「なんで尊い天孫の社をブタがお守りしているのか不思議だ」と書いたことがある。天孫とはアマテラスオオカミの孫で、神武天皇の高祖父というニニギ命の社である。

  御岳山の狛ブタは本家の干支を忠実に描いたのだろう。今のようにブタ、ブタと蔑視する傾向はなかったのだろう。ブタ野郎なんて、ブタに失礼だよな。

近々、改めて狛ブタさんにお参りしてこよう。そして参道の「もみじ屋」さん(下島伸介さん推薦)でおそばを食べなけりゃ。クルミそばがおいしいですよ。2018年2月に来た時の写真。

広告に惑わされないぞ!

正月、孫たちがきていた。私がハズキメガネをかけているのを見て「ハズキメガネ、だーい好き!」というコマーシャルに合わせて、お尻の下にメガネを敷いた。コマーシャルでは大人のお尻の下に入っても大丈夫といううたい文句だが、私のメガネは小学生のお尻の下で「パキッ」という音がしてひびが入った。まあ中央部で見え方に影響はないが、うたい文句とはだいぶ違う。「コマーシャルを信じてはいけないよ!」という教訓を孫に教える。

メガネが壊れたって命にかかわることはないが、車の自動運転などはそうはいかない。自動的にブレーキがかかるとか人が出てきたら停車するとかいろいろ言うが、まだ全面的には広告を信用はしていない。しかし子どもや高齢者は簡単に広告を信用する。「あなたみたいに何にでも疑問を呈していたら社会は進歩しないよ!」と言われるが、どうも疑わしいことが多い。

昨年中国に行ってキャッシュレス社会を実体験した。物ごい(町中に乞食はまったくいない)や路上ライブの人までQRコードで決済をしているのを見て、「これりゃおかしい!」と思った。私はいつもニコニコ現金払いをモットーとしてきた。しかし日本でも急速にキャッシュレス、スマホ決済が進行している。我ら年寄りは取り残されるが、社会は変革しなければならないのだそうだ。政府肝いりで「お金」離れをさせようとしている。年より仲間の輝ちゃんはまだSUICAを持つことに抵抗している。

テレビ、ネットの情報に流されてはいけない。しかし流れに掉さすのは大変難しい。特にお金をちらつかされるとすぐになびきたくなる。カード決済をするとポイントで還元してくれるというが、このポイントというのが曲者。こんなことしなくて現金値下げしてくれればいいのに。でも誰かがどこかで儲けるためには現金値引きではうまくいかないらしい。世の中どうなっているのかわからん。わからない時には急がないで、ゆるゆるとポイントなしでいつもニコニコ現金払い方式を選びたい。

今年も駅伝三昧の正月

今年も正月三が日は駅伝テレビ観戦。1日の実業団駅伝はまれにみる大接戦。99.9㎞まで旭化成の大六野選手とMHPSの岩田選手の一騎打ち。最後の100mで旭化成が抜け出し4秒差の4時間51分27秒で優勝。3連覇を成し遂げた。

2日3日は関東大学駅伝。青山学院の5連覇はならなかった。往路は東洋大、復路は青山学院大、総合優勝は東海大という3強での分け合い。どこも選手層が厚くなったのだろう。しかし実業団に比べればタイムは復路山下り5時間23分49秒(107㎞)、100㎞に換算すると5時間2分ほどになる。人気は箱根駅伝だが、実力で見るとやはり実業団の方が面白い。

本日夕方池袋でT高校(大昔、韋駄天の金栗四三が地理の教師をしていた)の卒業生が集まっている場所に参入。嫌がらずに歓待してくれる。今の若者はまったく如才ないなあ。その中の一人は母校の応援に箱根まで行ってきたとか。残念ながら彼女の母校は必死の応援にも関わらずシード落ちになってしまった。

我が家は、ここ40年間駅伝を見ない正月はほとんどない。毎年の恒例行事がいつまで続くか? 昨年は一緒に走ったりサッカーをやっていた仲間が亡くなった。マンネリだが恒例行事を続けられるのは幸せというものだと、この年になると実感する。

今年はこまめにブログ!

昨年はFaceBookを始めたので、こちらのブログがおろそかになりました。さらに四国遍路のまとめ、全国一の宮のまとめ、昨年の敦煌旅行のまとめなど結構パソコンに向かうことが多かったので、古びた頭は全開で、ブログまで手が回りませんでした。

さらに旅行用にipadを導入し、敦煌旅行に持っていきましたが、写真の整理などがわからないので、ノートパソコンも持っていきました。しかし砂と寒さのせいでNECパソコンは動かなくなってしまいました。帰って修理代を聞いたら15万円とか。買ったよりも高い。結局ipad、PCともに使えず、ストレスがたまるばかりでした。

新年からグチを言っても始まりません。まずipadは年寄りにはムリ、孫にやることにします。PCも整理してカスタマイズしたものだけ使う。windows7は全部処分。カメラもCasioは修理がきかないのでヤメ! Nikonは重いのでヤメ! 手のひらサイズのCanonだけにします。ときどきスマホも使う。山ほどたまっているスライドは今月中に全部捨てる。実行できるかどうか!

遊び歩けるのももう2、3年と言って遊び歩いてきましたが、その2,3年も終わり、後期高齢者になります。しかしまだもう1,2年は遊び歩ける感じがしています。もうちょっと駆け回ろうかと考えていますが、神さま仏様はご猶予下さるかどうか?

でも昨年は四国88か所を全部回り、さらに空海のふるさと中国西安まで行ってきたし、全国の一宮も全部お参りしてきたから少しは忖度していただけるかなと思っているのですが・・・・