よくわからないけど、欧州田舎料理のお店で、パエリアを食べた。魚介が大変おいしい。ハーレーに乗ったおじさんたちが集まって食べていた。我が家はこれで3回目か、4回目。中山盆地という「道の駅」のすぐ近く。子持ち山の群馬天文台のふもとです。
以下のビールは家に帰ってから飲んだ。インドのビール?? ライチーの味がする変わったビール。でもなかなかおいしいのでまた買ってこようと思っているのだが、我が家の近くのスーパーではめったに売っていない。
ここ4日間、お遍路報告書造りに没頭していました。なんとか第3弾ができました。
今回のハイライトは、暑さ除けの防具と荷物運び用のママチャリ購入です。
ちっとも熱心にお寺詣りしている様子がないと言われそうです。
確かに、白装束、菅笠、金剛杖の三種の神器に身を包んでいないので、ただの放浪者とみられている節があります。でも死に装束はしたくない。大きな杖を持って新幹線に乗れないし、それよりなによりに暑いので、運動着の方が快適だ。
とまあ言い訳をしています。しかし格好は大事なので涼しくなったら、少しは格好をつけようかとも思っています。なにせ今の格好だとお接待も受けられないので・・・・・
ところで、ママチャリは安芸市の駅前のマンションの駐輪場に置かせてもらいました。次回はそこから出発です。7,8月は暑いので9月に再開です。
今回までに16日間、ほぼ250km 第27番札所までです。全行程は1200km、寺数は88か所+番外です。 距離は5分の1、寺数は3分の1、延べ日数は4分の1 程度ですね。まだ先は長い!
報告書は
http://kazmiwa.sakura.ne.jp/kaz-ohenro/ohenlo12/ohenro12.htm
です。
28日から2日まで、四国お遍路。3回目で、いよいよ高知県。前回は徳島県の最後の霊場第23番の薬王寺まで回った。薬王寺は日和佐という町にある。
次の24番は室戸岬の灯台の脇にある最御崎寺(ほつみさきじ)で、日和佐からは90キロ先にある。その途中に霊場は番外の鯖大師があるくらいだ。そこを飽きずに歩くのは、焼山寺の「遍路ころがし」よりも大変かもしれない。
私は先日からぎっくり腰で歩くのがきつい状況なので、自転車を持っていこうと思っている。私の自転車は、先輩の長沼さんから譲っていただいた超高級車なので重量は10キロ以下。今回はほとんど海岸線の舗装平地だが、最御崎寺への登りは山道。ここは担いで行くが、10キロないので大丈夫だろう。ダメだったら、下に置いて往復するつもりだ。
東京は5月にしてはとてつもない暑さが続いている。四国も暑いだろう。奥さんは日焼け対策を十分にしている。あっ 言い忘れていたが自転車は乗るのではなくて押していく予定。杖の代わり。腰が痛いので荷物を背負えないから、自転車につけて押していく。
本日は房総ハイキングの日。でも台風6号が来ている。予報では夕方から雨風強しということだが、朝のうちは大丈夫そうなので、強行! みなさんさすがで、欠席はゼロ!
小学校の子どもたちが、権現森の付近で道に迷っていた。学校の行事のようだが、10人ほどだが先生は付いていない。半分ベソかいていたので、途中まで送ってやった。あわてるとまったく反対側に行った見たい。迷いやすいところには先生が立っているのだが、反対側に下ってしまうとは予想していなかったようだ。
送って行ってやったらみな走って目的地に行った。私たちが眼蔵寺に着いたら先生と感激の対面をしていた。いい子たちだ。先生たちもよく育ててくれている。迷った子どもたちはきっと今回のこと忘れないだろう。世の中、失敗させないような教育ばかりやっているようだが、時には失敗をさせないと、立派には育たない。私たちもちょっとだけ、彼らにかかわれたのは幸せ。
我らは年寄り組も、迷わせた方が教育的と思ったが、もう今更遅いかな? 迷い道に入りこもうとしたら、近所のおじさんが、「その道はいけないから引き返せ!」と忠告してくれた。親切なのはいいけど、ちょっと大きなお世話。迷い道に行けなくてちょっと残念。雨が大ぶりになる前に笹森観音に到着。しかし茂原行きのバスは3時間後。
そこからはジモティーの花崎さんが勝手知ったるランニングコース。1時間ほど歩いて、別の真ステイに出て茂原駅に。我らはバスで上総牛久駅に到着。その時にもう自宅にもだったとの花崎さんからのメール。さすがに房総に登山コースを開いたつわものは違う。上総牛久から我が家までは2時間半でした。
本日はブラリバークラブの例会。リバーは野川。この川は大昔の多摩川の名残川。古多摩川が削った跡が国分寺崖線(がいせん)として残っている。その崖線を歩いてみようというので、最初に国分寺市と国立市の境にある「たまらん坂」に行く。この坂の名前は忌野清志郎の「多摩欄坂」という曲で有名になった。先日亡くなったので、たまらん坂にはたくさんのお花が飾ってあった。
そこから国分寺尼寺あとに行き、国分寺をみて、お鷹の道の真姿の池を見て、国分寺駅に出て解散。殿ケ谷戸庭園にも行くはずだったので何人かはそちらへ、本隊は4時からやっている居酒屋に入ってお疲れさん会。終わって出た時、まだ明るかった。
ところで、国分寺が宇宙ロケット発祥の地ってのは???
朝5時に朝食を食べて、昨日歩いた登山口まで送ってもらう。しかし本日は雨。宿のおじさんはしばらくすれば晴れるというが、私は懐疑的。雨の準備をしっかりして、6時には歩きだす。前回第一回「遍路ころがし」の難所では、朝出るのが遅くて難儀したが、その反省で、本日は早出をしたので、昼までには大龍寺の頂上までたどり着けることができるだろう。
鶴林寺での写真は全部ぼやけていた。鶴林寺を8時に出発して那珂川まで下る。那珂川を水井橋で渡って、太龍寺へ向かう。太龍寺にはロープウェーがかかっている。しかしその乗り場まではけっこう遠い。歩き遍路はそのまま上がっていく。登山口までは1.5キロほど。小さな滝もあり、いい道だ。途中に遺跡があるというが、よくわからなかった。
前回終了した19番の立江寺から出発。本日は東京から2時に着いたので、20番の鶴林寺の登山口まで12キロを歩き、本日の宿の「鮒の里」のご主人に迎えに来てもらう。明日は登山口まで送ってもらうことにした。これはなかなか便利でした。
鶴林寺と次の大龍寺は、「へんろころがし」第2弾で、のぼり350m登って、那珂川まで下り、ふたたび350mのぼって大龍寺へ出る。焼山寺の二の舞にならないように、早出でゆっくり進もう。本日は8時半に就寝。明日は5時に出発です。
千葉県の茂原の近くに笠森観音がある。今日は車に乗って市原から六地蔵に向かい、長柄の「道の駅」に車をおいて歩いて武峰神社に登り眼蔵寺を通り、自衛隊の通信施設の周りを通って、八重垣神社を通って笠森神社にでた。7割がたが舗装路だが、車は通らない静かな山里の道だった。笠森観音はすごい。
斑鳩は「いかるが」と読む。どう読んでも「いかるが」にはならないが、法隆寺があることから、まあ私は読むことができる。聖徳太子のゆかりの寺だが、けっこう謎の多い場所だ。聖徳太子は日本歴史の中では最大の偉人だったと言われている。しかしその子供たちは「アッツ」という間に滅ぼされてしまった。それだけの偉人で、氏素性も高貴な方だったのに、なぜその一族は殺害されてしまったのか。私は古代の渡来人の勢力いが原因だったと思っている。今回何年かぶりの訪れてみて、百済観音を安置するお堂が平成になってやっと完成したとのこと。百済観音は長いこと法隆寺には居場所がなかった。それは百済からの渡来人があがめた仏像だったからだ。聖徳太子は親百済だった。それを面白くない勢力があった。そのあたりの説はいろいろあるが、今回百済観音を見て、渡来人勢力争いは根深いものだったことを確信した。時間があったので、そのあと法輪寺、法起寺をまわった。斑鳩の風景に三つの五重塔(三重もあるが)がとけこんでいた。
しばらく更新しなかったら、「お遍路から帰ってきて、疲れて再起不能なのでは?」という電話がかかってきた。このブログを見ている人などほとんどいないだろうと思っていたが、見てくれている人がいるんだ!と感謝! なるべく頻繁に更新しなければ、と思いました。
遍路から変えて来たらすぐにE本さんから電話があり、遍路の原稿を書くように!とのことで、パソコンに向かっていました。その後、今回の遍路旅で撮った写真を取捨選択作業をしているうちにあっという間に時間がたってしましました。お遍路顛末はあとで載せます。
お花見! 下の写真は お遍路の帰り、三宮の駅そばの生田神社に立ち寄った時に見た桜です。ちょうど満開!