コロナ渦の中、大塚山へ

連日東京都の感染者は400人を超え、小池都知事は自粛自粛を要請しています。しかし政府はGoToを推進中。安倍総理も広島の原爆慰霊に訪れてGoToを続けると宣言している。どちらをとったらいいのか素人にはわからない。都内から出ることは避け、GoToの精神をもって、換気のいい場所に行くことにした。奥多摩の御岳山に向かった。ところが我が同志は大勢いるようで、ケーブルカーに向かうバスは超満員、まさに「密」になっている。

そこでバスには乗らず多摩川の川辺の遊歩道を行くことにした。川には大勢のカヌーの客など川遊び。ここも三密はなくOK。私はケーブル道を避けて、古里の丹三郎から大塚山へ登るコースに変更した。川沿い遊歩道はすぐに通行止め。しかたなくバス道を4キロ歩き丹生(たんせい)神社を経て山に入る。丹生都比米を祀る神社なので「にう」神社だと思っていたが地元の人はたんせい神社と呼んでいる。

先日歩いたしか道とは違い里道なので緩やかなジグザグ登り。私の実力でもあんがい楽に登ることができる。御岳山へのまき道もあるが、私はゆっくりと大塚山頂上へ。荒れ果てた休み場があるが手入れができないなら撤去してもらいたい。大塚山を下ると見慣れた御嶽神社への参道に続く道になる。けっこう人が多い。目的の紅葉屋は大勢が並んでいる。

私が作った紅葉屋の90周年記念動画が影響したのかもと思ったが、youtubeの視聴者はまだ95回、そのうちの半分は紅葉屋のおやじさんが見ているというから、この宣伝動画の影響ではないようだ。でもこの不況の中、行列ができる店になっているのはうれし事だ。ここで若い山ガールのMAEDAさん一行に会い、天然かき氷を食べる。涼しい山で体が冷え冷えになる。

ここで別れる予定だったが、ケーブル駅は混雑していそうなの山ガールについて日出山からツルツル温泉にいく。入場制限をしているが、夕方近くになってきたのですんなり入ることができた。久しぶりのツルツルの湯。皆さんの美人度がさらに増したようだ。彼女たちはみっちゃんたちとは違って飲んべいではないので、すんなり拝島で別れ、西武線で帰宅。温泉に入ったのに8時には家に着いた。

 

神長官守矢史料館:空飛ぶ泥船


諏訪上社の近くにこの史料館がある。建物は建築家の藤森照信が手掛けたもので、1991年に開館した。藤森はこの地の出身で守矢家の第78代当主守矢早苗氏と幼馴染であったことから依頼を受けて、ちょっと奇抜な建物を建てた。博物館なのでコンクリート造りだが外観は様々な細工が施され、地元の風景になじんでいる。

屋根を貫く木材は諏訪の御柱を意識している。内部に入ると壁面にシカの頭部、ウサギの串刺し、何十ものイノシシの頭部が展示されている。かなりグロテスクな感じがするが、昔の「御頭祭」の神事の時に行われたものを復元したのだ。1784年菅江真澄は御頭祭を見聞し、そのスケッチを残した。それをもとに復元したものだそうだ。

諏訪神社の祭神は出雲から逃れてきた大国主の息子のタケミナカタである。天照大神が派遣したタケミカズチ軍との戦いに負けて姫川を経由して逃げてくる。諏訪にはすでにミシャグシ神を祀る勢力があったが、タケミナカタに負けた。しかし諏訪上社の神事は昔のまま取り仕切ることになった。大祝は諏訪の現人神で、神事は守矢家が取り仕切った。守矢氏は縄文の昔からの神事を受け継いできたんだろう。実は守矢氏は近くにある守屋山の名前から推定されるように物部守屋と関係があるといわれている。こうなると古代史好きの人間にとっては想像がどんどん広がっていく。

藤森さんはこの建物を建てた後、背後にヘンテコな建物を建てた。高過庵(たかすぎあん)・低過庵(ひくすぎあん)・空飛ぶ泥舟(そらとぶどろぶね )である。高いのは茶室であるが実際に使われることはないようだ。

中央構造線 がけ崩れ!

  長野県の大鹿村を日本で一番規模の大きな大断層である中央構造線が通っている。構造線というのはプレートが押し合って地層が割れたりずれたりしたものだ。上の地図を見ると四国紀伊半島ではほぼ東西に延びているが、静岡県に入ると急に曲がって諏訪湖に北上している。曲がっているのはフィリピン海プレートが北向きに突っ込んできたからだ。

いずれにしても構造線は地層が壊れているので雨が降りこんでくるとグズグズになり、長い間に構造線に沿って谷ができる。ここ大鹿村を流れる川はみなグズグズで崖くずれ、土砂崩れが起こる。

中央構造線博物館から見える大崩れは「大西山崩れ」で昭和36年の集中豪雨で崩壊した。村民42名が亡くなる大災害だった。いま桜山になっている台地は山体が崩れた土砂でできている。当時の集落はこの土砂の下にあり、川の流れは大きく迂回している。 大西山の崩れよりもまだ大きな崩れは鳶ケ巣崩壊地で砂防工事をしているがあまり意味ない感じだ。ここは蛇紋岩(かんらん岩)地域で特に崩れやすい。

しかし地滑り、土砂崩れの地では土地が肥えていることが多いので古くから人が住んでいる。南北朝時代、後醍醐天皇の皇子の宗良親王は上蔵集落に流された。ここには福徳寺や松川家住宅など由緒ある文化財もある。こんな危ういところだが人々の営みは続いている。

HANAOKAさんは砂防の専門官、砂防ダムの見学にも行って来た。

簫の笛山でシカの食害調査

伊那谷の西側に中央アルプスがある。その前衛に簫の笛山(1700mくらい)がある。登山道もついていないので登山ガイドブックには載っていない。その山でシカの食害を調査しているHANAOKAさんから、一緒に行かないかと誘われた。GoToキャンぺーンで東京人は嫌われているので大丈夫か?と聞いたら三密にならなければ大丈夫。周辺1キロの間に人は誰もいない、暑いけど換気もいいし問題にないという。

シカが繁殖して困っていると聞いたが、根こそぎ植物を食いあらすので表土がむき出しになり、雨が降ると土砂崩れを起こすのだそうだ。特に伊那谷は地質構造も軟弱で今年のように大雨が降ると大規模崩壊につながるそうだ。本当にシカと土砂崩れとの間に関連があるか、あるとすれば、どう対処すればいいか。砂防の専門家のHANAOKAさんは地元の大学の研究者とともに、基本調査を続けている。

まずシカの行動を調べるために、各所にカメラが取り付つけられている。急斜面を上り下りできるシカの道をたどるのは大変だ。2か月に一度はカメラデータを集積し、電池を交換しなければいけない。一つに10本の電池がいるので、1か所分の電池を持つのはけっこう重い。私は足手まといにならないようについているだけだが、研究者の皆さんはコロナ外出自粛の中、もくもくと電池交換に登りおりしている。こういう人がエッセンシャルワーカーなのだろう。

夜は一緒した登山家のHYODOさんが所属する大阪市立大学の山荘に泊めてもらう。ログハウスの素晴らしい山小屋だ。すぐ近くにやはりログハウスのピザ屋さん(OZ)でテイクアウト。

 

新型コロナ第2波 熊野八幡神社!

このグラフを見れば当然第2波と言うことがわかるが、偉い人は誰も第2波が来ているとは言わない。このグラフの右端はさらに上がるのか、ここをピークに下がり始めるのか、それはわからないがともかく第1波よりも大きな第2波が来ていることは確かだろう。この最中にGOtoキャンペーンをやるというのは異常としか言いようがない。コロナが終息したらやると明示して予算を付けたのだから、それを前倒しなんかしないで欲しい。政府は世界とは一桁違うといっているが、とうとう累計感染者は1万人を超えた、死者も千人を超えた。確かにアメリカ、ブラジルとはだいぶ違うが、日本の渦中にいることは確かだ。経済が回らないと大変だというが命とどちらが大変なのか!せめてあとひと月待って欲しい。そのお金は、疲弊しきっている医療関係に回して欲しい。これだけがんばって救命をしている人たちにボーナスを出してあげたら。

そんなことを言いながら、相変わらず私は三密を避けながら、しかし体力を落とさないように散歩を続けている。本日は腰が痛いのと足の裏のイボが治療中なので自転車散歩。我が家から石神井川を下って隅田川へ、隅田川左岸を下って尾竹橋まで行きそこから都電通りを引き返し、田端の電車の車庫を上から見て飛鳥山経由我が家へ。

荒川沿いに我が母校があった。これまでは首都大学東京だったが、小池都知事のご尽力?で東京都立大学という名前が復活した。しかしこんなところにもあるとは知らなかった。

この後は熊野八幡神社、境内の厳島神社。狛犬さんに疫病退散を祈願してきた。狛犬は神社の門番だから、ここに祈願してもダメかな??

COVID-19感染者200人越え、大松富士山!

専門家会議が廃止されたので正確な情報が入って来なくなった。公表されているデータだけでもこんなグラフができる。これを見たらだれでも新宿歌舞伎町のキャバクラなどに営業自粛を要請すべきと考えられる。しかし都知事は検査を増やしたからこうなったと言い訳している。
そんな状態なのに政府はGO to キャンペーンを始めた。ごく常識的に考えれば東京都の人がやってきたら地方の人は嫌がる。こんな時期にあちこちに旅行を始めたらウイルスを全国にまき散らし放題ということになる。政府、都知事はこの状況に対してどうしたらいいかの指針をなにも発表しない。我々は何をしたらいいのか。
専門家会議の皆さん、独自にデータを発表して欲しい。それを見て自ら判断しますから。テレビを見ながらぶつぶ言ってもらちが明かない。自分は自分の判断で地元をウロウロすることにしている。繁華街には行かない。混雑した電車やバスには乗らない。それなら大丈夫だろう。今日の行き先は練馬区の大松氷川神社の富士登山と狛犬探索。こんな日差しが強く暑い中こんな場所に来る人はいないから三密になるはずもない。この神社は2009年だったかに放火で焼けてしまったが地元の方々の努力で再建がなされ、立派な社殿になっている。氷川神社にお参りしてから鳥居脇の富士山に登ってきた。ここには丸吉講の石碑がある。私は富士講の石碑がある塚を富士塚と認定しているが、ここには二基ある。山頂までは3mほど。頂上には浅間さまが祀られている。

この神社がある場所は斜面に面している。一見するとこの辺りは平坦な土地に見えるが昔は田柄川が流れており、河道跡は少しくぼんでいる。この大松氷川神社は緩やかな斜面に位置している。河道はいまバイパス工事の最中。せっかく河道跡で低地だからもうちょっとだけ掘りこめば川越街道と立体交差できるのに、平面交差になっている。これじゃ新しく渋滞場所を作ることになる。

忘れていた。肝心の狛犬は初夏の青葉の中に埋もれていた。

赤羽付近は緑色!

東京の新型コロナ感染者が100名を超えたというニュースが流れた。昨日は感染者は新宿歌舞伎町を超えて池袋がトップになったと報じていた。私が池袋に歩いて行くときに通る道筋である。こりゃまずいのでコースを変えなくちゃ。私が歩くのは昼間、夜の町ではないから大丈夫だろうが。1月24日からのデータをグラフにしてみた。上昇カーブは赤色の線のようで、このまま一気に上昇したらこれは東京都はロックダウンだが、お金が無くなったのでもう自粛要請だけだろう。どうなるかシミュレーションしたくても専門家委員をクビにしたので政府に指針はないだろう。

散歩コースを変えて赤羽に行く。バスで来た奥さんと落ち合って「鯵や」でアジフライランチ。ここは人気のお店でいつも混雑していたが、ちょっと早かったせいかすぐに食べることができた。一応満足。

 

赤羽駅に出たら選挙演説で混雑。緑のスーツをきた女性が「本人」という旗を従えているので小池都知事かと思いきや、北区の都議会補欠選挙候補だった。北区は女性だけ5人が立候補している。大混戦。ポスターをみて驚いた。一人はホリエモン新党、白いのはアベノマスクだよ。こんなのいいのかな?ちょうど今神社では茅の輪くぐりが行われている。蘇民将来ととなえると疫病が退散する。私も8の字に回って疫病退散を祈願をした。我が家に戻る。
今月の散歩の歩数、前半は順当だったが、免許の認知症検査のショックでぎっくり腰になり、後半は腰折れした。年寄りは歩き過ぎてはいけないとの教訓。

わが家の花々

東京の新型コロナの感染者は50人超えた。第二波ではないかと心配されているが、町中はもう完全に元に戻ったという感じだ。感染者は成田空港などで多くなっているようだ。もう中東などから人が入っているそうだ。このまま外国との交流が続くと第二波は必死だろう。どこの国も鎖国状態をしばらく続けないといけないだろう。

ブラジル、アメリカなど南北アメリカ大陸ではまだまだ流行が続きそうだ。さらにアフリカはこれからだろう。オリンピックで人々が来ては、さらなる感染が広がるかも。もうオリンピックを引っ張るのはやめた方がいい。速く宣言をしてあげないと選手も役員も、チケットを持った人たちもかわいそうだ。

世界は大変だが、我が家は遊びに行けないだけで全く何の変化もなし。我が家の庭は花盛り、ご飯は毎日三食奥さんが作ってくれている。ありがたいことだ。

認知機能検査受験

75歳以上の後期高齢者の免許更新のためのには認知症機能検査を受けなければならない。その通知は4月にはついていた。「重要:速やかに開封してください」と書いてあったので急いで中を見て警視庁免許本部に電話した。もちろんこの当時はコロナで検査の申し込みは自粛除後になるとのことだった。6月1日から自粛解除になると聞いたので、1日朝一番に電話したら電話が混んでいるから後でかけ直してくれとのこと。それから毎日5回ぐらいかけたがまったく変化なし。仕方ないので板橋警察に電話したら、5万人ぐらいが待っていて電話をしているとのこと。なのにオペレーターは17人しかいないそうだ。

webで申し込めないの?と聞いたら、高齢者はスマホやパソコンは持っていないだろうからやっていないとのこと。ということで辛抱強くやるしかないようだ。時報と共にかけること数回で通じて22日月曜日に受験可能になった。家から歩いて行ける滝野川庁舎での受験だった。朝から雨、歩き始めて15分で突然ぎっくり腰、道が入り組んでいるのでバスもタクシーもない。下板橋駅に行き電車に一駅のり北池袋からまたよたよたと歩いて到着。入り口で30分前に集合ですよ。もう皆さん席についていますよ!と注意された。

試験は記憶力テストと認知テスト。一問目は今は何年何月何日何時かという問題。入り口で注意されたので時間はかなりきっかり答えることができた。試験前に時計は外すようにと言われた。2問目は16枚の絵を見て記憶する。答える前に数値遊びが何問かある。これは後で聞くと採点されないようだ。記憶を遠くするためにやるみたい。回答をするのだが16枚の絵を思い出すのは難しい。私は半分しか思い出せなかった。前の人も横の人も全部書いている。第3問目は時計板を描いて1時45分の針の位置を書けというものだった。これは私は問題なし。

しばらく待つと採点結果が配られる。「76点以上は記憶力判断力に心配はありません」結果は色別に印刷して配られるので、他人の結果は見える。私のまわりはみな青色で合格。前の人は98点。私は78点でまさにギリギリセーフ。腰痛はひどかったので成績が悪かったのだろうと慰める。家に戻ってインターネットで検索してみたら、なんと認知症検査の問題が載っている。奥さんは事前準備をしないで行くからよ!と言う。みなさんちゃんと準備しているのか。インターネットを見ることができる人も多いのだから、警視庁は高齢者はスマホは持っていないなど言わずにweb申し込みにすればいいのに。

この後さらに高齢者講習を受講しなければ更新手続きができない。また電話で申し込むがどの教習場も混雑で電話待ちだ。本日やっとつながった。8月23日㈰9:00開始。30分前に行くことだ。なんとか誕生日前に更新できそうだ。こんどは少し準備をしていこう。

 

下練馬富士は散歩コース

   わが家は「大山」町にある。大山街道が通っていたからその名がついた。大山というのは相州の大山のこと。日本橋から出ると反対方向みたいだが富士山に行く富士街道もみな川越街道に沿っていた。本日はこの大山道が散歩コース。練馬の環状8号線の交差点が昔の東工や東高野道との分岐だ。その石碑が移転して残されている。示す方向は反対になっている。

下練馬でお富士さん(富士塚)にであった。まもなく山開きなので、私も初登山。

入り口にはちゃんと役行者がいるし小御岳神社のまえには天狗がいる。合目の石もあり富士講の石碑もある。都内でもなかなかのお富士さんである。東武練馬駅で奥さんと待ち合わせてかなりしゃれたランチ。

 

 

午後からは東小金井のNさん宅へ。自宅でJさんの三回忌の個展。TAKAGIさんら珍しい人に出会った。その後下ジイさんと飲み会。ちょうど御岳山紅葉屋の紹介をYoutubeにアップしたので一緒に見る。企画者はシモジイである。https://www.youtube.com/watch?v=2kAuV_1JVEs

高尾山に行ってきました!

3か月ぶりの病院、心電図をとってからの診察なので、いつものように一日がかりだと思っていた。しかし新型コロナのせいなのか病院はガラガラで10時には全部終わってしまった。半年前と変化なしということでとりあえずオーケー。朝の天気予報で晴は本日迄と言っていたので、そのまま高尾山に行くことにした。高尾駅から小仏峠城山と空いているコースを考えていた。

11時40分、ちょうど陣馬高原下行のバスが出るところだったので急いで飛び乗った。12時15分に陣馬高原下から歩き始めた。陣馬山までは昔望遠鏡を担いで上がった。我が高校の天文部は別名天文山岳部だった。1時半陣馬山の白馬にでた。周囲の茶屋はほとんど休業、人は少ないのでちょっと寂しいが空は真っ青に晴れて美しい。コロナのおかげでヒコーキが飛ばず、車も少なくなったので空気はきれいになった。ここから高尾山までは、山岳耐久レールの練習で毎週来ていた。還暦のころは2時間で行くことができたが今は3時間はかかるだろう。しかしまだ1時半、遅くとも4時半には高尾山口駅に着くはずだ。

明王峠まで25分。先日FBで城定くんがこの辺りまで道路整備に来ているという記事を見た。コロナのせいで人が入らず土砂崩れ、倒木が相次いでいるのを見かねてボランティアで黙々と整備している。行政ができないなら自分でやるよ!この精神が山中先生のいうファクターXだろう。コロナが日本で爆発的に広がらなかったことはそれぞれ自分たちでできちことは率先してやっていく習慣が社会にあることだと私は思っている。城定君の行動、おせっかいだがこういう人がいるから非常時でも動いて行くのだろう。

皆さんのお世話で快適に歩きながら小仏峠まで1時間半で到着、スマホの充電をしてこなかったのでヤマップの記録をここでストップ。城山下のまき道は土砂崩れで通れないので山頂の茶屋に行くが、ここも休業中。

城山からは一丁平をとおり琵琶滝経由で降りてきた。高尾山頂から薬王院などを通ると人が多いだろうと思っていたが、ケーブル駅に着くとほとんど人はいない。高尾山観光は外国人観光客で持っていたのだということを実感。このままでいけば私の「好みの山」リストに復帰するなあ

黄色い花 初夏

我が家の周りに黄色い花が目立ちます。3種類違うのがあります。2つは名前がわかるのだが、もう一つわかりません。どなたか教えてください。

御岳山紅葉屋へ

  6月に入っても自主自粛を続けると言った舌の根も乾かないうちに、立川の下島さんから御岳山に行くよ!との誘いがあった。紅葉屋さんが再開するから山上でおそばを食べようとのこと。3月12日に紅葉屋創業90周年を祝うはずだったが、コロナで延期になっている。いつできるかの相談もかねてのことだ。

 そうだと言ってもいつ終息するかもわからない。集まったところで相談の内容はない。目的はおいしいおそば。その前に久しぶりの登山を楽しむことにした。平日の昼間なので電車はすいている。しかし御岳駅からバスが混むかのもしれないので、川井駅から歩いて行くことにした。山頂までほぼ9キロ、杉並木の急登がある。ゆっくりのんびり歩いて行くことにした。

 その様子は動画を作成中なのでそちらを近々アップします。途中でケーブルカーを見ると誰も乗っていない。帰りは雨も降っていたので義理でのって下った。久しぶりのケーブルカー、なかなか楽しかった。バスに乗ろうと思ったが30分後だったので歩いた。バスがつくのと同時に御嶽駅に着いた。久しぶりの遠出、ちょっと後ろめたかったが山の空気はよく、中央線は一人置きに座っているので、三密になっている場所はまったくなかった。

 

6月になり、自粛緩和のうごき

 5月26日に新型コロナの自粛が解除になった。東京は6月1日に解除の予定だったが、政府が速く解除するようにいろいろ操作をしたようだ。5月23日には感染者はたった2名になり、自粛解除の流れは一気に加速した。東京の町中は関西地区が解除になったころから一緒に解除になった気分らしい。

学校は予定通り6月1日から登校できるようになるらしい。我が家の孫は高校一年生、卒業式もそこそこに休校になり、そのまま高校に引き継がれることになったが、入学式もないまま2か月が過ぎた。やっと明日に入学式があるそうだ。ジジババも参加したかったが、親も入ることはできないので校門まで送っていくだけのようだ。

大人になってしまえば、思い出に変わるかもしれないが現在はそれどころではない。コロナのせいが一番大きいが、大人たちの都合でウロウロさせられたことはまったくかわいそうな状況だ。大人には何とか基金とかアベノマスクとかで補償ができるが、子どもたちにはどんな補償をしてくれるのだろうか。

 ジジババにとってはまだしばらくは外出、外食などできないだろう。皆はしゃいでいる。我が家のすぐそばまでパチンコ屋の入場券の配布の人たちが並んでいる。前よりももっと危険な状況になっているのであと1か月ぐらいは自主自粛の予定だ。膝が痛くなったので家中登山は出来なくなったが、朝早く散歩は続けている。

先月は45万歩になった。FBを見ていたら、町田市の同い年のFさんは60万歩と言っている。負けた! 昔は悔しい、なんとか追い越そうなどと考えたが、いまはすごいなあと感動する。コロナのおかげで人間ができてきたなぁ。

居場所なく、ベランダに机 「出社当番」が癒やし 

これまで私は朝9時ごろから近くの病院にある喫茶店に行ってモーニングを食べながら10時半までいました。暇そうな常連さんもいて、お互いになんとなく親近感がわいていたものです。時々は知り合いとの会合にも使っていました。1月末にはOnuki Teruちゃんと連続であったりする、私の書斎兼社交場でした。

しかし病院ということもあって3月半ばからはまったく近づいていません。家に閉じこもって奥さんに、三食作ってもらっています。それはありがたいのですが、2か月以上その状態が続くと飽きてくるのはしょうがない。
通常なら3日間一緒にいると気まずくなってくるのですが、今回は共通の敵アベのマスクがおり、不満はあちらに向けられるので巣ごもりは維持できていました。テレビを見ているとアベのマスクは次々と不祥事を起こしてくれるので、我が家にとってはありがたい存在でした。

いよいよ自粛解禁になると世の中はみなアベのマスクのことを忘れ、次のことに話題が移ってしまいました。我が家でも不満のぶつけどころが亡くなってきたので、私も居場所探しを始めました。上のつぶやきをみて私も新たな書斎を作り出しました。

今年一月台湾に行ったのですが、その時に訪ねた李さんからすばらしいマンゴーが届きました。ベランダに出したテーブルの上でそれを食べながら、新しい書斎を満喫中です。しかし雨が降ったらどうしよう。