酉年=にわとり ニワトリの神社もあまり見つからなかった。これは青森県黒石市の神社にあるものを借りた。奈良の石上神社神社には尻尾の長い鳥がいたが、狛酉はなかった。黒石市にも行かなくては!戌年=狛犬 世界一大きな狛犬、岐阜県の美濃焼の狛犬。世界一というが、狛犬のルーツといわれるのはエジプトのスフインクスなので日本一といって置く方が無難だと思う。岐阜県美濃の八王子神社。岐阜県の瑞浪にある東濃地科学センターの友人から教えてもらって昨年暮れに行ってきました。 でかい、よく作ったものだ!亥年=いのしし、京都御所の近くの護王神社はイノシシ神社で有名。さらに建仁寺の隣にある摩利支天にも同じ形のイノシシがある。一昨年歩きまわって探したものです。
干支の狛犬?その3
午(ウマ)駒=馬 だから狛駒となるかもしれないが、あまりおもしろくない。狛犬風の馬というのがいいかも。大阪八尾市の田中神社は競馬の神様がいる神社だそうだ。先日京都淀競馬場のそばを通ったが、この神社は知らなかった。ということでこの写真は借り物。近々行って写真を撮ってこよう。
未年=羊年 羊が門番になっている神社はあまりない。埼玉県の高麗神社に行ったら、隣にある高麗聖天の末社の前にこの石造があった。高句麗は騎馬民族の国だったから「羊」はシンボルだ。
申年=猿 狛犬は神社の鳥居の両脇に置かれていることが多い。それは尊い社殿を守護するための門番だからだ。前に出てきた牛やここにある猿などは神さまのお使いで、本来は秘書役である。庶民信仰では牛も猿も狛犬と同列にしている。赤坂の日枝神社である。日枝神社のもとは比叡山のふもとにある日吉神社である。
干支狛犬その2
子丑寅卯と順番にきた。今回は卯でウサギ。浦和の調神社、調とかいて「つき」とよむ。そこから月神社と解釈されて、月にウサギとなった。鳥居の前のウサギは2015年だったかに新しいのに取り換えられた。前のウサギは手水舎の横に置かれている。撮影日時は2月15日、写真の5月19日は二枚を合成した日にちです。外出したわけではありません。念のため!
これは龍です。龍=ドラゴン=辰ということで入れておきます。 天橋立の根元に丹後一宮の籠神社(このじんじゃ)があります。ここは元伊勢といわれ、由緒正しい神社です。宮司さんは海部(あまべ)さんでこの家の系図は天皇家と同じくらいの歴史を持っている。国宝になっているそうだ。そばには浦島太郎の伝説があり、海洋民族の出身であることを示している。籠神社の裏手高台に眞名井神社がある。この神社の前まで津波が来たことを示す石碑もある
辰の次は巳である。巳はヘビ、水辺にいるので弁天池のそばに置かれることがある。東京西立川の駅近くの矢川弁財天にある。府中崖線の湧水が水源で矢のように早く多摩川に流れ込むので矢川という。(地元に住む下島伸介さん言葉)
干支の狛犬
自粛の毎日、家中登山も膝が傷み、富士山に登ったところでいったん休止。
今はパソコンに向かって、干支の狛犬探しをしています。
昔の写真をとりだして狛犬や狛ネズミ、狛申などがないか調べて遊んでいます。
3日間だらだらと調べて十二支が完成。
とりあえず3か月分載せます。子の年(2020年)19年の暮れに年賀状のために京都大豊神社まで行ってきました。丑年(2021年用)文京区の牛天神にありました。牛は天神のお使いです。なのでガードマンである狛犬とは違うのですが、ここでは一対になって阿吽の狛犬風になっています。寅年、京都の鞍馬山は義経が修行をした寺。毘沙門天を祀っている。寅は毘沙門天の守り神。でもここでは狛犬風。ちなみに東京神楽坂の毘沙門堂にも同じような狛寅があります。
快語碌から勝手に転載!
2020年5月8日金曜日
大型連休、終わってみて
文字通りに、STAY HOMEの連休だった。といっても、翌日の7日から、生活が変わったわけではない。
朝起きたら、体操をして、エアロバイクをこいで、いつもの3PO(散歩)コースを歩く。帰ってきて、朝食を食べながら、ゆっくり新聞に目を通す。
ひと休みしてから、簡単に掃除をしたり、洗濯をしたりの家事をして、本を読んだり、CDを聴いたりして、昼食。
ほとんど、人に会わない。だから、マスクは不要。
夕食は、6時と決めている。ほぼ毎日、自炊している。もう何年もやっているので、レパートリーも増え、ご近所さんに配って、よろこばれている。
この日程は不変です。
小泉内閣で、首相秘書官もした岡本さんを、テレビなどでおみかけするたびに、まだ頑張ってるな、と思っていた。
PCR検査機器は日本製
5月7日のテレビで、フランスの駐日大使が松戸にあるPSS(プレジション・システム・サイエンス)という会社の田島秀二社長に感謝状を渡したという映像が流れた。詳しく見ていなかったので、この会社のHPを開けてみた。この会社では全自動PCR検査システムを作っていて、この器械がフランスの新型コロナ(COVID-19)のPCR検査に多大な貢献をしたとして感謝状が渡されたそうだ。
日本では掛け声はあるが、医療崩壊防止としてPCR検査数を意図的に減らしていた。しかしフランスなどでは医療崩壊を起こしながらもPCR検査をやっていた。感染者数がわからなければ、緊急事態を解除する根拠がないからだ。そんな大事な検査だが、人員も機械も足りないので増やせないと言われて、私たちは納得させられていた。
「PCR検査をたくさんやればいいってもんじゃない。やらなくても日本は死者数は少ないんだから」という論がまかり通っている。しかしヨーロッパの国々や韓国は日本の数倍数十倍も検査をやっていた。その機械は日本のPSS社製だったのだ。
PSS社の「全自動検査システム」は人手はほとんど必要ないので医療従事者は危険にさらされない。2時間で10検体、1日で100検体ぐらいを安全に判定できるという。器械1台が800万円。この器械を100台買って保健所に置けば、人手は増やさなくても1日10000件の検査ができる。100台でもたった8億円、無駄なアベノマスクは400億円。5000台買える計算だ。
この機械はフランスや韓国で大活躍したが、日本には1台もないそうだ。なぜなのだろうか?日刊ゲンダイの記事によれば
「3月に認可申請したが、厚労省から何の返事もない」
「なぜなのかわからない」と会社は答えているという。
どうやらこのニュースはフェイクニュースにされている。根拠は厚労省のHPに載っていないからだそうだ。したがってテレビ朝日以外では報道しない。しかしPSS社の株価はストップ高になっている。ということは経済界では事実として認められているのだろう。
厚労大臣が全力でやると言っているのだがから、なんとしてもこの機械を認可することが大事ではないか。実績は十分にある。あらゆる手立てでPCR検査を頑張って欲しい。いままで厚労省はできない言い分けをしていたが、地元にこれだけの機械があるのになぜやらないのか?
コロナ自粛で、私の気分は晴れないのに、こんな状況を見るとさらに気分はブルーになる。なんとかまじめに説明して欲しいものだ。勝手に自粛を解除してしまいたくなる毎日です。Makoto Okamura、村重 嘉文、他31人
読書チャレンジ:7日目 「高校数学と仲直り」
テレビでは連日「80%接触削減」と繰り返している。新宿や東京駅の風景が写り「昨年よりも81%も減りました」などと報道している。数値を見せられると根拠がありそうだが、電車の乗降客が80%減ればいいのか?よくわからない。小池都知事は「三つの密」を避けると指示している。しかし三密にならなければいいと曲解して地方の神社詣でする人もいる。「STAY HOME」の標語のとおり家で犬を抱っこしてコーヒーを飲んでいればいいと理解した人もいる。
日本ではほとんどの人がなんとなく理解して外出を控えているが、国によっては暴動が起きたり、何万人もの人が亡くなっても経済活動再開のデモをやっている状況がテレビに映し出されている。消毒薬を注射すればいいだろうなどとんでもないことを言う指導者もいる。指導者は科学的、論理的に説明しなければ、納得させられない。論理的でなければ、いくら繰り返し丁寧に説明してもただの詭弁にしかならない。
とはいえ反論するだけの科学的、論理的思考が私にないのが悔しい。そこで何かいい参考書がないかと書棚を眺めていてこの本を発見した。「論理と統計でディベートに勝つ」という章があった。2005年の出版だから新型コロナのことはないが、小泉首相のイラク特措法の論議の破綻など数学的な見方で説明されている。いまの高校数学は確率統計を駆使して社会との関係を深めている、と私は理解した。私の時代、算数の続きのような高校数学だったが、若い指導者たちは高校数学を学んできているはず。論理的に考えることができるはずだ。
オーバーシュートの説明で専門家は一見グラフに見えるイラストを見せて解説していた。普通の人はついグラフだと思い、急激な増加予測に驚いた。しかし専門家はイラストを使って説明と言っていた。この図は横軸にグラフでは一番大事な時間の長さが表されていない。時間軸を正しくとれば、感染者数を抑えることで長期戦になることはすぐわかる。しかしオリンピック関係者は急激な感染を抑えれば4月には終息できると考えた。それに忖度した厚労省はPCR検査数を抑えて、感染者数が少ないように見せた。オリンピックが延期になり、それから対策を始めたが、後手後手に回ったことは周知のことである。
科学的論理的に考え行動を起こさないと、とんでもないことになる。今は非常事態宣言を解除するかが問われている。専門家が示すグラフを見れば終息に向かっていることはわかっているが、まだ1か月延長する方向だという。子どもたちのために早く学校を開かなければ、将来に禍根を残すことになる。中小企業はつぶれるよ。国の指導者は、専門家の話を理解できるような教養を持たなければいけない。
「高校数学仲直りブック」でちょっとだけ学んだけだが、指導者の教養のなさは国の命取りになると思った。これからの時代、指導者も含め理科嫌い、数学嫌いではいられない社会にならなければいけないだろう。
読書チャレンジ 6日目 東京の自然史
ブラタモリは私の最も好みのテレビ番組である。今は全国観光案内みたいになったが最初のころはタモリさん自身の「坂道好き!」の企画だった。道路に水をこぼして、「ほらこっちに流れるでしょう!」など嬉しそうに微地形の説明をしていた姿が思いだされる。
タモリさんは日本坂道学会?の副会長だったとどこかで語っていた。そして日本地質学会表彰(地質学の社会への普及:NHKブラタモリ制作チーム)も受賞している。タモリさんが坂道探索を深めた際の教科書は今回挙げた「東京の自然史」だったのではないか?タモリさんの話の隅々から推察して私はそう確信している。
ここに挙げた本は1964年初版だがその後何回も版を重ねている。山の手台地、下町低地という言葉を普及させたのはこの本が初めてだった。「タクシーの運転手から、東京の地理に通じるコツは下町では橋を、山の手では坂を覚えることだと聞いた」と書かれているが私は貝塚先生から直接聞いた。8人しかいなかった私の学年の担当の教授(当時は助手)だった。私たちはこの本を手に坂道を上がり下がりしていた。
「東京の自然史」を読んで目の前がパット開けたという山崎晴雄さんと久保純子さんが「日本列島100万年史」を書いた。きっとタモリさんも読んでいると思う。山崎さんも久保純子さんも私のだいぶ後輩だが、東京都立大学では大変お世話になった。ちなみに久保純子さんは現在早稲田大学の「探検部」の顧問である
読書チャレンジ:5日目「夢二を変えた女(ひと)」
竹下夢二という画家、私はあまり好きではない。猫を抱いたなよなよとした女性の絵(黒船屋)を見たことがあった。夢二には奥さん子どももいたが、何人もの女性と浮名を流した。黒船屋の女性も夢二の毒牙にかかった女性の一人だと思っていた。しかしこの本を読んでみて、夢二とこの女性との関係は、一方的な受け身の関係ではなく、お互いに自立を目指した関係であったと知った。黒船屋モデルの女性の名は笠井彦乃。この本の著者坂原さんの母の姉、伯母だった。
坂原さん文を適当に拾ってみる。若いころは彦乃と夢二の関係を不快感をもっており、母が熱心に彦乃を追っている姿に批判的だった。ところが定年退職後母の集めた彦乃日記を読むにつれて、夢二に付き従って病に倒れた薄幸の女性とはかけ離れた彦乃の姿が浮かび上がった。実は画家として自立をめざし、夢二とは対等な愛情をもとめて愛を貫いた意思のある女性だった。
坂原冨美代さんは私が竹早高校で10年間一緒に過ごした同僚で、いつも「もっとシャントするように!」と言われていた。我が家、学校でも叱咤激励されており、心休まる日が少なかった日々だったことを思い出す。
まえがきに近藤富枝さんが坂原さんのことを「彦乃さんに似ている!」と書いている。彦乃さんは夢二の描く弱弱しい美人ではなく明るく行動力のある女性だったようだ。彦乃さんは大正時代の重苦しい世相を突き動かし女性の自立を目指した一人だったようだ。まさに姪っ子は現代の彦乃さんのように見える。現代の自立した女性の典型だが、若いころはダンナとともに登山家でもあった。夫君は高名な登山家。
読書チャレンジ 第4日目
2003年に学校の先生をやめて、大人のための科学教室「みわ塾」と農家の手伝い「猫の手クラブ」を始めた。当時話題になっていた「理科離れ」は子どもたちの問題だけでなく大人の無関心が原因だとの考えからであった。「大人こそ科学に関心を持つべきだ」と生徒たちの親年代を集めて新宿の榎町地域センターで講座を始めた。
そこに田口さんがあらわれ「人集めならいくらでも手伝ってやるよ」と言ってくれた。退職して収入が無くなった事を知っていたからだろうが、私は時間を作って遊びまわりたいのが一番だった。小規模で月2回ぐらいのことしか考えていなかったので、断って自己ペースでやってきた。みわ塾を始めて17年になるが最初の会から田口さんらが来てくれ援助してくれている。ありがたいことで「このご恩は一生忘れません!」(…ムリヤリ言わされているのだが)
田口さんのことは読売新聞にいたKITAMURAさんから紹介された。サハラマラソンを日本人で初めて完走した人だと聞いていたが、とんでもなくすごい人だとはあとから知った。ハーバード大学を出たあとJAICAの前身国際協力事業団、国連UNDPのスーダン常駐副代表、南北問題日本委員会事務局長など世界を股にかけて活躍をしたひとだ。今は女性の活躍はすごいが当時は日本女性の活躍はごく珍しかった。しかし56歳の時にですべての仕事を辞めて、私が勤務していた竹早高校のすぐ近くにある指圧学校に通い始めた。「介護施設でおばあさんにマッサージをしたら涙を流して喜ばれた。政治の世界で人々の幸せを目指してきたが、一人のおばさんを喜ばせる方が自分にはとっては向いていると感じて、指圧師になった」と話してくれた。
田口さんは56歳から26年間かけて「楽隠居」生活を続けている。その間の生活状況はよく知っていたつもりだが、「隠居の来し方」を読むととんでもない遊びスケールだ。四国遍路3回、西国巡礼、スペインサンチャゴ巡礼など、東海道、奥の細道全部歩き、66歳記念銭湯66入湯。外国は毎年モンゴル、毎年シンガポール、ガーナ、イスラエル、ブータンなど数知れない。
私は「落隠居」生活17年だが、自分の足跡を思い返すとたいして遊んでいないなと感じる。そんなことを言ったら奥さんが「あんな偉い人と比べるなんて!、あなたは世の中の人に比べたら何十倍も遊ばせてあげているのよ!」と怒られる。そうだな、比べる方が無理なのだ。我が家の奥さんにこそ「このご恩は一生忘れません」というべきなのかもしれない。
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コメント
橋本沙和 田口さん ❤️
みわ塾で東大に行った時、そこの道を、まっすぐ行くと京都みたいなことを言われて、田口さんのスケールの大きさに驚いたのを未だに忘れません😆
福井牧子 お〜田口さんだ🤗
私も奥の細道、西国、熊野等お世話になりました👏
高世泉 おぉー、田口幸子さま❣️一度中山嘉太郎さんの桃🍑農園猫の手でご一緒しました。その前に予習で中山さんから借りた「カルツーム便り」を拝読していたので、女傑っぷりに緊張してお会いしたら、優しいおばちゃんでホッとしたのを覚えています😅 「隠居の来し方」是非読まねば‼️
恩田 真砂美 すごい!ご紹介ありがとうございます!
ジャスミンのニオイ!
我が家の前の路地の並びに毎年ジャスミンがさく。見に行かなくてもニオイで満開になるのがわかる。ここ5日間で満開になった。行くところがないので我が家から50mだけ外出して写真を撮ってみた。
家中登山もそろそろ3000mに近づく。今週中に富士山3776mに登山できるだろう。そこまで行ったら一休み。膝が痛いのとちょっと飽きてきた。
ついでに我が家のシャリンバイの花も同じ速度で咲き始めた。本日の気温は25℃で夏日になったみたい。家の中も暑い。家中登山も汗まみれになる。今月末まで自粛が続くこともありそうだ。
でも子どもたちははやく学校再開してやらないと元に戻れないかも。9月新学期などとこの混乱期に声高に騒ぐ人たちがいるが、そんなことをしたら今年の高校3年生は大変だよ。入試の改革は先延ばしになり、新学期も迎えないまま5月になり、この先どうなるかも示されない。
子どもたちは感染してもインフルエンザ並みということもわかっている。もういい加減、子どもたちは戻した方がいい。パチンコ屋や深夜飲食はもちろん問題外だが公園、図書館、などは明けてもいいだろう。いや、エアコンを入れる季節、換気が悪いなあ。いろいろ問題もあるものだ。年寄りの愚痴はどうでもいいから、専門家の人たち何かいい案を提案して欲しい。
読書チャレンジ 3日目
読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで好きな本を1冊7日間投稿する」3日目#7days
#7bookcovers
現代の「知の巨人」と言えば関野吉晴と山極寿一であると私は思っている。関野さんは人類の起源を追って「グレートジャー二―」の人力旅を敢行、さらに日本人の起源を求めて縄文号という手作りの船で若い仲間とともにインドネシアから航海してきた。山極さんはアフリカの村で40年以上にわたって類人猿ゴリラの研究を続けてる。
お二人とも人生の大半をフィールドに身を置いた探検家である。このフィールドから学んだ思索は、書物から得た従来の「知の巨人」とは明らかに違うところである。
私は昔から「体力さえあれば知力は自からついてくる」と若者に言いつづけてきた。しかし我が身を振り返ればまったく信頼性がなかったが、この二人をみれば「どうだ、私の言い続けてきた言葉は間違いなかったろう」と言える。
偉大な人間はお互いに引き合う力があるのだろうが、それだけではこんな知的・魅力的で本はできない。関野、山極両人と同じくフィールドからものを考える岡村さんがいたからこそ出来上がった本であるということも付け加えておかねばならない。
・・・・3.11の原発事故が起きた当初、日本中の人が「社会が変わる」と確信したと思います。私もその一人でした。金、経済、効率・・・そんなものよりも大切な何かがあるはずだ・・・。命、自然、生活、そして人間はどこからきてどこに行くのかという本質的論議は低調になってしまった。
もう一冊、関野さんの本を追加しておく。関野さんの思索の原点になったものではないか。
「ゼロ成長、マイナス成長、・・・せっかく生き延びてきた生命が長生きするために、人間がつつましい生活に戻るためのチャンスだと考えてみてはどうでしょう。エネルギーをなるべく消費しないで、どうしたら人間が幸福になれるか考えてみればいいのです。」
この本を作ったのは関野さんのグレートジャーニーを支え続けた(こき使われた?)白根全さんである。
白根さん、岡村さんらは「知の巨人」を支えた巨人(あれ、野球の巨人と一緒にするなと怒られそうだ!)だと思っている。
※ 2つの本は判型は違うが、同じ大きさにして並べてある。後者は文庫本
読書チャレンジ2日目(7日間)
本日は2日目 4月の末には東京都の感染者は激減したが、5月に入ったらまた連日160人を超える人数になった。専門家会議の結論では5月6日の自粛解禁はムリだとされた。まだ1か月は自粛延長の宣言が安倍総理から出されるそうだ。国民が8割削減に協力しなかったから感染者数は劇的に減らなかった。だから延長とのことだが、本当に4日に総理がそんなこと言ったら反乱がおきるかも。大阪府知事は延長には応じられないなどと言っている。さて・・・
読書チャレンジの2日目には、戸山高校の卒業生である浜先生の三部作を取り上げました。もう一冊は毎日新聞の校閲センターの岩佐さん。
安倍政権の断末魔が迫っているが、新型コロナの前からこの状況を予想していた人が浜矩子さんだ。
2015年「国民なき経済成長、脱アホノミクスのすすめ」
2016年「アホノミクス完全崩壊に備えよ」
2017年「どアホノミクスの断末魔」
とアホノミクス三部作である。我が戸山高校の誇る卒業生、私も同窓会でお目にかかったことがある。最近テレビでお目にかかることがないのは、この本のせいだろう。同志社大学教授で、財務省、金融庁、国税庁、経産省の委員としても活躍した、いわば政権の身近な人だった。その人がこれだけ言うのだから、アホノミクスなのだろう。今回の本は「ど」アホになっている。
もう一つ、安倍官邸の国語力のなさを校閲したのが「失礼な日本語」である。毎日新聞の校閲センターの岩佐さんが書いたもの。
「そもそも=基本的」
は30種以上の辞書には載っていない。しかし閣議決定で正当化した。辞書よりも安倍官邸の方が正しい言葉であるといういうお墨付きを作ったのだ。これから先、辞書にはそもそもは基本的という意味だと付け加えなければいけないのかな。
「おはようございます。安倍普三であります」
とHPの堂々と載っている。何がおかしいのかと思ったが、安倍総理の名前は「晋三」であって「普三」ではない。一番身近な人たちが自分の使える人の名前を間違えるなんて、それが堂々と官邸のホームページに載っていたのだそうだ。(いまはさすがに消された)
この2冊、何の関連もないが私の中では、安倍政権は「そもそも的」に国語力がないことを裏付けるものとして納得している。
読書チャレンジ 第1日目(7日間)
「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで好きな本を1冊7日間投稿する」
という企画が高世泉さん、岡村隆さん、三五康司さんから我が方に回ってきた。私は「書を捨て町に出よう」という題名を見ただけで、納得して街歩きをしてきたので読書文化について語る資格はない。それに、どんな本を取り上げたかで、本人の中身を見透かされそうだ。しかしまあ、どうみられるか気にする年でもない。彼らから引き継いで気になった本を取り上げてみる。
という企画がFB上で行われれているので、私も暇なので参加してみることにしました。
招待してくれた三五さんが、賀曽利隆の本を上げていた。私も「賀曽リック」信者の一人だが、もう一人強烈な信者がいる。彼の「9つの森の教え」(築地書館)を取り上げておく。著者の名前は「峠隆一」。賀曽利隆が峠越えを始めたころに着けたペンネームだ。中身はマレーシアサラワクの森から得た知恵を記したものだ。当時彼はサラワクの森にすむ先住民の抑圧された状況を告発し続けていた。投獄されたり入国禁止になったりで本名を使えなかったのだろう。だから一番尊敬していた名前をもじってつけたのだろう・・・と思う。
いま彼は日本に逃れてきた難民が、認定もされず家族と引きはなされて入管の収容施設に入れられたままになっている状況の取材を続けている。日本の「おもてなし」はこんなものだったのか。さらに告発を続けてほしい。今は本名で活動しているがここでは本名は秘密。ということで二冊並べておきます。
四国遍路歩き旅 第10回、11回(最終回)
2015年から始めた四国遍路歩き旅、2018年10月にやっと88番大窪寺までたどり着きました。2人とも2016年は体調不良で入院したりして1年2か月も空白になりました。その後の体調はどんどん低下して2018年度はもうムリかなという感じでしたが、1回の日数を減らしたり、途中列車に乗ったりして何とかたどり着くことができました。お大師様のおかげです。ありがとうございました。
この後は高野山に行って御礼をすることになっていますが、私たちは中国西安にある青龍寺に行きました。弘法大師はそこで恵果阿闍梨から密教を授けられて日本に戻って高野山を開き真言密教を伝えたのです。ということで2018年に西安に行きました。そして2019年8月に高野山にも行ってきました。ということで一応形だけは結願になりました。
写真をクリックしてください。第10回と11回の報告を見てください。ありがとうございました。!