ご無沙汰でした!

しばらくぶりの投稿です。この前の投稿は横浜のシーサイドライン! この間に列車が逆走して大事故になりました。私が乗ると後にろくなことが起きない。前からおいしいと評判のお店に行くとその後つぶれちゃったということが何回もあった。疫病神か!

実は5月25日㈯前橋の小林さんのご招待(畜産振興の件で)でダービー前日の府中競馬場の馬主席?にネクタイを締めて列席していました。そろそろ豪華な宴会というときに家から電話がかかってきて、あばあさん(99.5歳)が転んだという。お料理に未練を残しながらネクタイを外して飛んで帰り、帝京大学病院に運んだ。

診断の結果は腰の骨の骨折、手術はしないので別の病院に入院するよう指示され、近くの大和病院で世話をしてもらうことにした。3日後診断をした医者は骨折は大丈夫だが、認知が進んでいるので専門の病院に転院させるとのこと。転ぶ前はごく普通で、パーマに行ったり、買い物もできた。暑い寒い、令和の時代になったねなど会話もできた。それが一挙に100歳の年齢になった感じ。まさに浦島太郎状態。

専門病院の案内を見ると窓に格子がはまっている。家からは遠い。ここに入れたらさらに認知度が悪化する。急いで我が家のすぐ前にある病院にしてくれと頼む。いろいろ紆余曲折があったが結果として、我が家から3分のところにある病院に入ることができた。完全介護だが、がんこなおばあさんなので食事に手間がかかる。昼夜食は家族が世話をしに行くことになった。どこにも遊びに行けなくなったが、まあ仕方がない。しばらくわがままばあさんと付き合おうかという毎日です。

八景島 小柴のどんぶり屋

京浜急行、金沢八景駅からシーサイドライン(リニア)にのって八景島駅に行きました。八景島は柴漁港の外にあります。その漁港の一角に漁協が経営する食堂があるのを友人に教わりました。名前は「小柴のどんぶりや」です。そこの穴子丼が名物と言います。名物に旨い物なしと言われますが、新鮮な魚のてんぷらは旨い。巨大な穴子てんぷらは一度試してみるといいですね。

煮穴子はお持ち帰りにしました。それをぶら下げて、暑い日差しの中称名寺まで歩きました。金沢北条氏の氏寺として栄えたようで、境内には金沢文庫もありました。現在は一帯が横浜市営の公園になっています。寺の庭園はいま黄色のキショウブが真っ盛り。多くの人が散策していました。巨木、名木がいくつかありました。楷樹、別名孔子木というもの。孔子廟などにある超珍しい木だとか。 もう一つは奥様の探していた謡曲「六浦」に出てくる「青葉楓」、付近の山々が紅葉してもこの楓だけは紅葉せず青葉のままなのだそうだ。なぜそうなるかは「六浦」を聞けばわかるそうだが、私は聞いたことはない。日差しは強かったがさわやかな風、金沢文庫もシニア200円で大変良かった。年寄りのディサービスとしては大変良い一日でした。金沢文庫は写真禁止。

 

越後湯沢 いい季節です!

越後湯沢に来ています。雪が解けて新緑が輝くこの時期が一番好きな季節です。里にはもう桜はないと思っていたら、枝垂れ桜がちょうど満開でした。なんかすごく得したような気分です。 電動自転車で岩原の上にある超人気のイタリアンのお店に行きました。電動はすごい。リフト1本分を軽く乗り越えてしまうのだから。珍しくナントカパスタを食べ、コーヒーを飲んでゆっくりしました。

目の下に関越高速道路が見えます。店を出て駐車場へ。ここから遠くに神楽峰のスキー場が見えます。まだまだ雪がいっぱい。目の下には関越高速道が谷川岳に向かって伸びています 。

この写真の中の矢印が我がマンション。平成の前から我が家はスキー用ハウスとして持っていました。スキーができない時期には「おやじの隠れ家」として利用しています。大浴場とサウナ、トレーニングルームも完備しているので、ごろごろするには最適です。

来年も隠れ家にしばしば隠遁しようと思っていたところ、奥様、子どもから「終活をするように」との厳命が下った。第1弾として車の処分が終わり、第2弾として我が唯一の不動産の処分に取り掛かることにした。

4月に地元の不動産「ひまわり」に売り出しを頼んだ。

来年のスキーはここではできそうもないし桜も見られなくなる。残念なことだがもう年なので仕方がない。 ということで本日はセンチメンタルジャーニー!
だれか、引き継いでくれないかな・・・!!

陸奥国一宮 鹽竈神社

  鳥海山の帰り、USHIDA君の車に乗せてもらい塩釜の鹽竈神社に行ってきました。矢島から院内、鬼首、鳴子温泉を経由し多賀城から塩釜に行った。平成最後の日は涙雨? 車がなければ行くことができなかった。ありがたかった。

この神社には多数の狛犬がいた。それの全部、種類が異なっており、実に面白い。雨の中走り回ってすべて見たつもりだったが、まだ裏参道の下、七曲坂の下にも居そうだった。とりあえず9対の狛犬を載せておきます。

この神社は陸奥の国の一宮一宮巡りのページも作りましたので見てください。

恒例になった高齢者のスキー、ことしも連休は鳥海山に来ています。最高齢のKawazoe さんは80歳、傘寿のお祝いを2200mの頂上で行おうということでやってきました。

しかし初日は雨で登山はできなかった。翌日は高気圧の縁だったので風が強くて、さらに気温は登山口でマイナス2℃、体感温度はマイナス10℃ぐらいだった。標高が上がるに連れて斜面は氷になり、シールの上にアイゼンを付けての登りになった。

強風の時には 身体を屈めて身構えないと飛ばされてしまう。そんなことを繰り返しているうちに疲労困ぱいしてしまった。9号目ふきんでついにリタイヤ。それから下りにかかるが、強風の中でシールを外してスキーを履くのは大変な作業。

私はスキーで下るが2人はスキーをザックにつけて、スキー口にアイゼンを付けて下る。すきーはアッというまに避難小屋まで下るが歩きは時間がかかる。八号目の小屋に集合して、あとは皆スキーに履き替えて下る。

天気は良かったが、登れなかったことにはちょっと悔しかったが、まあ年を考えればしょうがない。ムリして行って怪我でもしたら大非難を浴びる。若い頃なら少々危険でも突っ込んだが、今はしない。私も大人になったものだ。

 

 

今年のボタン 西新井大師

昨日は落合の薬王院に行った。本日、奥様はお友達と西新井大師へ。
今やボタンの真っ盛り。すばらしい写真が撮れた(スマホ)
本日のボタンの写真はすべて奥さん。奥さんの方がうまいな。

私は珍しく旅文研の研究会に参加。最近は半ボケなのでしっかり聞いたつもりでも 理解が進まない。困ったもんだ。

今年のボタン

例年落合の薬王院に行く!ボタンの名所だから。といあえず写真!
22日に奥さんが西新井大師に行って写真を撮ってきた。
薬王院では黄色いのが撮れなかったので、借用し追加した。

上海に行ってました!

長いことブログを更新しなかったので、皆さんにご心配をかけました。すみません。しかしこれは私のせいではなく、中国政府が通信をブロックしているからです。といいわけをしておきます。

中国に行った人は、FacebookやGmail、Lineはまったく通じないことを実感されたことでしょう。通じるのはWeChat と呼ばれるLineと同じ通信方法です。値段は高いけど電話は普通にかけることはできます。

現地にいる人やビジネスマンはどうするのか?? これにはちゃんと抜け穴はあるようです。現地の友人はFacebookをやっているので、私は日本からFacebookで連絡していました。しかし現地に行ってみて通jないことがわかり、連絡方法がなくなりました。ということで直接お宅に行ってみて会うことができました。

というようなことで、15日の夕方戻ってきましたので、これから前にさかのぼってブログを書いていきます。ご心配をかけて申し訳ありませんでした。

揚子江は巨大!黄浦江に入る

荒れた海をぬけると水の色が変わる。と言われたが寝ていたのでよくわからなかった。帰りのヒコーキの上から見ることができた。確かに泥色はすごい。こんなに泥を流すと陸地は消えちゃうんではないかとおもうが中国は広いし山は高い。心配しなくてもよさそうだ。揚子江に入ると船足は遅くなる。浅いのと船が多いことが原因だ。揚子江河口から上海までは6時間かかる。川岸は発電所、工業地帯が並ぶ。びっしりと貨物船が荷受けをしている。こりゃ神戸港がいくつあってもかなわないや。

小さな灯台を右手に見て、黄浦江に入っていく。大きな船がこすりそうになって近づく。遠くに見えていた栓抜きビルが右に左に移る。黄浦江は大いに蛇行している証拠だ。近くに海警の船がいる。軍艦も停まっている。写真を撮ると怒られそうな距離なので、カメラを隠す。

上海の街を海からゆっくりと見物するのはなかなかいい。いつも見ていた景色とはちょっと違う。超々高層ビルがあるが、その一つは森ビルだそうだ。昨年も同じ時期に来た。今年も桜(八重桜)が迎えてくれた。上陸後は遠くから見えていた栓抜きビルの87階でランチ。50階建てのビルがはるかに下に見える。それでもまだ高いビルがあって見上げている。

 

玄界灘は波高し!写真も撮れない!

予想通り玄界灘に出ると風雨が強まった。夜が明けたころに目の前に島が見える。GPSの地図を見ると済州島だ。北西の風のため、高い山がある済州島を風よけにしているらしい。部屋から出ると吹き飛ばされそう。とても外に出る気にはならない。昼食には10人ぐらいしか出てこない。皆部屋で横になって我慢をしているようだ。

この船の乗客が少なくても貨物で採算が取れるそうだ。その中で特徴的なのは競走馬を運んでいることだ。日本人は4人しか載っていなかったが、その一人シイナさんは競走馬を運ぶ業を長年やってるという。美浦から4頭の競走馬を専用コンテナにいれて運んでいる。そんなことができる船はこの新鑑真号だけなのだそうだ。馬も酔うのでつきっきりでえさや水を与えている。もう一人の係員の中国人はベッドにもぐりこんだまま。日本人はよく働く!

もう一人の日本人は近江八幡出身の方。小さな子を含めた中国家族と一緒だ。日本の家は処分し、会社をたたんで中国に移住するために家財道具一式を積んでいるのだそうだ。中国のどこですか? と聞くと奥さんのふるさと雲南省の保山というところ。ミャンマーの国境に近い場所だ。一番近い街が大理で、そこまで200㎞あるという。日本の先行きは危ない。家族でのんびりとド田舎町で暮らすのだそうだ。ちなみに一番近い大理には日本人が四人住んでいるが、保山に住む日本人はまだいないとのこと。「なぜこんなところに日本人が?」の番組が目をつけそうだ。この後は橋の写真を8枚。これらの橋の上を何回も行き来した。瀬戸大橋は四国遍路のたびに通ったので生き返りで10回近くは通ったろう。しまなみ海道も海宝さんのマラソンで10回走った。しかし下から見るのは初めてだった。すごい大きさだ。よくこんなものを作った。これからはメンテナンスに時間もお金もかかるだろう。

神戸から船に乗って揚子江へ

現在日本と中国の間には「新鑑真号」というフェリーが定期運航をしている。ネットで調べていると早割で一人4万円のところ2万8千円で行くことができると書いてあった。3月の6日のことだった。9日までにお金を振り込めばOKということだったので急いで5万6千円を振り込んだ。 翌日電話があって、受け付けました。とのこと。こまごまと出発場所、持ち物など教えてくれる。1万5千トンだから乗客は相当いるだろうに、皆にこんなに親切なのかといぶかった。予想通りで始発の新幹線で新神戸に行き、ポートライナーで上海行の埠頭についたが誰もいない。 目の前には巨大な世界一周の豪華客船が停泊し、大勢の乗客が入国手続きをしている。私たちはそれが終わってからとのこと。11時の出航時間近くなってやっと30人ほどになった。「こんなに客が少ないのか?」と話していたら、その方はフェリー会社の社長さんだった。「乗船いただきありがとうございます」とお礼を言われた。社長自らが送迎に出ているなんていい会社だな。 神戸を出港するとすぐに淡路島との間にかかる明石大橋をくぐる。本州と四国の間には三本の連絡橋がある。全部の写真を撮ろうと思ったが、瀬戸内海にいる間の船足は鈍い。見ていればいかに狭い海峡であるかわかる。一緒に乗り合わせた神戸在住の中国人と話をすると、揚子江は瀬戸内海よりも幅は広いという。そんな!と思ったが瀬戸内が狭いことは橋の下を通過してよくわかった。揚子江には橋は架けられないとのこと。 瀬戸大橋、しまなみ海道の来島大橋の下を通過するころには夕闇が迫ってきた。関門海峡は深夜零時過ぎだった。奥さんは起こしてくれと言っていたが、波が高く船が揺れてきたので外には出てこなかった。関門海峡を通過すると玄界灘。結構荒れるんですよと! 中国人の黄さんは言う。確かにかなり雨風が強くなってきた。急いでベットに潜り込む。

播磨坂でお花見 金栗四三の街

文京区 金栗四三、青春の地 文京区の伝通院の前にある「天しゃぶ」でお花見会。このお店は私が竹早高校に勤務中によく利用した場所で、ここ数年お花見の食事に使っている。例年より早く25日にはもう播磨坂の桜は咲いていた。

9人の旧職員が集まった。みな一病息災ならぬ3病くらい持っているが息災。来年もまた皆でお花見ができれば・・・ということで解散。外に出たら町中に「金栗四三の青春の地・文京区」という幟だらけ。わが竹早高校は旧東京府立第二高女で、オリンピック後の金栗先生の勤務校だった。金栗先生は体育ではなく地理の先生だった。

  金栗四三の足跡の地図を見るとマラソンの時にはいた金栗足袋を製造した町工場の跡が記されている。知らなかったのでみなで行ってみた。大正8年創業の蕎麦屋さんで聞いたら、角のビルの壁に石碑がはめ込んであった。金栗足袋を作っていたのが播磨屋、今日のお花見は播磨坂。金栗足袋の後に出た靴は播磨屋の「ハリマオー」だった。私も履いたことがある。

ところでNHKの「いだ天」で金栗足袋を作った播磨屋のおやじがピエール瀧だった。コカインで逮捕された。せっかくのいい役だったのに。金栗足袋が脚光を浴びて、お茶の水大学前のこの地にも見学者が集まるようになったのに、残念なことだ。

金栗名所地図ではわが竹早高校の位置も旧府立第二高女として示されている。私たちが作った「竹早の百年」の写真が使われている。私たちもかなりたくさんの資料を提供したのだがNHKの番組には何のクレジットもなかったなぁ。まあいいか、硬いこと言わない方がいいかな。

大塚天祖神社の狛犬

大塚駅の前、都電の線路を渡ったところに天祖神社がある。ここにはなかなかいい狛犬がある。昨年YASUDA嬢推薦のカレー屋にいったが、その時は写真が撮れなかった。先週の日曜日には写真撮影のために行ったのだが、日差しが強すぎてうまく撮れなかった。本日も日差しがあったので夕方日が傾いてきたときに行った。やっとうまく撮ることができた。おっぱいを飲んでいる狛犬はあまり見かけない。ここの狛犬は入り口にあるのが江戸流れの型、子育て狛犬だ(1852年嘉永5年)。拝殿正面は招魂社系の威張り狛犬(昭和10年1935年)、右手の榛名神社前のは江戸尾立系年代不明、左手の厳島神社のものは耳が広がっているが入り口の江戸系の狛犬と同じ系統かな? 順番に並べておきます。

大鳥神社の狛犬

腰痛は歩いて治す!

本日は家から出て巣鴨の染井稲荷神社へいき、開花寸前のソメイヨシノを眺めてきた。巣鴨から山手線に沿って大塚駅に行き、駅前の天祖神社に行ってみた。ここには3種類の狛犬がいるのだが、日差しが強くてうまく写真が撮れなかった。残念。

そこから二駅都電に乗って大鳥神社へ行く。ここにも狛犬がいる。目の前の通りが工事中で日当たりがいい。写真はバッチリ。威張り狛犬の足元にカエルがいる。こりゃ何だ?

背後に高層ビルがある。下層のは豊島区役所だが、このデザインはなんだろう?どうみてもスラム街だよな!でもオリンピックのメインスタジアムを作った隈研吾の作品だそうだ。そう言われてみると凄い!とは思えないな。

芝東照宮の狛犬

東照宮というのは徳川家康を祀るお宮。日光東照宮だけが有名だが、実は各所に東照宮はある。静岡の久能山の東照宮、上野の東照宮と増上寺の東照宮が4大東照宮としても知られていた。しかし明治政府の神仏分離令で増上寺と分離され「郷社」となった。神社には大社中社などの社格があったが郷社はかなり下の位である。さらに太平洋戦争のときの空襲によって完全に破壊された。復旧は遅れ、今も増上寺の片隅に小さくたたずんでいる。

ここにもなかなかいい感じの狛犬がいる。東京タワーを背景にして写真をとるとなかなか様になる。この狛犬、1788年制作とある。