峠楽会の高輪散歩 子育て狛犬

今年第3回目の峠楽会のお散歩。日本橋から東海道を行くはずだが、講師が腰痛でとても最初の宿場である品川まで行くことはできないので、都営地下鉄日本橋から泉岳寺まで行った。当初は三田から泉岳寺、品川へ歩く予定だったのが、つい乗り過ごし泉岳寺迄来てしまったので、逆行で三田に戻ることにした。写真は上から泉岳寺、泉岳寺の前の高輪大木戸(江戸への玄関口)その下は高輪ゲートウェーの商店街建設中。ゲートウェーは玄関口のこと。(写真は11日の下見の時)   高輪ゲートウェー駅の建設用地の下にあるものすごく背の低い通路を通って反対側に出る。運河脇を通って田町駅へ。東京工業大学付属高校がある。その敷地に千葉大学工学部の記念碑がある。もともとはこの地に東京工芸学校があり、その図書室から大正4年に日本で初めてのラジオ放送が行われたそうだ。東京工芸学校は空襲で焼けて松戸に移り千葉大学工芸学部になったそうだ。その後に東京工大の高校が作られた。千葉大大学の記念碑がある理由が分かった。田町駅の東口はすばらしくなった。もう裏玄関ではなく堂々とした表門だ。東西の交通路が線路上にできたが、私は昔ながらの低い地下道を通って国道15号線に出た。国道に出る前に御穂鹿嶋神社があった。そこの狛犬は阿吽両方が子どもを持っている。吽の方は2匹の子犬をもっている。

麻布十番周辺の狛犬

15日となっているが、書いているのは18日である。腰痛治療のために高尾山に行ってから3日間歩き続けた。やはり逆療法は年寄りにはムリみたいで一向に腰痛は良くならない。16日の峠楽会の引率ができなくなったら大変なので14日、15日は家でおとなしくしていたので、なにも書くことが亡くなって空欄になった。そこに18日の行動を書いたということだ。

18日には港区の狛犬探索に大江戸線で麻布十番駅に行った。駅を出たところに十番稲荷という神社がある。石段を上るとブロンズの狛犬が両側にある。この狛犬はコロンビアレコードの歌手音丸が奉納したものだそうだ。私は「コロンビアのマークは犬だったよな!」と勝手に感心した。あとで調べたら犬のマークは日本ビクターだった。音丸さんは自社もマークを意識したのだろうと勝手に思っていたが、私の考え違い。最近はこんな早とちりがしばしばある。

腰痛は筋肉を鍛えることで治る?? 

ここのところ腰痛がひどく朝起きてからしばらくは行動ができない。四番五番の背骨の間が加齢のためにすり減ってきているので痛みが出るのだそうだ。若い時にはそれぞれの背骨には筋肉がついているので隙間を保っていいるが、年取って筋肉が衰えてくると背骨を支えるのが難しくなってくるとのこと。整形に行くと注射をしてくれる。しばらくの間はいいのだが、1週間もすると痛みはぶり返す。

筋肉を鍛えるしか方法はなさそうだが、もう鍛えるほど運動はできない。そこで私の独自の運動療法を実践し始めた。それは散歩。ゆっくりでいいから長い時間歩くこと。奥さんと一緒に運動をやろうとしたら、花粉症がひどくて外に出るのは嫌というので一人で出かけることにした。私も鼻がぐじゅぐじゅしているが、年寄りは花粉症にならないという話を信用して、これは花粉症ではないといい続けている。

ただ散歩していても面白くないので、趣味の狛犬探索散歩と称して今週は港区を回ることにした。以下は芝大門の芝大神宮の狛犬。阿吽の狛犬が石段の上に置かれている。江戸尾立型というそうだが、作ったのは新しそうだ。

向かって右が阿形で頭の上に宝珠が乗っている。向かって左が吽形で頭に角が乗っている。昔は口をつむって角があるのが狛犬、口をあいており宝珠を載せるのが獅子とのことだった。これが昔ながらの正しい配置のようだ。

 

久々の高尾山! 

今年になって初めて高尾山に行った。昨年末のダイヤモンド富士以来で3か月ぶり。日曜日でいい天気なので高尾山口は大混雑だろうと推測して、高尾駅から梅郷経由で登ろうと考え、歩き始めた。 駅前には山伏の一団がいる。高尾山は神仏混交の寺で薬王院という寺と飯綱権現を社とが一緒にある。高尾山で修行するのは修験道の山伏だ。いまもときどき寺の奥からほら貝の音が聞こえてくることがある。しかし一般の山伏姿の信者が大勢集まるのはあまり見たことがなかった。本日は夕方から火渡りの行事があるとか。

梅郷は今がさかり。小仏の関所跡の公園あたりから大勢の観光客がぞろぞろ歩いている。頭の上に高速道路があるあたりが一番賑わっていた。私も写真を撮る。奥さんから高尾山はスギ花粉だらけだからマスクをするように言われたが、フリースを着ていたので花粉は尽き放題だった。

蛇滝のコースから登り始めた。登山口の脇の高台に神社があった。石段を登ってみると社殿は焼け跡になっている。誰かが火の不始末をたのだろうが、バチあたりな奴がいるものだ。こんな田舎神社はもう再建されることはないだろう。こんな神社でも立派な文化財、大事にしてほしいな。

今回の目的は上のお堂にお参りすることだった。最近腰痛がひどく布団から起きるのに一苦労がある。このお堂は修験道を始めた役行者を祀るものだ。韋駄天の神としても知られ、二匹の鬼を連れて修行を重ねた人。もとは本堂にあったが明治政府の修験道廃止の政策のせいで端っこに追いやられた。

このお堂にだけ参って、頂上にはいかず4号路を回って琵琶滝経由で戻った。頂上の寺社にもいい狛犬がいるが、琵琶滝の修行場にもいい狛犬がいた。滝はほんの少し以下写っていない。

舞囃子:三輪

  我が奥さんの舞囃子の発表会。渋谷のセルリアンタワー能楽堂で行われた第6回の澤風会東京大会で舞うことができた。舞囃子の「三輪」は前にも一度舞ったことがある。おもえば伊勢と三輪の神、一体分身のおん事今さら何を磐座(いわくら)や!
我が家としては、ローカルな三輪の神が、日本の最高神である伊勢の神(天照大神)と同じだというのだから一大事! 

奥様はうまく舞えた時には、神さまが「よろしい!」と言って下さる感じがするという。前に京都で舞った時には見ている私にも突然舞が変わったような気がした。三輪の神さまとなんとなく親しくなったような気がしている。

我が家の奥様は、途中に中断はあるもののもう25年も仕舞を稽古してきた。若いころのことは私はまったく関心がなかったので、どんな舞をしていたかは知らない。ビデオ係を仰せつかった還暦のころからカメラを通して見るようになった。完全にひいき目で見ているのだが、ここ10年ほどの間に進歩を続けている。今回も前に三輪を舞った時よりも神さまに近づいたかと思うような感じだった。一緒に見てくれたSEKINEご夫妻、Ogata奥様は、20分間の長い舞をよく覚え、間違いなく舞えたね!大したものだ!とほめてくれた。

まもなく後期高齢者、もう進歩はないかもしれないがあと5年ぐらいはがんばれるのではないかと思っている。しかしビデオ係の方はかなりぼけているので、2~3年が限度かもしれない。まあともかくもう少し頑張れるかな!

スサノオ神社 千住

狛犬探しで都内を回っている。本日は自転車で王子に出て明治通りを通って南千住のスサノオ神社に行った。この神社には前にも何回も行ったことがあるが、たいていは日光街道の面した入り口から入っていた。しかし今回は自転車だったので脇から入った。あとで昔の地図を見たらたしかにこちらが正面だった。

正面に立派な空飛ぶような狛犬がいた。これはみごと。よく見たら左側の狛犬には子犬が獅子山を登っているのが見える。この狛犬は本当は獅子で、子どもを崖から突き落とし登ってくるのを待っている。これは狛犬とは言わず獅子と言った方がいいかな。この狛犬は空飛ぶ狛犬の手前の鳥居脇にある。日光街道側の鳥居の脇には狛犬はいなかった。スサノオ神社ではいまお雛祭り。舞殿にも玄関脇にも数多くのお雛様が飾られている。なかなかいい。すでにひな祭りは終わったがまだ片づけることはないようだ。実は我が家もまだまだ片づけていない。孫たちが早く嫁には行かないように願っているから!  スサノオ神社をでて南千住のビル街のなかにある胡禄神社に寄った。ここにもいい狛犬がいる。富士山の溶岩で作った獅子山の上にいる。左側の狛犬の下にかわいい子犬がいる。獅子は子を千仞の谷に突き落とす。ここも狛犬というよりも獅子だな。自転車のフットワークは軽い。隅田川を大きく曲がって白髭橋にでる。大きなガスタンクが見えるがそのすぐ脇に石浜神社がある。そうだ、スサノオ神社にもこの石浜神社にもお富士山(富士塚)がある。昔は富士塚巡りをやっていたっけ。

北村西望の狛犬:東新町

 板橋区の東新町に氷川神社がある。城北公園や私立城北高校がすぐ近にある。ここの氷川神社に、長崎の平和祈念像を作った北村西望の作った狛犬がある。前にも書いたかもしれないが、久々に行ったのでまた載せておきます。かなり巨大なブロンズ像。元の型があるので同じものがいくつかあります。

1つは栃木県高根沢町の安住神社にある金ぴかの狛犬。もう一つは御岳山の上にある御岳神社の石段の上にある。同じ型から作られているのだからもっとたくさんあるはずなので、ご存知かたが教えてくください。

この神社にはもともとの狛犬もある。阿吽の両方の狛犬が子持ちである。両親で子育て。明治期に作られたもので、産めよ増やせよの願望だったかもしれない。それはそれとして、両親共同で子育てというのもいいね。

たまたまその後北区の王子駅を通ったら北村西望の平和の像があった。北区は平和都市宣言をしている。長崎の平和の像と同じもの。北村西望は北区の住人だったらしい。

猿ヶ京のわらアート

前橋の小林さんの高級車で猿ヶ京を通過してきた。昨日は湯沢の温泉でのんびり。朝は東京マラソンを見てから新幹線で戻るつもりだったが「苗場を通ってみましょうよ!」という誘いにのって三国トンネルを超えて猿ヶ京に降りてきた。久々にキュウリの漬物が名物の蕎麦屋に行ってみたが、5年くらいまえに閉店していた。

後期高齢者になるので、私は車を処分した。昔は自分で運転しで猿ヶ京に来て、永井宿、三国旧街道あたりを、小栗上野介の埋蔵金を探して歩き回っていたことがある。懐かしいところだ。  猿ヶ京には関東から越後に向かう街道の関所があった。その関所跡になんやらヘンテコな藁人形があった。今年の干支のイノシシ。車を降りて解説を読むと「わらアート」だとある。もともと下流の「たくみの里」に展示されていたが、人気が高かったのでこちらに移動して展示されているのだという。 勢至菩薩を載せたゾウ  真ん中は釈迦如来像、 右は文殊菩薩をのせた獅子

阿吽の獅子のうち阿形の獅子、インド由来の仏教だからゾウ
馬車を引く馬  一番人気だったイヌワシ 馬
昨年の12月28日(金)から猿ヶ京関所跡展示されており31年3月末まで。
夜はライトアップしてるようだ。
地元愛の強い小林さんは、ぜひ来てくださいとアピールしていた。

穴八幡のヘンテコ狛犬

 穴八幡宮は早稲田大学文学部の前にある立派な神社。昔はみすぼらしい神社だったが、近年朱塗りのピカピカ神社になった。拝殿の前には立派な狛犬がいるが、この神社の見どころは崖の縁にある神武天皇遥拝所の狛犬だ。

江戸時代1700年代のものだという。この時代には頭に宝珠、一方の頭に角というスタイルが流行したらしい。しかしこれほど顕著なのはあまりない。下に西向き天神もものを示すが、宝珠も角ももう少し謙虚だ。穴八幡はつい最近再建されたのでピカピカ。神門をとおして拝殿を見るとなかなかいい。八幡様だから応神天皇と神功皇后を祀っている。神功皇后は仲哀天皇の奥さんだが、仲哀が亡くなった後に女の天皇になっている。しかし古事記には天皇になったという記載はなく歴代天皇の系統には入っていない。神功皇后は朝鮮遠征のあとに仲哀天皇の子である応神天皇を生んでいる。でも仲哀が亡くなってからだいぶたってからだ。子どもが生まれないように腹に石を巻いていたので20か月間もお腹にいたそうだ。どう考えても怪しいが、神話の話だからまあいいか。
立派な社殿になったが、私は立派なお庭にある石に注目した。磨いた花崗岩に影が差しているように見えるが、実は黒っぽいのは別の岩石。マグマが冷え固まるときに変成岩が貫入してきたものだ。ミグマタイト(混成岩)だと思う。いいね。

狛キツネ、新宿の女

高田馬場の馬場では流鏑馬が行われる。今は水稲荷神社の前の直線の馬場で行われるそうだ。稲荷神社なので狛犬はいないはず。ここには立派なお狐様がいる。社殿の裏側には冨塚というのがある。たぶん富士塚だろうと思う。この塚の上に鳥居がいくつもあり、狛犬がいくつもある。

狐は稲荷神のお使いであって狛犬のような番犬ではない。もっと神に近い存在なので狛犬の真似をすることはないのだが、ここではまったく狛狐だ。裏手にでてみると壊れたお狐様がたくさんいる。まえの氷川神社で見たように人工的に壊したものだ。これもたぶん廃仏毀釈のなせる業だろう。気になるとどんどん気になってくる。

水稲荷を出て、大久保の西向天神社に行った。ここには藤圭子の「新宿の女」の碑がある。富士塚もあるので何度も来たことがある。しかし狛犬はよく見ていなかった。石段途中と拝殿前にそれぞれ一対づつある。


拝殿前の狛犬は右側の阿の頭には宝珠が、吽の頭には角がついている。これは1700年代に多く作られたものらしい。王子稲荷神社の石段の上にも宝珠と角の狛犬があった。他にもいろいろあるのだろうな。西向き天神はお富士山(富士塚)でも有名。石段下から見るとかなり高い感じがする。富士講の石碑が多数ある。

首のない狛犬、カッパ狛犬!

先日目黒不動に行ったら狛犬がうじゃうじゃいた。ということは目白不動にも狛犬がいるだろうと出かけてみた。目白不動は今は都電の学習院下駅の近くにあるが、元は江戸川橋から椿山荘に上る坂の途中にあった。現在の目白不動も急な坂の途中にある。足をがくがくさせながら下った目白不動に狛犬はいなかった。 目白不動をでて面影橋に向かう途中に高田の氷川神社がある。我が家の近くにはそこここに氷川神社がある。大宮の氷川神社が本社だが、もともとは出雲の斐伊川に住む神を、関東の地に招来した豪族がいたのだろう。埼玉大宮にある氷川神社で聞いてみたが、そこから冷たい湧水が出たことから氷川と呼んだということだった。東京の氷川神社の中には本来の簸川(斐伊川)神社とするところもある。

まあそれはそうとして、この氷川神社の社殿の前には狛犬がいたが、昭和のありふれたものなので通り過ぎた。しかしちょっと気になったので振り返ったら鳥居の脇に黒っぽい古そうな狛犬がいた。しかしちょっと変。よく見ると阿吽の吽の方の首から上がない。阿の方も右の耳が欠けている。自然に風化したわけではない。転がり落ちてもこんな壊れ方はしない。これも誰か人の手で破壊したものだ。罰当たりな奴め! かなり腹を立てて面影橋を渡り、高田馬場方面に上っていった。右手に亮朝院というお寺があった。お寺で狛犬はあまり見ないが、石段を登った上に一対の狛犬がいる。これも変わった形の狛犬だ。頭の上にお皿がある。カッパ狛犬かな??

6匹の子連れ狛犬

大田区の狛犬探しに出かけた。今回は多摩川土手のそばの六郷神社から東海道を鈴ヶ森に向けて歩き始めた。六郷神社には大田区では一番古い狛犬がいるのだが、植え込みの中にあるのでうまく写真が写せない。こんなところでご勘弁を!

東海道をあるいて次に行ったのが大森諏訪神社。ここの狛犬は尻尾を逆立てている。番犬としては大いに役立つだろう。

ここからJR東海道線を超えて春日神社に行く。目の前に「東海道」と書いてある。さっき通ってきた国道15号線沿いの東海道は何だったのだろうか?
この神社の狛犬。これはすばらしい。阿吽の両方の狛犬に2匹ずつの子犬がまとわりついているのだ。子育て狛犬と言われるそうだ。先日中野の打越天神社を訪れた時には一匹の子犬がお母さんの背中に登ろうとしているのを見たが、今回は2匹ずつ合計4匹がじゃれている。こうなるともう狛犬は魔除け、門番の役目ははたしていないな。庶民の「子育て祈願」のための奉納という意味だろう。それにしてもいい感じだ。

ここから春日橋をとおって京浜急行大森町駅にもどり15号線を歩くと10分ほどで磐井神社にでる。磐井の井戸があるが、ここで驚くべき「6匹子犬」の狛犬を見つけた。これはまたまた感激。子犬全部がかわいいのだ。番犬としての狛犬のイメージが変わった。

狛犬に劣る人間!

毎日のように子どもへの虐待が報道されている。恐怖をうえつけて子どもを支配しようとしたら、こどもは怯えて情緒不安定になる。そんなかわいそうな状況を作ってはいけない。子どもが言うことを聞かないのは当たり前のことで、それをゆっくり見守るのが親の仕事。いらだって子どもに暴力をふるうなんて、最低の人間だ。狛犬にも劣る。おっと狛犬が怒るかも。

私は狛犬愛好家で、暇があれば近隣の神社などで狛犬を見ているが、最近は子どもと遊んでいる狛犬に目が行くようになっている。上は中野区の氷川神社の狛犬である。台座には安政4年制作とあるが、もちろんこれは再建されたもので新しく見える。吽形の狛犬は子どもを優しくなでているようで、阿形は手を載せているだけで、ほかの狛犬のように踏みつけている感じはない。  この狛犬は新井薬師の北野神社にいたものだが、子どもが親を見上げている姿が愛らしい。もう一方は玉を踏んでいる。これは江戸獅子型の一種だが、たいていは子も踏みつけていることが多いが、これは優しく手を置いているだけだ。製作者も子どもの愛らしさを表そうとしたのだろう。  これは中野区の打越天神の拝殿前の狛犬だが、阿形の親の背中に乗ろうとしている。実にかわいらしい。本来狛犬は魔除けのために寺社の前に置かれるので怖いイメージがある。大きな寺の狛犬は強そうで態度もでかい。しかし一般民衆は子どもをかわいがる優しい犬をイメージした。私は大きな神社の完成された狛犬よりも、小さな神社のかわいい狛犬に親近感を感じている。下の狛犬は東京靖国神社の巨大なもの。   子どもへの虐待・・・弱い者いじめ・・・強いものには逆らってはいけない・・・
何とも言えなく悲しい。世界的な風潮の縮図みたいな気がする。

平将門の鎧神社の狛犬

  新宿柏木に鎧神社がある。ヤマトタケルの東征の際に武具を保管した場所と言われると書いてあったが、地元の人は平将門の鎧を埋めた場所として信仰が厚い。平将門は関東では人気のヒーローだ。平安時代関東の国々を征服して「新皇」と宣言したが、わずか2か月ほどで朝廷軍に討たれなくなった。 その首は京都でさらし首になったが、怨霊が強く、大手町の将門塚の場所に飛んできた。それが今も残る首塚だ。何度も移転しようとしたがその都度作業員や責任者が亡くなったために、進駐軍でさえも怨霊を信じざるえなかった。今でもどんな大企業も手を付けない超パワースポットになっている。

鎧神社は将門の鎧が埋められたというのだから、パワーは感じられるようで、多くの人が訪れる。実はこの神社の神さまはヤマトタケルと大己貴命である。平将門は明治初期、天皇に反旗を翻した逆賊として祭神から外された。千年以上も前のことでも明治天皇は許さなかったのだ。しかし戦後天皇様の権威が薄れると再び祭神として祀られるようになったとさ! 境内は特徴的だ。拝殿前のものは巨大な花崗岩つくりで立派、昭和11年作。裏門の天保年間の狛犬はツギハギでかなり痛めつけられている。ここは明治の廃仏毀釈で大いに痛めつけられた。 鳥居脇の天神社には新宿区の文化財である庚申塔型狛犬?がある。これは享保年間のものだという。なんか変な狛犬だが、意味があったのだろう。不気味でかわいい。天神社というからやはり怨霊を鎮める神社なのだろう。

亀戸天神の梅・香取神宮狛犬

家から両国までシルバーパスでいきました。江戸東京博物館は水曜日はシルバーディで無料なので入館、じいさんばあさん外国人でした。そこからバスで錦糸町へ。ここもシルバーパス。交通費も入館料もかかりません。そこから歩いて亀戸天神に行き、今満開の梅を見ました。ここはお賽銭だけ。
年寄りをちょっと優遇しすぎだと思いながら、ちゃっかり便乗して梅見、境内は、我らと同じじいさんばあさんだらけ。

春日通りを亀戸方面に行くと黒い鳥居があり、参道が伸びている。ここは香取神社。本家の香取神宮は利根川下流の下総国一宮であり、経津主神が祭神である。この神さまは鹿島の神さまと一緒に出雲の大国主神を降参させて国譲りを成功させたとして建国の神とされているが、古事記には出てこない。しかし建国の神ということから武将の信仰が厚く現在も「神宮」として君臨している。亀戸の香取神社との関係はよくわからない。今はスポーツの神として有名で、拝殿には「池江璃花子選手の回復を願う」という寄せ書きがあった。

 狛犬愛好家としては気になることがあった。鳥居の脇に上のような狛犬が打ち捨てられていた。一対ではなく同じものを前後ろからとったもの。頭の部分が割れているのだ。これは自然に壊れたものか、あるいは人工的に壊されたものか。古い神社に行ってみると結構壊されたらしい狛犬が捨てられているのが見つかる。私は明治の廃仏毀釈の余波ではないかと思っているのだが。割れ口はそんなに古くない。ともかく狛犬を壊す輩がいるのだ。チコちゃんに怒られるぞ!

交通費がかからなかったので、お昼を両国の門前茶屋で豪華に食べた。深川めしと穴子蒸籠だ。深川めしは富岡八幡宮の境内にある「深川宿」が人気だった。富岡八幡宮の不祥事によって参拝客は激減したそうだが、深川宿はどうなったのだろうか。