猫の手クラブ 桃の摘蕾

山梨の一宮の中山農場へ桃の摘蕾(てきらい)の手伝いに行ってきた。4月の初めに摘花をやったが、それから3週間でもう小さな実ができ始めている。このまま全部の実を大きくすることはできないので間引かなければいけない。
平日なので列車はすいていたが、今日からジパング倶楽部の割引がきかないので、行きの切符しか買わないで帰りは香川さんの車かなと思っていた。本日のお昼は香川さんが焼きそばを作ってくれるというので楽しみにしていた。なかなか美味しかった。

帰りはTAKASEさんが香川車に乗ったので、私とSUGAWARAさんはYAGOさんの車で御坂峠ごえで河口湖から富士急行で戻った。富士山は7合目以上は雲に隠れて見えなかったが、近くで見ると迫力はある。

向島百花園

世の中大変な時期らしい。マスコミはなにか起きないかと期待しているようだが、いくらトランプ、金正恩が変だといっても、戦争を起こすようなことをするとは思えない。昔から戦争というのは調略戦、現在は情報戦だ。情報を駆使して世論を高揚させる。日本人はこういう情報戦には弱い。すぐに情報に惑わされる。そして戦争に突き進んできたという歴史がある。しかし最近の若者はそう簡単には動かない。危機感がないと言われるが、危機情報に惑わされないといういい面も持っている。あす25日は北朝鮮が何かを起こすと言われているが、私はそんな煽りには乗らない。ということで向島百花園で優雅に花を愛でてきた。本当のところを言えば、かなりの恐怖感はあるのだが。・・・花の百科事典を作ろうか。

ふきのとうGALA

いい天気でヒマがあるので越後湯沢のガーラスキー場へ行った。まだ連休までは営業が行われている。日曜日なので大勢の人が来ている。一緒にリフトに乗った人のスキーが小賀坂の板だった。日焼防止のため顔を隠しているが、この板でオールドスキーヤーだということが分かる。私のはカービングよりもさらに新しいロッカーだから、古い人にはわからないはずだ。でも顔を見たらすぐに同年代だということがわかったらしく話が弾んだ。
彼は途中でコンロを出してコーヒー入れるという。私はそのまま石打スキー場に歩いて行ってみた。石打スキー場は終了していたが、上部はまだかなり雪は残っていた。リフト乗り場の脇はすでに地面が露出しており、ふきのとうが芽吹いていた。誰もいないので出たばかりの柔らかそうなのをポリ袋いっぱい摘んだ。
石打スキー場の上からガーラスキー場に戻り、スキー靴を履いたまま新幹線に乗った。ガーラガラで板と靴を乾かしながら戻り、家でふき味噌をたくさん作った。我が家では食べきれないので近所にもおすそわけをした。

世の中、我が家

 世の中だんだん物騒な様相を呈してきた。とマスコミは騒いでいる。フランスの大統領選挙では極右勢力のル・ペンさんと言う女性がトランプと歩調を合わせるように台頭しており、フランスもEUを脱退して自国第一になりそうだ。そうなったらヨーロッパはどうなるのだろうか。

 お隣韓国でも大統領選挙が近い。こちらは親北朝鮮、反北朝鮮で分かれているそうだ。これも我が国にとってはけっこう大きな変化が出るだろう。北朝鮮はここのところ過激さが一層増している。25日のなんかの記念日には核実験をやるとの報道もある。もし核実験をやったらトランプさんは一気に攻撃をかけるとの解説がなされている。
 実際そんなことになったら韓国の38度線に配置された高射砲が韓国の首都ソウルを破壊するだろう。もしかすると日本のアメリカ軍の基地もミサイル攻撃される。トランプ大統領が遠くに居るのでなんてことないかもしれないが、韓国日本は大変なことになる。絶対に攻撃してはいけない。

 しかし日本の安倍さんはトランプさんを全面支持しているという。「ちょっと待ってよ」と言える日本人はいないのかな? マスコミはもっと深く考えて発言して欲しいのだが、どんどん過激さを求めているように見える。
 森友学園問題、共謀罪問題、防衛庁の日誌の廃棄問題、アベノミクスの失敗などなど、みんな隠れてしまった。

 我が家はといえば、おばあさんが転んで手を骨折した。もう年なのでなかなか治らないだろうと思っていたが、副木を当ててはいるがもう元気は回復。しかし週に一度病院に連れて行かなければならない。元気とはいえ、やはりもう付き添いがいないとどこに行っていいかわからなくなるようだ。まあ仕方のないこと。しばらくはお花見と通院で忙しい。

越前大野の街

本日のテレビで越前大野の案内をやっていた。つい先日いったばかりなので、熱心に見入った。私は地理的な興味で旅行をしている。なぜこんな山奥の盆地に多くの人々が住み、文化的にも高水準だったのかを知りたかった。しかし歴史的なことを知らなければ、その地のことはわからない。テレビの案内で少し勉強した。こんな大勢の人口を支えるこことができた理由が少しだけわかった。越前大野を作った三人。戦国時代朝倉氏、しかし織田信長に滅ぼされ「長」の名前をもらった金森長近が天空の城を作った。江戸時代に城は大火で焼けた。土井利忠が藩の立て直した。多くの人材を育てた。

先進技術を取り入れた。種痘所を作って天然痘を撲滅した。大野藩で作った鉄砲が江戸に送られた。面谷(おもたに)鉱山からは銅鉱石がとれ、明治期には日本有数の鉱山になり、発電所も作られ近代化が進んだ。藩の直営店「大野屋」は流通網を全国展開して繁栄を築いた。

越前大野をとおるJR線は越美北線という。現在は大野よりもさらに先の九頭竜が終点である。山奥なのでもう先には行けないと思ったが、実は越美南線というのもある。現在は長良川鉄道であるが、JR時代には越美南線でいまもそう呼ばれている。越は越前、美は美濃を結ぶ予定だったが南線は北濃まで、北線は九頭竜までになっている。この線が開通していたら、もっと岐阜、名古屋方面に近くなっていたろう。

街の中は美しい。けど今後の発展はどうなのだろう。観光施設、とくにホテルや旅館などがないと観光都市にはなれない。でもいい感じの街だから、大事に育てていただきたい。なにせ福井は日本一住みやすい県なのだから。大野市は福井県最大の面積を持っているのだ。

越前大野:天空の城

日本には雲海の上に浮かぶ「天空の城」がいくつもあるそうだ。一番有名なのは朝来市の竹田城だが、そこは城址で建物はない。それに比べ越前大野城は石垣の上に立派なお城が立っている。こっちのほうが本物「天空の城」だろうということで、越美北線、九頭竜線に乗って越前大野に向かった。福井駅から40分ほど。私たちは一乗谷無人駅から乗ったが、沿線にはほとんど人家はない。しかし突然広い盆地に出てきた。なんでこんな山奥に3万数千人が暮らす街があるのか、不思議だった。観光協会の女の子に「なんの産業があるの?」と聞いたら「産業なんかありません!」とのこと。なんの産業もなくて3万人以上の人口が維持できるのか??小京都といわれるだけあってなかなか立派な街だ。高等学校だって2校もあるそうだ。

岡太神社から一乗谷へ

一乗谷:朝倉氏の館があった(唐門と淡墨桜)  継体天皇の「花筐」のあとは越前和紙の神様である岡太(おかもと)神社へ向かった。この社殿は素晴らしい。重要文化財だけのことはある。しっかりお参りして、車で山越えをして一乗谷へでる。そこは朝倉氏の館があった場所。信長にあっというまに滅ぼされてしまい、以後は荒れ果てた地になっていたが最近街が復元され、往時の賑わいを少し見ることができる。写真日記!

武生の花筐公園の桜

花筐(はながたみ)ーーー継体天皇物語ーーー

継体天皇と照日の前の像である。世阿弥が作った謡曲「花筐」はこの二人のロマンスが語られている。越前の国、味真野におられた男大迹(ヲホド)皇子は、にわかに皇位につくことになり寵愛する照日前に花筐(花かごのこと)と玉章を贈って上京し、継体天皇となられた。
残された彼女は皇子恋しさのあまり花かごと手紙を持って大和の玉穂の都に上り、紅葉狩りの行幸に出あう。そこで花筐が縁で再び天皇の愛を回復したというお話である。
第25代武烈天皇には子がなく、亡くなった後、後継者を越の国から探し出した。男大迹(をほど)皇子は突然のことで恋人を置いて都に行く。しかし反対がおおく、第26代継体天皇になったのは58歳の時だ。照日前はそんな長いこと待っていたのだろうか。

敦賀でお花見!

昨年から敦賀に何回も来ている。日本地図をひっくり返して日本海の反対側から見ると、弓なりになった日本列島の弧の底は敦賀ではないかと思う。その上方に能登半島が突き出している姿は、このあたりがアジア大陸から見ると中心のような感じがする。さらに第26代の継体天皇はこの辺りから出現する。ということは大陸の方からやってきたということが想像される。そんな雰囲気を体験したくて何回か角賀(つぬが)=敦賀へやってきているが、まだよくわからない。今回も金崎宮に上って海のかなたを見てが、石炭火力発電所が見えるだけだった。結局は気比の松原、金崎宮で花見!満開からちょっと過ぎていたが、うば桜もなかなかいい。

琵琶湖のほとり、海津大崎さくら

琵琶湖の北岸に突き出た海津大崎の周りには桜の並木があると聞いていた。インターネットで15日16日が満開で桜まつりとわかったので朝の新幹線で飛び出した。なにせ高齢者パスがあるのでJR線は3割引き。もうあと何回も見られるわけではないので、思ったときに出かけることにしている。米原から北陸線で近江塩津で乗り換えマキノ駅で降りる。駅前にはシャトルバスが待っていて、どんどん観光客が海津大崎に向かう。湖と桜の取り合わせは、今年初めて。カヌーや海のバイクでやってきている。湖の上から見る桜もいいだろうな。カヌー犬が救命具をつけて泳いでいる。犬は水を怖がらないのかな?

今日もお花見!南蔵院

 我が家の近くにも桜の名所がある。南蔵院のしだれ桜はライトアップもされて大勢の人が押しかける。ソメイヨシノが終わったことが見ごろで、今日は最高。そこからオリンピックセンターをへて赤羽の自然観察園にも行った。赤羽の角上魚店でお魚や貝などを買って、バスで家に帰りお昼。アサリ酒蒸し!


東京港クルーズ?視察!

東京都が運営している東京港の視察船「新東京丸」で東京港見物をしてきた。いや見物ではなく、視察。東京都が都民に東京港の役割を知ってもらうために無料で運行している船だ。大きさはほぼ200トン、乗船定員は60名。2階建てだが一回部分だけが使われている。座席は巨大なテーブルを囲んで60席ある。外に出ることはできないが、展望はよく、案内の方の話もすばらしい。乗船希望者は多いようだが、我が仲間の尾方さんがいろいろ手配してくれ、ぶらりバークラブの仲間20人と乗船することができた。以下に写真でコース紹介をしておきます。下船後は汐留にでて後輩にご馳走になった。ありがとうございました。

 

 

野川の桜など

雨が止んで青空が出た。それお花見。本日は小金井市の友人の家に行く。彼の家は野川のほとり。お花見がてらごきげん伺い。彼は数年前に大病をして会社もたたんで治療に専念。大変な時期もあったようだが、5年生存をへてテニスもできるようになったとか。我が家も大病なら負けない。お互いに同じ戦場で戦った仲間みたいな感じ。我らの年代は多かれ少なかれ、半病人。戦友のような感じ。

お昼は野川のはけの美術館のレストランで食べようと思ったら月曜日は休館。そのまま野川沿いに花見をしながら下っていった。ICUの近くの一ノ橋でバスに乗って三鷹に戻る。駅ナカで遅いランチを食べて帰途についた。今日も桜を堪能。

森林軌道の記憶

午前中は雨模様。お花見も一時停止。午後から高輪の都ホテルで行われた旅文研のシンポジウム「森林軌道の記憶」を聞きに行った。久しぶりにアカデミックな雰囲気の中での話だった。内容は豊富だったが、私の一番の感心は以下の写真。四国の森林鉄道では土佐犬が森林軌道の台車を引っ張っていたという証拠の写真としてよく見る。ところがこの写真、犬は下流に向かって台車を二匹で引っ張っている。森林軌道は材木を積んだ台車が下り勾配をゆっくり下る。その時には動力は必要ない。河口で材木を下ろした台車を犬が引っ張って上流に運ぶのである。犬は下る台車の材木の上に乗っていることが多い。この写真を改めて見ると下り道で犬が台車を引いている。地元の人から「おかしい」という指摘があったそうだ。実はこの写真はヤラセの写真だということがわかった。お役所ではまだこの写真を使っているそうだ。地元の人に聞かなければわからないな! といういい例だ。