この星の光の地図を写す

水戸市の芸術館現代美術ギャラリーで開催されている石川直樹さんの写真展「この星の光の地図を写す」を見に行ってきた。水戸芸術館はあのへんてこりんなタワー(Art Tower)がある建物だ。地震があるたびに揺れている姿が映されるので、私もしばしば見ていた。実際に訪れると立派さに驚く。磯崎新の設計、初代の館長は吉田秀和という豪華メンバーの水戸芸術の拠点だ。

石川君の写真は全部のギャラリーを使って展示されている。個人の写真展でこれだけの数を展示してあるのは見たことがない。ともかく写真の量に驚く。この写真はすべてフィルムで撮ったものだ。フィルムは貴重で重いので一枚ずつ丁寧に撮らなければならない。そのほうが気合が入ると述べている。確かにデジタルではめちゃくちゃにたくさん撮って、いいのを選ぶことができる。芸術家はその瞬間を切り取るのだから、一枚ずつ物語が作れる。

たぶん写真家からみたら、「なんじゃ!これは!」というような写真がある。もっと天気のいい時間を待てばいいのに! しかし彼の被写体はヒマラヤや極地、海中など命ギリギリのところでカメラを構えている。その時には天候など考慮している暇はない。その時その時を切り撮っているのだから、多少ピンボケになっても、そのほうがリアリティがある。まさに石川直樹がみた自然そのものを表現している。すばらしい写真展だった。できたらこのまま数年間、常設展にしてほしい。巨匠と言ってもいい。

水戸駅に着いたらちょうど梅大使の着物の女性たちが迎えてくれた。今日から偕楽園などの梅の名所をPRする人たちだ。10人集まるのは今日が初めてで最後なのだそうだ。今年初めての梅見のお客ということで、並んで写真を撮ってもらった。我が家にとっては重要な一枚の写真!170106mito02

神を祀る松

170105hachimanyama 青々とした松は新年を迎えるにふさわしい植物だ。家々に門松を立てて、神様がおいでになるのを待つ(松)。松は神様の依代(よりしろ)として昔から大事にされてきた。

昨年来音信が途絶えていた友人のことを気にしていた。この正月に消息が分かった。八幡山の病院に入院していたのだ。本日急いで訪ねてきた。かなりやつれていたが、元気だった。本気で心配していたが、本人にであえて安心し、そしてうれしかった。

玄関を出たら、写真のような松が目に入った。今日の寒さの中でも堂々とたっている。彼の病状はよくはない。しかしきっと神様がこの松に依り付いて、彼を助けてくれるだろうと感じた。

初詣は酉年なのに猿田彦!

170105sarutahiko すでに申年は終わってしまったが、どういうわけか猿田彦神社で初詣になってしまった。最初は杉並区にある大宮八幡宮に行こうと思って、阿佐ヶ谷駅から歩き始めた。杉並6小学校を過ぎて青梅街道に出る手前に猿田彦神社があった。最近伊勢神宮についていろいろ考えていることがある。伊勢神宮の外宮と内宮の間にこの猿田彦神社がある。なんでこんな重要なところに猿田彦と天鈿女ご夫妻の神社があるのか不思議だった。

私の知るところでは内宮の神様である天照大神の孫が天から下って来るとき道案内したのは天鈿女という神だった。地上で待っていて導きをしたのが猿田彦。この二人はのちに夫婦になる。日本神話では重要な役割を果たした神様だが、現在の世の中ではそれほど評価は高くない。しかし内宮外宮のバランスをとるような場所に位置していることは、その昔はなにか因縁があったことが想像される。

今年は三輪神社巡りに加えて猿田彦神社もめぐって、その神様の意味を考えてみたい。そう思っていた矢先に猿田彦神社に出会ったことは何かのめぐりあわせだ。大宮八幡宮に詣でるのはやめて青梅街道でバスに乗った。バス券を持っているので大いに利用させてもらった。

 

金星の動き?いや月の動き!

cimg0495b 夕方新宿での新年会に出かけた。正月は食べすぎの感があるのでカロリー消費のために歩いていく。池袋の近くで山手線一周ウォーキングの人達に会う。「線路の外側を歩かなければダメじゃん!」と余計なお世話をする。西武線と山手線の交差するあたりに昔は山手線の踏切があった。いまは跨線橋になっている。(・・・ちなみに山手線の踏切はいまは駒込田端間に一つだけある) 跨線橋に上がるエレベーターの場所まで案内する。「山手線一周ウォーキングにはルールがあるんですよ!」 また余計なお世話をする。

高田馬場あたりで日が暮れた。空には金星と月がはっきり見える。昨日とは手を伸ばしてげんこつを作った位の距離動いている。本日は三脚を持っていないので、木に背中をつけて手持ちで何枚かとった。やはり少しはぶれているが、位置はわかる。昨日の位置をコピーして合成してみました。

さて問題、金星が一日に動いた角度は何°でしょう。
・・・回答:これは問題が間違っている。金星はほとんど動いてない。本当は月が動いたのだ。角度は12°ていどかな。1ヶ月の金星の動きが分からないので正確にはわからない。ごめん!

初日の出じゃなく月、金星

170102moon 初日の出を撮りに行こうと思っていたが、目が覚めたらもう日は高く昇っていた。本日は箱根駅伝。昨日のトヨタ自動車とおなじく青山学院大も三連覇がかかっている。こちらは予想通り確実に走ってトップで箱根に到着。箱根山登りでは今年は山の神もいないので波乱もなかった。青山学院の三連覇はほぼ確実になった。

本日は息子、娘一家がやってきた。普段は高齢者家庭なので、にぎやかな一日になる。奥さんは「大変だ!」と言うがうれしそうだ。その昔は卒業生など20人ぐらいが来て、大騒ぎしていたっけ。それから比べたら、楽なもんだ、とのこと。

夕方になって空を見ると、4日月と金星が接近している。こりゃすばらしい。初日の出は撮れなかったが月は撮ることができた。イスラム系の国旗は月と金星だ。イスラムの国にこれ以上波乱が起きなければいいけど。

今年も元気に迎えられました

昨年のお正月はちょっと不調の幕開けだった、今年は97歳のおばあさんをはじめみな元気で新年を迎えることができた。何事もない日常が大事なことだとかみしめています。

世の中はどうも波乱に満ちた年になりそうだ。アメリカもロシアもオリンピックも小池政治もどうなるかわからない。面白いといえばその通りだが、我が国の指導者たちはどう動くのか。あっちこちでちょこまかとご機嫌取りをしているが、あまりあたふたと動かないでいられないものか。

今年も三が日は駅伝三昧。本日は実業団駅伝。トヨタ自動車が3連覇かとの予想だが、外国人枠の2区で想定外のブレーキだった。外国人がいない旭化成は鎧坂選手が25位だったが、その後順調に順位を上げていった。旭化成は双子が2組おり、それぞれが活躍しついに優勝。18年ぶりとか。すばらしかった。

駅伝を見た後は毎年自分も走っていたが、昨年は走るどころではなかった。今年は少し走ってもいいかなという気分で、1キロ12分で走ってみた。1キロ12分というのは時速5キロ。速足の人にも抜かれるが、いい気分で3キロぐらい行くことができた。最高の気分。今年は好調だ。と気分を盛り上げておこう。

トンネルを抜けても雪国ではなかった

cimg0458 この時期はJRジパングの3割引切符が使えないので、青春18切符(11850円)を使って越後湯沢にきた。池袋を10時18分の高崎行き、12時22分の水上行き、13時40分の長岡行きの2回乗り換えで越後湯沢には14時12分についた。片道2370円だから高速バスよりもかなり安い。「トンネルを抜けると雪国だった!」の関越トンネル(?)を抜ける列車は1日に3本しかない。本日は4両の増結だが、ほぼ満員だった。

◆我が家族は30年も前、越後中里駅前スキー場に日帰りで行き来していた。そのときはもう少し本数があったような気がする。いまはスキー場にはあまり雪が無いので、ほとんど人がいない。まあ空いてていいけど、これじゃ経営は大変だろう。

◆家にいると大掃除、窓掃除、正月用意など、邪魔になってはいけないので出てきただけだ。着いた時には青空も見えた(写真)。しかし夕方から大雪の感じで、窓の外、車の上はもう50センチ以上積もっている。ちゃんとワインも持ってきたので雪見酒!見る見るうちに積もっていく。お正月は雪国になるかもしれない。めでたしめでたあし!

安倍首相、真珠湾慰霊

ちょうど朝7時のニュースに合わせて、真珠湾のアリゾナ記念館行われている安倍首相のさんのスピーチが流れた。どの局もすべて安倍さんの話を放映していた。それが終わってオバマさんの番になるとNHKをのぞいてすべて通常放送に戻った。今回の訪問は前回広島の原爆ドームにオバマ大統領が来てくれた返礼だろう。その時のオバマ大統領のスピーチはすばらしかった。安倍首相もこんかい負けないようなスピーチがしたかったのだろう。私もしっかり聞いていたがなかなか立派だった。

その一節を抜き出しておこう。
……私がここパールハーバーで、オバマ大統領とともに世界の人々に対して訴えたいもの。それは、この「和解の力」です。戦争の惨禍は、いまだに世界から消えない。憎悪が憎悪を招く連鎖は無くなろうとしない。寛容の心、和解の力を、世界はいま、いまこそ必要としています。……

でもやはり一言言いたい。これと同じことを、沖縄県にも言ってほしい。オスプレイが落ちたばかりの海岸でアメリカ軍のための基地が新たに作られている。沖縄の人たちは何で戦後70年間、自分たちばかりがひどい目にあうのかと思いながら、半ばあきらめに似たため息をついている。安倍さんはアメリカの老兵の前でひざまずいて謝罪をしていた。

なんでアメリカ人にはできて、自分の国の人たちにはできないのか。それどころか沖縄の人の心を平気で踏みにじっている。自国の人を大事にしないで外の人にぺこぺこしている姿を見れば、やはり日本は植民地なのかと情けなくなる。真珠湾に続いて辺野古の海を見て、同じ言葉を言ってほしい。

……耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い静かな入り江。私のうしろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。あの慰霊の場を、オバマ大統領とともに訪れました。そこは、私に沈黙をうながす場所でした。亡くなった軍人たちの名が記されています。・・・中略・・・・戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

平和国家としての不動の方針を貫くというのは、どうしても言葉だけにしか思えないのだが、誠で示してくれないかという印象でした。政治家は言葉が命だが、実のこもっていない言葉は空疎に聞こえるだけだ。今回の安倍首相の行動は立派だったが、私はどうしても全面的な支持には至らなかった。

12月26日、スマトラ沖地震

https://en.wikipedia.org/wiki/File:2004_Indonesia_Tsunami_Complete.gif

2004年12月26日、私はミャンマーのエヤーワディ川(イラワジ川)の河口のマングローブ林の中にいた。マングローブは熱帯の低湿地の海岸に生育する植物の総称だ。ここで向後元彦さんが植林作業をしていた。私はそのお手伝いというかお邪魔というかで滞在していた。その日は卒業研究に来ていたMEIJI学院大学の学生を案内して、小さな島で3日間ほど滞在していた。

朝ごはんを食べていたら、突然地面が揺れた。揺れは長く続き、かなり大きな地震だということがわかった。私たちのいるところは海面すれすれの場所で、もし津波がやってきたら逃げるところは一つもない。私は急いで皆に作業用の地下足袋を履いて、大きな木に登るように準備させた。たぶん木に登っても気休めに過ぎないとは思ったが、どうしようもない。

◆その島はお坊さんが一人だけ住むほとんど無人島で、電気も水も道路もない。しばらく待機していたが、水位が50センチぐらい上がっただけだった。半日した頃、船頭さんに沖を通る船に情報を聞きに行ってもらった。「韓国で大地震があった」とのこと。韓国の地震がこんなところで揺れるはずはない。彼らだって情報は持っていないだろう。観察はすぐに切り上げて、ボガレーという町に戻った。ここにはテレビもある。周辺の港は津波が襲ったそうで、マレー半島では大きな被害が出ていることを知った。

◆若者を連れているので日本に無事の知らせをしなければならない。しかしボガレーでは電話は通じなかった。首都のヤンゴンに戻ろうとしたが、往路の船は動いていなかった。陸路ジープを雇って一日かけて戻り、日本大使館に連絡に行った。残念なことにお正月でおやすみ。日本人スタッフは誰もいなかった。ホテルからやっと電話が通じて無事を知らせることはできた。ホッとしてテレビを見た。BBCやCNAは繰り返しインドネシアのスマトラ島で大地震が起こり、大変な被害が出ていることを報道している。我々のいた近くでも津波被害が出ているようだ。我々に被害がなかったのは奇跡的だったと感じた。

◆NHKの番組も見ることができた。しかしただひたすら紅白歌合戦の宣伝ばかりだ。マレー半島では日本人も多く犠牲になっているらしい。それでもNHKは紅白歌合戦の方が大事だったようだ。世界的な大事件なのに、どうしてこんなことになるのか。この周辺国の大使館もみなお正月休みだったようだ。情けない。

◆◆◆それから7年たった2011年、日本でも東日本大震災で大変な津波被害が出た。あの時、NHKをはじめ日本全体が「外国のことだからまあいいか」という対応だった。もっと津波の恐ろしさを知らせておいけば、例えば紅白の一部でも休止して、大変な事が起こっていますと報道をしておけば、少しは恐ろしさを感じたろう。

◆自分の身になにか起きない限り、なかなか想像力は働かない。しかしここ数年、異常気象、地震活動など自然現象は本来の動きをしている。(自然というのはダイナミックに動いているのがふつうなのだ)。人ごとと思わず、常に関心を持って、逃げる方法を考えるべきだろう。私がブラリークラブをやっているのは、少しはみなさんに自然(特に地形地質)を感じてもらえるかなと思ってのことである。と我田引水!

ぶらりバークラブ 都区内峠越え

161209map-deko2 cimg0106本日は今年最後のぶらりバークラブお散歩。大田区の馬込あたりを歩きました。

そこで都区内峠越え道探しでした。最初の図書館峠は皆さんなるほどと認定してくれましたが、後半鐙(あぶみ)坂上の峠は、「あまりよくわからない」とのことで却下。

却下したのは山岳部出身の人。いつも高山の峠越えをしていた人にとっては、こんなの峠じゃないということらしい。

ムムーッ まだ説明力が足りないなあと反省。次回は四谷あたりだが、認定してもらえるように説明をうまくやろう。

もんじゅ廃炉 問題山積!

とっくに高速増殖炉の「もんじゅ」は廃炉に決定していたと思っていたら、まだ生き延びていたのだ。政府は21日福井県敦賀市にある高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃炉をやっと決定した。使った以上の核燃料ができる「夢の原子炉」と言われ、もんじゅは1994年に稼働した。しかしナトリウム漏れなどの事故が続き、事故隠しで追及されたりで20年間に250日動いただけだった。この間に使われた費用は1兆円以上という。 続きを読む

年賀状 今年は期日までに出せるぞ。

161oo1iseshima-nennga 年賀状を1週間前ぐらいから作り始めた。今年は伊勢志摩サミットの首脳陣が並んだ場所で撮った写真を入れようと考えていた。しかし撮った写真は縦長になっているので、加工して横長にした。足元にそれぞれの首脳の足跡も映っているのだが、割愛せざるを得なかった。手すりの位置には別のものも映っていたのでそれも修正するなどした。よく見ると横棒がずれていたりしている。でもまあこれぐらいの修正、大目に見てください。

通信面は全部同じ内容なのでプリンターに任せておけばやってくれる。しかしあて名はなかなか面倒だ。毎年早く印刷すると、その後に来た喪中の宛名はがきを除かなければならない。昨年は30枚近くあって大変だったので、今年は本日まで待った。

私は「筆まめ」とかの宛名作成のソフトを持っていないので、エクセルの住所録をワードで作っている。既成のソフトではないので自分の好きなフォントで作れるが、文字の位置を決めるのは結構大変だ。そうこうしているうちに夕方になった。急いで印刷にかかったが、なんと2枚づつ出てきた。10枚ほどで気が付いたので急いで停止。あわてるとろくなことがない。インクも残り少ないので、明日印刷することにする。

尾張一宮 大神神社

a01cimg0353 尾張一宮は2社ある。真清田神社が大きく立派だが、こちらの大神(みわ)神社は名前の割には小さく、宮司さんも常駐していない。しかし近くの大神社の宮司さんが管理をしているらしく境内はきれいに掃除もされている。ご朱印を得たい人は連絡が必要だそうだ。しかし連絡先は神社に来なければならないので、朱印を頂くのは大変そうだ。a05cimg0352 大神神社は大和の一宮の系統で大物主を祀っている。真清田神社は天孫系統だがこちらは国津神の出雲系統だ。この地ではそれぞれの系統が並立していたが、近くに熱田神宮もあり、伊勢神宮も遠くはないので天孫系の勢力が支配的になったのだろう。三輪神社ヒイキとしてはちょっと寂しい。a04cimg0361

尾張一宮駅からは2キロほどあり、30分ほどかかる。隣に昔の神宮寺だった薬師寺がある。そちらのほうが立派だが、この神社も素朴で清々しい。名古屋でのんびりしたので訪れたのは4時頃。東京と違ってまだ明るい。4時半に尾張一宮駅に戻り、名古屋から新幹線で東京に戻る。7時半には家に戻った。a02cimg0358

尾張一宮 真清田神社

a07cimg0301 日本には一宮という地名がたくさんある。昨日歩いたところにも遠江一宮(天竜浜名湖鉄道)JR飯田線にも三河一宮駅があった。本日の尾張一宮は、その中でも市制をしいている唯一の場所である。名古屋から10分ぐらい。駅から歩いて10分ほどのところにこの神社があった。a03cimg0317a02cimg0323 真清田神社の祭神は「天火明命」(あめのほかり)である。この神の別名は「ニギハヤヒ」命で、天孫「ニニギ」命の兄とされている。天孫とは天照大神の孫という意味で、現在の皇室の祖先とされている。古事記によればニギハヤヒ命は浪速で神武天皇と戦い敗退させるが、紀伊半島を回って熊野から大和に入ってきた時に、神武天皇に帰順する書かれている。どう考えても時代が合わないのだが、神様だから時空を行き来する。a04cimg0311

ニギハヤヒ神は先日訪れた生駒山の大阪側の麓にある「石切劔箭(いしきりつるぎや)神社」(通称石切さん)に祀られている。また丹後の一宮の籠神社(元伊勢)にも主祭神として祀られている。もともと大和葛城の高尾張にいた尾張氏がこの地に移り、真清田神社にニギハヤヒを祀った。尾張氏の祖先も籠神社の海部氏も浪速の住吉さんもみな海人系統である。いまは内陸にあるが、真清田神社は天孫系、海人系の神社なのだ。

ニギハヤヒという神はいちおう天孫だが、関東の人間にはあまり馴染みがない。もう少し真清田神社の祭神さんを研究する必要があるなあと感じた。

遠江一宮 小國神社

遠州一宮は2箇所ある。事任八幡宮とこの神社である。ここは出雲系の大国主を祀る神社で、現在ではこちらの一宮の方がはるかに大きく格式もありそうだ。掛川から天浜線(天竜浜名湖鉄道)に乗って遠州森の石松の出身地に行く。日曜祭日には神社からのバスが来るが本日は平日なので遠州一宮駅から歩くしかない。a01cimg0131案内にはから45分と書いてあったが、1時間歩いてやっと700m地点の茶屋に出る。こんにゃく味噌のお接待を受け、元気を回復して歩き出す。大きな鳥居の奥には立派な神域があった。大国主さんと白うさぎのお話が書いてあったが、今の人たちは知っているのかな? a07cimg0175a07cimg0157出雲系だけあって社殿は出雲大社とおなじ様な作りだ。すっくと立った千木は立派。鰹木は3本a05cimg0189 行きだけで結構疲れたが、帰りも歩くしかない。誰か載せてくれないかと思ったが、運転している人はほとんど高齢者。今の時代、高齢者の車には乗りたくないな! 高速道路の下であと2キロ、車が停って「私は神社のものですが乗りませんか?」と言ってくれた。すぐに乗り込んで駅まで送ってもらった。
「今時の人は、乗りませんか?と言っても怪しんで乗ってくれないんですよ」とのこと。そういう時代なのかな!我らは古い時代の人なので、ありがたくお接待に預かる。天浜線で浜松まで行き、名物のうなぎを食する。a06cimg0220