東海道 狛犬めぐり

蒲田で人に会う用事があった。三密をさけて3分で用件を済ませて東海道を品川へ向かて歩き始めた。振り返ると羽田に向かう京浜急行線の線路は高架になっている。むかし箱根駅伝の選手はしばしば踏切で待たされたこともあった。それはそれでおもしろかったのだが、今は分秒を争うゲームになっており、楽しい時代の箱根駅伝ではなくなっている。そんなことを思いだし、しばらくは広い京浜第一国道を歩く。

今は「大森」であるが「王森」と書くこともあるようだ。第一京浜にそって旧東海道が品川宿まで続いている。旧東海道にはお寺や神社がいくつもある。鈴ヶ森刑場で旧街道に名入り、狛犬を見学しながら歩くことにした。

鮫洲は自動車免許証で有名な場所。昔から街道の名所で神社寺も多い。

鮫洲八幡様に寄ってみる。入り口から3対の狛犬がいる。真ん中の狛犬(下の写真左二つ)は前の天祖諏訪神社と似た江戸流れの様式。化粧直しをしているが江戸時代のもの。奥の狛犬(下右二つ)は白っぽい花崗岩質の現代風の狛犬。

ここには富士塚らしいものもある。私の江戸60の富士塚リストには入れていない。これは入れた方がよさそうだが、富士講の石碑がちょっと少ないので躊躇する。

品川宿に入ると品川寺(ほんせんじ)、ここには大仏さんがあった。目黒川を渡ると荏原神社があった。海辺に近い神社だけあって恵比須様が鳥居下におられる。ここの狛犬も前の二つと同じ黒っぽい江戸風のもの。両狛犬とも二頭づつ子どもをもっている。雄雌とも子育てにかかわっていたのだ。実際には産めよ増やせよの地合い背景があったのだが。

品川宿に行ったら、街道文庫に行かなければならない。なにせここには我がジャーニーランの師匠のTA中義己さんの店。街道に関しては日本で一番の蔵書をもつがなにせ狭い店なのでお客はほとんどない。コロナの影響で街道歩きもできないというので書庫の奥の狭いスペースからほとんど出ないそうだ。早くコロナから脱出したいがまだ難しそうだ。どなたかこの蔵書を引き受けてくれないかと、私は思うのだが。本日の歩行時間3時間半、歩数は32687歩。今月も過剰歩行の感じあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京オリンピック遺跡散策!

NHKで2020東京オリンピックの選手村がゴーストタウンになっているという言っていた。私も常々選手村、豊洲市場などどうなっているの気になっていた。先日築地本願寺から霊岸島に行った時に、ついでに寄ってこようと思っていたが、雨が降っていたので止めた。

本日はいい天気、本来は赤城山でキャンプをしているはずだったが、処々の事情でキャンセルしたのでヒマになった。我が家からママチャリで出かけた。あとで見ると45キロ、4時間半の小旅行。ヤマップというアプリを使うと走ったコースがちゃんと出ている。板橋駅、巣鴨のお地蔵さんはジジババだらけで迂回して染井墓地経由で本郷、上野に出る。昭和通りをずっと進んで歌舞伎座脇から築地へ。朝日新聞社の前から築地大橋に出る。

オリンピック用に作られた隅田川最下流の橋だが、築地市場の移転が遅れたので取り付け道路ができなかい中途半端な道路だった。築地が移転してやっと半分だけ通行できるようになった。もし今夏にオリンピックがあったら大渋滞になるところだった。「築地大橋」は舛添要一の墨蹟だ。橋から勝鬨橋を見る。なかなかいい眺め。

橋を渡ると高層ビルが林立しているのが見える。一段と立派なのは都の清掃作業所。まるでどこかのホテルみたいだ。その周辺のオリンピック選手村のビルは完成しているが警備員が立っていて立ち入り禁止。このままさらに一年放置されるというのはもったいない。といって誰かを住まわせるわけにはいかない。オリンピックができてもたぶんリモートになるだろう。選手は地元国で走ったり泳いだりして同時中継をすればいい。サッカーや野球などのゲームは中止などいろいろな方法が考えられるが、オリンピック村に選手が集うということはほぼないだろうから、分譲で買った人たちにもう住んでもらったら! もし選手団が来てもどうせ外交人観客は入国はできないのでホテルはたくさん余っているから、そちらに泊てもらえばいい。

写真を撮った場所は晴海ふ頭、この一角がオリンピックの選手村になる。外国に来た感じだが、今はだれも住んでいない。右写真の奥に見える豊洲大橋を渡ると豊洲市場。すばらしく大きくきれいな市場だ。これまでの築地市場のぼろっちい建物から見ると天と地の違いだ。小池都知事はなんで移転の延期をしたのだろう。ここからさらに進むと有明けテニスの森、モノレールの駅がある。さらに進むと高速道路に突き当たるので左(東)に進んで東雲の高層マンション群に進む。こちらは人々が住んでおり町ができている。同じ建物群があっても人の気配がないと気味悪い。

東雲、豊洲の新しい市街を見て三目通りを進むと富岡八幡宮の近くに出た。久しぶりに不細工狛犬と伊能忠敬さんに出会った。さらに住むむと清澄庭園脇の江戸史料館にでた。道路わきにこんな人物が!「なにしてるの?」と声を掛けそうになった。史料館の隣に「霊巖寺」があった。先週行った「霊岸島」の名前になった寺だ。ここに移転してんだ。霊巖寺前に出世不動尊があった。サラリーマン風の人が熱心に願っているのでなかなか写真が撮れなかった。私は出世には関係ないので写真を撮っただけでお賽銭も入れなかった。

舞囃子「高砂」再録

先日動画を入れましたが、容量が大きくて見ることができないと聞きました。今回は写真を入れます。

事前に申合せ(練習)もありました。

先生からご指導を頂きました。本番では間違いもなく、うまく舞えたそうです。

次は傘寿の記念と思いますが、そこまで体がもつか、思案のしどころです。

Physical Distancing

新宿御苑に行って来た。新型コロナが再び拡大しそうな状況だが、ソーシャルデイスタンスを保ち、マスクをすればほぼ感染することはない。それは多くの専門家の言うところだ。新宿駅周辺の混雑を避け、バスで新宿高校脇に行く。昔新宿高校は御苑と塀を隔てたt頃にあったが今は新しい道をが校庭を突っ切っている。もともと狭かった校庭はないに等しくなっている。もう少し若者の居場所を整備してやらなければいけないだろうに。などと思いながら250円払って入場。
パンフレットには Physicals Distancing と書いてあった。Social Distance よりもこちらの方が普通の言い方のようだ。

入るとすぐに満開の十月桜に迎えられた。その後温室に入る。今はちょうどしょうがの花が咲いている。しょうがにこんな花が咲くのだ。入り口にあったダリアに蝶々がとまっている。写っているかな。中に食虫植物のウツボカズラがあった。

温室の中ではオオオニバスが今盛り。多くのカメラマンがそばに寄っている。我らはちょっと離れたところからとってみた。なかなかすばらしい。

花には大勢のカメラマンが集まっているので、私は珍しい葉っぱの写真を撮った。今回はスマホを使って撮ってみた。これまでうまく撮れなかったのは手振れを防げなかったからだ。杖兼用一脚を使ってみたら案外うまく撮れていた。
バラ園脇のベンチで距離をとってあんパンを食べてから外に出て、渋谷川の源流になる小川の脇にある多武峰神社に行く。ここにはなかなか面白い狛犬がいる。なんとなく笑っているような微妙な顔をしている。


新宿御苑の芝生には大勢の人がいるが、みな Physical Distancing をとっている。これなら感染は広がらないだろうがすぐ近くの繁華街では密の場所でマスクをしないで騒いでいるという。こりゃまずい。どうすればいいのかわからないが、とりあえずは自分はかからないように自衛するしかない。でも引きこもっていてははじまらない。

喜寿の記念 舞囃子「高砂」

アベにも負けず
コロナ風にも負けず
夏の暑さにも、寄る年波にも負けず
舞囃子「高砂」の稽古に励んできた。

9月21日、三密を避けて渋谷の
セルリアンホテルの能楽堂で
喜寿記念の「高砂」を舞うことができた。

我が奥さん倫子さんの喜寿の舞姿
この日のために買ったカメラで撮影した。
しかし残念なことに色バランスが悪くて
こんな感じになってしまった。

楕円の哲学:菅政権への期待

先日FBで安倍総理が辞任したことが安倍政権最大の功績と書いた。その後菅内閣が誕生した。麻生さんは「かん」総理と言っている。マスコミは間違えたというがたぶんわざとだろう。しかしそんな意地悪ジイサンを再任させたというのは断末魔の「アベノミクス」の責任をとれという菅さんの意地だろう。第5次安倍内閣と揶揄する向きもあるが、菅総理は安倍元総理よりも遥かに優れていると私はみている。支持率60%以上もあるというのはダメ安倍を脱却して、まともな政治にしてくれるだろうという期待だろう。

組閣わずか2日で安倍政権というか日本の最大の弱点だったデジタル化を一挙に進めようという意欲がよく見える。新型コロナで表面化した弱点、例えばPCR検査は手書きFAX送信、在宅勤務なのにハンコ行政、10万給付は手作業、マスク調達に何百億円などなど。韓国、台湾などでもIT大臣が迅速に作業をこなしているのを菅さんは指をくわえて見ていたのだろう。日本のIT大臣はハンコ連盟の会長のジイサンだった。作業が進むわけはない。ここ一点を突破してデジタル先進国の仲間入りをしようというのだろう。いつまでも桜、モリカケなんかに構っていられるか、ということだろう。

私もモリカケ、桜はもう司法の手にゆだねた方がいいと思う。国会での優先論議は安定社会の構築にあるだろう。誰がやっても難しいが、少なくとも安倍総理の失敗を見ているので菅総理の方がうまくやるだろうことは期待できそうだ。デジタル化の第一はマイナンバーだという。国民皆にナンバーをふって住民票、銀行口座、税金データを紐付けておけば10万円給付など即日にできる。位置情報は逐一わかるから夜の街で飲食していることもすぐわかる。災害時にはすぐに救助に向かえる。何よりもこれがあれば税金逃れができない。ローン破綻しそうな人には警告もできる。

マイナンバーで国民を管理すればコロナ禍でも迅速に隔離、治療ができ社会的な不安を除くことができる。怪しい人はみな隔離してしまえば犯罪はほとんど起きない。みんなが協力して全員がマイナンバー登録すれば理想的な社会になる。菅政府はこれを目指しているのだろう。ヨーロッパの国はほとんどこのシステムができている。もっとも徹底的にやられているのは中国だろう。あれだけとんでもないパンデミックを発生させた武漢はもう平常に戻っている。あの国のことだからまだ隠蔽があるだろうが、対応が速く徹底的であったことは確かだ。

2年前に上海に数回に渡って旅行をした。まったくもって現金決済のない社会だった。何をやるのもスマホ操作で済んだ。スマホが使えない人はどうするのか質問したら、そんな人はいないとのこと。町に年寄りはいなかった。スマホの使えない老人は田舎に放り出されるらしい。スマホがなければ家から出ることはできない。町で同じような年齢の人がいないので、私は電車やバスではいつも席を譲られた。町中には路上生活者もいなかった。田舎に行った時に物乞いがいたが、彼らもQRコードを持っていた。日本に帰ってからコロナ禍の上海にいる知人が知らせてくれた。「あなたが昨日乗った地下鉄にコロナの陽性者がいたので、今日から会社には行かず2週間自宅待機するように」という警告がスマホに送られれきたそうだ。翌日から家にいないと再び警告が来るという。全員の位置情報が把握されているので、謹慎しているかわかっているのだ。スマホなしで出かけたら、電車にも乗れない、お店で買い物にもいけないから、言いつけを守るしかない。現地の人たちは「中国は世界で一番安全な街だよ」という。現地に住む日本人も「政府に反対さえしなければ世界で一番自由で安全な場所です」という。

菅さんだけじゃなく、政治家は自分の命令は国家のために良かれと思ってやっていると思っている。自分の言うことを聞かない人は不利になるが言うことを聞く人は施しがいくらでも得られるよ!安倍総理は中途半端なまま国家の私物化をしたのでいろいろぼろが出て嘘つきになったが、菅さんはそれをよく見ていた。デジタル化を一気に進めて政府が一元的に国民を管理できるようにする。そうすれば政府は国民の顔いろをうかわなくても計画的に政策を勧めることができる。国民は健康不安や犯罪不安も消え、税金の不公平感もなくなる。これで国民も政府もウィンウィンの生活になる。すばらしいじゃないか。???

日本中に監視カメラがあり車にはドライブレコーダーがついているので犯罪者はなかなか逃れることができない。昔は多くの人がプライバシーの侵害と批判的だったが、今はみなありがたがる。マイナンバーも今は反対者が多いがコロナ禍で一気に保持率が上がるだろう。私も外国資本のLINEやFB、ペイペイなどよりも日本政府の方を信用したい。しかしみんながウィンウィンになるというのは、「いつもニコニコ現金払い!」で生きてきた人間としては信用できない。私はスマホを持っており大いに活用はしているが、お金の支払いはプリペイドの Suica だけだ。

先日免許証の書き換えの前に行う高齢者認知試験をうけてショックをうけた。76点以上が合格なのだが自信を持っていた私は78点で本当にすれすれで合格。これじゃもう運転はできないとあきらめたところだ。我々年寄りはスマホ決済では騙されること必定である。私はマイナンバーが法律で必要になっても、しばらくは様子を見ることにする。その間に命も消滅するので、結局はマイナンバーの恩恵は受けることはないだろうが。

社会は徹底すればいいというものではない。中国のようになったら、小さな自由と安全は得ることができるかもしれない。しかし自分の分身(プライバシー)を人質に取られた中での自由というのはいったいなんだ。それは不自由、また分身がいつ抹殺されるかもしれない恐怖、それは安全とは言えない。私の思いは、高速道路のETC方式だ。あれだけ旗振りをしたが、いまだにETCカードを持っていない人たちがいる。全員ETCにすれば効率はいいが、まあ何%かはそのシステムに入らない。徹底しないのは政府にとっては不都合だろうが、我々にとっては好都合。

社会というの一か八かではなく、適度なところで均衡を保つということが必要なのだろう。最近亡くなったKさんが「楕円の哲学」という文章を書いてくれた。中心が一つの円周は1つしかない。楕円は中心F(焦点)が二つあるので円周はいくつも描ける。その楕円の焦点F点と円周の点Pをバランスよく動かすのが政治である、と言う。まさに菅さんに知らせたい言葉だった。

 

狛犬楽会再開:すすき梅雨

最近天気予報のお姉さんがしばしば「すすき梅雨」という言葉を使っている。夏から秋の涼しい空気に変わるときに前線面に沿って雲が湧き雨が降ることが多い。この時期の雨は昔「秋霖」(しゅうりん)あるいは「秋雨前線」という言葉を使っていた。「すすき梅雨」という言葉は昔からあったのか? 広辞苑で調べて見たらちゃんとあった。私が知らなかっただけなのだろうが、昔のテレビの天気予報で聞いた記憶はない。いつのころから天気予報は「すすき梅雨」になったのか、どなたか教えて欲しい。
実は1986年から数年間私はさる会社のPR誌に「水の惑星地球」という連載をしていた。古川タクさんがすばらしいイラストを描いて下さった。40年も前のことでまだボケてはいなかった頃だから、雨という言葉を国会図書館などに行って徹底的に調べたはずだ。しかしこの連載の中には「すすき梅雨」は入っていない。その時の私の調査は足りなかったのか、あるいはこの40年の間に出てきた言葉なのか? 悔しいのでいま懸命に調べているが、ぼけてきて調査能力が下がってしまった。どなたか、教えてください。

記事(1986年)
さて、我が雨民族は前述の例のように、季節を特に重要視する俳句という詩の形式を発展させました。雨に関しても四季を通じてさまざまな言いまわしをしてきました。
春は春雨、春時雨、菜種梅雨、春霖、梅若の雨
夏は筍梅雨、梅雨、梅霖、五月雨、夕立、虎が雨
秋は秋雨、秋霖、洗車雨、秋時雨
冬は時雨(小夜時雨、村時雨、月時雨) この中にすすき梅雨はない!

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ところで、半年間休んでいた「狛犬楽会」今月から再開します。以下のように始めますが、もう最初からミスです。9月27日ではなく9月26日(土)です。詳細はhttp://kazmiwa.sblo.jp/archives/20200910-1.html にあります。

 

新宿鬼王神社の狛犬

自粛自粛でどこにも行けないが、9月に入ればもう三密さえ避ければ外出オーケーの様相になってきた。ということで「狛犬楽会」の探索会を再開する予定ですが、その前に気になっていた新宿歌舞伎町の鬼王神社に行ってきた。歌舞伎町こそが都内の最大クラスターでテレビでも何回も取り上げられている。最近小池都知事が話題にしなくなったのは、歌舞伎町のコロナは鬼王パワーで吹き飛ばされたからではないかな。 大久保村の氏神であった稲荷神と、熊野から勧請した鬼王権現を合祀して「稲荷鬼王神社」となった。大久保村の鎮守なので、歌舞伎町からはちょっと離れているが近年歌舞伎町界隈ではちょっとしたパワースポットとして知られている。ちなみに「鬼」を祭神としているわけではない。鬼王がだれか、だれも知らない。

この神社には二対の狛犬がいる。正面の狛犬は護国系の威張り狛犬だが、拝殿前の狛犬は阿吽ともに子育ての愛らしい狛犬である。もう一枚写真をならべてみる。向かって左側の「吽」の狛犬の子供の様子はよくわかるが、右の子供の狛犬の姿はよく見ないとわからない。お父さん狛犬のひげをしたからかじっているのだ。

この神社はわれら富士塚楽会、狛犬楽会では外せない神社で、裏手には富士塚がある。と言ってもかなりじゃけんに扱われており上半分と下半分が別々に置かれている。本来はもっと立派なものだったろう。写真を載せておきます。

立山 雄山神社へ行って来た

2016年10月に撮った写真です。今回のものではない。

9月1日、三密さえ避ければコロナにはかからない。総理もそういっているので、納得して狛犬探索を再開した。さっそく越中(富山)の一宮、立山の雄山神社に向かった。雄山神社は立山の3千mの山頂にあるが、すでに何回も行っている。今回は麓の岩峅寺の雄山神社前立社壇と芦峅寺の中宮祈願所である。ここも何回か来ているのだが前立社壇にすばらしい狛犬があることを知らなかった。狛犬探索は2016年ごろからだ。目に入っていたのに気がついていなかったのだ。

 まさに私の眼は節穴だった。英語のSeeとLookの違いを習ったことがあるが、ただ漫然と「see」だったのだ。いま全国一宮で対決しているKasori君に聞かれたら、「なに!知らなかったの?」とバカにされそうなので、大急ぎで確認に行ったのだ。文化財になっているようでなかなかいい狛犬だった。
 せっかくなので、神社の下の常願寺川を歩いて15キロ先にある祈願所に向かった。しかし暑さにまけて横江駅で富山地鉄に載った。座席には大きな荷物をもって黄色いシャツを着た人がいた。雷鳥沢に向かうKanya君だった。
 私は一駅のって(それでも320円だった)中宮祈願所に向かった。こちらの狛犬は前に見た通りのものだった。となりに立山博物館があるのだが、本日は次の糸魚川の狛犬探索にむかうので、一気に駆け下って横江駅から富山駅に向かい新幹線で糸魚川に向かった。糸魚川の奴奈川神社は通称一宮だが、全国一宮会には入っていない。これをどうするかKasori君と討論しなければならない。なので記述は結論が出てからにする。

秋の風邪、さてどうなるか、安倍の後!

安倍総理はまたもや病気を理由に政権を投げ出した。病気と言えば皆さん優しいから、ご苦労様でしたと言ってくれるだろうことが見え見えだ。この先、コロナの終息は望めない。小池都知事の言う通りwith corona で行くしかない。10月にはオリンピックの中止を言わなければならない。「コロナに勝って完全な形で2021年にオリンピック、パラリンピックをやる」と大見えを切ったが、今回「コロナに負けて中止になりました!」と言うことだ。それだけはいやだったのだろう。

さらに株価だけは黒田日銀総裁の操作によってV字回復をした。しかし景気は昨年の増税の時からどんどん悪くなっている。コロナのせいにしているが、より構造的な原因だということに皆が気がつき始めている。アベノミクスが破綻していることがばれる前にやめなければ。失業者や貧困層がどんどん増えている。この人たちの怒りが政権に向かってくるのも時間の問題だ。

まだ理由はある。目玉政策のIR事業汚職で議員が逮捕された。口裏合わせの疑惑が出てきて再逮捕された。河井元法務大臣夫妻も捕まっている。この裁判も進んでいて有罪は確定的のようだ。となると政権幹部への追及も始まる。総理の身で聴取を受けるなんてできない。議員を辞めたらもっと追及が激しくなる。そこで総理はやめるが議員の特権をなくしたくないので、病気だががんばって議員は続ける。

もし後任が石破や岸田になったら、裁判にかけられるかもしれない。そこで同じ穴の狢(むじな)の菅に後を託すことにした。菅は実質安倍政権の管理者だから同罪のはず。自分が捕まるかもしれないような運営はしないという確信があるので、安倍総理は、意中の人だった岸田を外して菅になるように工作をした。そのとりまとめは麻生元総理が仕切ったと田原総一郎が言っている。なるほど。親中国派の二階幹事長の目を亡くす方向なのだろう。派閥の動きは見え見えでまるで田舎芝居! ゴメン田舎の人に失礼だな。

総理を辞めるそうだ!

何はともあれ日本の道徳的危機が取り除かれたことに喝采を上げなければいけない。去る者に礫を浴びせるのは好みではないが、総理の重責に耐えることができない体なら、議員もやめなければダメだろう。議員に居座って後任ににらみを利かせようとするのは大変迷惑だ。後任の人は乱れきった政治道徳をもとに戻すのに大変苦労する。お目付け役がいたら改革はできない。

安倍総理は自分が傷つかないよう辞めることができるように周到に用意したらしい。その中に「コロナも終息し始めたから」という理由も述べられていた。私たちは、まだまだ大変だと思わされているが、巷に流される情報よりも何千倍も正確な情報を持っている権力者が言うことだから、たぶんまもなくコロナも終息するだろう。その時には称賛されるという道筋もつけられている。

三密を避ければ感染しない、ということはすでにはっきりしている。密になりそうだったらマスクをすればいい。昨日のNHKでもかなりはっきりと示していた。それを守らなくて感染すればそれは自己責任というにされそうだ。夏のコロナウィルスは弱毒化しているので、今のうちに多くの人が感染して、集団免疫をえれば、冬に強毒化したウィルスにかからないという説があるそうだ。嘘くさいが、現在の政府の政策はこれに近い。

たぶん冬には世界の貧困層の多い国々で獰猛なコロナウィルスが再び猛威を振るうだろう。しかし日本は安倍さんのおかげで、軽くすんだ、という希望的筋書きができているのだろう。そして日本はアンダーコントロールのもとにあるのでオリンピックは可能という筋書きだ。しかしWHOやIOCは、もう一年延期を提案するだろう。

もしトランプ大統領が再選されたら、オリンピック実施可能になっても「中国を排除しろ!」と無理難題を吹っかけるだろう。安倍総理ではこれを断ることはできない。今辞めておけばアベのび太はジャイアントランプの無理難題の被害を受けないですむ。まさに「辞める時期はいまでしょう!」だったのだろう。

高尾山は遠かった!

 東京都民は都外へ出ることは自粛という。なので都内にある高尾山や御岳山に繰り返し通っている。今回は高尾山口の駅からすぐに川を渡って有喜堂のすぐ裏から草戸山への山稜に入った。
この道は城山ダムに続く尾根道だが、今回は草戸山(365m)から城山ダムに降りないでそのまま三沢峠へ向かい、さらに大垂水峠に降りてから、高尾山に上り返すというコースをとった。

このコースは東京都と神奈川県の県境を行くのだが時々神奈川県側にはいるので、正確に言えば東京都外に出たことになるが、まあこれぐらいはお見逃しを! 昔はこのコースは4時間かからなかったが、後期高齢者にとってはさすがに長くきつい。草戸山から景色はいいがその後は林の中。日影があっていいのだが蒸し暑く汗びっしょりになる。見晴台で初めて景色が開ける。ここから見えるのは相模原の千木良あたり。あとから地図を見たらあの「やまゆり園」のある場所だった。2016年7月26日、事件の日、私は友人の車で通行止めの中央高速道路から目の下で起こっている事件の様子をラジオで聞いていた。今回反対側の山の上からみて、あの凄惨な事件を思い出ししばらく頭を垂れた。

大垂水峠の歩道橋の上では、バスで下ろうかと考えたが、ここまで来たのだから頑張ってみようかという気持ちになり登り返した。

暑い一日だったが高尾山に上り始めるといくつかの沢を横切る。ここで水浴び、水分補給ができ気分は良は回復。しばらく林道を行き稲荷山コースの途中にでる。稲荷山コースは下山路。そのまま下った方が楽だったが、ここまで来たのだからと山頂に向かう。我が頭は、「もういいよ、下ろう!」と言うのだが、足は勝手に登り始めた。長い階段を上ると高雄山頂。ペットボトルの飲料は210円だったので、さっき汲んだ沢水で補給。

そのまま薬王院、権現堂を経てビヤマウントを横目で見て高尾山口の駅への急坂を下る。この急坂は疲れた足にくる。

 朝子どもたちが水浴びをしていた河原で私も水浴びをして着替える。そばにある温泉に行けばいいのに、ケチな年寄りだ。こんな客ばかりだと地元はちっとも潤わないだろうな。申し訳ない。夕闇迫るころ。歩行時間はほぼ6時時間。

コロナ渦の中、大塚山へ

連日東京都の感染者は400人を超え、小池都知事は自粛自粛を要請しています。しかし政府はGoToを推進中。安倍総理も広島の原爆慰霊に訪れてGoToを続けると宣言している。どちらをとったらいいのか素人にはわからない。都内から出ることは避け、GoToの精神をもって、換気のいい場所に行くことにした。奥多摩の御岳山に向かった。ところが我が同志は大勢いるようで、ケーブルカーに向かうバスは超満員、まさに「密」になっている。

そこでバスには乗らず多摩川の川辺の遊歩道を行くことにした。川には大勢のカヌーの客など川遊び。ここも三密はなくOK。私はケーブル道を避けて、古里の丹三郎から大塚山へ登るコースに変更した。川沿い遊歩道はすぐに通行止め。しかたなくバス道を4キロ歩き丹生(たんせい)神社を経て山に入る。丹生都比米を祀る神社なので「にう」神社だと思っていたが地元の人はたんせい神社と呼んでいる。

先日歩いたしか道とは違い里道なので緩やかなジグザグ登り。私の実力でもあんがい楽に登ることができる。御岳山へのまき道もあるが、私はゆっくりと大塚山頂上へ。荒れ果てた休み場があるが手入れができないなら撤去してもらいたい。大塚山を下ると見慣れた御嶽神社への参道に続く道になる。けっこう人が多い。目的の紅葉屋は大勢が並んでいる。

私が作った紅葉屋の90周年記念動画が影響したのかもと思ったが、youtubeの視聴者はまだ95回、そのうちの半分は紅葉屋のおやじさんが見ているというから、この宣伝動画の影響ではないようだ。でもこの不況の中、行列ができる店になっているのはうれし事だ。ここで若い山ガールのMAEDAさん一行に会い、天然かき氷を食べる。涼しい山で体が冷え冷えになる。

ここで別れる予定だったが、ケーブル駅は混雑していそうなの山ガールについて日出山からツルツル温泉にいく。入場制限をしているが、夕方近くになってきたのですんなり入ることができた。久しぶりのツルツルの湯。皆さんの美人度がさらに増したようだ。彼女たちはみっちゃんたちとは違って飲んべいではないので、すんなり拝島で別れ、西武線で帰宅。温泉に入ったのに8時には家に着いた。

 

神長官守矢史料館:空飛ぶ泥船


諏訪上社の近くにこの史料館がある。建物は建築家の藤森照信が手掛けたもので、1991年に開館した。藤森はこの地の出身で守矢家の第78代当主守矢早苗氏と幼馴染であったことから依頼を受けて、ちょっと奇抜な建物を建てた。博物館なのでコンクリート造りだが外観は様々な細工が施され、地元の風景になじんでいる。

屋根を貫く木材は諏訪の御柱を意識している。内部に入ると壁面にシカの頭部、ウサギの串刺し、何十ものイノシシの頭部が展示されている。かなりグロテスクな感じがするが、昔の「御頭祭」の神事の時に行われたものを復元したのだ。1784年菅江真澄は御頭祭を見聞し、そのスケッチを残した。それをもとに復元したものだそうだ。

諏訪神社の祭神は出雲から逃れてきた大国主の息子のタケミナカタである。天照大神が派遣したタケミカズチ軍との戦いに負けて姫川を経由して逃げてくる。諏訪にはすでにミシャグシ神を祀る勢力があったが、タケミナカタに負けた。しかし諏訪上社の神事は昔のまま取り仕切ることになった。大祝は諏訪の現人神で、神事は守矢家が取り仕切った。守矢氏は縄文の昔からの神事を受け継いできたんだろう。実は守矢氏は近くにある守屋山の名前から推定されるように物部守屋と関係があるといわれている。こうなると古代史好きの人間にとっては想像がどんどん広がっていく。

藤森さんはこの建物を建てた後、背後にヘンテコな建物を建てた。高過庵(たかすぎあん)・低過庵(ひくすぎあん)・空飛ぶ泥舟(そらとぶどろぶね )である。高いのは茶室であるが実際に使われることはないようだ。

中央構造線 がけ崩れ!

  長野県の大鹿村を日本で一番規模の大きな大断層である中央構造線が通っている。構造線というのはプレートが押し合って地層が割れたりずれたりしたものだ。上の地図を見ると四国紀伊半島ではほぼ東西に延びているが、静岡県に入ると急に曲がって諏訪湖に北上している。曲がっているのはフィリピン海プレートが北向きに突っ込んできたからだ。

いずれにしても構造線は地層が壊れているので雨が降りこんでくるとグズグズになり、長い間に構造線に沿って谷ができる。ここ大鹿村を流れる川はみなグズグズで崖くずれ、土砂崩れが起こる。

中央構造線博物館から見える大崩れは「大西山崩れ」で昭和36年の集中豪雨で崩壊した。村民42名が亡くなる大災害だった。いま桜山になっている台地は山体が崩れた土砂でできている。当時の集落はこの土砂の下にあり、川の流れは大きく迂回している。 大西山の崩れよりもまだ大きな崩れは鳶ケ巣崩壊地で砂防工事をしているがあまり意味ない感じだ。ここは蛇紋岩(かんらん岩)地域で特に崩れやすい。

しかし地滑り、土砂崩れの地では土地が肥えていることが多いので古くから人が住んでいる。南北朝時代、後醍醐天皇の皇子の宗良親王は上蔵集落に流された。ここには福徳寺や松川家住宅など由緒ある文化財もある。こんな危ういところだが人々の営みは続いている。

HANAOKAさんは砂防の専門官、砂防ダムの見学にも行って来た。