やっと完成、四国遍路第9弾!

第一日目(新居浜)

21日に四国遍路から戻ってきました。毎日パソコンと格闘して、やっと報告書を作りました。とりあえず公開しておきます。いま後輩のSHIMIZU君が50日の計画で歩いています。彼のことを思いながら作ってみました。送ってあげたいけど、彼はパソコンを持って歩いていない。

2018年3月16日:新居浜から

花をクリックしてください。

 

2 第2日目 三角寺

南蔵院 桜

南蔵院は板橋のしだれ桜の名所。例年なら4月に入ってからライトアップされるので見に行くが、今年はまだライトアップがないのにすでにしだれ桜が咲いている。ソメイヨシノとしだれ桜が一緒に咲くことは少ないのだが。南蔵院のすぐ隣には氷川神社がある。狛犬同好者としては写真に納めなければ。

白子峠と熊野神社

東京峠楽会
東京都からちょっとだけ離れて、埼玉県に行きました。東京と埼玉の境に白子川が流れています。そこにかかる橋は「東埼橋」です。橋を渡ると川越街道旧道は急坂(大坂)を上っていきます。笹目通を越えたら今度は暗闇坂を下ります。まさに峠。白子峠となずけました。

そこから和光市方面行くと浅久保の公民館の裏に立派な富士塚がありました。ともかくたくさんの富士講の石碑があります。それらを載せておきます。

その後は川越街道を戻って熊野神社に行き、有名な富士塚に登っておやつを食べて、胎内めぐりをして本日終了。[

18年:第3回峠楽会 白子峠

すでに終わっている探索会ですが資料として残しておきます。

◆まえがき
一昨日四国遍路から戻りました。今回は65番の三角寺から76番の金倉寺まで歩きました。ほとんど雨の中でかなり疲労がたまりました。65番の三角寺は愛媛県、伊予の国にあります。そこから66番に行くには66番の雲辺寺(991m)に続く山脈の「峠」を超えなければなりません。そこは「境目峠」という名前が付いています。それまで阿波国、土佐国、伊予国の三国を経て、いよいよ最後の讃岐の国(香川県)に入ると思っていました。ところが峠を越えてその日の宿泊所の民宿岡田についたら、そこは徳島県でした。この民宿は歩き遍路のほぼ全員がとおる有名な場所です。

ということは歩きで行くと、伊予国から再び阿波国に入り、66番の雲辺寺に行くことになります。66番は阿波と讃岐の境の尾根上にあります。歩き遍路の人はほぼ1%ぐらいで、あとはみな車、バス遍路です。その人たちは境目峠を越えないで讃岐側からロープウェーで上り下りします。なので伊予から峠越をせずに直接讃岐の国に行きます。したがってガイドブックも伊予から、いよいよ最後の讃岐国となっています。しかし私たち歩き遍路は伊予国から阿波再入国して、そのあと讃岐国の雲辺寺ということになります。四国遍路と峠道、ちょっとおもしろい優越感(?)に浸れる経験をしました。

●本日のコース
■ 東武東上線 成増駅集合
東上線と東京メトロの駅があります。次の和光市で合流しますが、ここでは少し離れています。東京メトロの駅は川越街道の地下にあります。東京メトロで来た人は申し訳ありませんが、東上線の成増駅改札に来てください。
成増商店街を抜けて川越街道に出ます。ここから白子川に下ります。切り通しをしばらく行くと旧道との分岐に出ます。そこには小さな八坂神社があります。八坂神社の祭神は牛頭天王(スサノオ命)です。祇園さんで有名なのは京都の八坂神社が本社です。このあたりは新田宿と呼ばれたそうです。なので新田坂です。 旧道を行くと昔の街並みが少し残っています。 ■旧道 大阪へ
旧道は白子川を渡ります。ここは白子橋。、「くつがなる」の童謡を作詞した清水かつらが住んでいたそうだ。
▲お手々 つないで 野道をゆけば
みんな かわいい 小鳥になって
歌を歌えば くつが鳴る
晴れた みそらに くつが鳴る
道が突き当たるりまっすぐ進むと熊野神社に出ますが、それより先に左折して白子宿に回ります。川越街道の十字路に出ると立派なお屋敷があります。昔の代官屋敷です。ここは埼玉県側の白子宿、東京側が新田宿(しんでんしゅく)です。

 白子(しらこ)は新羅(しらぎ)からの渡来人の住む場所という意味だったようです。川越街道をこの先に進むと新座市に出ますが、こちらも新羅系なのだそうです。十字路で旧川越街道をこえて登り始めた急坂が旧旧街道の「大坂」です。今でもかなりの急坂です。途中には諏訪神社があります。諏訪神社は大国主命の次男のタケミナカタ命を祀っています。さっき前を通った熊野神社の祭神もスサノオ命を祀っています。このあたり出雲系の神社だらけです。出雲の神様は渡来系の神様と言われています。 ■ 白子のお富士山
笹目通りを歩道橋で渡ります。このあたりが峠なのですが、道路が作られており、はっきり分かりませんが、歩道橋を降りると下り坂になります。この下り坂は「くらやみ坂」と呼ばれていました。このあたりに、お富士山があったのですが!昔探しに来たことがあります。ちょっと探してみましょう。

■白子峠
お富士山を見つけたら、川越街道に戻ります。川越街道は切り通しになっています。上を笹目通りが通っています。
本当の白子峠はまえに通った滝坂を上り、くらやみ坂を下る場所です。しかし笹目通りができて地形が変わったので、いまは川越街道の切り通しの方が「峠地形」になっています。峠楽会ではこちらの方を白子峠としようと思っていますが、よろしいでしょうか!■湧水 峠の下には豊かな湧水が今も出ています。切通しの崖面から湧水が出ているのが見えます。よく見ると関東ロームの中をとおった地下水が粘土層の上から湧き出しています。昔はこんな湧水が切り通しの場所にはいくつもあったのですが。今は少なくなりました。
> ■熊野神社
峠を下りきったところが白子川ですが、その手前に左に入る道があります。熊野神社ですが、真正面に白子富士があります。登ることが可能です。熊野神社は熊野にある神社を勧請したのですが、もともと熊野大社は出雲の一宮です。そこの祭神はスサノオですが、和歌山県(紀州)の熊野にある熊野神社は出雲の熊野との関係がよくわかりません。
紀州の熊野神社はイザナギ命、イザナミ命を祀っています。日本の国土、神様を生み出した一番根源のかみさまです。一番偉い天照大神の親です。スサノオ命は天照大神の弟ですが、天照に逆らった反逆神ということになっています。
天照系が天津神、スサノオの出雲系が国津神という区分があります。
白子の熊野神社、どっち系なのかよく分かりません。。頂上に立ってみましょう。ここには胎内巡りもあります。

■東埼橋
先程は白子橋を渡りましたが、帰りは車の道を戻ます。東京と埼玉の境にある橋なので「東埼橋」というようです。
坂を登っていくと東京メトロの成増駅の入口です。ここで解散。東横線方面に直通で、横浜中華街にまで行きます。あるいは有楽町線にも行くことができます。

お遍路 第9弾 1日目

お遍路に行っていました。ブログに載せるのが遅くなりましたが、順次掲載します。本日は札所と札所の間が長いので、ただ歩き飲みです。アッ! 別格霊場、通称番外札所12番があった。延命寺だ。もう十分に生きたと思うが、もうちょっとだけとお願いした。図々しいかな?

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美濃一宮 南宮大社

  新幹線で名古屋を出て関ヶ原に近づくときに赤く大きな鳥居がチラッと見える。ずっと気になっていたが、本日三重軽便鉄道の調査の前によってみた。軽便鉄道の四日市駅集合12時半なので、朝早く名古屋まで来て東海道線垂井駅に行った。垂井駅は東海道線の電車が通るが東海道本線ではない。詳しく説明をすると大変なので、ちょっと変わった駅だとだけ言っておこう。 駅から10分で大鳥居、新幹線線路と大鳥居をくぐって、なかなかい門前町を抜けると朱塗りの社殿が見えた。ここの神さまは金山毘古神 (カナヤマヒコ神)、金属全般の神様です。 金属からお金を連想し、金運アップ、財運アップにご利益があると勘違いしている人がいるようですが、あくまでも金属に関係がある鍛冶屋さんなどの神様です。鎌やのこぎりなど鉄の道具類が多く奉納されている。

戸隠奥社、雪遊び!

  例年この時期に長野県の戸隠高原で雪遊びをしている。我が都立大の山岳部の有志がお金を出し合って山小屋を作ったのはもう40数年前。それから2代目のログハウスもでき、OBたちが楽しく前向きに使ってきた。近年は山岳部の現役を集めてきたが、若い連中は群れることを嫌う傾向にあり、大OBたちと同じ釜の飯を食うという楽しみを知らない。  現役連中は近くに来ても、山小屋に寄らないことがおおい。年寄連中は何とか若者に引き継いでもらいたいのだが、どうもうまく世代交代はできそうにもない。ここ数年同じ話をしているが、うまい解決策はない。じいさんたちが自分たちで細々と維持していくしかないようだ。翌日はスキーを始めたが、顔にバチバチ当たる氷粒のために早々に引き上げ。老人の半日券は2600円、十分に元は取ったかな!

赤羽諏訪峠・(几号水準点)

 ここのところ毎日2万歩ほど歩いている。70歳を過ぎたころから入院したりなにかいろいろあって運動をしなくなった。そのせいで急に足腰が弱ってきた。3月になったので四国遍路を再開する予定だが、この調子だと次の難所である66番雲辺寺に登れない。雲辺寺にはロープウェーもかかっているが、ここまで自分の足で歩いてきたので(自転車も使ったが)使いたくない。

そこで毎日ウォーキングを始めたのだが、ただ歩くだけではおもしろくない。最近は東京峠楽会という散策会で峠探索をしているので、峠探し。さらにフェースブックで狛犬シリーズをやっているのでそれも併せて散策しまくっている。

本日の最大収穫は北赤羽の諏訪神社。前にも何回か通っていたが、北医療センターの方から来たことはなかった。医療センター前梅が満開でメジロがたくさん集まっていた。その場所から北赤羽駅を通る新幹線が眼下に見えた。ということはかなりの高台。ここから私たちが諏訪峠と名付けた峠に下った。目の前に諏訪神社に向かう参道があった。私の考えるに、この参道はほぼまっすぐ、平たんにつけらていたが、現在諏訪峠が開削されたためにいったん下がってまた登る地形に変えられたものだ。

これには大変感激。諏訪神社には私の気に行ったものが二つあった。一つは当然狛犬。もう一つは「几号水準点」。明治初期に内務省地理寮が高低測量のために設置した測量標(几号水準点)である。現在は機能はしていないが、大変珍しいので写真を撮っておいた。

水道橋・宝生能楽堂

我が家の奥さまは若いころ仕舞を習っていたが、甲斐性のない亭主と結婚をしたので仕舞の稽古などできなくなった。亭主が退職し、子どもたちも独立したので40年ぶりに稽古を再開した。再開してから10年もたって、最近は京都の大江能楽堂、水道橋の宝生能楽堂の舞台にも立つことができるようになった。
本日水道橋の宝生能楽堂で10回目の舞台に立つことができた。もうかなりの年だが、まだ何とか舞うことができた。私はいつもビデオ係なので画面を見ながら、様子を見ている。今年も無事に舞うことができて一安心。何歳までできるかわからないが、老後の楽しみをもうちょっと続けてもらいたいものだと思っている。