5月に山岳会の先輩たちと銀座で食事会をやった。ここのところ調子が悪いという先輩のために、歩いて来れるところに集まった。その時にはお酒もちょっとおいしそうに飲んでいた。その先輩が亡くなったとの報を富士山の頂上で聞いた。1963年だったか11月23日にケネディが撃たれたという放送をラジオで聞いた。その時に同じテントにいた先輩だ。その後もバンコック駐在中にも家族でお世話になったこともある。私の2歳上の先輩だ。まだちょっと早い。もう少し元気でいて欲しかった。お通夜では多くの仲間が集まった。最近はお葬式でしか会わないな!との会話。元気なうちに集まっておかなければいけないなあ。
土曜日にも悲しいことがあった。卒業生の女の子が急に亡くなり、お焼香に行ったばかりだった。私からすれば女の子だが、もう50歳だったという。いくらなんでも早すぎる。それに7月初旬のぶらリバーの後、三鷹であったばかり。その時には5月に行った室生寺の話を嬉しそうにしてくれたのに。それから一カ月しかたっていない。ショックは大きい。ものには順序があるというのに、若者が先に行くのはさみしく悲しい。
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8月9日 長崎の日
ぶらりバークラブ 野川編ー2
おお!地震だ!
我が家でのんびりしていたら地震があった。かたい椅子に座っていたので、最初のP波(縦波)が分かった。その直後に携帯の地震情報が鳴り響くと同時にギシギシという揺れが来た。あわてず、震度4と判断。P-S時間がほとんどないので直下型とわかる。
すぐにNHKの地震情報を見ると、震源は埼玉県、震度は4で、マグニチュードは5ということだった。さらに大きな揺れが来るのではないかと思ったが、その後には余震はなし。東京の震度4は久しぶりだったが、日本では阪神大震災以降、地震対策が進んでいるので、建物が壊れたり、ものが落ちたりすることはなかった。
ネパールなどではこれぐらいでもけっこう被害が出だろう。鉄筋も入っていないレンガ積みの家はこれぐらいでもつぶれる。新聞によるとネパール地震の死者は子ども高齢者が多いとのことだが、大人は逃げ出したり下敷きになってもレンガをはねのけたりできたのだろう。
地震というのは突然やってくる。火山噴火は御嶽山のように突然ということもあるが、まあ大体は噴火しそうだということは判る。しかし地震というのは厄介だ。プレート境界のひずみ(歪・ストレス)がたまると、それを解放するように地震が起こると言われている。しかしどのくらい歪がたまっているかなんてわからない。分っても地盤がいつ破壊するかは全くわからない。
ナマズなど野生の動物が騒ぐという前兆現象があるとか言われるが、たいていは後付けで、「そういえば、あのときにカラスが騒いでいたな!」とか「FM電波のノイズ」などの前兆があったように言われる。残念ながら確実そうなどうも前兆現象は見つかっていない。結局は、耐震の建物を信用するしかしかなさそうだ。
それでもマグニチュード8とか9の地震はくる。 個人的には、どうしようもないので、とりあえずあわてず様子を見るだけだな。
イルカ!
水族館で人気のイルカショーができなくなるかも! かしこいイルカを残酷な方法で捕獲して猛訓練で虐待しているとの勧告があったようだ。 WAZA(世界動物園水族館協会)は、JAZA(日本の協会)に、太地のイルカを買うなら、除名すると言ってきた。JAZAはアンケートをとって、イルカを買わないから、WAZAに残してくれと決議をしたという。
これで日本のどの水族館も、太地町のイルカは買えないことになった。太地町のイルカ漁はこれで壊滅ということになるのかな? イルカ漁反対のグリーンピースは大喜びだろう。 事情はよくわからないが、そんなご無体なことを言うWAZAなんか、脱退すればいいのにと私は思うのだが。
西洋人の価値基準に準じた「世界標準」とやらが我々の生活の隅々に入り込んでいる。難航しているTPPにしても、農業を世界標準に会わせろと言うことだろう。農家の機構改革は必要だが、自由化してしまえば改革どころか壊滅してしまう。イルカ漁だってクジラ漁だって、昔から伝統的にやってきている。まもなくマグロ漁も禁止になりそうだそうだ。でも、もっとローカル基準も大事にしてくれ! 太地に行けばイルカ・クジラなど大事に扱っていることが分かる。もちろん南氷洋の捕鯨船母船方式の大々的捕獲や大西洋のマグロ遼だのはやりすぎと思う。しかし大間の一本釣りなどのマグロ漁などはいいと思うよ。
日本政府はどうなのだろう。口ではとんでもないと言いながら、世界基準を推し進めようとしているのだから、強くは反対できないのだろう。私はスマホは目が見えないので使えない。もんだいのガラケーの携帯電話しか使えない。ガラケーの何が悪いのかな! ガラパゴスはエクアドルの島。いい場所だよな! ガラケーの太地のイルカ漁の衰退は、日本のガラパゴス農業の先行きを見ているようだ。・・・・そういえばガラパゴスに行くときに、乗り継ぎのマイアミで進化生物学研究所の石井先生と一緒にドルフィン料理を食べたな。ドルフィンってイルカじゃなかったけ!マイアミってアメリカじゃなかったけ。
海宝体操教室 再開
しばらく休んでいた海宝体操教室が再開しました。海宝塾のブログへ
体操塾の後に、花園神社の近くの中華料理屋で懇親会があった。懐かしい人たちにあい、楽しい時間を過ごすことができた。走っている人たちはみんな元気だ。・・・・元気な人しか出てきていないか???
8月の広島-長崎のピースランに出場しようという話になった。500キロもあるので大変そうだな。みなさんかなり張り切っている。
高田馬場で超珍しい人と会った。窓社のNISHI山さん。まだ昔の場所に会社はあるそうだ。
四国遍路 報告書
京都 愛宕山 登山
斑鳩に行きました
斑鳩は「いかるが」と読む。どう読んでも「いかるが」にはならないが、法隆寺があることから、まあ私は読むことができる。聖徳太子のゆかりの寺だが、けっこう謎の多い場所だ。聖徳太子は日本歴史の中では最大の偉人だったと言われている。しかしその子供たちは「アッツ」という間に滅ぼされてしまった。それだけの偉人で、氏素性も高貴な方だったのに、なぜその一族は殺害されてしまったのか。私は古代の渡来人の勢力いが原因だったと思っている。今回何年かぶりの訪れてみて、百済観音を安置するお堂が平成になってやっと完成したとのこと。百済観音は長いこと法隆寺には居場所がなかった。それは百済からの渡来人があがめた仏像だったからだ。聖徳太子は親百済だった。それを面白くない勢力があった。そのあたりの説はいろいろあるが、今回百済観音を見て、渡来人勢力争いは根深いものだったことを確信した。時間があったので、そのあと法輪寺、法起寺をまわった。斑鳩の風景に三つの五重塔(三重もあるが)がとけこんでいた。
大荒れの天気?? ハセツネ!
本日は高尾にある森林総研の多摩科学園のサクラ保存林を見に行く予定だった。ここには全国のサクラの木が植えられており、12月から5月ぐらいまで様々な桜を楽しめる。おじさんおばさんを誘っての企画だったが、天気予報は大荒れとのこと。ジジババの足元を考慮して「中止」を決定したのだが、朝から快晴、昼ごろから雨との予報だったがちょっと風が強くなっただけで、平穏。判断を誤った。行っても大丈夫だったのに。
そういえば、昔サクラ保存林の先の八王子城から陣馬山に登りさらに和田峠を越えて五日市まで走ったことがあったっけ。などと思いだしていたら、奥さんが古いTシャツをギジギジと切り始めた。みると第2回ハセツネの完走Tシャツだ。記念に写真だけとって、あとは雑巾になった。
隅田川2
隅田川3
四国遍路7日目 19番まで行った
昨日17番の井戸寺からは市内を通る道ではなく眉山の裏をとおる山道を選んだ。地蔵院池という溜池脇から山道に入り地蔵峠を越えて八万という集落に出た。そこからさらに下って来ると園瀬川沿いの遊歩道にでた。そこを下っていくとJR線の「文化の森」という駅に出た。そこから3キロを走って県庁脇のホテルに行った。ということで、本日はJR阿波富田駅から文化の森まで列車に乗って、そこから歩きだした。しばらくは県道を歩き、国道55号線に入る。歩道があるので県道よりも危険はないが、面白くもない。それに風が強く吹き飛ばされそうになる。国道沿いの「太へい洋」というお店で魚料理を食べ、18番の恩山寺に向かう道にはいる。途中義経上陸の地というのがあった。義経は小松島に上陸しここから屋島の戦いに向かったという。けっこう大まわりしたもんだが、これを「義経ドリームロード」として売り出そうとしている。18番から峠を越えて19番の立江寺に向かう。いい道だ。桜も満開。立江寺では中学生がたむろしている。清原選手がこれから来るのだそうだ。我らよりも後ろのようだ。しばらく待ったが、中学生もいなくなったのでJR立江駅に向かう。このさきはけっこう長い。今回はここで終了。徳島市内に戻り、もう1泊して戻ることにする。けっこう疲れた。