東京峠楽会 西郷山を歩く

2月のぶらりバークラブは、東京峠楽会に変わることになった。その第一回の散歩コースはちょっと印象に残るような峠道にしなければいけないなと考えていた。東京地形図を見ると渋谷のあたりは細長い台地に小さな谷が切り込んでいる場所が多くあった。その中で一番典型的なのが、上の地図で矢印をしたトンネルの場所だった。両方から谷が入り混んでいる。前にも歩いたことがあるが、トンネルの上は昔の三田上水が通っていた。三田上水は目黒区の三田の高台を通る上水で、玉川上水から別れたものだった。とりあえず地図を作ってみた。

本日午前中にはZENさんの報告会を聞いてきた。先日ペルー大使館で行われた「マルチンチャンビ」の写真展を企画した人だ。この写真展が高く評価され、各地でお話をすろことになったようだ。本日はペルー大使館のすぐそばの会場で、お昼をいただきながらのお話だったが、ZENさん独壇場。他の報告者を寄せ付けない圧倒的知識を披露していた。会場にはZENってだれ?という人もいたが、我が知り合いの人だということで、KAWADAさんNAGAOKA夫妻と気分良くお昼を食べることができた。昔から虎の威を借りて威張るのが得意だったが、また威張ることができそうだ。

 

 

東京峠楽会

 もう一通の手紙には新しく楽会(がっかい)を作ったから、自分を足立支部長にするようにとのこと。ということで「東京峠楽会」というのができました。ブラリバーの「東京都内峠巡り」が学会じゃなくて楽会になりました。3月からは「東京峠楽会」で活動を始めることにいたします。なにせ女子大生の提案ですので、無視することはできません。

支部長ポストはあと少し(?)ですから申し出てください。すでに足立支部、新宿支部、練馬支部、阿佐ヶ谷支部、板橋支部、上福岡支部は支部長が決まっています(知らなかったという人も任命されています。事後承諾)。早い者勝ちですのでまだ申請していない方は、次回ブラリバーじゃなくて「東京峠楽会」のときに申し込んでください。次回は2月18日(土)中目黒駅改札 1:30 集合。

最近、「改札口が2か所あるのに、どちらか表示がない。講師怠慢だ!」などモンスターペアレント並みの非難が寄せられていますが、私だって、どこの駅に改札口がいくつあるなんて知るわけないです。行ってみてウロウロ歩いてみれば、大体は会えるものです。1月の会のとき、心配な人は1時間も前から来てウロウロしていました。知らない街をウロウロするのは楽しいものだとのこと。これこそ「楽会」です。皆さんも「楽会」を楽しんでください。

四谷階段?

寒い日だった。曙橋の駅から外に出るとちらほら雪が舞っていた。しかしそれだけで、積もるほどにはならなかったので、いつもどおりぶらりバー峠越え編を続行した。峠越えが目的だが、本日は新しい人も多く、ぶらりバー化石川探索をまず最初に行った。むかしフジテレビがあったあけぼの橋商店街が昔の川だったことを確認して階段を上り、合羽坂を下り、津ノ守坂を途中まで登った。「津の守」は松平摂津守の屋敷があったことからこの名が付いた。 続きを読む

千波湖の鳥は大変!

水戸に泊まった。日本の全県の踏破は何年か前に終了した。しかし訪問しただけで泊まったことがない県が岩手、秋田、茨城、福井、鳥取、佐賀、と6県あった。そこで今年は全県宿泊を目標にしようと思った。手始めにまず近場の茨城県水戸ということにした。県庁わきの水戸プラザホテルに泊まった。後で知ったがじゃらんのベスト1ホテルだそうだ。すばらしかった。

ゆっくりして歩いて千波湖へ。3.5㎞もあった。よい散歩。この池には多くの鳥が来るが、鳥インフルエンザでピリピリしているようだ。ちょっと気の毒。対岸の偕楽園の梅はまだのようだ。しかし昨日から梅大使が活動をしている。我らがお客第一号だと認定された。駅まで歩いて、青春18切符を使って戻る。水戸までは100㎞ちょっとなので、普通切符のほうが青春切符よりも安かった。ちょっと失敗。でもまあ石川直樹写真展にも出会い、いい小旅行だった。

初詣は酉年なのに猿田彦!

170105sarutahiko すでに申年は終わってしまったが、どういうわけか猿田彦神社で初詣になってしまった。最初は杉並区にある大宮八幡宮に行こうと思って、阿佐ヶ谷駅から歩き始めた。杉並6小学校を過ぎて青梅街道に出る手前に猿田彦神社があった。最近伊勢神宮についていろいろ考えていることがある。伊勢神宮の外宮と内宮の間にこの猿田彦神社がある。なんでこんな重要なところに猿田彦と天鈿女ご夫妻の神社があるのか不思議だった。

私の知るところでは内宮の神様である天照大神の孫が天から下って来るとき道案内したのは天鈿女という神だった。地上で待っていて導きをしたのが猿田彦。この二人はのちに夫婦になる。日本神話では重要な役割を果たした神様だが、現在の世の中ではそれほど評価は高くない。しかし内宮外宮のバランスをとるような場所に位置していることは、その昔はなにか因縁があったことが想像される。

今年は三輪神社巡りに加えて猿田彦神社もめぐって、その神様の意味を考えてみたい。そう思っていた矢先に猿田彦神社に出会ったことは何かのめぐりあわせだ。大宮八幡宮に詣でるのはやめて青梅街道でバスに乗った。バス券を持っているので大いに利用させてもらった。

 

ぶらりバークラブ 都区内峠越え

161209map-deko2 cimg0106本日は今年最後のぶらりバークラブお散歩。大田区の馬込あたりを歩きました。

そこで都区内峠越え道探しでした。最初の図書館峠は皆さんなるほどと認定してくれましたが、後半鐙(あぶみ)坂上の峠は、「あまりよくわからない」とのことで却下。

却下したのは山岳部出身の人。いつも高山の峠越えをしていた人にとっては、こんなの峠じゃないということらしい。

ムムーッ まだ説明力が足りないなあと反省。次回は四谷あたりだが、認定してもらえるように説明をうまくやろう。

最後の紅葉かな!

161216syoujuji いつも走っていた石神井川の遊歩道だが、最近は歩きなので景色がよく見えるようになった。王子駅近くに大きな伽藍が見えた。あんなところに大きな寺があったけ?と思って寄ってみた。

浄土宗の正受寺というお寺だった。門が竜宮城みたいでなかなかいいが、その脇のモミジがまだ真っ赤で、すばらしい。歩いたほうがいrぽんなものが見えるなあ、ということを感じた一日だった。

中に入ったら、蝦夷地探検の近藤重蔵の石像があった。近藤重蔵は正受院の隣に「滝野川文庫」と名付けた書斎を建て、居住していたことによるものである。

境内には滝不動もあった。石神井川には不動の滝があった。『江戸名所図会』にて説明されている。水子や赤ちゃんを供養する納骨堂があることから、「赤ちゃん寺」とも呼ばれているそうだ。

都内バス、舎人ライナー、都電

昨日は高校の同級生の集まり。サッカー部、ラグビー部の皆があちこちから集まってくれた。みなで病気自慢、まともな人はごく少数。酒はもう飲めないという連中が半分だった。今年は名古屋から2人やってきてくれたので、来年は名古屋開催ということにした。会場下見をしてこなくちゃ。161212toneripark ほんの少しだがワインを飲んだので朝起きてもちょっと不調。少し動き回ったほうがいいかなと思っていたら、奥さんが散歩に行こうというので近所まで。10分ぐらい歩いたらちょうどバスが来た。北区の味の素スタジアムで降りて施設を見学しながら赤羽まで。寺泊角上商店で魚の煮つけなどを買って帰ろうと思ったら、西新井駅行きのバスが来た。それにのって舎人ライナーの西新井大師駅で降り、舎人公園に。池の周りをまわって舎人ライナーで熊野前まで行き、都電に乗り換え。線路わきのバラを見ながら王子駅へ。そこで降りてモノレールのアスカルゴに乗る。全長20mほど、2分かかる。アスカルゴで飛鳥山に上り、あとは石神井川沿いに家まで歩く。161212askargo 交通費はバス券があるので0円、歩いた歩数は15000歩。アルコールは抜けたようで、体調は回復。わが健康法はやはり歩くことのようだ。

馬込は凸凹、坂だらけ!

161209map-deko1馬込駅から西馬込に歩いてみた。予想以上にデコボコの街だった。幼稚園児のお母さんたちは全員電動の自転車だった。ママチャリではこの地域を行き来できない。高校生は立ちこぎで坂をのぼていた。坂はたくさんあるのだが、峠となるとあまりない。馬込図書館前と大田区郷土館のまえあたりが一番峠的地形だが、この次の本番でもっといい峠が見つかるかも知れない。161209magome1これはすばらしい。何がって!上から新幹線、国道一号線、環七、その下に都営三田線が走っている。4段がさね。161209dendo-cycle大田区郷土館には先日までKITAMURAくんが勤めていた。毎日この坂を上っていたそうだ。お母さんたちは全員電動自転車だった。

SL 黒煙をあげて出発!

昨日赤羽8:07の上野東京ラインで高崎まで行った。降りたホームに大勢の人だかりだったので、あたりを見渡すとちょうどSLが蒸気を噴き上げていた。急いでホームの前に行って写真を撮った。3,4枚撮ったところでものすごい黒煙を上げて走り出した。動画で撮ったつもりだったがあわてていたので、何にもとれていなかった。残念。千載一遇のチャンスを逃してしまった。161204sl1 それにしてもものすごい黒煙。昔はあんな煙を吐いた列車が走り回っていたのだ。いまは懐かしいが、ものすごい黒煙はトンネルに入った時にはとても我慢ができなかったことを覚えている。先週、偶然にも篠ノ井線に乗って冠着(かむりき)トンネルを通った。このトンネルは勾配が25 ‰(パーミル)長さは2,656 mで、鉄道トンネルとしては1903年までは最長だった。蒸気機関車は会あえぎあえぎ黒煙を吐きながら上った。時には機関士が失神をしたという屈指の難所だった。そんなことを思い出した。161204sl2本日であったSLは碓氷号で釜飯で有名だった横川までいく。ふだんはSL水上号だが、紅葉時は碓氷峠の方に行くらしい。そのあたりの情報は不確かなので信用しないでください。まあともかく久々にD51に出会って感激した瞬間だった。犬も歩けば棒に当たる! と遊びまわりを正当化しておく。・・・そうだ犬も歩けばじゃなじゃなくて、かわいらしい猫にも出会った。こんなおりこう猫なら飼いたいな。161204neko1

群馬、南下の古墳群 

161204neko1 榛東村の知り合い宅の庭で猫と遊んでいたら、突然社長専用車みたいなのが止まって、窓が開いた。「KOBAYASHIです」との声だったが、「だれ?」と一瞬とまどった。なんと玉原高原の時にお世話になった彼だ。「なぜこんなところに」と私も思ったが、向こうも「まさかこんなところで会うなんて」ということで、奇跡的な出会い。161204kohun4

そのあと、KOBAYASHIさんに案内していただき、吉岡町の南下古墳群を見に行った。前回群馬に来た時に「かみつけの里」の前方後円墳を161204kohun2見たが、群馬県には多くの古墳がある県だということを知った。南下古墳群には400ぐらいの古墳があったのだそうだ。群馬県は魅力度では40数番目だと、県人は卑下しているがそんなことはない。もっと知的魅力を知らせるべきだな。161204kohun3 161204kohun1

お茶水女子大で講演会を聴く

ブラリバークラブの散策会の予定だったが、向後さんが講演をなさるというので、皆さんを誘って聴きに行った。ブラリバーメンバーは13人、他には地平線仲間のMIYAMOTO,KASORI,OKAMURA,NOJOさんら、北海道からMIZUKOSHIさん,沖縄からはBABAさん,さる国の大使さん・・など高名な方々が来ておられた。161203mr-kogo  演題は「冒険の心、そして人生」。奥さまのタイムキーパーで、いつもとは違ってほぼかっきり時間で内容の濃い話を聴かせていただいた。「聞く」ではなく「聴く」にふさわしい内容だった。ブラリバメンバーは世界的なマングローブの専門家だということは知っていたが、こんなすごい方だったということを知って驚いたようだ。こんなすごい人と私が親しいということを知って、みなさん少しは私を見直してくれたかな。
昔から「虎の威を借りる」のが私の特技だった。勝手に親しくさせていただいて、KOGOさんごめんなさい。13人のみなさんには「解散」というのも忘れてしまった。なんとなくばらばらに帰ることになって、すみませんでした。161203venus1  いい時間を過ごした。終了後はもう暗くなっていた。お茶大のイチョウの並木の間に金星がくっきり姿を見せていた。きれいな写真も撮れて、幸せな日だった。

都内峠越え 馬込の近く

161202%e9%a6%ac%e8%be%bcmap161202%ef%bc%91%e5%8f%b7%e7%b7%9a大崎高校の前に戻って大原通りをさらに進む。緩やかに曲がって通りは国道一号線に出た。そこは中延駅。都営線と東急線の両方の駅があった。ここで電車と思ったが、まだ1万3千歩しか歩いていない。国道を馬込まで歩くことにした。ほぼ1キロ、15分だ。
ところが国道一号線は立合川を埋め立てた立合道を越えたところから上161202%e5%b3%a0%e4%b8%8aり坂になっている。日本橋から13キロの表示柱のあたりで最高点になり、後は馬込に向かって緩やかに下っている。

これぞ、国道1号線の何番目かの峠だ。しかしその近くの方がもっとはっきりした峠になっているだろうと考えて、すこし歩いてみると朋優学園の先で、見事な峠に突き当たった。これはすばらしい。朋優峠と命名する。161202%e5%b3%a0%e4%b8%8b
午後3時頃で馬込側から日が当たっている。坂は西側に下っている。近くに富士見小学校があったので、もしかするとこの坂から富士山が見えたかもしれない。立会川から登ってくると正面に富士山、という風景を思い浮かべる。東京の百峠の人るにはなるだろう。
161202%e9%80%86%e5%b3%a0%e4%b8%8a近くにはいい上り坂がたくさんある。でも登りきったところが台地になっているのでは峠にならない。逆に坂を下がってくるとすぐに反対側の上り坂に出る場所がある。これを「逆峠」と名付けようかと思っている
満足して、馬込に下る。馬込駅は国道一号線と環七道りが交差する場所にある。国道が上を通るので、駅161202%e9%80%86%e5%b3%a0は陸橋の下から入る。周りには人家も商店もなく、お茶する場所ははない。残念。都営線にのって蔵前にいく。本日田口会の忘年会。都営地下鉄線ばかりだったので交通費はかからない。年寄りの道楽として、都内の峠道探しはなかなかいい。

戸越銀座は谷間だった!

161201%e6%88%b8%e8%b6%8a%e9%8a%80%e5%ba%a7 戸越銀座という駅で降りた。国道1号線(第二京浜)の下を通る都営地下鉄浅草線の駅だ。改札を出て階段を上がると広い国道に出るが、それに直交して戸越銀座が伸びている。この辺りは小池都知事が推奨している電柱がない道路だ。電線バリバリの道に慣れた身には、ちょっとすっきりしすぎの感じだ。昔は荏原区だったのに品川区に乗っ取られた161201%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0というジイサンに出会った。

雨が降ると水浸しになる道路だったと言う。確かに両側は上り坂になっており、戸越銀座通りが昔は谷間だったことが分かる。ちょうど地質のボーリング工事をやっていたので1時間ほど眺めていた。鉄パイプを10mつないで土を採集している。私も昔は簡易ボーリングをやっていたことがあるが、本格的な仕事はすばらしい。10mもの地下の土を30分ほどで引き揚げてくる。その資料を見ると10mでけっこう硬いシルト層になるようだ。戸越銀座通りは武蔵野台地に刻まれた谷を埋め立てたものだから、ヘドロの層はそれほど厚くないので、10mほどの杭を打てば商店の土台になるようだ。もちろん高層ビルはこんな土台ではムリだろうが。161201%e5%85%ab%e5%b9%a1%e5%ae%ae

通りにミシンを並べた店があった。いまどきミシンを修理してくれる店は少ない。我が家の古いミシンを引き取ってもらおうかな。その店の横の道を上ってみる。途中に「八幡坂」と書いてあった。坂の上に戸越八幡宮があった。由緒正しい感じの宮だ。そこに「江戸を越え・・・」という古歌が書いてあった。戸越しと161201%e6%96%87%e5%ba%ab%e3%81%ae%e6%9d%9c言うのは江戸越から出た名前だそうだ。

八幡宮の前の「宮前」商店街を抜けて、「文書の杜」「戸越公園」を見る。三井家、細川家の屋敷跡だそうだ。昔の殿さまや豪商は江戸のいい場所を占領していたんだな。
161201%e5%a4%a7%e5%b4%8e%e9%ab%98%e3%83%88%e3%83%b3%e3%83%8d%e3%83%ab公園を抜けると大原通り。

大崎高校が空中に浮かんでいる。道路を通すためにコンクリートで敷地を造って盛り上げたようだ。歩道トンネルだけが完成しているので通ってみたが、大井町線をくぐったり大変な工事がなされている。補助何号線とかだが、我が家付近は何年たっても計画だけ。ここはオリンピック用地に関連しているようで、かなり工事は進んでいる。

しかし工事とは関係もなさそうなおじさんが、「小池知事になって工事が止まっているんだよ」と心配していた。小池さんの影響は大変なものだなあ。

山岳会のOB総会

学生時代は山岳部で活動していた。年間100日山行が目標だった。3年生まではほぼ目標達成だったが、4年生になった時には卒業論文の調査で沖永良部島に2ヶ月ほど滞在していたので、海行日数のほうが山行日数より多くなった。

その山岳部は東京都立大学山岳部だったがOB会への出席者は半数近くが首都大学山岳部員とOBだった。我々年寄りは都立大学山岳部~!などと部歌を歌っているが、若者からすれば、それはどこの大学?? ってことになる。彼らにとっては都立大学の引継ぎではなく首都大学東京が自分らのアイデンティティだろう。今更何を言っているの?? という感じ。

会長の提案で、英語表記は変わっていないので
Tokyo Metropolitan University Alpine club = TMUAC
で行こうということになった。年寄りOB は了解するしかない。さすがの会長と、お褒めの言葉が出ていた。

昔は1学年に2,3人しか部員はいなかったが、いまは20数人いるそうだ。喜んでいいのか、どうも驚くことだが、時代に合わせた活動があるのだろう。人が多いことは喜ばしいことだろう。地理学コースの部員が多いそうだが、ブラタモリの影響なのだろうか。