我が師匠の向後元彦、紀代美さん御夫妻の講演会が12月3日(土)に、お茶の水女子大で開かれる。お茶の水女子大正門のイチョウ並木も色づいているだろうから、見に行きたいと思っていたところだ。ちょうどいい時期なので参加することにした。ところがこの日はぶらりバークラブの探索会だ。むりやり皆さんを誘って参加することにした。向後さんの話は大変興味深い。絶対に面白いので、ぶらリバークラブのみなさんぜひ一緒に参加しましょう。参加の方は、このブログか、ぶらりバークラブのブログのコメント欄にいれてください。お茶の水大学は門を通過するのに名前が必要です。ふだん参加いただいているメンバーは参加と届けてあります。
カテゴリーアーカイブ: ぶらリバー
紅葉見物 日比谷公園
小さな五重塔 ぶらりバー
ぶらりバークラブの第12回散歩。今回は赤羽橋から神明坂を上りオーストラリア大使館脇から三井倶楽部をとおり、「綱の手引き坂」というなんだかわからない坂をちょっとくだり、「綱坂」へ入って。慶應大学の裏口から構内へ入ってみた。大学は高台にあるが正門はかなり下がったところにある。目の前は「慶應坂」で国道一号線が遠ている。国道一号線は五反田に伸びているが、なぜだか「にこく」と呼ばれている。「いちこく」は品川駅の脇を通る、箱根駅伝のコースだ。でもそちらは国道15号線だけど。よくわからん。 続きを読む
スペーシアに乗った!伊南村に行く
福島県の伊南川に行くことになっている。毎年行われる伊南川100㎞のウルトラマラソンの応援のためだ。このウルトラマラソン大会は海宝さんと伊南村の酒井ふみさんと私が第一回を立ち上げた。いま私は大会を離れているが、何とか盛り上げたいと毎年応援にやってきている。昨年までは車があったので、時間も気にせずに行ったが、今年は電車、バスで行かなければならない。
時刻表を調べてみると会津田島までの直通はないが、鬼怒川温泉乗り換えで行く方法があった。JRが東武鉄道と相互乗り入れをしているスペーシアという特急である。池袋駅には成田エクスプレスのほかにこのスペーシアという豪華列車をみかける。一度乗ってみたいものだと思っていたので、チケットを買った。大宮から栗橋までJR、そこから東武線に入って栃木、今市を経由するようだ。 続きを読む
一気に晩秋になった
土曜日(8日)に大雨が降った。やんだ後は少し蒸し暑かったが、翌日から涼しくなった。テレビでは5ヶ月ぶりに20℃を切ったという。本日も涼しかった。というよりも急激な気温低下なので寒い感じ。長袖で皇居付近まで出かけたがそれでも涼しい。
本日は1964年のオリンピックの開会式の日。現在は体育の日で体を動かすのに最高の気候だ。しかし2020年のオリンピックは8月の初旬が開会式。とてつもない暑さのはずだ。小池知事になっていろいろ見直されてきたが、一番の問題は暑さの対策だろうが、いまは誰も言わない。近づいてきたら「こりゃムリだ」ということにならないだろうか、かなり心配だ。
ボートのコースを宮城県にすると言うぐらいだから、マラソンや競歩など長時間、野外競技は涼しい高原や北海道などに変更したらどうだろう。さもないと熱中症で死者が出るかも! そんなことになったらオリンピックどころではなくなるのに!この際時期も含めて見直しができないものか。昔は10月にやったのだから、できないわけはないと思うのだが。アスリートファーストなら考えるべきだ。いまはスポンサーファーストじゃないかな。
都区内のトンネル
昨日のブラリバークラブの峠道散策で、愛宕山トンネルは都区内唯一の人も通れるトンネルだと言ったら、SEKINEさんに「そんなことない!」と言われた。そういえば青山墓地の付近にトンネルがあったなあ!と思いだした。ということで確認に行ってみた。暇なもんで。まず愛宕山トンネル。 続きを読む
熱帯の日本、温暖化阻止!
20日に台風16号が本州を縦断した。ふつうの時なら台風一過でいい天気になるはずなのだが、21日は曇りのち雨、22日も雨だ。あすも雨らしい。なんでこうなるの??
とりあえず21日に96歳のおばあさんを連れて墓参り。放っておくと一人で所沢の墓参りに行ってしまいそうなので、レンタカーを借りて連れて行った。私は生きている人の都合だ!と言うのだが、バアサンの今の一大事は墓参り。自分も年寄りだが、年寄りに付き合うのは大変だ!
22日の天気図を見ると雲の塊がいくつも太平洋岸にある。台風のなれの果てみたいに見えるが、これは前線上に発達した温帯低気圧。温帯と熱帯の低気圧の違いは前線がくっついているかどうかだけ。台風並みの温帯低気圧だってある。
それにしてもなんで今頃こんなところに前線があるのか。秋雨前線は梅雨前線と正反対で北から南に下がっていく。いまごろはもっと南に下がって、本州はすっぽりと北からの高気圧に覆われているはず。北の高気圧は涼しいので、「暑さ寒さも彼岸まで」ということになるのだが、今年はまだ来週も南の高気圧に覆われて暑くなりそうだとか。
地球温暖化の影響で南の高気圧が強くなりすぎて、日本付近は昔の台湾あたりの気候と似てきている。半分熱帯気候になるのでは・・・。冬ももう雪は降らないかも・・・
地球温暖化を阻止するための国際会議COP21が昨年暮れに開催され、パリ協定が造られた。昔の京都議定書の拡大版である。その協定はアメリカ、中国が批准していなかったが、中国の大国意識から、今月(9月3日)になって「パリ協定批准、発効ほぼ確実」と発表された。これに対抗してアメリカも批准する可能性は高い。となると取り残されたわが日本。京都議定書の総本山なのに、アメリカの顔色を窺っているうちに、地球温暖化阻止の動きに反対する国の代表になってしまった。本当に外交が下手だ。中国が温暖化阻止の最先端とみられることになってしまったのだから。
本当のことを言うとCO2を減らしても、もう温暖化は阻止できないことはわかっている。しかし世界中のみんなが温暖化を阻止しようと運動することが重要なのだ。オゾン層の破壊はほぼ止まった。それはモントリオール議定書をみなが守って原因であったフロンガスを廃止したからだ。今回はもうちょっと複雑なのでCO2を減らすだけではどうにもならないところまで来ている。もうエネルギーの消費を抑えることしか方法はない。しかし人間の欲望を抑えることは難しいが、少しだけでも浪費生活を見直すきっかけとなるかもしれない。
ブラリバークラブ 府中崖線
今年10回目の化石川探索。集合は府中の東京競馬場の駅。HARAさんからの指摘で、電車は京王競馬場線、駅名は府中競馬正門前、競馬場の名前は東京競馬場とわかった。本日は競馬は行われていなかったが、場外馬券売り場があるとかで結構な人出だった。
NAKAMURAさんは朝から来ていたが、この時間までには全部はずれ!「馬で金儲けした奴はないよ!わかっちゃいるけどやめられない!」と植木等が歌っていた。
本日は府中崖線見学。国分寺崖線は有名だがこちらはマニアッ
クな人しか知らない。でも最近はブラタモリの影響もあってマニアが増えたけど。国分寺崖線は武蔵野面と立川面の境の崖、府中崖線は立川面とその下の段丘(名前はなんだろう?青柳面?)の境目の崖だ。昨日ガイドを作る時に模式的な図を作ってみました。SEKINEさんから、「よくわかるよ!」とのお褒めをいただきました。
府中崖線は崖面の開発が進んで、国分寺崖線のような森が失われている。地図で見てもその姿はわからない。でも歩いてみればかなりの段差があるので見つけることは簡単だ。府中競馬場駅は崖の上の高台にある。しかし競馬場は台の下。毎土曜日に来ているNAKAMURAさんは、「そんなこと、気が付かないよ」とのことだ。
以下みなでわいわい言いながら京王多摩川駅まで歩いた。千葉から来てくださっているHIRAIさんにも、「こんなに高い崖があるなんて知らなかった!」と言ってもらえた。家に帰ってNHKの「キラーストレス」という番組を見たら、ストレス解消はウォーキングが最良、と言っていた。我々のような時速2キロぐらいの速さじゃ効果は少ないけど、でも頭も使っている。きっといい結果をもたらすことだろうと、もう少し続けるつもり。
糸が教えてくれたもの
「糸が教えてくれたもの」という名称で、砂月さんがグループ展をやっている。なんとNHKふれあいホールのギャラリーだ。いさんで渋谷のNHKの門を入ってスタジオパークの方へ入っていったら、警備員が、「あっちですよ!」と柵の外側を示した。外側の道路も若い人でいっぱいだったが、ふれあいホールの玄関のガラス戸は閉まっている。ドアの前でしばらく待ったが、引っ張ればあく手動ドアだった。
NHKホールだから満員で、砂月さんには会えないかもしれないと思っていたが、すんなり展示会場に。ちょっと人出は少なかったが、なかなかの力作が並んでいる。私にはよくわからないのだが、砂月さんは早めに仕事を辞めて、糸を紡いで、織物を織っていたらしい。どうりで最近酒飲み会へのお誘いが少なかったわけだ。
一日がんばっても10センチぐらいしか織れないとのことだが、根気よく数か月かけて完成する。「自分で着るんですよ!」、「売値はいくらぐらいかね?」との質問に答えた言葉だ。そうだよな、仕事を辞めて打ち込んだ作品に値段などつけられない。老後に、機織りで生計を立てようと思っているのかと邪推していたが、そうじゃなかった。ごめん!
老人の日? 口は災いのもと
9月15日は「老人の日」だと思っていたが、いつの時からかハッピーマンデー制度という法律によって、3連休にするために日にちを動かすことになった。今年は9月19日の月曜日が「敬老の日」として祝日になっている。65歳以上が敬老の対象だというから東京都は人口の4分の一が敬老対象らしい。自分も十分にその対象だが、お祝いを配る若い人は大変だろう。
いろいろ調べたら、なんと9月15日はまだ「老人の日」として残っているのだそうだ。こっちは最初に作られた時の祝日名で、敬老の日となったのは2003年からだそうだ。私の「老人の日」の記憶はまちがっていなかった。
老人になるといろいろ余計なことを言って問題を起こすことが多いので、私も大いに気をつけている。でも石原慎太郎もと都知事のように、ウケると思って暴言を吐いて、いま窮地に陥っている人もいる。「厚化粧のバアサン」発言は小池新都知事誕生の最大の応援になった。小池さんはにこやかに対応をしていたが「あのオヤジめ、今に見ていろ」と心の中で思っていたに違いない。
築地の移転問題、小池さんはあの情報はとうぜん持っていたのだろう。延期すると一日700万円と言っていた自民党都議、豊洲移転賛成派、マスコミなど、もうすっかり黙ってしまった。自民党はもう小池さんを処分どころか、石原さんを処分しなければいけなくなったなぁ。石原元都知事は、老人力を発揮して、知らないとか忘れたとか言っているけ。しかし「長」たるものは責任をとるために存在するのだ。いつもはひまでも、いったんことがあったら全責任を負わな枯ばならない。作家先生なら「今度のことは全部私に非がある。申し訳ない!」と言って、三島由紀夫のように格好をつければいいのに。
石原さんは黙って居りゃいいのに、「厚化粧」などど発言するから、みっともない老後になってしまった。他山の石にしなければ。恥ずかしい老人の日でざんねんだ。
島田から大井川、金谷から小夜の中山!
昨日の続き
島田駅から旧東海道を歩き、川会所に向かう。昔大井川の私があった場所だ。弥次喜多の旅でも、大井川の渡しは難所だったようだ。橋を架けたり舟渡をすることもできたはずだ。しかし、幕府はここで参勤交代の大名たちからたくさんの通行税をとったり、宿場町の繁栄のために、わざと橋は架けなかった。島田や対岸の金谷の町は、川渡しを待つ人々で大いに繁栄した。
川会所を見学して、土手に上がり大井川をわたる。こりゃ大河だ。ふだんは水は少ないというが、本日は雨でかなりの水量だ。川止めだろうな。現在の橋は歩道はついているがかなり古い。
橋を渡って金谷に向かうと途中で大井川鉄道の駅を通った。ここはSLで有名な鉄道だ。ちょうどSLが蒸気を噴き上げ動き出したところ。こっちへ来ると思い、カメラを構えたら遠ざかっていった。焦ったのでピントはあまい。
JR金谷駅をガードをくぐり急坂を上がっていくと金谷の石畳が出てきた。昔東海道を走って東京に向かっていた時に、足が痛くて下向きに歩けず、後ろ向きで下った記憶に残る道だ。無人販売所でイチジクを4個100円で買う。これを食べて元気を出して登る。途中に「すべらず地蔵」があるが受験生にあやかろうというものか?
石はまるく磨かれているので、雨の中滑ること。こんなところで足をくじいたら大変。慎重に上る。登ったところに諏訪城あとがある。ちょっと寄ってみる。深い堀を巡らせたいい城だ。入口にコーヒー屋さんがある。いい匂いだが寄らないで先を急いだ。コーヒー屋さん先から菊川への下り坂になる。ここも滑りそうで気が抜けない。長い下りをおりて菊川の集落に入る。菊川の駅からははるかに遠い。
ほんの少しですぐに小夜の中山の急坂にかかる。舗装路だが、これで車が登れるの?というほど急坂だ。島田から大井川を渡り金谷の石畳の急坂を上り、菊川坂を下り、再びのぼり。石畳道よりもはるかに急だ1時間かかってやっと頂上の台地へ。100歳の飴売りのおばちゃんがいた子育て飴屋はもう店じまい。
小夜の中山 というのは箱根よりも難所だったというが、たしかに。山の高さはないが、こちらの方が山が深い。迷い込んだらもうどうしようもない。小夜の中山の夜泣き石は有名だ。そんな怖い話を見聞きする余裕もない。久延寺の境内の夜泣き石を見る気もしない。そんな寂しい場所に若い親子、少しだけお話をする。
疲れ切って一里塚、白山神社とこえる。地図を見ると日坂の宿まではるかに遠い。まだ2時半なのでゆっくり歩くが、しばらくすると大雨警報通り、空が真っ暗になってきた。広い茶畑の尾根道を歩くのは雷が怖い。急いで国道1号へ降りる道をいく。急坂を転がるように行き、国道の下で雨宿りしていると、先ほどの親子が車を止めてくれる。事任八幡宮まで載せてもらい、バスを待つ。
ここはバスは少ない。ヒッチハイクを試みるがおじいさんじゃ停まってくれるくれる車もない。雨宿りして着替えをして1時間半後のバスに乗った。掛川までは200円歩いても1時間だよと言われたが、もうそんな気力はなかった。ビールを飲むと目が回りそうだったので、お弁当だけにして「こだま」に乗った。8時前には家に着いた。
雨がひどい! でも宇津の谷峠
大雨の警報、今日は丸子の宿から宇津の谷峠を越える予定だったが、無理なので、鈍行で戻ります。残念。
・・・・と朝方に書いてホテルを出たが、静岡駅で朝茶漬けを食べているうちに雨は止んだ。まだ8時なので、バスで鞠子の宿のとろろ汁の丁子屋まで行って様子を見ることにした。丁子屋はまだ雨戸をはずし始めたところ。裏手(国道側)に回ると大きな駐車場もあり多くのお客が来ることが分かる。
私が東海道を歩き始めたことにはまだまだお客は少なかったのに。藁ぶきの外観は、広重のころと変わっていない。
「梅若菜まりこの宿のとろろ汁」 芭蕉
静岡駅で「まるこ」ちゃんがお出迎えしてくれたが、その名前は丸子宿からとったものかなと、想像する。まだ早いのでとろろ汁を食べることはかなわなかった。雨はほんの小雨に代わったので、宇津の谷峠へ向かう。
伊勢物語に
「宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦楓は茂り、もの心ぼそく・・・・」
とある。
いまは国道に轟音を立ててトラックが通り過ぎるが昔は心細い道だった。その蔦の細道は、国道トンネルの左側を上がっていく。私は宇津の谷の集落を見たかったので右手に曲がって舗装路を上がっていった。
峠下には宇津の谷の集落がなかなかみごろ。羽織やという屋号の店はまだ残っている。左の写真はトンネルに上がる道から見下ろしたもの。
峠を越え道のあと、明治、大正の時代に入るとトンネルが掘られた。急坂を上るので大変だったろう。これまではいつも峠越えだったが、本日は雨も降っているので明治のトンネルを通ってみた。電気もついており快適。
下って国道の下を抜けて岡部の宿につく。汗と雨でぐっしょりになった。一応着替えてバスに乗り藤枝に。このバスは本数が多い。藤枝から島田までJR線一駅のる。
お昼を食べて、大井川に向かった。後半は14日分に入れます;
岩渕の一里塚、薩った峠
富士駅から国道1号線に出でて富士川橋に向かう。この川は水量が多く、流れがきついので大井川のように蓮台渡しではなく、船渡しだった。しかし事故も多く河岸には水神が祭られている。私は水神下の岩盤を確認したかった。この橋の下まで富士山の溶岩が流れて来ている。富士山の範囲はものすごく広かった。
富士川を渡って対岸の段丘上に上る。国道は低い海岸沿いの道を行くが、旧東海道は津波を恐れて峠越えで蒲原宿に向かっている。富士川の橋を越えてすぐに急坂を上る。
段丘上にいい道が続いている。途中に岩渕の一里塚が残っている。道の両側に榎の大木が写真のように残っている。どうやっても電線が写真に入ってしまう。小池知事の言うように電柱地中化を進めてくれ。
高速道路、新幹線の下を潜り高速道路の上を越えて蒲原宿にでる。新蒲原駅の向こうに港がある。桜エビが名物。コンビニで限定の桜えび唐揚げを売っていた。食べてみたが入れ物に桜えびを印刷してあるだけだった。
蒲原宿(新蒲原駅近く)はよく整備されている。道路も歩きやすくなっている。広重の浮世絵は雪がテーマだが、この場所でこんなに雪がするのか聞いてみたが、最近は全くないとのこと。地球温暖化でもう雪が降ることはなさそうだ。
次の由比宿までは面白くない車道だ。電柱地下化されているが。蒲原駅から電車に一駅乗って由比駅に行ったら、由井本陣を過ぎてしまった。戻ろうかと思ったが、何回か行ったことがあるのでパス。薩埵峠まで長いので先を急ぐことにした。
登り口には、幕臣山岡鉄舟(清水の次郎長と親交があった)をかくまった望嶽亭藤屋宿がある。ここから八朔の果樹園を抜けて、峠にでる。本日は雨模様で、広重の浮世絵のような富士は見えない。
足もとの道路を見ると驚く。海岸に平地はないので海にまで飛び出して道路がつけられている。昔は峠越えをするしか無かったろう。
急さかを下って興津駅に行く。新しいカメラだとこの蝶のような写真が撮れる。途中で東海道を走るおばちゃんに会う。しばらく話をする。沖津駅から電車で静岡駅に行き、ビクトリアホテルという高貴な名前のホテルに泊まる。4200円、広くてきれい。
千本松原左富士
東海道第2弾
新幹線で三島に、そこから片浜まで行き、千本松原を歩きました。手入れはしているのですが、松枯れが目だちます。原宿の松陰寺、地元では白隠さんの鉢かづきの松も枯れていた。おばちゃんの話では、住宅が建ちすぎたからだ、とのこと。二代目の松もてっぺんに鉢が被せてあった。見えるかな?
原駅を過ぎてしばらく行くとチモトコーヒーの工場があった。チモトは千本のことだ。知らなかった。松原の海側には高い防波堤が延々と伸びている。波よけは必要だが、松枯れなどデメリットもある。松の代わりの木を植えるのも仕方がないかな。
左の写真は千本松原と防波堤。富士の方向を見ています。円と続く防波堤とその背後の松原です。昔ここを田口さんの一緒に走ったことがあります。途中で倒れている人がいたとき、田口さんがリュックから氷砂糖をだして食べさせたと回復。「低血糖だよ。サハラマラソンの時にも助けたよ」という。偉い人だと感心したことを思い出した。
吉原駅の近くに吉原宿場があったが、津波か洪水で内陸に移動した。新しい吉原宿は岳南鉄道の吉原本町にある。そこに行く途中、東海道で2番目の左富士がある。地名だけでなく左富士神社もある。広重の浮世絵にある通り、昔から名所だった。もし晴れていたら、右写真のように見えるはずだが。
東海道、大磯の松並木
東海道には変な名所がある。「左富士」眺めである。東海道を京都に向かう時には富士山は右手に見えるはずだが、2か所だけ左側に見える場所がある。その一つが茅ヶ崎の南湖という場所だ。鳥居橋という橋の上からは左手に見えるのだそうだが、本日は湿気が多く霞んでいるので富士山は見えなかった。せっかく茅ヶ崎駅からあるいてきたのに。
そのまま相模川を渡る。関東大震災の時に相模川に架かっていた古い橋桁が液状化した地中から出現した。神奈川県の衛生センターの前に復元保存されている。解説文を読むとなかなかおもしろい。目の前の川は小さい。昔の相模川は1.2キロ移動したという。相模川に架かる馬入川を渡ると平塚市、七夕で有名なところだ。
平塚の西側、花水川の向こうに高麗山がデンと立っている。広重の浮世絵はかなり正確だ。すばらしい。
大磯にはいってしばらくすると化粧坂がでてくる。「けわい」坂とよむ。ここは「東海道は松並木!」のとおりの並木が残っている。東海道で松並木がいいのは御油赤坂間とこの大磯の松並木かな。かなり長く残っている。大磯駅は山の方へ行くが東海道は小さな沢へ下って行く。沢は鴫立沢、かの西行の庵の場所である。これまで何回も通っているが、寄ったことはない。今回は縁側で湘南サイダーを飲んだ。冷たくておいしい。元気を回復し二宮まで歩き、電車に乗った。本日は箱根の富士屋ホテルどまり。明日はポーラ美術館へ行き、マネの睡蓮を見る予定。