佐渡:蓮華峰寺・小比叡神社

佐渡へは直江津からフェリーで小木港に来た。メーンルートは新潟から両津港に来る方法だが、今回は佐渡一宮:度津神社に行くことが目的だったので、たらい船の港にやってきた。

港でレンタカーを借りた。路線バスもないのでしかたがない。久々の運転で緊張したが交通はほとんどないので、すぐに昔の感覚を取り戻した。しかし街中ではより緊張するだろう。これからは田舎道だけレンタカーを借りよう。ところでこの車のナビの使い方がちっともわからない。途中ガソリンスタンで聞いたが、わからない。おかげで道をぐるぐる回ることができたので結果はオーライ。

蓮華峰寺と小比叡(こびえ)神社。

目的地に向かう前になかなかいい寺、神社を巡ることができた。その一番がこの二つ、というより一つの敷地内にある神仏混交の寺社だ。江戸時代には佐渡の寺を束ねるほどの力を持っていたようだ。
真言宗智山派の寺院。大同元年(806年)、真言宗の開祖、空海の開山という伝承をもつ。山号は小比叡山(こびえさん)。
金剛寺、室生寺とともに真言の三大聖地の一つとされる。佐渡四国八十八札所の第六番札所。

小比叡神社は元は蓮華峰寺の鎮守で、山王大権現と称されていた。明治の神仏分離により小比叡神社と改められた。
祭祀は大己貴命(おおなむちのみこと)で白山姫命、菅原道真を合祀しています。
大己貴命は日吉大社西本宮(大比叡)の祭祀で、また小比叡神社の紋所は二葉葵。これは日吉大社東本宮(小比叡)の紋所と同一であるので比叡山の山王権現を勧請したものと思われます。

本殿は1640年の建立で、拝殿後方の覆屋内に置かれています境内入口の鳥居は石造明神鳥居で、鳥居をくぐった先に茅葺の拝殿があります。

武蔵国一宮は小野神社!

武蔵国一宮は小野神社!

と書くと、「違うよ、大宮の氷川神社だよ!」と言われそうだ。
一宮は、何か権威をもった役所が決めたものではない。昔からそのように言われてきたが、ときどきで変化もしている。一国に複数の一宮があることは多い。
武蔵国の一宮は氷川神社以外に多摩市の小野神社もそうだ。多摩市は昔国府があった府中から見たら多摩川の対岸にある。聖蹟桜ヶ丘が最も近い駅で、その付近は一宮町という。昔からここが一宮と慕われていたのだろう。府中にある大国魂神社は六所宮と呼ばれる。ここには武蔵の国の有力な神社が支所を置いていた。国司が赴任すると有力な神社にあいさつ回りをしなければならなかった。しかし武蔵国は広いので、とても短期間にはまわれない。そこで有力神社から府中に集まってきたらしい。

六所宮にある神社は一宮から六宮まで順番が付けられているが、一宮は小野神社、三宮が氷川神社となっている。府中から近い順に一宮にしたのかもしれない。
社殿は新しくなっていたが、昔見たことがるような気がした。昔の写真を探してみたら2009年のお正月、大國魂神社と小野神社に初詣できていた。写真を並べておこう

波除(なみよけ)神社は健在!

築地の水神社が移転すると書いた、「エエーッあの神社が?」との電話があった。もう一つの神社と間違えていたようだ。築地にはむかしから波除(なみよけ)神社がある。勝鬨橋を望む場所にだった。この神社は築地市場の豊洲移転に際しても変更はない。本日(5日)大雨にも負けず、多くの参拝者が訪れていた。
  この神社は築地市場の入り口、すなわち場外にある。観光客で賑わっているのは場外市場。場外は豊洲には移転しないようだ。ほとんどがバラックだが、すでに立派なビルも完成しており移転の必要はない。豊洲に場外市場が移らなければ築地のように賑わうのはムリだろう。

波除神社は「獅子祭り」が有名で、今年は6月に100年ぶりの船渡御が行われた。この神社には狛犬はないが、立派な獅子像が左右にある。阿吽ではないがなかなかいいので、乗せておきます。

江古田富士の山開き(7月1日)

台風が九州に近づいているようで、風が強い水曜日。夏休みで孫たちが来ているので、我が家の人口密度は高い。うるさいし、手間もかかるのでめんどうだが、老人家庭には大変うれしいことだ。子どもたちの相手をしているとブログを書くのはおろそかになる。山の

先日7月1日は富士山の山開き! それに合わせて東京のお富士さん(富士塚)も山開きを行う。東京には国指定の重要文化財になっている富士塚が3つある。入谷の小野照崎神社の冨士塚はテレビでもよく取り上げあられる。江古田の富士塚も重文だ。ふだんは登ことはできないがこの日だけは扉が開く。私も登ってみた。その様子を写真で。高度は5mぐらいかな?

十条富士の山開き(7月1日)

  東京にはお富士さん(富士塚)が60個ほど現存している。昔は富士講の人が維持管理をしていたが、いまは講がなくなり、山開きも行うことができなくなっている。その中で盛大な山開きと縁日が行われているのは、ごく珍しい。私の知る限りでは、ここ十条富士が一番の賑わいだと思う。  十条富士は岩槻街道にめんして面している。その道路に直交した大きな道路があるが、埼京線の線路までほぼ200mは完全に露店に埋め尽くされている。これはなかなかの壮観だ。日曜日とあって、子どもたちは浴衣姿で縁日を見て回っている。でもとてつもなく暑いので、浴衣に帽子という子どもたちもいる。
 最後の写真をみると、十条富士の下りた場所は道路のように見える。実は岩槻街道は狭いので拡張工事がこの神社の手前まで来ている。来年は工事が進むのでこの場所での山開きはできないだろう。わらの「蛇」を売っている講の方に聞いたが要領を得ない。まだ決まっていないのだろうが、後ろに下げるなどして、残して欲しいものだ。

熊野大社のページ・サッカー

  毎夜テレビでワールドカップを見ている。先日のスペイン、ポルトガル戦はすごかった。さすがワールドカップ。しかしそれ以降アルゼンチン、ブラジル、ドイツなど優勝候補のだらしない戦い! 何やってるんだ!

日本は85分間一人少ない相手に手こずった。世界最強の一角だったが、ハンドの反則で一人退場。もちろんそれは仕方がない。しかしサッカーは11対11でやるもの! テレビでは勝った勝ったと大騒ぎだが、あまり気持ちのいい勝ち方ではなかった、と私は思う。

物事を素直に喜べないのは、まだまだJUNKOさんのことを無念に思う気持ちがあるからかもしれない。「サッカーと結びつけないでよ!」と怒られそうだが、沈んだ気持ちはなかなか晴れない。

昼間はパソコンに向かって全国一宮巡り、の報告書を作成中。これがけっこう手間がかかって、時間を忘れる作業です。このブログの固定ページから見れるようになっています。写真は熊野大社(島根)なかなかいいでしょう。

隠岐島 焼火山

峠楽会の仲間であるHARAさんが、「おみやげ」といって写真の粟おこしをくれた。この文字は、私が一押しした隠岐の島の「焼火山」の山頂の神社にあったものだ。「あそこまで行ったの?」「行きましたよ!」と誇らしげに答えてくれた。私はあそこまではたぶん行けないだろうと思っていたのだが・・・この山は隠岐の島の島前にある古い火山の中央火口丘である。地図で見ると丸い島の中央部が一時期陥没してカルデラができ、その中央部に火山が噴出し火口丘を作ったことが見てとれる。

その山頂に神社がある。半分岩の中にめり込んだような形だが、これは火山活動がおわってからはるかに時間がたってから作られたものだから、押しつぶされる心配はない。しかし焼火と書くと、さも火山活動の火があるように見えるが、実はこれは「のろし台」の火だったのではないかと推察される。

まあともかく私が面白がったところに行って同じように面白がってくれたことは、私としては大変うれしい。これからもおもしろそうなところを紹介しますから、遊び歩いてください。以下は焼火神社の社殿、入り口の狛犬。

若狭一宮 若狭姫神社 お水送り

 小浜という町はオバマ大統領が出現して有名になった。トランプ大統領はオバマさんを否定しているので、小浜市にも影響があるのではないかと思っていた。今回敦賀から豊岡に行くのに小浜線を通って行った。

小浜の若狭彦神社は毎年3月12日、奈良東大寺のお水取り行事のためにお水を送り出す「水送り」行事を行う。10日間かけて水は100㎞先の東大寺まで送られるので、3月2日の深夜、白装束の行者によって水が送られる。なかなか神秘的行事で、現代のパワースポットの一つになっている。

若狭一宮 若狭姫/彦神社

気比神宮は北陸道の総鎮守

 水曜日は孫守があるので昨日のうちに戻ってきました。本日は午前中、今回行った一宮の紀行を作成してました。ブログに入れるのは簡単なのですが、ホームページ用は写真を整えてからでないとうまくいかない。写真の大きさの調整などに時間がかかります。

本日作ったのは越前一宮気比神宮。写真を整理していると 、この神社には、ここ数年で4回も来ている。福井県敦賀という町は交通の便が悪いのによく来ている。北陸新幹線が金沢まで開通したおかげで、お金さえかければ簡単に来ることができるようになった。私ら年寄りはジパングクラブの3割引きパスがある。これは大きい。

2017年に来た時には大鳥居は塗り替え中だったが、今回は修復が終わり、ピカピカになっていた。上の写真。日本三代木造鳥居の一つとか。

さて気比神宮の写真紀行です。 青いところをクリックしてください。
以下でもオーケー

伯耆の国一宮:倭文(しとり)神社

  朝7時の山陰線で倉吉に向かった。ローカル線だが高校生の通学で満員。倉吉手前の松崎で降りる。倭文神社まではほぼ4キロ、まだ暑くないので歩けるだろうと判断した。駅前は東郷湖、ここは温泉地で湯気の立つ小さな池があった。手を入れるとやけどしそうな暑さ。

湖の周りをあるき、山に入る道しるべがあった。梨の畑に向かう軽トラ用の舗装道があるが、大変な急坂。小さな峠を越えると集落が出てくる。さらに上るとやっと表示がでてきた。夫婦岩があるが大きなの石と下に敷かれた小さな石。今の時代なら大きいのが奥さん、しかれて小さくなっているのがダンナということになるかな?

朝早かったのでまだ扉が開いておらず、社務所の朱印もないので待っている人が数人いた。私は朱印の趣味はないので、立派な逆立狛犬の写真を撮ってから、経塚まで上った。ここにあったお経は国宝になって博物館に納められているそうだ。ほかにもお宝があるので、夜間は社殿は閉められているのだろう。

神仏混淆の神社なので鳥居の後ろに神門(寺なら仁王門)がある。ここの彫刻もおもしろい。インドの象の神さまかもしれない。仁王門の前の狛犬は新しいので面白くないが拝殿前の逆立狛犬はいい。こんな巨大なものは今まで見たことがない。私の中では日本最大逆立狛犬だ。 ■本殿は何造りかわからないが千木は立削ぎ、鰹木は3本。出雲大社と同じだ。倭文(しずおり)氏が織物の神である建葉槌(たけはづち)命を祀っていたが、大正時代までは下照姫(したてるひめ)命も主祭神であると考えられていた。いまは女神ということから安産の神となっている。

経塚から降りてきたら、9時前だが社務所の方々も来られて拝殿の扉があけられた。建葉槌命よりも下照姫命の方が人気のようだ。下照姫は大国主命の娘と言われている。

帰りは山道は避けて湖のほとりを下った。東郷温泉の向こうに昨日山開きをした大山が見えた。

この辺りは神話の郷、なかなか楽しい一之宮めぐりになった。一緒にお参りした人は、出雲に行くぞ!と去っていった。私はすでに参拝済みだ。

 

但馬から因幡へ、「たもや」で食事

鳥取にいます。因幡の白兎神社、因幡一之宮の宇倍神社にお参りするためです。地元にいるKUSA野さん御案内でぐるっと回れたので楽ちんでした。いつもなら地図を頼りに歩け歩けなのですが、本日は乗っていればいいので楽でした。写真は合流場所の餘部鉄橋。

鳥取砂丘・砂の美術館:白兎神社

「たもや」で食事KUSA野さんおすすめ。猛者エビは今この時期にしか食べられない。

 

因幡の国一の宮:宇倍神社

鳥取県鳥取市国府町宮下651・・・・に鎮座する因幡の国一の宮。因幡と言えば白兎であるが、この神社はまったく関係なし。
■ ご祭神は、 武内宿禰(たけのうちのすくね)命である。この方は第十二代景行天皇より、成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5朝にお仕えされ、まことをつくして天皇の信任篤く、わが身を投げうって東奔西走、日本の統一に尽力されました。 わが国で最初に「大臣」の称を賜わり、日本の国造りに功績のあった神さまです。(神社のHP)

武内宿根は360歳でこの地で亡くなった。終焉の地という石碑もあった。神武天皇でも寿命は137歳ということになっている。神話とはいえその3倍近い寿命というのはどう考えてもおかしい。昔の人も「お話だよ!」と了解していたかもしれない。しかし明治政府は、日本の大臣の理想像として教科書に載せ、お札に肖像を載せた。明治大正昭和にかけ5回もお札に登場したのは他にはあまりない。神話を歴史にしてはいけないというのが私の感想。似顔絵もないのによく描けた、想像力というのはたくましいものだ。   今は総理の座を狙っている石破さんがこの宮の代表になっている。大臣はお仕えする身、昔は天皇になることはできなかった。今は大臣が総理になるのは何の不思議もない。今変な総理いるが、何とか石破さんがんばって総理になって欲しいと、地元の人は期待しているようだ。

社殿はなかなか立派だ。流れ造だが、屋根の上の千木は縦削ぎ、鰹木は3本と出雲大社風である。

本殿の背後の高台に「磐座」(いわくら)がある。武内宿祢は神功皇后の子どもを育てて、無事天皇の位につかせる。第15代応神天皇である。なので応神天皇を祀る八幡神社には伴神として武内神社や高良神社がある。子育ての神さまとしてお人気があるという。そういえば一昨日訪れた気比神宮にも武内宿祢を祀る高良社があった。

境内の奥に国府神社がある。因幡の国府跡は鳥取市の国府町にある。現在は「すなば珈琲」のお店がある。スタバはないがスナバはあるとの名言を吐いた知事はなかなかいい。

スナバは鳥取砂丘であり「砂の博物館」これもすばらしい。

白兎海岸には因幡の白兎の神社がある。こっちの方が本家かも!

若狭の一宮、若狭比米神社

若狭に来ています。敦賀で新しくなった気比神宮の大鳥居を見て、小浜線で東小浜まできて、そこから貸自転車で若狭神社をまわってきました。若狭神社は上社が若狭彦神社、下社が若狭姫神社になっています。長いこと神仏混淆であったので若狭神宮寺もひとまとめだったようです。  若狭神社は、東大寺二月堂にお水を送る「水送り」行事が行われることで有名です。毎年3月2日に鵜の瀬という川の淵で、奈良東大寺にお水が送られます。100㎞以上もある奈良まで地下水が流れていくとは考えられないのですが、行事として長い年月続けられています。3月12日には二月堂の「若狭井」でその水が汲みあげられます。  東大寺で修二会という行事がはじめられたときに、全国の神さまが集まめられました。その時に若狭の神さまだけが遅刻したのです。ちょうど魚釣りが忙しくて!10日間遅れた神さまはお詫びの印に毎年若狭から閼伽の水を送ることを約束したことで、お水送りが行われています。

82番根香寺(ねごろじ)

81番白峰寺は五色台の白峰にあった。こちら82番は青峰にある。その間は50丁の距離で讃岐の遍路道が結んでいる。旧陸軍の演習地でいまも善通寺部隊の敷地なので開発が進まなかったようで、大変保存がいい。丁石は、たぶん補修したろうが、50丁分全部残っている。50丁はほぼ5.5㎞で、上り下りはそれほどでもない。しかし我々の足では2時間以上かかった。

五色台の主峰、青峯山山中にたたずむ。弘法大師は密教修行の地としこの山に「花蔵院」を建立した。大師の甥の智証大師が訪れ、山の鎮守の一之瀬明神に出会い、「蓮華谷の木で観音像を作りなさい」というお告げをうけた。智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し「千手院」を建てた。この霊木の根は芳香を放ち続けたことから「花蔵院」「千手院」を総称して根香寺とよんだ。根香寺は後白河天皇の帰依も厚く隆盛を極めた。と記されている。弘法大師が開祖だがいまは天台宗。

かなりの山の中で昔は密教の修行の地だった。外界からの影響を断って大勢の修験者が活動をしていた。俗人にはわからないような現象も起こっていたというので、近年はパワースポットとしても知られる。怖いもの見たさに訪れる人も多い。仁王門のわきには牛鬼の大きな像が参拝者を驚かすように立っている。

人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が青峰山に棲んでいた。弓名人山田蔵人高清は山へ入ったがなかなか牛鬼が現れない。そこで高清は根香寺の本尊に願をかけた。21日目の満願の暁に、牛鬼が現れ口の中に矢を命中。高清は牛鬼の角を切り寺に奉納。牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれている、そうだ。

 

第81番白峰寺

坂出の東には300mを超す溶岩台地が広がっています。溶岩はカンカン石と言われる固い安山岩です。この溶岩は古い時代に噴出したもので、現在知られる火山由来ではない。溶岩は長い間に侵食され、谷がいくつも刻まれ、いくつかのブロックに分かれています。そのなかで目立つ峰に青峰、黄峰、赤峰、白峰、黒峰の五色の名前が付けられています。

白峰に81番白峰寺、青峰に82番根香寺がある。その2寺の間には讃岐遍路道が残っており、重要文化財として保存整備が進んでいる。これはなかなかいい道で、歩いてよかったと思っている。地元の中学生も授業の一環として歩いているようで、今回多くの生徒たちに追い越された。

五色台全体の地図

■815年に弘法大師空海が白峰山頂(337m)に上った。その後空海の妹の子である智証大師がここに寺を創建した。智証大師は、山の神である白峯大権現の神託を受け、霊木で千手観音像を彫造し本尊にしたという。■白峯寺の中には「頓証寺殿」という建物もある。後鳥羽天皇と戦った保元の乱で負けた崇徳上皇は讃岐に流され、都へ戻れないまま流刑地で没した。白峰山に陵墓が造られた。崇徳院と親しかった西行法師が詣で法楽を行った。その後慰霊のため陵墓近くに、崩御までの6年間を過ごした木の丸殿をここに移した。現在の頓証寺殿がそれである。四国88カ所霊場の白峯寺に詣でる人は多いが、実はこの崇徳天皇の御陵に詣でる人も多い。私が訪れた時も、駐車場にいたタクシーの運転手さんは「みなさん御陵にこられています」と教えてくれた。お遍路さんは御陵を素通りして、遍路道に入っていく。お遍路さんは途中にある寺や神社、御陵にはあまり目を向けない。私は歩き旅であるから途中の興味深いところには寄り道をするので予定時間を過ぎることが多い。これもまあいいか! である。

崇徳上皇がなくなってしばらくして西行法師が慰霊の旅をした。五色台の下にある・・神社から急な坂を上ってここまでやってきた。その道を今は「西行道」として参拝の人がとおる。私も知っていれば79番から80番を後回しにしてこの道を上ったのだが・・・、ここから下る気はなく、白峰寺をゆっくり参拝して、讃岐へんろ道を82番根香寺に向かった。

門を入って正面に護摩堂がある。左に曲がって正面に頓証寺殿がある。本堂大師堂は右手にある急な石段を上がった上にある。途中に立派なお堂がある。

本堂の拝殿の天井の釣り灯篭

昨日参った79番天皇寺が崇徳天皇の配流地の御所だった。81番は御陵だ。天皇関連とすれば79番から80番を飛ばして81番へ行くのが自然だ。昔のへんろ道もそうなっていたらしい。しかし札所めぐりは順番どおりに行くようだ。合理的な考えをする人たちは79⇒81⇒82⇒80⇒83 とめぐるようだ。