貨物鉄道博物館(三岐鉄道)

北勢線の博物館を見学して、阿下喜の街並みを案内していただいた後、駅前にある唯一の食堂でおそばを食べた。東京と違って丁寧に作ってくれたので、北勢線の電車には間に合わなくなった。駅前に第一日曜日だけ運航している丹生川行きのバスが停まっている。阿下喜の軽便博物館と丹生川の貨物鉄道博物館とを結んでいるんだそうだ。せっかくだから三岐鉄道の三岐線に乗ろうということになった。

貨物鉄道博物館は第一日曜日だけの開館で、それに合わせてボランティアの方が自分のバスを運行してくれている。しかし丁寧おそばはそのバスの時間にも間に合わなかった。しかたなく駅前に停まっている唯一のタクシーにのって貨物鉄道博物館に到着。雨の中、大勢の見物客がいる。かなりマニアックな博物館だがこれもボランティアの熱心さが人を呼んでいる。いいことだなあ。

なんとここの蒸気機関車はもと東武東上線を走っていて、そのあと北池袋の昭和鉄道高校に展示してあったものだ。私は池袋に行く途中に毎日見ていたあの機関車だ。なんという奇遇。うれしくなった。さらに三岐線を走っている黄色い電車、見たことがあると思ったら所沢車両工場の製作で、もと西武線を走っていた車両だった。

一日乗車券を買ったので、終点の西藤原に行ったら、なんとユニークな駅舎。昔小野田セメントの鉱山で働いていたガソリン車、電気機関車、蒸気機関車ならんでいる。そこらの鉄道博物館よりも充実している。熱心な人たちでこの地域の鉄道は保たれているのだろう。何十枚も写真を並べたいが、8枚にしておきます。もっと見たい人は現地に行ってみてください。ただし第一日曜日だけの開館です。

阿下喜の街がすばらしい

北勢線の終点である阿下喜。私には懐かしい街だ。我が父親はここからさらに山奥に入った相場という集落で生まれ育った。私は住んだことはないが長い間本籍地を置いていたので、員弁郡という名前は懐かしい。今は員弁を読める人がいなくなったのでひらがなで「いなべ」となった。相場の山の中からは員弁の中心であった阿下喜はまぶしい大都市だったが、いまでも穏やかに豊かな街を保っている。

今時、昔栄えた街はたいていさびれているのに、阿下喜では豊かな文化を残している。軽便鉄道を地元の人たちの熱意で残している文化レベルは大変高い。小さな町だが、医者は何軒もあり、大病院も2か所ある。桑名、四日市よりも医療環境はいい。仏壇やも何軒もあった。3月には町中でお雛さんを飾るそうだ。どの家にも立派な雛がある。たいしたもんだ。街角にはいくつも小さな博物館がある。街を大切にしようというボランティアの方々が各地から集まって活動している。うらやましい限りの街だ。

三岐鉄道北勢線

桑名から阿下喜に向かって軽便鉄道がとおっている。昨日乗った四日市あすなろう鉄道と兄弟の軽便鉄道だ。線路幅が762㎜のナローゲージで、現在日本で営業運転しているのはこの2線だけだ。あすなろう鉄道は昨年車両を新しくしたが、こちらは古いままなのでモーター音はうるさく車両は揺れる。しかしなかなか趣があっていい。阿下喜の駅にこの鉄道の博物館がある。ボランティアの方々が雨の中、たくさん集まっていろいろ作業をしている。ミニ列車の運行もしており、子供たちも喜んでいる。この博物館のポリシーが述べられている。引用しておこう。

・・・そして未来へ・・・軽便鉄道は時代の波から取り残された遺物なのでしょうか? 21世紀は持続可能な社会が求められています。なんでも壊して新しく作り替えるのは「もったいない」です。地球環境や私たちの体は悲鳴を上げています。それになんでも壊して、安くて、大きくて、速くて、どこにでもあるものに作り替えてきた今での姿勢は、見直さなければいけない時代になりつつあります。気駅的に生き残った北勢線にはいままでの時代の波を一つ乗り越え、これからの時代を先取りできる大きな可能性が見えてくるのです。・・・・