近江は「淡海」と書いたこともあるらしい。淡海すなわち琵琶湖から流れ出る唯一の瀬田川にかかる唐橋の近くに近江一宮の建部神社がある。その背後の丘の上にかなり広い芝原が近江国府跡である。国府という地名が残っている場合が多いがこの地は「神領」という場所にある。建部神社は古くからあるのでこの地域を神の領域と考えてつけられた名前なのだろうか。
国府(国衙)
近江には天皇の宮が2か所作られている。天智天皇の近江京、聖武天皇の紫香楽宮である。この天皇宮と国府の関係はよくわからない。しかし聖武天皇が国分寺を作る詔を発した741年ころには神領の地に国衙(国庁の建物)があったようだ。私は建部神社を通って坂を上り丘の上に上がった。坂の上には公営住宅が何棟も建てられているがその一角が芝原になっている。そこに木製の外構で作られた基壇が復元されている。
建物や築地塀の一部も復元されている。国衙(国庁の建物)は藤原京、平城京とよく似た配置になっており、かなり大規模なものだったようだ。近江国府は国府の典型と考えられており、各地で復元されている遺構遺跡は近江国府の復元に倣っているとのことだ。
総社?近江国一宮建部神社
総社は不明とされており候補になる神社も知られていない。私は国衙のすぐ下にある建部神社が総社であったらいいのに!と思っている。近江一宮で古い時代から信仰を集めていた神社である。神領と地名は建部神社にまつわるものである。国を治める国司からも信頼が厚かったのではないかと思うのだが・・・みな願望である。
国分寺
国分寺ももとは紫香楽にあったらしいが、国府がこの地にあったころに近くに移ってきたようだ。「近くに」と言ったが、衰えた私の足では国府(国衙)から1時間半かかった。直線では3キロほどだがバス電車はみな石山駅へ行くので歩く外はない。(タクシーがあるじゃないか…奥さんと一緒の時以外はタクシーは使わない)のでかなり疲れた。
近江国分寺は新幹線の線路近くの高台にある晴嵐小学校の敷地内に石碑が一基あるだけ。ここには国昌寺という国分寺があったらしい。しかしこの場所は「国分」ではなく北小路という地名である。新幹線を越えたところに「国分」の地名があったので行ってみた。そこには国分大塚古墳があるだけで国分寺的なものはなかった。
国分尼寺
残念ながら国分尼寺は見つからない。あきらめて帰京。