子どもの頃、こんな番組を毎週見ていた。「せんしゅうしのだの生まれ」、と言われても全く理解できなかった。あれから60年経ってやっと大阪南部の和泉国に信太という場所があることがわかった。そこに和泉国の国府、総社があることも知った。
和泉国府
和泉国は河内国から分かれた国で、国府は現在の和泉府中駅の近くに置かれていたようだ。しかし発掘はされておらず、推定であるが児童公園に国府跡の石碑が建てられている。
実は隣の信太には旧府神社というのがある。私はここに国府があったのではないかなどと思っている(願望)この神社は一時期は信太森葛葉稲荷神社に合祀されていた。信太の森神社は白狐が葛の葉という女性になって陰陽師の安倍晴明を生んだとされた場所である。もちろん清明の霊力を権威づけるのに作られた話である。しかし信太という場所はなかなか面白い。葛葉稲荷神社と旧府(ふるふ)神社の写真を入れておきます。
和泉国総社
国府のすぐ近くに河内国総社がある。泉井上神社で、ここに泉がわいたことから和泉国となった由緒ある神社である。立派な本殿、五社総社殿があるが現在は建て替え中である。古い社殿の写真が飾られていたのでコピー写真を入れておきます。
和泉国一宮
和泉国一宮は大鳥神社で、少し離れて堺市のJR鳳駅の近くにある。だんじりで有名な神社である。下のURLをクリックすると私の一宮巡りのページに行きます。
http://kazmiwa.sakura.ne.jp/ichinomiya/006ohtori-sakai/ohtori.htm
和泉国 国分寺
和泉国が河内国から分離独立したのは757年で、国分寺建立の詔が出た741年よりも後である。そこで前からあった安楽寺を昇格させて国分寺にしたそうだ。国分尼寺は最初から作られなかったようだ。
和泉府中駅からバスがあるが50分ほどかかる。自転車を借りていたので往復しようと思ったが、国分峠を越えて河内長野に出る方が合理的なのでバスに乗った。昔なら10キロ走っても汗もかかなかったのだが今は5キロも歩けない。ちょっと悔しいがまあ年相応にやらなけりゃだめだろう。
和泉国分寺は国府、総社からかなり離れたところにある。なぜだろうと考えながらバスに乗っていたが、峠を越えたらすぐに河内長野市にでた。和泉国は河内国から分離されたが、国分寺は河内国に近い関係にあったのだろう。それで勝手に納得した。峠越えの賀曽利さんは当然ここを越えていったのだろう。