肥前国府と印鑰(いんにゃく)神社

 肥前国は今の佐賀県あたり、近くに吉野ケ里遺跡もあり古くから栄えた地域である。大化の改新によって各国に国府が置かれた時、肥前国府は大和町久池井(惣座)に置かれた。私は10数年前に肥前一宮である与止日女神社に来たことがある。その時に嘉瀬川にかかる「惣座橋」を渡った記憶がある。しかしそれが国府と結びつかず、国府史跡を見逃していた。今回は国府跡を見るために「惣座」に向かった。すぐ近くに国分寺、国分尼寺跡もある。私の興味のワンセット(国府、総社、国分寺、尼寺、一宮)がそろっている珍しい場所だと感じた。
国府
佐賀駅の北方にある「惣座」(そうざ)という地区が国府の地であったと推定されていた。高速道路の準備調査で国府遺跡の発掘が進み「国史跡」に指定され整備された。版築で作られた築地塀の一部と大門が復元されている。この国庁には吉備真備などが赴任していることからも重要な拠点であることがわかる。敷地内に「肥前国庁資料館」がある。

国庁・国衙・国府

国庁:各国に置かれた役所の中心となる大型の建物群からなる一郭を国庁と呼ぶ。
国衙:国庁周辺の役所が置かれた範囲を国衙という
国府:国司の館や国衙の周辺の諸施設を含めた大きな範囲を国府とよぶ。

総社:印鑰神社
 資料では肥前国総社は不明となっている。私は1キロほど北にある与止日女神社が総社であれば面白いと思ったが一宮が総社である例はない。
もう一つ、印鑰神社(いんにゃく神社)というのがある。国司の印と鑰(にゃく)=蔵のカギを守る神社である。他の国では印鑰神社が総社である場合もある。ここ肥前でも印鑰神社が惣社であってもおかしくない。

肥前国分寺
印にゃく神社の角に「尼寺」(にいじ)の案内板がある。ここを曲がると国分尼寺跡とその奥に国分寺跡がある。いずれも跡だけで後継の寺はない。国分寺の場所には近年まで寺があったとのことで墓石、石塔などが無造作に置かれている。案内板によると200m四方のかなり大きな敷地を持ち七重の塔もあったことが確認されている。

国分尼寺
春日小学校の前に国分尼寺の案内板が立っている。国分寺と同じように後継寺もなく石塔、墓石などがあるだけである。敷地はたぶん小学校の敷地まであったであろう。

肥前一宮 与止日女神社
国庁遺跡よりも1キロほど北の嘉瀬川沿いにある古社である。前に来た時にも川を渡して数十匹の鯉のぼりが泳いでいたが、今回はまだ三月なのに同じように大量の鯉のぼりが川を覆っていた。さらに満開の桜、「よくおおいでくださいました」の感じであった。「ありがとう!」はお賽銭を奮発?してあらわした。

今回の巡りは佐賀駅からタクシー2時間で一巡り。なんと観光タクシーは2時間で2000円なり。「SAGA MADO」という観光案内所で3月31日までやっている企画とか。吉野ケ里観光には4時間コースがいいが、この企画を22年4月以降もやっているかどうかは係りの人も不明とか!