『和名抄』によれば伊予国の国府は越智郡、現在の今治市にあったとされているが遺跡は見つかっていない。しかし今治平野にあったことはたぶん確実である。今治は「いまばり」と呼ぶが地元のおじさんはほんとうは「いまはる」と言ったんだ、と教えてくれた。「いまはる」の方が和語のようで優しい感じがする。
伊予国府
国府の候補はいくつかある。私は「古国分」という地名に着目してまず最初に古国分に行ってみた。地元の人は何もないところだと言うが今治藩主の墓があるという高台に上がってみて驚いた。三代藩主の墓がならんでいる。おそらくこの地は今治藩としても重要な場所だったことがわかる。さらにこのちには城が築かれていたという。昔国府として整備された地はのちの時代になっても重要な地として使われていたのだろうと思う。隣に広い交通公園があるがその地域まで国府の範囲があったのではないか。今のところ国府跡は確定していないので勝手なことが言える。私的にはこの地に国庁があったとする。
伊予総社・伊加奈志神社
伊予総社は伊加奈志神社とされている。私は四国遍路の時に寄った覚えがあるが、どこにも総社との記述はなかった。今回も確かめてみたが現地には総社との記述はなかった。それにこの場所では国府の地を「古国分」とすれば遠すぎる。どちらか、あるいはどちらも間違えているということもある。とりあえずはwikipediaの記述に従っておく。
伊予国分寺
四国札所59番が国分寺である。四国には4か所の国分寺があり、それぞれ旧国分寺遺跡の上、あるいは隣接地に建物が立っている。お遍路の時には奥さんがお大師様と握手をしたが今回は私も握手をしたいと願っていた。握手をしたあと案内板を見ると「願いは一つだけ」と書いてあった。「しまった!別のこと願うんだった!」
伊予国分尼寺・法華寺
国分尼寺の総本山は平城京わきにある法華寺(法華滅罪之寺)であり、地方の国分尼寺も法華寺と呼ばれることが多かった。伊予国分尼寺も当初は華厳宗東大寺に属していたがその後は真言宗になり現在に至っている。国分尼寺が今も法灯を継いでいるのは全国でも珍しいことである。法華寺と桜井駅の間の畑の中に国分尼寺の跡の看板が立っている。
四国遍路
私たち夫婦は2015年から18年にかけて四国札所巡り、お遍路を歩いた。全長1200キロを10回に分けて歩きとおした。今治周辺には10か所ほどの札所が続いており、出だしの徳島周辺並みの札所の数である。ここで一気に稼いでおきたいところであるが山の上まで歩かなければならずけっこう難儀をする。59番国分寺は58番の仙遊寺から降りて海の近くまで来た場所にある。
ほっと一息の場所にいいカフェがあり、同行の奥さんは大いに気にいった。今回も寄ってみたがすでに廃業していた。コロナの影響か何かわからないが、この数年で世の中が大変革した影響の一つであろう。
難儀して歩いた道だが、今回は自転車を使った。一日かけて歩いたところを3時間ほどで廻った。自転車ならお遍路ももっと簡単だったなあ、いったい何を考えてやっていたのだろう。いや、楽をするだけが人生じゃない!・・・