舛添さん、辞めさせられた!誰に?

何だったのというぐらいにあっけなく舛添さんが都知事をやめた。都民、マスコミの勝利だとはしゃいでいるが、私はあんまりすっきりしない。舛添さんの人品人柄は「せこい」けど、それは知事をやめさせるほどの悪いことなの?? 本人が言うように法的にはほとんどが問題ない。ホテル三日月で会議が行われたかどうか、それだけが問題。家族旅行でした。処理を間違えました、ごめんなさい! と言えばすんだ話。これまでたくさんの政治家がこれですんでいたのに。

自民党、公明党はなんとかシャンシャン!で行こうと思っていたのに、舛添さんが粘るものだからしぶしぶ引導を渡さなければいけなくなった。下手をすると自分のところに飛び火していけないので、大急ぎでみんなないことにした。都議会が終わったら何の追及もなくなった。彼らからすれば、もう終わったこと! なのだろう。もう追及どころではなく次のステップ。誰を次の知事にするか大騒ぎ。

小池百合子、 蓮舫 の名前が取りざたされているが、この人たちは皆ダミーで、奥の方で様子見している大物がいることは明明白白。インターネットでは奥にいる大物はどうもオリンピック委員長と言われている。国立競技場でケチをつけた舛添さんが嫌い、女の政治家はさらに嫌いという人らしいので、自民党から出てくる人は石原息子しかいない、というのが裏の話とか。なかなか説得力のある説だが、野党から誰が出るかによっては、話は変わりそうだ。

ところでそれとは話は違うが、舛添さんが終わったら次は甘利大臣のわいろを取上げるのがマスコミの仕事だろうに。なぜお金はもらったが、適正に処理していると言えばそれでいいのか? もっと追究してほしい。舛添さんよりもはるかに人品人柄がいやしいじゃないか。さらに嘘をつくことをマスコミは取り上げていたが、安倍さんの天下に公言したウソは無罪放免なの?? 世の中にどれだけ悪影響を与えたか、サミットで世界に以下に恥さらしをしたか、もっときっちり追及してよ。

今回の騒動は週刊文春に始まる。世の中がどっちに動いているかを察知すると、マスコミはみな週刊誌情報に飛びついた。そして「溺れる犬は叩け」とばかりに、舛添さんのプライバシーまで暴き叩きのめした。舛添さんに同情すると自分もたたかれると思ったのではないか。まったく小学生のいじめの構造とよく似ている。舛添擁護のマスコミが一つもない、これはけっこう恐ろしいことだ。マスコミは権力を持っている。ただただ、「弱きをくじき、強きを助ける」ことでいいのか。背後にある何かを掘りだすのがマスコミの役目だろうに。

マスコミに逆らうとどうなるか、よく解った舛添事件であったと言える。ワイドショーで、舛添さんはもう日本にはいられないでしょうね!などと言う解説者もいた。マスコミは井戸端会議じゃないんだ!

若狭で考えた! 神功皇后

我らの親の時代「三韓征伐」をした「神功皇后」は日本の英雄だった。明治初期、すべてのお札の肖像画は神功皇后だった。日本の朝鮮支配の根拠は神功皇后の業績にあった。明治以前、彼女は初代女王卑弥呼であるとも信じられていた。武運の神である八幡神(第15代応神天皇)の母親であることから武士や軍隊からも支持され、第2次大戦前まではスーパーヒロインであった。

しかし第2次大戦後、歴史書とされていた古事記・日本書紀は抹殺され神功皇后も卑弥呼も教科書から消えていった。朝鮮の歴史に朝鮮全土を古代日本が征服したという記録もない。子どもは15か月もお腹の中にいたとか、夫の仲哀天皇を殺してしまったとか疑惑が多く出て、実在人物ではないとされてしまった。今は年配の人に聞いても「だれ?その人?」という感じだ。でも私は神功皇后=卑弥呼という日本書紀の記述がどうにも気になる。

話を古事記に戻す。

ヤマトタケルの次男、仲哀天皇(第14代)は北九州の香椎宮にいた。なぜ天皇自らがここにいたのか不思議だ。神功皇后が神がかりになって天皇に「朝鮮を征服するように!」と伝えた。しかし仲哀天皇は無視して琴を弾いた。お付きの武内宿禰が天皇の様子を見に行くと、琴が鳴りやみ、天皇は亡くなっていた。神功皇后は自らが武装して朝鮮に向かう。住吉のかみさまは魚に命じて皇后の舟を一気に朝鮮に運ばせた。さらに波は内陸まで侵入した。驚いた新羅の王は日本に従うことを了承し、百済も高句麗もみなそれに倣った。これが三韓征伐である。

三韓を支配下におさめた神功皇后は、臨月のお腹に石を巻いて、生まれるのを遅らせ、凱旋後の北九州の宇美で子どもを産む。この子がのちの応神天皇である。普通に考えたら、朝鮮遠征中に授かった子どもだろうが、それじゃ我が子を天皇にする根拠がなくなる。きっと遠征前に授かったよう帳尻り合わせをしたのだろう。私はどうも武内宿禰という腹心の部下が怪しいと考えるが、それはゲスのかんぐりというものだ。

さて神功皇后は留守にしていた大和へ帰還することになったが、そこでは天皇のいないのに乗じて権力争いが起こっていた。皇后は一計を案じて「子どもは亡くなったので棺を持って帰る」と宣言して、瀬戸内海を渡って浪速に向かった。待ち伏せをしていた忍熊王との間で激しい攻防が行われた。皇后軍の将軍、武内宿根は相手を琵琶湖まで追いやる。忍熊王は湖に身を投げた。

神功皇后は大和に入って天皇家の政権を復活する。この時に天皇、当時としては大王になったとする説があるが、詳しくはどこにも記していない。武内宿禰は、亡くなったとされる御子をつれて若狭へ行き、仮宮殿をたてる。そこに気比神社の神が出てきて、名前を変えようという。

もしかすると本当に亡くなり、棺だけだったのではないか。だからどうしても代理人が必要だった。その代理人の名前は「イザサ和気大神」で、気比神社の神さまと交換したことにしたのだろう。もとの御子の名前がどこにもないのは、もともといなかったからではないか??

気比神社での名前の交換! なんの意味か分からなかったが、なんとかつじつまの合う話になってきた。旅の途中、時々立ち止まって考えてみる…現地集中思考は大事だ。これからは少しゆっくり休み休み歩いてみよう。

 

 

敦賀、気比神社 じつに怪しい!

aDSCN5435敦賀に来ています。ここには若狭一宮の気比神社があります。この神社は古事記の中に詳しく記述されている重要神社で、私も何回か訪れている。しかし古事記にのこる記述の意味が理解できなかった。しかし今回金崎宮の高みから若狭湾を眺めていると、すこし理解ができるようになった。

第15代応神天皇の母は神功皇后という。朝鮮征伐をして帰国後北九州の宇美で子供を生む。そのころ大和は騒乱状態だったので、安全に戻るため、「子供は亡くなりました。棺を載せて大阪に戻ります」と説明して瀬戸内海を進んだ。しかし大阪には敵対勢力が待ち受けていた。神功皇后軍は相手を琵琶湖に追い詰めて勝利し、母だけが大和に入って支配権を握った。神功皇后が天皇になったという説もあるが、天皇系譜には残っていない。

亡くなったことにした息子は武内宿根に伴われて近江、若狭をへて越の国の入り口、角鹿(つぬが=敦賀)に行き宮殿を建てた。ここで気比の神さま「イザサ和気大神(=御食津大神)」と名前を交換する。若狭、敦賀はいま「御食(みけつ)国」として売り出しているが、それは気比神社の神さまの名前、さらに取り替えた応神天皇の名前でもある。

「なぜ母親とともに大和に行かなかったか? なぜ若狭、敦賀に行ったのか? なぜ名前をとり変えたのか?」 私には古事記の記述の意味がわからなかった。「神功皇后の息子は本当に亡くなった。敦賀でそれらしい人をさがしだして、天皇として大和に迎え入れた」と考えればすべて解決する。たぶんすり替わった天皇は朝鮮半島からの渡来人だったので、カモフラージュするために名前を変えたのだ。海を眺めて得た結論に満足し一件落着。気分はよくなった。

北陸道は木の芽峠を越えて越の国に入るが、軟弱になった私は特急「サンダーバード」で北陸トンネルを越えて越の国に入る。昔はここが若狭の国と越の国の境だったが、今は両者福井県。昔の越の国も「御食国」としている。木の芽峠の重要性はまったくなくなった。特急は加賀の国の金沢駅につき、新幹線に乗り換えて東京に戻った。新幹線は敦賀へ延伸することが決まっているようで、工事は進んでいる。さらに昔の国の区分は薄れていくのだろう。

舞鶴港、岸壁の母

植村冒険館からまっすぐ帰ることはなく、たいてい途中寄り道をしている。今回は前々から気になっていた舞鶴の港によった。我々年代にとっては、シベリアからの引楊船の入港地として記憶に残っている。昭和20年10月7日に最初の引揚第「雲仙丸」が舞鶴に入港して以来、13年にわたり、66万人以上の引揚者と1万6千柱の遺骨を迎え入れた。a-maizuru01

記憶は定かではないが、ラジオ放送で引揚者の名前を延々と放送していた。いまなら簡単に検索できるが、いつだれが帰ってくるかなど、最初はまったくわからなかった。一人の名前も聞き逃すまいと、みなラジオ放送を真剣に聞いた。ラジオ情報は、当時聞き流すものではなく、命がけで聞いた。a-maizuru02 a-maizuru05「岸壁の母」という歌がある。「母は来ました。今日も来た。この岸壁に今日も来た・・・」ソ連からの引揚船がつくたびに、今回は帰ってくると息子を待っていた母の姿を歌ったもので、当時の人たちの心をゆすった。結局の母は息子の帰還を見ることはできなく、亡くなった。のちに息子は生きていることが分かった。a-maizuru04 a-maizuru03

西舞鶴駅で降り、東舞鶴まで歩いた。日差しが強く暑かったが、引揚船の苦労を思えばなんてことはない。造船所、自衛艦、赤レンガ倉庫をみて古い鉄道線路の遊歩道を通り東舞鶴へ。引揚記念公園があるが、歩いていくのは遠い。申し訳ないが本日はここまで。小浜へ行く鈍行列車に乗った。特急列車に乗る気分ではない。

植村直己冒険賞授賞式

yuka01

yuka03

 

yuka06本多有香さんが第20回目の植村冒険賞を受賞した。カナダ在住で犬ぞりレースに全生活をかけて暮らしていることが評価されたということだ。

豊岡市の会場には植村さんの出身校の子どもたちが歓迎してくれた。彼女らは大きくなってから植村さんお偉大さを知るようになるだろう。受賞者本人はもちろん栄誉なことだと思うだろう。しかしこの賞の意義はそれ以上にも地元の子どもたちへのアピールのほうが大きい気がする。市長さんも子供たちが植村さんを誇りにして大きく羽ばたいて欲しいと言っていた。

本多さんは大変シャイな人で、人前でしゃべるのは大変苦手。ということでいつものように江本さんが出てきて、講演の手助けをしてくれた。彼女の言葉を引き出すのに苦労をしたよ! とのことだったが、江本さん9:本多さん1 ぐらいの割合で話は進んだ。毎日29頭の犬と暮らすだけなので、人間語を使うのは、めったにない。こんな大勢を前に戸惑ったのだろう。

姫路城とお菊さん

himejijo02himejijo01himejijo03

 

本日は本多有香さんの植村直己冒険賞の授賞式に豊岡市まで行く。岡山を朝早く出たが、11時近くまで播但線の列車はないので、新装なった姫路城を外から見学した。

 

 

早いのでまだ中には入れなかったが、外から見るだけで十分の美しさ。市民ホール?の屋上にビヤガーデンがあるのだが、そこからの眺めが最高。朝早いので誰もおらず特等席だった。

himejijo04

 

順序が逆だが、姫路城の石垣は、熊本城とちがって、頑丈なようだ。まだしばらくは大丈夫かな??

 

okikujinja01

 

姫路は「播州」といった。そこに恐ろしい物語が語り継がれた。称して「播州皿屋敷」、あれ「番町皿屋敷」じゃないの? 本家はこちらなのです。お菊さんお神社があります。今回も十二所神社(お菊神社)にお参りしてきました。
 

岡山にいます。高嶋宮探し!

160610takashima03 古事記には天皇が日向から東征するとき、瀬戸内海を通って行ったと記されている。どこを通ったかの詳細な記述ないが、日向を出て宇佐神宮に行き、筑紫の岡田の宮に1年、安芸の多ケ理宮に7年、吉備の高嶋宮に8年滞在したと書かれている。宇佐と岡田宮は現在もあるが、安芸と吉備の宮はどこだかわからないままだった。明治になって急激に宮探しが始まり、高嶋宮は宮浦の前に浮かぶ高嶋であると文部省は決定した。

しかしこれは怪しいとの意見は多々あったが、まあ神話だから目くじらを立てることはないか!ということで、高嶋と名乗っているところはいくつかある。私は一応は見ておこう思って、地元にお住いの考古学者のITOさんと、友人のKITAGAWAさんにお願いして、案内してもらった。KITAGAWAさんはJRの高島と言う駅の近くにお住まいで、すぐに案内してもらった。

以下はその時の写真。家に戻って写真を見ながら、いろいろ考えて見たい。とりあえず、中区の高島宮、宮浦の高嶋にあるお宮、それに瀬戸内海の白砂青松です。160610takashima01160610takashima02

「志摩という国」が送られてきた!

6月1日のブログに書いたが、G7志摩サミットで公式お土産になったアーティストブック「志摩という国」が送られてきた。宮本常一さんの「志摩という国」の文章を中心にテザイナーがちぎり絵的手法でこしらえた本である。その本の中に、私も登場する。大昔、志摩の博物館を作る手伝いをしたが、その時に作った小冊子に書いた文章が英語にも訳されてのったのだ。これがオバマさんはじめ9人の参加者にも手渡されたという。大変な感激だ。

ふつうの本とは違うなぁ。順番に写真で示しておきます。値段は10,800円!サミットを行った志摩のホテルで売るそうです。aDSCN5049箱入りだaDSCN5051わが文章:英語訳ページaDSCN5055原文のページaDSCN5064aDSCN5066

ぎっくり腰!糺励根!

TA口さんの元気さをもらいたいものだと思っていた。日曜日は山梨のモモの袋かけ作業に行くつもりだったが、雨模様で中止になった。近くのスーパーに行ったら、先日おいしく飲んだベルギーの白いビールが置いてあった。缶なので味は違うかもしれないと思ったが、3缶買ってきた。ひまになったので昼間っからビール!

変な姿勢で飲んでいたせいか、突然腰がびりびりとして立ち上がれなくなった。なんなんかぶりのぎっくり腰だが、今回は半端でない痛さ。しかしぎっくり腰経験者なのでこの痛さはしばらくするれば治るはずだし、病院に行っても湿布薬と痛み止めをくれるだけとわかっていたのでおとなしくしていることにした。

湿布薬、ロキソニン、アリナミン、糾励根(きゅうれいこん)などあらゆる手立てを講じて休んでいたら、月曜日の昼頃から立ち上がれるようになった。それまでは痛いのと腰が伸びないのとで、トイレの椅子から立ち上がれなかった。今回一番効き目があったのはSEKI根さんおすすめの糺励根のおかげだ。その時々で効果は違うのかもしれない。今回相性が良かったのか、1日半でなんとか歩けるようになった。

教訓:昼間っからビールを飲んではいけない。仕事がなくなったといってダラけてはいけない。マッサージなどしてはいけない。糺励根の威力をもっと見直すべきだ。

がんこ亭で昼食会

160604ganko われらの親分!TA口さんをダシにして東新宿の「がんこ亭」で昼食会をした。本当は誕生会にしようと思ったのだが、「よけいなことをするな!」というお達しなので、まあ昼食会ということになった。「がんこ亭」という名前だが、ここは山野愛子邸のあとを和風のレストランにしたもので、お庭を見ながら個室で食事ができる。我々にとってはかなり豪華な昼食会だった。

我が家はここの所、運動不足だったので池袋から歩いて行ったが、奥さまは目白の珍しい靴屋で変テコな靴を買ったり、隣のレストラン入り口で「望星」の元編集長さんご一家に出会ったりしていたので、待ち合わせ時間ぎりぎりになった。主賓はちょっとお怒りになっていたが、おいしいお食事と、ごあいさつで機嫌を取り直してくださった。終了後、「スサノオ神社のお祭りに行ってやらなきゃ!」とすたすたと歩いて行った。年は秘密だが、あれぐらい元気でいたいものだ。

 

 

我が家のガーデニング

160601garden 160601yuri01 160601yuri2車を手放したのでガレージ、というほどのものではないけど空間ができた。塀がなかったので花壇を作って代用している。ガレージはコンクリートと枕木だったので、堀り返すことはせずプランターをたくさん並べている。

大量の土やプランターは近くのヴィバホームで買ってきた。この店は重たい荷物を運ぶのに軽トラックを無料で貸してくれる。車がなくなっても不便はない。

私にはガーデニングの才能はないので、土方作業だけで花木の選択はすべて奥さまの指示に従っている。それらは買ってきたものはなく、裏の狭い庭で育てたものばかり。

今はさつきとユリが日の目を見て満開。数年間実がつかなかったミカンも日当たりがいいので、今年こそは実をつけそうだ。

胃カメラ つばめ亭のハンバーグ

160602hanburg01 毎年6月には胃カメラの検査をしている。おかげで昨年は大事に至らず、無事に過ごすこそができた。昔とちがって軽く麻酔をするので知らない間に終了。終了後画像を見ながら説明されるので、納得がいく。バリウム検査よりもよほど楽で、なおかつ正確だ。医療技術の進歩がすごいものだ。

クリニックのある平和台へ行きは時間が正確な地下鉄だったが、帰りはバス。我が家の近くまでは一本で帰れる。半分ふらふらしているので階段の上り下りのないバスはらくだ。家にもどったらふらふらは解消。おなかがすいたので本日は池袋で外食。いまの胃カメラ検査は、その日のうちにふつうに食事しても大丈夫。ただしお酒は飲まないようにと言われたが、最近は飲んでいないので大丈夫。

東部デパートの上のレストラン街に「つばめ食堂」があった。国鉄時代の花形特急「つばめ」の食堂で出ていた?メニューが人気らしい。私たちも豪華ハンバーグを食べた。味も景色もよく、胃には異常がないとのことだったのでおいしく食べることができた。満足満足! 銀紙に包んでアツアツで出てくる。ポテト添え。

「志摩という国」 私もサミットに関係した!

本日は英語です。G7のサミットとは何の関係もないと思っていましたが、首脳への公式お土産品にアーティストブック「志摩という国」が選ばれ、無事に贈呈されたのだそうです。英文はその本の紹介なのですが、なんとなんと Tsuneichi Miyamoto と並んで、Kazuhiko Miwa とあるではないですか。書かれている通り36年前に志摩博物館のパンフレットに書いた文章が乗せられているようです。でも書いた本人はまったく覚えていないのですが、どんな本になったのか、送られてくるのが楽しみです。

Publishing an Artist Book “A Marine Province SHIMA”
A Project to Introduce the Deep Culture of Shima

Introduction

A small Japanese booklet, published 36 years ago, titled “A Marine Province SHIMA” written by Tsuneichi Miyamoto, a prominent folklorist made us to begin this project because the book conveys the genuine culture and the life style of Shima which have been inherited long time, together with its characteristic landscape written by Kazuhiko Miwa. We have edited to remake the book in Japanese and English adding an essay of young French sociologist and a classic Waka Poem from Man’yoshu, with a unique book design as a holding book to have completed this artist book. We are sure the artist book titled “A Marine Province SHIMA” is enough to introduce the deep culture and the beauty of Shima. Locating in the beautiful Ise-shima National Park, Shima is a place where many people from all over the world have enjoyed their visit and stay.

This year in May, Ise-Shima summit conference will be held. It is the best opportunity for us, the residents of Shima, to introduce our culture more widely and deeply to the world. An artist book is a book with a limited number of copies featuring a special design as an artistic work which has had a good reputation as a genre of the art in the Western culture.

We are delighted to publish this artist book so as to share the genuine heart of Shima with visitors and guests from all over the world.

Contents of the book: All scripts in Japanese and English with proper copy rights

  • 1.“Shima has been a Marine Province since Ancient Days”
    written by Tsuneichi Miyamoto
  • 2.“A Landscape Created by the Sea” written by Kazuhiko Miwa
  • 3.“Kani no Mori” in French, “Forest of Crabs”
    in English written by Bastien Tavner
  • 4.Man’yoshu Waka poem about Shima written by Yakamochi Otomo
  • 5.Photograph by Masanori Tomari
  • 6.Epilogue by Director of Shima History and Folklore Museum

アベノミクス失敗だというべきだ!

安倍総理はG7でリーマンショック級のリスクがあると言って各国の失笑を買ったが、それでも厚顔無恥にも消費税を上げるのを止めることにしたという。国会が明日終わるが、なにも議論しないまま、「消費税を上げないことにしようと思うのですが、いかがでしょうか?」ということで選挙をするのだそうだ。一昨年にも同じことを言って衆議院選挙を勝った。その時には2017年春には必ず消費税を上げて年金や福祉を充実する、と言った。二匹目のドジョウがいると思っているのだろうか。今回は18歳以下の若者に選挙権を与えた、最近の若者は保守化しているので、選挙は楽勝だと思っているのだろうが、若者はけっこうかしこいよ!

「年金や福祉は充実できませんが、それでもいいですか?」ということを争点としなければならないだろう。ウソをついちゃいけない。世界に対してもウソをちゃった。もう少し謙虚にならなければいけない。オバマさんは国内に反対勢力がありながら自分の信念で広島に来てくれた。安倍さんはそれを自分の手柄にして選挙利用している。恥を知れ! 実はこのシナリオを作った杉山という人は、明日外務次官に抜擢される。この人は高木パンツ大臣と同じような破廉恥な人というのは周知のこと、私でも知っているのだが、マスコミの人はどうして書かないのだろうか。

舛添さんを擁護する気はないが、週刊誌や一部テレビでは舛添さんの母が韓国人だということで非難を始めた。それってヘイトスピーチだよ。舛添さんのやっていることは悪いことだが、東京都や国を揺るがすような大事件ではない。都知事にしてはセコイとかミミッチイということだ。それに比べて、国民に向かって堂々とウソをついた安倍総理のほうが数百倍悪い。安倍さんにとっては舛添様様だろう。マスコミさん、追及するのは今でしょう! それでも18歳選挙権のおかげで、は安倍さんが勝つと予想されている。「若者よ! ジイサンたちのたわごとやマスコミに誘導されないで、自分の頭で自分たちの将来を考えなさいよ!」

広重 六十余州名所図会

160601Sixty_States_08_Shima六本木のサントリー美術館で広重ビビットと称して、六十余州名所図会を展示していると奥さまから聞き、鑑賞に出かけた。六本木なんて畏れ多いところに出かけるには、それなりの覚悟が必要。本日はかなり涼しかったので一応上着も来ていった。さすが教養の高そうな方々が集まっているようで、熱心に見ている。私は近寄れず、遠くから眺めるだけ。

いつも見ているコピーではなく本物は色が違って美しい。版画でよくもまあこんな色が出せるものかと感心する。もとはアメリカ人の収集家が持っていたものを大富豪の原安三郎が買い戻したようだ。明治の時期日本人は浮世絵の良さを理解していなかったのだろう。買い戻してくれてありがたい。 続きを読む