地学かわら版 その2

夏休み報告 2

植村さんは初日74㎞歩いたのがたたって翌日は、這って歩くような状態だったというが、私は親指の脇にマメができただけで快調そのもの。朝5時に「まるみ」を出発。しかし八雲から長万部までの30㎞の直線道路にはうんざり。並行する函館本線には北斗星やトワイライトエクスプレスなどJR自慢の豪華特急が、楽しそうな旅客の顔を乗せて追い越していく。その列車の姿が一直線の線路の先にいつまでたっても消えない。高石ともやさんの「長い道」が実感できる。単調な道だが時々大型トラックどうしが追い越しをするので、右側通行をしているのにすれすれのところを通過して恐怖を感じる。

10時20分に到着した長万部(おしゃまんべ)の町は寂しい感じだが、なんと「東京理科大学」があり、大勢の学生がいるという。基礎工学科の1年生はみなここで学ぶのだ。しかしなんで東京理科大学がここにあるのだろう。
国道5号線は長万部から内陸に入るが、私は札幌までの近道の230号線に入る。しかし洞爺まではトンネルだらけなので30㎞は列車に乗ることにした。トンネルは歩道があっても狭いし音もすごい。空気も悪いし、車にも迷惑になることは私も経験している。列車の中では「カニめし」(820円)を食べながらしばらく列車のゆれに身を任せた。

洞爺(11時)から洞爺湖までは昔の軌道跡を快適に上る。79年に大噴火をした有珠山がまだ異様な姿を見せていた。湖岸には快適なジョギングコースになっているが私の足は言うことを聞かない。てくてく歩いていると、サイクリングの連中が「お先に!」と言いながら追い越していく。「自転車は楽だなあ!」とうらやましく思う。でも「他人の庭はきれいに見える!」ということわざ通り、それぞれが勝手に羨ましがっているだけ。

洞爺湖岸を半分まわったところで昭和新山が見えてきた。この山は昭和19年、当時は麦畑であったが、その一部分が少しずつ隆起し、2年ほどで300mもの山になったのです。その様子を近くの郵便局長であった三松正夫さんが毎日記録したものは三松ダイヤグラムと呼ばれ、火山の成長を正確に記録した資料として世界で認められました。

三松さんの方法は自分の顎を固定台に乗せて目の前に数本の釣り用のテグスを張ってグラフ用紙のようにして成長の様子を記録していったのです。時期は昭和19年から20年、戦争のさなかで新聞もラジオもこれだけの大事件のことは報道しませんでした。戦後何年かたってやって昭和新山のこと、三松さんのことが世界に知られたのです。三松さんは昭和新山をわが子のように思い、その土地を買い取ってほかの人に荒らされないようにしたとのことです。したがって今もその地域に入ったり登ったりすることはできません。

湖畔道路を走り2時半、松浦武四郎展望台の上にあがる。大原小学校がある。教え子の田中雄次郎君が日本縦断徒歩旅行(注:1979年)の時に泊ったことがあると後で聞いた。
5時半、ルスツ高原のLilla Huset というペンションに泊まる(6000円)。ルスツはスキー場、童謡「赤い靴」の歌の発祥地!本日の走行距離は70㎞。 今日も植村直己に勝った!

地学かわら版 その3

夏休み報告 3

 ルスツ高原は何もないところだったが4、5年前に突然ディズニーランドみたいな遊園地とスキー場と巨大なホテルができ、地元だけでなく本州からも多くの人が来るようになったとのこと。もう8月も末でこの地では学校も始めっているので人影はまばらだった。スペースマウンテンに2人が乗って「キャー」と叫んでいるがなんとなく白々しい。遊園地ってのは混雑していないと寂しさが募るものです。
「おもしろて やがてさびしき 遊園地かな」字余り。

 またも夜半から雨、朝5時の出発予定はずるずる伸びて、出発は7時。今日は最大難所の中山峠越えがある。山はもっとひどい雨に違いない。そう思うと気分が滅入る。ルスツ高原から喜茂別に降りる。ここには昔国鉄の胆振戦が通っていた。線路は残っているが、何となく寂しい気分。

 喜茂別から登りにかかる。と言っても20㎞近く緩やかな登りなので走るのはそれほど苦ではない。それよりも雨と風を何とかしてほしい。北海道の夏だが寒くて仕方がない。途中の店に入ってあんパンを食べ温かい牛乳を飲んで朝食にする。
 3日目だが、難所があり気象も悪いので緊張感が増して疲れは感じない。中山峠は標高800m、喜茂別は200mだから600mを3時間かけて登るし、適度のカーブ、湧き水があるので気分は悪くない。

 途中で自転車ヤロウに抜かれるが、だいぶ疲れているようで「ガンバレヨー!」と言っても返事もなし。15㎞ほどは人家も何もない。休む口実もないので2㎞走っては3㎞の歩きを繰り返しているうちに突然中山峠に出た。最後の急坂で先ほどの自転車ヤロウを追い越した。急坂は走りの方が速い。峠にはドライブインがあり観光バスがあふれている。ベンチに座ってジュースを飲んでいると自転車ヤロウが上ってきたが、私を見るとプイと避けていった。ムリもない。機械力が人力に負けたのだから。

 私のほかに人力の旅行者がいた。彼は東京の学生で函館から歩き始め今日で5日目だという。私の2倍ぐらいの荷物を持っているので大変だったろう。つい「私は函館から3日目だ」というとさっきの自転車ヤロウ同様にいやな顔をする。2人を刺激してもいけないので、早々に札幌側に下り始めた。こちら側は緩やかな下りで、「下り坂サイコー!」と叫びながら行く。しかし途中に1.5㎞の長さの定山渓トンネルがあった。排気ガスがすごく、轟音が聞こえてくる。恐ろしい。

 中山峠から2時間ほどで定山渓温泉についた。500円で温泉につかる。急に体中から疲れが噴出した。この先のことを考えると気力体力とも失せた。恐ろしいトンネルはもう通りたくない。定山渓は札幌の奥座敷でバスが何本も通っていると思うと、ここで今回の走り旅は終了ということにした。ルスツから中山峠まで27㎞、峠から定山渓温泉まで20㎞、これだけ走れば十分。札幌まで25㎞を残してバスに乗った。

 市内だがかなりの山の中の盤渓に住む友人宅に泊めてもらった。この友人は高校生のころ超能力に目覚め、よくUFOに出会ったそうだ。今回通った八雲や喜茂別はその筋の人たちの聖地で、多くのUFO目撃がなされている。東京からUFO本場の北海道に移って10年。最近は安定した家庭を営んでおり、普通の生活者になったらUFOと出会わないようになったという。
 今回の走り旅は定山渓でほぼ210㎞走った。札幌に2日ほど泊って、ここから再び青春18切符で北海道の北端、稚内を目指すことにした。

待乳山にリフトがあった!

11月28日にぶらりバークラブの散策会を行う予定だったが、コロナの感染者、重症者が増えてきたので中止にした。しかし私は行く予定の牛島神社にある「狛丑」(これは私の造語)を来年丑年の年賀状に使う予定だったので、浅草駅から歩いて牛島神社に行ってきた。下の写真の橋は鉄道橋だと思っていたら、その脇に歩道がついていた。橋の上からうんこビルと浅草付近の景色はなかなかだ。

牛島神社の正面の鳥居はなかなかいいでしょ。三つ鳥居あるいは三輪鳥居といいます。奈良の大神(おおみわ)神社(三輪明神)にあるとりいなのでそう呼ばれています。ここには狛犬が4対と狛丑が一対、単独の牛が2頭います。皆さんがなでるので「撫で牛」は磨かれて光っています。                     狛丑の写真を撮ったあと三囲(みめぐり)神社に行く。先日檻の中に入っていたないっていた陶器製の狛犬の写真を撮ることができた。ちょうどNHKの「魂の焚火」という番組の収録準備で大勢のカメラが並んでおり、私も仲間のような顔をして中に入ることができた。それにしても一つの番組のためにあんなにたくさんのカメラが必要なのだ。NHKだからできることなのだろうな。いつ放送するのか聞くの忘れた。この狛犬隣の狛犬に近づこうとしている感じか愛らしい 境内にある「三角鳥居」本日は珍しい鳥居を二つ見た。その後桜餅を食べて桜橋を渡って待乳山聖天に行く。巾着と交差大根がシンボル。ちょっと驚いたが、高台にあるので登山用モノレールがあったので乗せてもらった。高低差5メートルほどかな?

COVID-19 感染者2000人越え

11月19日、東京都の感染者は500人を超えた。全国では2千人を超えている。政府はまだGoToトラベルキャンペーンを続けるつもりのようだ。下のグラフはアメリカの感染者数(上)と東京都の感染者数(下)だ。桁は各段に違うが、東京に先駆けること1か月前に感染の波のピークが来ているように見える。

私は11月28日㈯にぶらりバークラブ(狛犬楽会)の散歩で、来年の干支、狛牛見学をするつもりで準備してきた。すでに参加を表明してくれた方々もいるが、このグラフ感染拡大を見て、直ちに「中止」を決めてブログで告知した。何人か方々から「当然」という返信をいただいている。「もし決行しても行かないよ!」という人もいる。こんなにも明白な関連があるのに政府はGoToをやるかやらないかなどなにも決められない状況だ。政府と自治体長が責任を押し付けている間にどんどん感染が広がっていく。アホとしか言いようがない。

  12月になってもたぶん減少することはないだろうから、年内は狛犬楽会の探索会は再開しないことにしました。来年になれば少しは減るだろうと期待しているが、「それは神のみぞ知る」である。私がそういうのは良いが、政府がそんなこと言っちゃまずい。このグラフを見てもかなり信頼のおける予測はできているはずである。しかしそれを言ったら「オリンピック中止」など政府のダメージが大きくなるのでいまは黙っているのだろう。しかしそんなことで人々が危険にさらされるのは大変迷惑だ。来年の干支の狛牛がいるのでぜひみんなで行きたいのだが、残念なことだ。もし可能なら個人で三密を避けて行って欲しい場所です。以下が狛牛!

向島百花園

家からバスを乗り継いで向島の百花園にいく。帰りは三ノ輪橋から都電で西巣鴨まで。三田線で板橋区役所へもどる。私は王子で降りて石神井川を板橋経由で我が家まで。家に着いたのはほぼ同じ。いずれも本日交通費なしの散歩だった。 隅田川を渡って向島へ行くと空は晴れて秋の雲。暦の上ではもう冬だが温かい秋の空。菊の花展をやっていたが、その写真は最初の一枚だけ。

園内からは東京スカイツリーがまじかに見える。紅葉の下の池に写ったツリーを写真に撮りたかったが、なかなかうまくいかない。下の写真。わかるかな?
さらにいろいろな花! 上の写真:もやもやとしたのは「仙人草」の花!

上の写真は「十月さくら」先日の大山ケーブルカー乗り場にも咲いていました。さらに墨堤の桜餅やの前の小さな公園にも咲いていました。十月桜がこんなに目立つようになったのは最近のような気がしますが、どうなんだろう。昔は私が気がつかなかっただけなのだろうか。

本日は11月7日㈯、アメリカ大統領選挙は4日前に終わっているのに、まだ開票作業中だという。ほぼ決っているのだが、トランプ大統領が悪あがきしているので、決定はまだ先になりそうだ。世界のリーダーの国がこの体たらく。見習えないよな。写真はおまけ!

 

来年は丑年、牛島神社の狛牛

今年は子年(ねどし)だった。年賀状に「狛ねずみ」を入れた。来年も干支の狛犬を入れるべく、狛牛を探していた。牛の神社は天神さんだ。文京区にある牛神社に行ったが、そこには1頭の牛が寝そべっているだけで、社殿の両側に相対しているわけではない。もしかすると隅田川沿いの牛島神社には狛牛がいるのではないかと隅田川沿いを歩いて行ってみた。この神社の鳥居は三連の「三輪鳥居」であることは知っていたが、昨年新しく作り直したそうだ。東京で「三輪鳥居」が見えるのはこの神社だけかな。狛犬もなかなか良かった。境内には獅子山の上の狛犬など3対の狛犬がいた。


狛犬と同じように牛が左右に一対いることなど予想はしていなかったが、ちょっと奥の方に「狛牛」がいた。かなり驚き、感動した。昨年は「狛ネズミ」を探しに京都まで行ったが、今年は遠くまで行かなくてもオーケーだ。よかった。
隅田川の堤、墨堤通りから、見番通りを通って長命寺の「桜もち」に行ってみたら月曜日お休み。三囲神社にある三越のライオンを見て白髭橋まで歩いてバスを乗り継いて戻る。交通費はなし。

おまけに三囲神社の中の顕名(あきな)霊社の檻の中に入っている陶器?の狛犬。

錦秋、錦繍

紅葉が錦(にしき)の織物のように美しい秋。なので錦秋という。
いつのころからか知らないが錦繍を錦秋と書くようになった。群馬のKOBAYASHIさんから谷川岳のロープウェーが再開とNHKでやっていましたよ。との連絡を受けた。この日は全国的に快晴。しかし谷川岳の上だけに曇りマークがついていた。水上(いまはひらがなで書く)から土合に向かうことから曇天になってきたが、ロープウェーに乗るとほんのちょっとだけ太陽が顔を出した。

終点の天神平から1時間ほど登ってみた。上から降りてくる人は「みぞれだよ」と言う。もう上の方には紅葉はない。適当なところで元に戻る。目の下に虹が見えていた。写真には写らないと思っていたが、かすかに映っていた。 天神平から下り、宝台樹の「角彌」という有名なお蕎麦屋さんに連れて行ってもらった。おいしすぎていつもの倍は食べた。そこから奈良俣ダム、照葉峡と回る。昔は私も家族を連れてドライブ、ハイキングでこの辺りを歩いたが、いまは若い人に連れてきてもらうのみ。

若い人と言ったが、彼ももう60代も後半。これまで黒塗りの社長車だったが、今回から身の丈に合った車になりましたとのこと。下写真の左の方にちょっとだけ写っている。私にはこの方が乗り心地がいい。おかげさまでコロナ禍の今年もいい錦繍を堪能することができました。ありがとうございました。

津軽国一宮 岩木山神社

大和一宮の大神(おおみわ)神社(三輪明神)から始めて全国の一宮をめぐってきました。昨年の時点で103か所ある一宮をほぼ全部を回っていたのですが、明治になって新しくできた国の「新一宮」が6か所あるので、それも回っておこうと思い立ちました。

陸中、岩代、秩父の一宮は回ったのですが、あと北海道、琉球、津軽が残っていました。北海道と琉球は一宮巡りの前に回ったのですが、意識をしていなかったので狛犬写真がありません。もういちど巡って写真を撮ってきてからホームページにアップしようと思います。

今回最後の津軽国一宮をめぐり、岩木山(1625m)にも登ってきました。ホームページにアップしたレポートを、お暇なら見てください。下の青い文字をクリックする。

津軽国一宮 岩木山神社

東海道 狛犬めぐり

蒲田で人に会う用事があった。三密をさけて3分で用件を済ませて東海道を品川へ向かて歩き始めた。振り返ると羽田に向かう京浜急行線の線路は高架になっている。むかし箱根駅伝の選手はしばしば踏切で待たされたこともあった。それはそれでおもしろかったのだが、今は分秒を争うゲームになっており、楽しい時代の箱根駅伝ではなくなっている。そんなことを思いだし、しばらくは広い京浜第一国道を歩く。

今は「大森」であるが「王森」と書くこともあるようだ。第一京浜にそって旧東海道が品川宿まで続いている。旧東海道にはお寺や神社がいくつもある。鈴ヶ森刑場で旧街道に名入り、狛犬を見学しながら歩くことにした。

鮫洲は自動車免許証で有名な場所。昔から街道の名所で神社寺も多い。

鮫洲八幡様に寄ってみる。入り口から3対の狛犬がいる。真ん中の狛犬(下の写真左二つ)は前の天祖諏訪神社と似た江戸流れの様式。化粧直しをしているが江戸時代のもの。奥の狛犬(下右二つ)は白っぽい花崗岩質の現代風の狛犬。

ここには富士塚らしいものもある。私の江戸60の富士塚リストには入れていない。これは入れた方がよさそうだが、富士講の石碑がちょっと少ないので躊躇する。

品川宿に入ると品川寺(ほんせんじ)、ここには大仏さんがあった。目黒川を渡ると荏原神社があった。海辺に近い神社だけあって恵比須様が鳥居下におられる。ここの狛犬も前の二つと同じ黒っぽい江戸風のもの。両狛犬とも二頭づつ子どもをもっている。雄雌とも子育てにかかわっていたのだ。実際には産めよ増やせよの地合い背景があったのだが。

品川宿に行ったら、街道文庫に行かなければならない。なにせここには我がジャーニーランの師匠のTA中義己さんの店。街道に関しては日本で一番の蔵書をもつがなにせ狭い店なのでお客はほとんどない。コロナの影響で街道歩きもできないというので書庫の奥の狭いスペースからほとんど出ないそうだ。早くコロナから脱出したいがまだ難しそうだ。どなたかこの蔵書を引き受けてくれないかと、私は思うのだが。本日の歩行時間3時間半、歩数は32687歩。今月も過剰歩行の感じあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京オリンピック遺跡散策!

NHKで2020東京オリンピックの選手村がゴーストタウンになっているという言っていた。私も常々選手村、豊洲市場などどうなっているの気になっていた。先日築地本願寺から霊岸島に行った時に、ついでに寄ってこようと思っていたが、雨が降っていたので止めた。

本日はいい天気、本来は赤城山でキャンプをしているはずだったが、処々の事情でキャンセルしたのでヒマになった。我が家からママチャリで出かけた。あとで見ると45キロ、4時間半の小旅行。ヤマップというアプリを使うと走ったコースがちゃんと出ている。板橋駅、巣鴨のお地蔵さんはジジババだらけで迂回して染井墓地経由で本郷、上野に出る。昭和通りをずっと進んで歌舞伎座脇から築地へ。朝日新聞社の前から築地大橋に出る。

オリンピック用に作られた隅田川最下流の橋だが、築地市場の移転が遅れたので取り付け道路ができなかい中途半端な道路だった。築地が移転してやっと半分だけ通行できるようになった。もし今夏にオリンピックがあったら大渋滞になるところだった。「築地大橋」は舛添要一の墨蹟だ。橋から勝鬨橋を見る。なかなかいい眺め。

橋を渡ると高層ビルが林立しているのが見える。一段と立派なのは都の清掃作業所。まるでどこかのホテルみたいだ。その周辺のオリンピック選手村のビルは完成しているが警備員が立っていて立ち入り禁止。このままさらに一年放置されるというのはもったいない。といって誰かを住まわせるわけにはいかない。オリンピックができてもたぶんリモートになるだろう。選手は地元国で走ったり泳いだりして同時中継をすればいい。サッカーや野球などのゲームは中止などいろいろな方法が考えられるが、オリンピック村に選手が集うということはほぼないだろうから、分譲で買った人たちにもう住んでもらったら! もし選手団が来てもどうせ外交人観客は入国はできないのでホテルはたくさん余っているから、そちらに泊てもらえばいい。

写真を撮った場所は晴海ふ頭、この一角がオリンピックの選手村になる。外国に来た感じだが、今はだれも住んでいない。右写真の奥に見える豊洲大橋を渡ると豊洲市場。すばらしく大きくきれいな市場だ。これまでの築地市場のぼろっちい建物から見ると天と地の違いだ。小池都知事はなんで移転の延期をしたのだろう。ここからさらに進むと有明けテニスの森、モノレールの駅がある。さらに進むと高速道路に突き当たるので左(東)に進んで東雲の高層マンション群に進む。こちらは人々が住んでおり町ができている。同じ建物群があっても人の気配がないと気味悪い。

東雲、豊洲の新しい市街を見て三目通りを進むと富岡八幡宮の近くに出た。久しぶりに不細工狛犬と伊能忠敬さんに出会った。さらに住むむと清澄庭園脇の江戸史料館にでた。道路わきにこんな人物が!「なにしてるの?」と声を掛けそうになった。史料館の隣に「霊巖寺」があった。先週行った「霊岸島」の名前になった寺だ。ここに移転してんだ。霊巖寺前に出世不動尊があった。サラリーマン風の人が熱心に願っているのでなかなか写真が撮れなかった。私は出世には関係ないので写真を撮っただけでお賽銭も入れなかった。

舞囃子「高砂」再録

先日動画を入れましたが、容量が大きくて見ることができないと聞きました。今回は写真を入れます。

事前に申合せ(練習)もありました。

先生からご指導を頂きました。本番では間違いもなく、うまく舞えたそうです。

次は傘寿の記念と思いますが、そこまで体がもつか、思案のしどころです。

Physical Distancing

新宿御苑に行って来た。新型コロナが再び拡大しそうな状況だが、ソーシャルデイスタンスを保ち、マスクをすればほぼ感染することはない。それは多くの専門家の言うところだ。新宿駅周辺の混雑を避け、バスで新宿高校脇に行く。昔新宿高校は御苑と塀を隔てたt頃にあったが今は新しい道をが校庭を突っ切っている。もともと狭かった校庭はないに等しくなっている。もう少し若者の居場所を整備してやらなければいけないだろうに。などと思いながら250円払って入場。
パンフレットには Physicals Distancing と書いてあった。Social Distance よりもこちらの方が普通の言い方のようだ。

入るとすぐに満開の十月桜に迎えられた。その後温室に入る。今はちょうどしょうがの花が咲いている。しょうがにこんな花が咲くのだ。入り口にあったダリアに蝶々がとまっている。写っているかな。中に食虫植物のウツボカズラがあった。

温室の中ではオオオニバスが今盛り。多くのカメラマンがそばに寄っている。我らはちょっと離れたところからとってみた。なかなかすばらしい。

花には大勢のカメラマンが集まっているので、私は珍しい葉っぱの写真を撮った。今回はスマホを使って撮ってみた。これまでうまく撮れなかったのは手振れを防げなかったからだ。杖兼用一脚を使ってみたら案外うまく撮れていた。
バラ園脇のベンチで距離をとってあんパンを食べてから外に出て、渋谷川の源流になる小川の脇にある多武峰神社に行く。ここにはなかなか面白い狛犬がいる。なんとなく笑っているような微妙な顔をしている。


新宿御苑の芝生には大勢の人がいるが、みな Physical Distancing をとっている。これなら感染は広がらないだろうがすぐ近くの繁華街では密の場所でマスクをしないで騒いでいるという。こりゃまずい。どうすればいいのかわからないが、とりあえずは自分はかからないように自衛するしかない。でも引きこもっていてははじまらない。

喜寿の記念 舞囃子「高砂」

アベにも負けず
コロナ風にも負けず
夏の暑さにも、寄る年波にも負けず
舞囃子「高砂」の稽古に励んできた。

9月21日、三密を避けて渋谷の
セルリアンホテルの能楽堂で
喜寿記念の「高砂」を舞うことができた。

我が奥さん倫子さんの喜寿の舞姿
この日のために買ったカメラで撮影した。
しかし残念なことに色バランスが悪くて
こんな感じになってしまった。

楕円の哲学:菅政権への期待

先日FBで安倍総理が辞任したことが安倍政権最大の功績と書いた。その後菅内閣が誕生した。麻生さんは「かん」総理と言っている。マスコミは間違えたというがたぶんわざとだろう。しかしそんな意地悪ジイサンを再任させたというのは断末魔の「アベノミクス」の責任をとれという菅さんの意地だろう。第5次安倍内閣と揶揄する向きもあるが、菅総理は安倍元総理よりも遥かに優れていると私はみている。支持率60%以上もあるというのはダメ安倍を脱却して、まともな政治にしてくれるだろうという期待だろう。

組閣わずか2日で安倍政権というか日本の最大の弱点だったデジタル化を一挙に進めようという意欲がよく見える。新型コロナで表面化した弱点、例えばPCR検査は手書きFAX送信、在宅勤務なのにハンコ行政、10万給付は手作業、マスク調達に何百億円などなど。韓国、台湾などでもIT大臣が迅速に作業をこなしているのを菅さんは指をくわえて見ていたのだろう。日本のIT大臣はハンコ連盟の会長のジイサンだった。作業が進むわけはない。ここ一点を突破してデジタル先進国の仲間入りをしようというのだろう。いつまでも桜、モリカケなんかに構っていられるか、ということだろう。

私もモリカケ、桜はもう司法の手にゆだねた方がいいと思う。国会での優先論議は安定社会の構築にあるだろう。誰がやっても難しいが、少なくとも安倍総理の失敗を見ているので菅総理の方がうまくやるだろうことは期待できそうだ。デジタル化の第一はマイナンバーだという。国民皆にナンバーをふって住民票、銀行口座、税金データを紐付けておけば10万円給付など即日にできる。位置情報は逐一わかるから夜の街で飲食していることもすぐわかる。災害時にはすぐに救助に向かえる。何よりもこれがあれば税金逃れができない。ローン破綻しそうな人には警告もできる。

マイナンバーで国民を管理すればコロナ禍でも迅速に隔離、治療ができ社会的な不安を除くことができる。怪しい人はみな隔離してしまえば犯罪はほとんど起きない。みんなが協力して全員がマイナンバー登録すれば理想的な社会になる。菅政府はこれを目指しているのだろう。ヨーロッパの国はほとんどこのシステムができている。もっとも徹底的にやられているのは中国だろう。あれだけとんでもないパンデミックを発生させた武漢はもう平常に戻っている。あの国のことだからまだ隠蔽があるだろうが、対応が速く徹底的であったことは確かだ。

2年前に上海に数回に渡って旅行をした。まったくもって現金決済のない社会だった。何をやるのもスマホ操作で済んだ。スマホが使えない人はどうするのか質問したら、そんな人はいないとのこと。町に年寄りはいなかった。スマホの使えない老人は田舎に放り出されるらしい。スマホがなければ家から出ることはできない。町で同じような年齢の人がいないので、私は電車やバスではいつも席を譲られた。町中には路上生活者もいなかった。田舎に行った時に物乞いがいたが、彼らもQRコードを持っていた。日本に帰ってからコロナ禍の上海にいる知人が知らせてくれた。「あなたが昨日乗った地下鉄にコロナの陽性者がいたので、今日から会社には行かず2週間自宅待機するように」という警告がスマホに送られれきたそうだ。翌日から家にいないと再び警告が来るという。全員の位置情報が把握されているので、謹慎しているかわかっているのだ。スマホなしで出かけたら、電車にも乗れない、お店で買い物にもいけないから、言いつけを守るしかない。現地の人たちは「中国は世界で一番安全な街だよ」という。現地に住む日本人も「政府に反対さえしなければ世界で一番自由で安全な場所です」という。

菅さんだけじゃなく、政治家は自分の命令は国家のために良かれと思ってやっていると思っている。自分の言うことを聞かない人は不利になるが言うことを聞く人は施しがいくらでも得られるよ!安倍総理は中途半端なまま国家の私物化をしたのでいろいろぼろが出て嘘つきになったが、菅さんはそれをよく見ていた。デジタル化を一気に進めて政府が一元的に国民を管理できるようにする。そうすれば政府は国民の顔いろをうかわなくても計画的に政策を勧めることができる。国民は健康不安や犯罪不安も消え、税金の不公平感もなくなる。これで国民も政府もウィンウィンの生活になる。すばらしいじゃないか。???

日本中に監視カメラがあり車にはドライブレコーダーがついているので犯罪者はなかなか逃れることができない。昔は多くの人がプライバシーの侵害と批判的だったが、今はみなありがたがる。マイナンバーも今は反対者が多いがコロナ禍で一気に保持率が上がるだろう。私も外国資本のLINEやFB、ペイペイなどよりも日本政府の方を信用したい。しかしみんながウィンウィンになるというのは、「いつもニコニコ現金払い!」で生きてきた人間としては信用できない。私はスマホを持っており大いに活用はしているが、お金の支払いはプリペイドの Suica だけだ。

先日免許証の書き換えの前に行う高齢者認知試験をうけてショックをうけた。76点以上が合格なのだが自信を持っていた私は78点で本当にすれすれで合格。これじゃもう運転はできないとあきらめたところだ。我々年寄りはスマホ決済では騙されること必定である。私はマイナンバーが法律で必要になっても、しばらくは様子を見ることにする。その間に命も消滅するので、結局はマイナンバーの恩恵は受けることはないだろうが。

社会は徹底すればいいというものではない。中国のようになったら、小さな自由と安全は得ることができるかもしれない。しかし自分の分身(プライバシー)を人質に取られた中での自由というのはいったいなんだ。それは不自由、また分身がいつ抹殺されるかもしれない恐怖、それは安全とは言えない。私の思いは、高速道路のETC方式だ。あれだけ旗振りをしたが、いまだにETCカードを持っていない人たちがいる。全員ETCにすれば効率はいいが、まあ何%かはそのシステムに入らない。徹底しないのは政府にとっては不都合だろうが、我々にとっては好都合。

社会というの一か八かではなく、適度なところで均衡を保つということが必要なのだろう。最近亡くなったKさんが「楕円の哲学」という文章を書いてくれた。中心が一つの円周は1つしかない。楕円は中心F(焦点)が二つあるので円周はいくつも描ける。その楕円の焦点F点と円周の点Pをバランスよく動かすのが政治である、と言う。まさに菅さんに知らせたい言葉だった。

 

狛犬楽会再開:すすき梅雨

最近天気予報のお姉さんがしばしば「すすき梅雨」という言葉を使っている。夏から秋の涼しい空気に変わるときに前線面に沿って雲が湧き雨が降ることが多い。この時期の雨は昔「秋霖」(しゅうりん)あるいは「秋雨前線」という言葉を使っていた。「すすき梅雨」という言葉は昔からあったのか? 広辞苑で調べて見たらちゃんとあった。私が知らなかっただけなのだろうが、昔のテレビの天気予報で聞いた記憶はない。いつのころから天気予報は「すすき梅雨」になったのか、どなたか教えて欲しい。
実は1986年から数年間私はさる会社のPR誌に「水の惑星地球」という連載をしていた。古川タクさんがすばらしいイラストを描いて下さった。40年も前のことでまだボケてはいなかった頃だから、雨という言葉を国会図書館などに行って徹底的に調べたはずだ。しかしこの連載の中には「すすき梅雨」は入っていない。その時の私の調査は足りなかったのか、あるいはこの40年の間に出てきた言葉なのか? 悔しいのでいま懸命に調べているが、ぼけてきて調査能力が下がってしまった。どなたか、教えてください。

記事(1986年)
さて、我が雨民族は前述の例のように、季節を特に重要視する俳句という詩の形式を発展させました。雨に関しても四季を通じてさまざまな言いまわしをしてきました。
春は春雨、春時雨、菜種梅雨、春霖、梅若の雨
夏は筍梅雨、梅雨、梅霖、五月雨、夕立、虎が雨
秋は秋雨、秋霖、洗車雨、秋時雨
冬は時雨(小夜時雨、村時雨、月時雨) この中にすすき梅雨はない!

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ところで、半年間休んでいた「狛犬楽会」今月から再開します。以下のように始めますが、もう最初からミスです。9月27日ではなく9月26日(土)です。詳細はhttp://kazmiwa.sblo.jp/archives/20200910-1.html にあります。