今年のボタン 西新井大師

昨日は落合の薬王院に行った。本日、奥様はお友達と西新井大師へ。
今やボタンの真っ盛り。すばらしい写真が撮れた(スマホ)
本日のボタンの写真はすべて奥さん。奥さんの方がうまいな。

私は珍しく旅文研の研究会に参加。最近は半ボケなのでしっかり聞いたつもりでも 理解が進まない。困ったもんだ。

今年のボタン

例年落合の薬王院に行く!ボタンの名所だから。といあえず写真!
22日に奥さんが西新井大師に行って写真を撮ってきた。
薬王院では黄色いのが撮れなかったので、借用し追加した。

上海に行ってました!

長いことブログを更新しなかったので、皆さんにご心配をかけました。すみません。しかしこれは私のせいではなく、中国政府が通信をブロックしているからです。といいわけをしておきます。

中国に行った人は、FacebookやGmail、Lineはまったく通じないことを実感されたことでしょう。通じるのはWeChat と呼ばれるLineと同じ通信方法です。値段は高いけど電話は普通にかけることはできます。

現地にいる人やビジネスマンはどうするのか?? これにはちゃんと抜け穴はあるようです。現地の友人はFacebookをやっているので、私は日本からFacebookで連絡していました。しかし現地に行ってみて通jないことがわかり、連絡方法がなくなりました。ということで直接お宅に行ってみて会うことができました。

というようなことで、15日の夕方戻ってきましたので、これから前にさかのぼってブログを書いていきます。ご心配をかけて申し訳ありませんでした。

揚子江は巨大!黄浦江に入る

荒れた海をぬけると水の色が変わる。と言われたが寝ていたのでよくわからなかった。帰りのヒコーキの上から見ることができた。確かに泥色はすごい。こんなに泥を流すと陸地は消えちゃうんではないかとおもうが中国は広いし山は高い。心配しなくてもよさそうだ。揚子江に入ると船足は遅くなる。浅いのと船が多いことが原因だ。揚子江河口から上海までは6時間かかる。川岸は発電所、工業地帯が並ぶ。びっしりと貨物船が荷受けをしている。こりゃ神戸港がいくつあってもかなわないや。

小さな灯台を右手に見て、黄浦江に入っていく。大きな船がこすりそうになって近づく。遠くに見えていた栓抜きビルが右に左に移る。黄浦江は大いに蛇行している証拠だ。近くに海警の船がいる。軍艦も停まっている。写真を撮ると怒られそうな距離なので、カメラを隠す。

上海の街を海からゆっくりと見物するのはなかなかいい。いつも見ていた景色とはちょっと違う。超々高層ビルがあるが、その一つは森ビルだそうだ。昨年も同じ時期に来た。今年も桜(八重桜)が迎えてくれた。上陸後は遠くから見えていた栓抜きビルの87階でランチ。50階建てのビルがはるかに下に見える。それでもまだ高いビルがあって見上げている。

 

玄界灘は波高し!写真も撮れない!

予想通り玄界灘に出ると風雨が強まった。夜が明けたころに目の前に島が見える。GPSの地図を見ると済州島だ。北西の風のため、高い山がある済州島を風よけにしているらしい。部屋から出ると吹き飛ばされそう。とても外に出る気にはならない。昼食には10人ぐらいしか出てこない。皆部屋で横になって我慢をしているようだ。

この船の乗客が少なくても貨物で採算が取れるそうだ。その中で特徴的なのは競走馬を運んでいることだ。日本人は4人しか載っていなかったが、その一人シイナさんは競走馬を運ぶ業を長年やってるという。美浦から4頭の競走馬を専用コンテナにいれて運んでいる。そんなことができる船はこの新鑑真号だけなのだそうだ。馬も酔うのでつきっきりでえさや水を与えている。もう一人の係員の中国人はベッドにもぐりこんだまま。日本人はよく働く!

もう一人の日本人は近江八幡出身の方。小さな子を含めた中国家族と一緒だ。日本の家は処分し、会社をたたんで中国に移住するために家財道具一式を積んでいるのだそうだ。中国のどこですか? と聞くと奥さんのふるさと雲南省の保山というところ。ミャンマーの国境に近い場所だ。一番近い街が大理で、そこまで200㎞あるという。日本の先行きは危ない。家族でのんびりとド田舎町で暮らすのだそうだ。ちなみに一番近い大理には日本人が四人住んでいるが、保山に住む日本人はまだいないとのこと。「なぜこんなところに日本人が?」の番組が目をつけそうだ。この後は橋の写真を8枚。これらの橋の上を何回も行き来した。瀬戸大橋は四国遍路のたびに通ったので生き返りで10回近くは通ったろう。しまなみ海道も海宝さんのマラソンで10回走った。しかし下から見るのは初めてだった。すごい大きさだ。よくこんなものを作った。これからはメンテナンスに時間もお金もかかるだろう。

神戸から船に乗って揚子江へ

現在日本と中国の間には「新鑑真号」というフェリーが定期運航をしている。ネットで調べていると早割で一人4万円のところ2万8千円で行くことができると書いてあった。3月の6日のことだった。9日までにお金を振り込めばOKということだったので急いで5万6千円を振り込んだ。 翌日電話があって、受け付けました。とのこと。こまごまと出発場所、持ち物など教えてくれる。1万5千トンだから乗客は相当いるだろうに、皆にこんなに親切なのかといぶかった。予想通りで始発の新幹線で新神戸に行き、ポートライナーで上海行の埠頭についたが誰もいない。 目の前には巨大な世界一周の豪華客船が停泊し、大勢の乗客が入国手続きをしている。私たちはそれが終わってからとのこと。11時の出航時間近くなってやっと30人ほどになった。「こんなに客が少ないのか?」と話していたら、その方はフェリー会社の社長さんだった。「乗船いただきありがとうございます」とお礼を言われた。社長自らが送迎に出ているなんていい会社だな。 神戸を出港するとすぐに淡路島との間にかかる明石大橋をくぐる。本州と四国の間には三本の連絡橋がある。全部の写真を撮ろうと思ったが、瀬戸内海にいる間の船足は鈍い。見ていればいかに狭い海峡であるかわかる。一緒に乗り合わせた神戸在住の中国人と話をすると、揚子江は瀬戸内海よりも幅は広いという。そんな!と思ったが瀬戸内が狭いことは橋の下を通過してよくわかった。揚子江には橋は架けられないとのこと。 瀬戸大橋、しまなみ海道の来島大橋の下を通過するころには夕闇が迫ってきた。関門海峡は深夜零時過ぎだった。奥さんは起こしてくれと言っていたが、波が高く船が揺れてきたので外には出てこなかった。関門海峡を通過すると玄界灘。結構荒れるんですよと! 中国人の黄さんは言う。確かにかなり雨風が強くなってきた。急いでベットに潜り込む。

播磨坂でお花見 金栗四三の街

文京区 金栗四三、青春の地 文京区の伝通院の前にある「天しゃぶ」でお花見会。このお店は私が竹早高校に勤務中によく利用した場所で、ここ数年お花見の食事に使っている。例年より早く25日にはもう播磨坂の桜は咲いていた。

9人の旧職員が集まった。みな一病息災ならぬ3病くらい持っているが息災。来年もまた皆でお花見ができれば・・・ということで解散。外に出たら町中に「金栗四三の青春の地・文京区」という幟だらけ。わが竹早高校は旧東京府立第二高女で、オリンピック後の金栗先生の勤務校だった。金栗先生は体育ではなく地理の先生だった。

  金栗四三の足跡の地図を見るとマラソンの時にはいた金栗足袋を製造した町工場の跡が記されている。知らなかったのでみなで行ってみた。大正8年創業の蕎麦屋さんで聞いたら、角のビルの壁に石碑がはめ込んであった。金栗足袋を作っていたのが播磨屋、今日のお花見は播磨坂。金栗足袋の後に出た靴は播磨屋の「ハリマオー」だった。私も履いたことがある。

ところでNHKの「いだ天」で金栗足袋を作った播磨屋のおやじがピエール瀧だった。コカインで逮捕された。せっかくのいい役だったのに。金栗足袋が脚光を浴びて、お茶の水大学前のこの地にも見学者が集まるようになったのに、残念なことだ。

金栗名所地図ではわが竹早高校の位置も旧府立第二高女として示されている。私たちが作った「竹早の百年」の写真が使われている。私たちもかなりたくさんの資料を提供したのだがNHKの番組には何のクレジットもなかったなぁ。まあいいか、硬いこと言わない方がいいかな。

大塚天祖神社の狛犬

大塚駅の前、都電の線路を渡ったところに天祖神社がある。ここにはなかなかいい狛犬がある。昨年YASUDA嬢推薦のカレー屋にいったが、その時は写真が撮れなかった。先週の日曜日には写真撮影のために行ったのだが、日差しが強すぎてうまく撮れなかった。本日も日差しがあったので夕方日が傾いてきたときに行った。やっとうまく撮ることができた。おっぱいを飲んでいる狛犬はあまり見かけない。ここの狛犬は入り口にあるのが江戸流れの型、子育て狛犬だ(1852年嘉永5年)。拝殿正面は招魂社系の威張り狛犬(昭和10年1935年)、右手の榛名神社前のは江戸尾立系年代不明、左手の厳島神社のものは耳が広がっているが入り口の江戸系の狛犬と同じ系統かな? 順番に並べておきます。

大鳥神社の狛犬

腰痛は歩いて治す!

本日は家から出て巣鴨の染井稲荷神社へいき、開花寸前のソメイヨシノを眺めてきた。巣鴨から山手線に沿って大塚駅に行き、駅前の天祖神社に行ってみた。ここには3種類の狛犬がいるのだが、日差しが強くてうまく写真が撮れなかった。残念。

そこから二駅都電に乗って大鳥神社へ行く。ここにも狛犬がいる。目の前の通りが工事中で日当たりがいい。写真はバッチリ。威張り狛犬の足元にカエルがいる。こりゃ何だ?

背後に高層ビルがある。下層のは豊島区役所だが、このデザインはなんだろう?どうみてもスラム街だよな!でもオリンピックのメインスタジアムを作った隈研吾の作品だそうだ。そう言われてみると凄い!とは思えないな。

芝東照宮の狛犬

東照宮というのは徳川家康を祀るお宮。日光東照宮だけが有名だが、実は各所に東照宮はある。静岡の久能山の東照宮、上野の東照宮と増上寺の東照宮が4大東照宮としても知られていた。しかし明治政府の神仏分離令で増上寺と分離され「郷社」となった。神社には大社中社などの社格があったが郷社はかなり下の位である。さらに太平洋戦争のときの空襲によって完全に破壊された。復旧は遅れ、今も増上寺の片隅に小さくたたずんでいる。

ここにもなかなかいい感じの狛犬がいる。東京タワーを背景にして写真をとるとなかなか様になる。この狛犬、1788年制作とある。

峠楽会の高輪散歩 子育て狛犬

今年第3回目の峠楽会のお散歩。日本橋から東海道を行くはずだが、講師が腰痛でとても最初の宿場である品川まで行くことはできないので、都営地下鉄日本橋から泉岳寺まで行った。当初は三田から泉岳寺、品川へ歩く予定だったのが、つい乗り過ごし泉岳寺迄来てしまったので、逆行で三田に戻ることにした。写真は上から泉岳寺、泉岳寺の前の高輪大木戸(江戸への玄関口)その下は高輪ゲートウェーの商店街建設中。ゲートウェーは玄関口のこと。(写真は11日の下見の時)   高輪ゲートウェー駅の建設用地の下にあるものすごく背の低い通路を通って反対側に出る。運河脇を通って田町駅へ。東京工業大学付属高校がある。その敷地に千葉大学工学部の記念碑がある。もともとはこの地に東京工芸学校があり、その図書室から大正4年に日本で初めてのラジオ放送が行われたそうだ。東京工芸学校は空襲で焼けて松戸に移り千葉大学工芸学部になったそうだ。その後に東京工大の高校が作られた。千葉大大学の記念碑がある理由が分かった。田町駅の東口はすばらしくなった。もう裏玄関ではなく堂々とした表門だ。東西の交通路が線路上にできたが、私は昔ながらの低い地下道を通って国道15号線に出た。国道に出る前に御穂鹿嶋神社があった。そこの狛犬は阿吽両方が子どもを持っている。吽の方は2匹の子犬をもっている。

麻布十番周辺の狛犬

15日となっているが、書いているのは18日である。腰痛治療のために高尾山に行ってから3日間歩き続けた。やはり逆療法は年寄りにはムリみたいで一向に腰痛は良くならない。16日の峠楽会の引率ができなくなったら大変なので14日、15日は家でおとなしくしていたので、なにも書くことが亡くなって空欄になった。そこに18日の行動を書いたということだ。

18日には港区の狛犬探索に大江戸線で麻布十番駅に行った。駅を出たところに十番稲荷という神社がある。石段を上るとブロンズの狛犬が両側にある。この狛犬はコロンビアレコードの歌手音丸が奉納したものだそうだ。私は「コロンビアのマークは犬だったよな!」と勝手に感心した。あとで調べたら犬のマークは日本ビクターだった。音丸さんは自社もマークを意識したのだろうと勝手に思っていたが、私の考え違い。最近はこんな早とちりがしばしばある。

腰痛は筋肉を鍛えることで治る?? 

ここのところ腰痛がひどく朝起きてからしばらくは行動ができない。四番五番の背骨の間が加齢のためにすり減ってきているので痛みが出るのだそうだ。若い時にはそれぞれの背骨には筋肉がついているので隙間を保っていいるが、年取って筋肉が衰えてくると背骨を支えるのが難しくなってくるとのこと。整形に行くと注射をしてくれる。しばらくの間はいいのだが、1週間もすると痛みはぶり返す。

筋肉を鍛えるしか方法はなさそうだが、もう鍛えるほど運動はできない。そこで私の独自の運動療法を実践し始めた。それは散歩。ゆっくりでいいから長い時間歩くこと。奥さんと一緒に運動をやろうとしたら、花粉症がひどくて外に出るのは嫌というので一人で出かけることにした。私も鼻がぐじゅぐじゅしているが、年寄りは花粉症にならないという話を信用して、これは花粉症ではないといい続けている。

ただ散歩していても面白くないので、趣味の狛犬探索散歩と称して今週は港区を回ることにした。以下は芝大門の芝大神宮の狛犬。阿吽の狛犬が石段の上に置かれている。江戸尾立型というそうだが、作ったのは新しそうだ。

向かって右が阿形で頭の上に宝珠が乗っている。向かって左が吽形で頭に角が乗っている。昔は口をつむって角があるのが狛犬、口をあいており宝珠を載せるのが獅子とのことだった。これが昔ながらの正しい配置のようだ。

 

久々の高尾山! 

今年になって初めて高尾山に行った。昨年末のダイヤモンド富士以来で3か月ぶり。日曜日でいい天気なので高尾山口は大混雑だろうと推測して、高尾駅から梅郷経由で登ろうと考え、歩き始めた。 駅前には山伏の一団がいる。高尾山は神仏混交の寺で薬王院という寺と飯綱権現を社とが一緒にある。高尾山で修行するのは修験道の山伏だ。いまもときどき寺の奥からほら貝の音が聞こえてくることがある。しかし一般の山伏姿の信者が大勢集まるのはあまり見たことがなかった。本日は夕方から火渡りの行事があるとか。

梅郷は今がさかり。小仏の関所跡の公園あたりから大勢の観光客がぞろぞろ歩いている。頭の上に高速道路があるあたりが一番賑わっていた。私も写真を撮る。奥さんから高尾山はスギ花粉だらけだからマスクをするように言われたが、フリースを着ていたので花粉は尽き放題だった。

蛇滝のコースから登り始めた。登山口の脇の高台に神社があった。石段を登ってみると社殿は焼け跡になっている。誰かが火の不始末をたのだろうが、バチあたりな奴がいるものだ。こんな田舎神社はもう再建されることはないだろう。こんな神社でも立派な文化財、大事にしてほしいな。

今回の目的は上のお堂にお参りすることだった。最近腰痛がひどく布団から起きるのに一苦労がある。このお堂は修験道を始めた役行者を祀るものだ。韋駄天の神としても知られ、二匹の鬼を連れて修行を重ねた人。もとは本堂にあったが明治政府の修験道廃止の政策のせいで端っこに追いやられた。

このお堂にだけ参って、頂上にはいかず4号路を回って琵琶滝経由で戻った。頂上の寺社にもいい狛犬がいるが、琵琶滝の修行場にもいい狛犬がいた。滝はほんの少し以下写っていない。

舞囃子:三輪

  我が奥さんの舞囃子の発表会。渋谷のセルリアンタワー能楽堂で行われた第6回の澤風会東京大会で舞うことができた。舞囃子の「三輪」は前にも一度舞ったことがある。おもえば伊勢と三輪の神、一体分身のおん事今さら何を磐座(いわくら)や!
我が家としては、ローカルな三輪の神が、日本の最高神である伊勢の神(天照大神)と同じだというのだから一大事! 

奥様はうまく舞えた時には、神さまが「よろしい!」と言って下さる感じがするという。前に京都で舞った時には見ている私にも突然舞が変わったような気がした。三輪の神さまとなんとなく親しくなったような気がしている。

我が家の奥様は、途中に中断はあるもののもう25年も仕舞を稽古してきた。若いころのことは私はまったく関心がなかったので、どんな舞をしていたかは知らない。ビデオ係を仰せつかった還暦のころからカメラを通して見るようになった。完全にひいき目で見ているのだが、ここ10年ほどの間に進歩を続けている。今回も前に三輪を舞った時よりも神さまに近づいたかと思うような感じだった。一緒に見てくれたSEKINEご夫妻、Ogata奥様は、20分間の長い舞をよく覚え、間違いなく舞えたね!大したものだ!とほめてくれた。

まもなく後期高齢者、もう進歩はないかもしれないがあと5年ぐらいはがんばれるのではないかと思っている。しかしビデオ係の方はかなりぼけているので、2~3年が限度かもしれない。まあともかくもう少し頑張れるかな!