7月12日(土)
玉原友の会が新宿であった。昔、群馬県の玉原高原でお父さんのアウトドア教室をやっていたときの同窓会である。なんかつい最近会ったようなメンバーだったが、一応エリート風の江口さんがシンガポールから出張でもどってきたので、またまたション便横町で飲み会となった。

私はシンガポール帰りの友を迎えるのだから、熱帯風のアロハを着ていったら、皆にバカにされた。他の人たちだって似たような格好なのに。

 新宿に行くのに牛込神楽坂から歩いていった。途中西向天神社に行った。先日この神社にある富士塚の山開きの時に写真を撮って人だとばれた。ここに藤圭子の「新宿の女」の歌碑を発見。花園神社の富士塚には「夢は夜開く」の歌碑があった。

 ところで今日デジカメを買った。オリンパスμ20という防水型のものだ。これでとった我が家のナスの花。なかなかでしょう。これが第一の作品。

お富士さんの山開き

7月3日(木)
●7月1日は富士山の山開き。この日にあわせて都内の富士山も山開きをする。「都内の富士山ってなんだ?」と言われるかもしれませんが、江戸の時代には八百八講と言われるほどたくさんの富士講があった。講の人たちは、本物の富士山に行けない人たちのために、ミニ富士山をつくって、そこへお参りをしたのだ。

 現在、都内に残っているミニ富士あるいは富士塚は60個ほどであるが、大きなもので標高10m、小さなものは1mにも満たない。大きなものは昔は子どもの遊び場だったが、いまは柵で囲んで入れないようになっている。豊島区の長崎富士などは重要文化財に指定されており、厳重に囲われており、山開きの日でも入れないが、江古田の浅間神社などの富士塚は山開きの日にだけはお参りができる。

●日本百名山に全部登るのそれほど難しくないが、都内富士山に登るのはなかなか大変だ。1年に1回、7月1日しか登れないのだから、その日をのがすと翌年まで待たなければならない。それと高田富士のように1日ではなく23日が登山の日と決められている富士山もあるから、事前に十分情報を仕入れてから行かなければならない。

 私は6月の30日の宵宮から自転車で懸命に駆け回って、24カ所の富士山をめぐった。超忙しい登山だ。そのうちの半数以上は講が廃れているのでなんの行事も行われていなかった。しかしはじめて登って、感激した富士山もあった。以下におすすめ富士山ベスト5。

池袋富士 上の写真はその頂上である。ふだんは入れない。東上線北池袋から近い氷川神社にある。頂上でお経を上げているのはこの日にあわせて高野山からやってきたお坊さんのM島さん。富士講の創始者は角行で、富士の八合目にある人穴で修行をしたという。神道でも仏教でもない新しい世界観をもった新宗教であり、江戸の時代にもしばしば取り締まりを受けた。明治にはいると神道の一派になったが、弾圧をうけその後は廃れたという。なんで高野山のお坊さんがと思うが、江戸時代の富士講は仏教的色彩がかなり強かったようだ。
現在も、音羽富士のようにお寺の中に富士塚がある場合もある。

▲西向天神富士塚 新宿文化センターの裏手にある西向天神にある塚である。私が到着した11時に神主さんが奥さんと二人で祝詞をあげていた。お参りは私一人で、汗だらけで手を合わせた。神社の側からは2mほどの高さしかないが、道路から見上げると10mほどある立派な富士塚である。ここに参ったらついでに花園神社の富士塚を見るのもおもしろい。花園神社のどこにあると聞かれることが多い。明治通から入ったら右手に1.5mほどの小さな塚がある。藤圭子(昨日は藤純子と間違えて書いた)の歌碑が建てられていて、たのしい。新宿にはもう一つ鬼王稲荷に崩れた富士塚がある。マニアックな人しか知らない穴場である。

▲千駄ヶ谷富士 JR線代々木から国立競技場へ行く途中の鳩森八幡にある大きな富士塚である。ここはいつでも登れる。当日は入り口に一軒だけ屋台が出ていたが、なんだか寂しい山開きだった。立派な富士塚があるのだだからもっと盛大に山開きをすればいいのに。

▲駒込富士 これは本富士という場所、不忍通りと本郷通りの交差点にちかい場所にある。もともとは東大校内にあったものらしいが、ここに移転してから長い年月がたち、地元にもなじまれている。ここの山開きにはたくさんの屋台がでて賑わう。今年は雨で気の毒だった。急な階段を上ると上には浅間神社がある。ここではまだ講が盛んで、いまでも富士登山は続いている。ここにお参りしたら、本郷方面にすすむと名刹の吉祥寺があり、通りをわたると「目赤不動」がある。目黒、目白は山手線の駅名にあるが、目赤、目青、目黄、はどこにあるか知らないでしょう。赤は道坂(もともとは目赤不動坂)にあるのです。

▲十条富士 お富士さんと言ったら、ここが一番人気で、縁日は脇の道路はすべて閉鎖され、屋台はズラーと並び、埼京線の線路をこえて十条銀座まで続く。大勢の浴衣姿の女の子が屋台を眺めて回っている。一番目立つのは選挙のたすきみたいなのしたお母さんたち、たすきにはナントカ中学PTAと書いてある。お母さんたちの活躍の場だ。夜までにぎやかな明かりが輝いていた。日本の夏、お富士さ~んって感じだ。

●この他にも、江古田、小野照、品川、成子、練馬中里、などいい富士山があるのだが、それはまたの機会にして、今日の報告を終えます。都内くまなく富士登山はなかなか大変です。

有朋自インドネシア方来、

6月26日(木)
 またまたきのうも 有朋自遠方来、不亦楽乎 
 昨日は地平線会議の報告会で、冬のシベリアを自転車で横断してきた安東君の話だった。このはなしはどうしても聞きたかったのだが、もう一つ会いたい人があったので、会場にプロジェクターをセットして、安東君の真っ黒に雪焼けした顔を見たみただけで、次の会場に急いだ。

安東君はまだしばらく日本にいるだろうが、いま会う人はインドネシア人で、高校時代以来だから40数年ぶりのサッカー部仲間だ。

 なにを隠そう、隠していないか! 私は高校時代、サッカー部にいて関東大会の東京代表だったのだ。もっともわがチームが代表になっただけで、今の全日本のように個人が選抜されたわけではない。強いチームにいたということだ。

 私が3年生の時に、とてつもなく足の長い色の黒い新入生が入ってきた。その長い足でボールを器用に操っていたのが、アグスくんだった。足の短い上級生だった私と岡田くんはただあきれて彼のボールさばきを見ていた。彼にあったとたん40年前のその姿があざやかに思い出された。それまで頭の中のどの記憶装置に納められていたのだろう。

 彼の前後の期の連中が集まったのだが、数十年の時間の空白にもかかわらず、昨日のことのように、
「あの試合ではおまえがちょんぼしたから負けた」
などと声が飛び交った。今はなにをやってもあのころの感激はほとんどない。

 その当時はなにも思っていなかったが、記憶装置にしっかりと刻印されるような濃密な時間を過ごしていたのだ。そのことにいまごろ気がつき、久しぶりに充実した興奮状態が持続した。音頭をとってくれた吉崎君に感謝! 

秋川で退職祝い 賀曽利の嵐

6月23日(月)
21,22日、五日市秋川の山田橋の下に昔の仲間が集まって退職祝い(丸山さんが撮った写真をアップしてくれた)をしてくれた。

いまから25年前、キャンプ場の対岸に一反歩の畑を借りて、みんなでトウモロコシやナス、キュウリ、カボチャを作っていた。そのころはまだ20歳前後だった連中が今はもう四捨五入50歳にもなるおっさんになっている。時の流れは、秋川の流れのごとし。

流れの速さに時を感じ入っている時に、突然その時をそのまま変化させていない賀曽利おっさんがオートバイで登場。最初に清瀬で会ったときとまったく同じだった。

日本一周トリオ(土屋くん、杉田さん)と旧交をあたため、さらに露天風呂で体を温め、テンションを高め、嵐のように消えていった。私も、あの頃を思い出し、久々にググートとテンションが向上した。

 有朋自遠方来、不亦楽乎、(朋あり遠方より来たる、また楽しからずや)
うれしい一日だった。みんなは「これからなにをするのか」と期待している風だったが、期待に応えられるようなことはできそうにもない。

しかし何かしたい気分は高まってきた。いざ!と思うのだが、「2,3時間走ってくるか!」 という行動しかできない。こりゃまずい。

第3回 みわ塾

6月20日(土)
18日水曜日に「みわ塾」の第3回目を開催した。今回も35人もの方が集まって下さり、喜んでいただいた。(我田引水、自己満足) 遠く広島からも来た方もあり、感激!。

遠くといえばヴェトナムのホーチミン市から受講申し込みがあった。このホームページに講座内容をアップしてあるので、それをとって教材にして下さいと返答をしたところ、1回につき1000ドンを払うからヴェトナムまで取りに来てくれとのこと。近々集金に行かなければと思っている所だ。ところで1000ドンというのは日本円ではいくらぐらいなのだろう? 

8月のみわ塾は29,30,31日に清里の竹早高校の寮で緑陰講座を行うことにした。昼間は植物観察と飯盛山ハイキング、夜は星空観測。涼しい高原で遊びましょう。参加者募集中。

前橋の小林バン長

6月17日(火)
前橋に私のお友達の小林バン長がいる。ときどき社用で上京する。そのときに東京近郊の舎弟がゾロゾロと集まる。

ここ数年8月に玉原高原で家族キャンプをしている。その相談と称して、東京駅前の飲み屋でワイワイやる。ビジネス街の真ん中の飲み屋は6時にはおじさんたちで一杯だったが、8時をすぎるとほとんど貸し切り状態。手ぬぐいを首に巻いた「社長」たちの世界に浸ってしまった。

翌日、一月に一回の「仕事」みわ塾なので、二次会にはつきあわず帰ってきた。

 決定事項は8月10日前後に今年もキャンプをやる。ピザ焼きの煉瓦造りの窯を準備することとなった。

日の出山の上で「四方山会」

6月14日-15日(土、日)
 奥多摩の日の出山の上に東雲山荘という山小屋がある。ここで天野さん香川さん主催の「四方山会」が開かれ、話題提供者として呼ばれた。

老後の楽しみにやっている「みわ塾」の内容を短縮して話をさせてもらった。もし晴れていたら満月がみれたのだが、あいにくの雨。ビデオの天体画像を見てもらった。雨になったときのために、新しくビデオを買った。

いまのビデオはものすごい。わずか500g程度で、こんなすごいことができるなんてえらい。しばらくビデオを使う練習をしてみよう。

しまなみ海道100㎞ 完走

6月7日-8日(土、日)
  広島県の福山市から尾道を通り、しまなみ海道を向島、因島、生口嶋、大三島、伯方島、大島と通過して今治市までの100kmを走る「しまなみ100km遠足」に参加してきました。

 1999年に本州四国公団によって巨大な橋が建設された。NHKのプロジェクトXで放送された世紀の大工事だったが、いまは巨大赤字が重くのしかかり、お荷物になっている。

 私にとってはこの橋は、人が歩いて渡れるように立派な歩道が着いているのでありがたい。まあ歩道にこんな立派なものをつける必要はなかったと思うが、橋を架けること自体は、地元の人々のために重要だ。都会の連中は、地元の不便さが分かっているのかなあ。道をつくることは、政治の基本だと思うよ。
 それはともかく、今年も100kmを走ることができた。昨年より1時間以上も遅かったが、ほぼ13時間で到達できた。気分はよく、うれしかった。

 相棒の江本さんは暑かったのに1時間以上も早くなった。私より4歳も年上なのに、すごい。
 今年も「しまなみ海道」の記録を作ります。あとでここに載せますから、お楽しみに。

●競馬の馬が走るのなら金になるかも知れないが、人が走った話を聞いても喜ばないよ。

世の中からはみ出した!

6月1日(日)
 もう6月、フリーターになってから2ヶ月たった。毎日が日曜日なのだが、晴耕雨読で、けっこう忙しく、自分が世の中からはみ出したこと自覚する間もなかった。

 昨日、飯田橋のホテルで最後勤め先だった高校の歓送迎会があった。職員が100人以上いる大世帯なので、移動した方の話だけでかなりの時間がかかった。私はともかく人前でしゃべるのが苦手なので、早く終わらせてしまったが、後で考えると「自分はいま毎日が日曜日で、快適だ」と、他の人には嫌みと聞こえるようなことを言っただけで、皆様にご迷惑をかけたことへの感謝を言うのを忘れてしまっていた。

 ここ数年、人とあったあと必ず、自分のことだけをべらべらしゃべって、相手のことを何も聞かなかったことを反省することがしきりになる。そんなこと考えすぎだということはある程度分かっているのだが、どうしても気になる。

 この気分が高じてくると、もう2度と人に会いたくなくて、引きこもりになる。ここ2ヶ月は、引きこもっているのとおなじだったが、歓送迎会でお世話になった人たちに、ドドーッと会ったので、どぎまぎしてしまった。

 二次会にも誘われたが、それ以上しゃべっていると、落ち込みがひどくなりそうで、そそくさと家路についた。しかし家の方向はさらに鬼門のように思えて、足取りは重くなり、つい夜中の町をウロウロすることになる。

 今週は、福山から今治まで瀬戸内海を7つの橋でつなぐ「しまなみ海道」100kmを走る予定だ。走っているときには、精神はどんどん引きこもるので、何も考えなくてよい。
私はのべつ走っている時が精神的に健康なのかも知れない。

有朋自遠方来、不亦楽乎。

5月23日(金)  朋あり、遠方より来る
 白神山地の主の鹿内善三さんがやってきた。彼は昨年学校の先生を退職し、八戸の水産高校に入り、3月に卒業した。船長の免許も取り、第二の人生は漁師になるらしい。

 地平線会議が発足する前から、私は名前だけを知っていたが、5年ほど前、私の高校時代の親友斉藤雅弘君の息子と鹿内さんの娘が結婚していたことが分かった。

 孫の顔が見たくて時々東京にやってくると私の所にも寄ってくれる。今回はホッケの生干しと山菜の「ミズ」を持ってきてくれた。白神の人は酒が強い。我が家には珍しい「越の寒梅」があっという間になくなった。

 来月しまなみ100kmを走ることになっているのだが、この酒でだいぶ足の筋肉がとろけたような感じがするが、

 そんなことよりも、朋あり遠方よりきたる また楽しからずや!

第2回みわ塾

5月21日(水)
 第2回目の「みわ塾」の日だ。月曜日のうちにテキストを作っておいたが、パワーポイントの映像の準備ができていなかったので、午前中パソコンに向かって頑張った。いくらでも時間があるのだから、もっと前に準備をしておけばいいのに、いつもの通り「ドロナワ」だ。

テキストのコピーは裏表にしているので一人分6枚になる。細かいことをいうと一人分60円。これを40部作るので2400円。学校にいるときには、学習プリントの原価など考えたこともなかった。そこで同じお金を払うなら、知り合いの方がいいと思い、高田馬場「窓社」に向かった。

「地平線の200人」「水水水こぼれ話」「鏡の国のランニング」「ジャーニーランのすすめ」などの名著を作ってくれた大手零細出版社である。この不況時に社員が1.5倍に増えていた。めでたいことだ。(2人が3人になった)
 
 今回は、生命の材料は超新星の爆発でできた。私たち人間も、「星の残骸」からできたのだ。という話だったが、なんと専門家の田中さんが聴講に来られたので、いつもの大ほらが吹きにくくなってしまい、自分では迫力が欠けた感じになった。エライ人はお断りしなけりゃいけないな。

すばらしいジャイアントインパクト(地球と巨大な惑星の衝突)のCGがあったので、それを見せたくて、話題に入れたが、生命の発生との関連についての言及が弱かった。今回の講座内容には入れない方がよかった。

 まあそれでもなんとか、数億年間の地球歴史を2時間で終えた。あとはいつもの北京で談話会。大学生の娘と親子で来てくださった方もあり、盛り上がった。来月もやるぞと言う気にさせてもらった。

いつも応援をしてくれる塾頭さんの関根さん、桜井さん、真嶋さんに感謝。こりずに来てくださる塾生の方々に感謝。

地球破滅の日!

5月15日(木)
 朝から雨だ。こんな日は「雨読」の日だ。といいながらテレビを見ていたら、なんと今日は地球破滅の日なのだ。パナウェーブ研究所では15日がアンドロメダの何タラで、地球最後の日になるとういう。

わたしはそういうのは好きなので、何か起こらないかと待っているのだが、あと3時間、まだ何事も起こりそうもない。少々残念だ。

 雨が降ると体をうごかすことが億劫になるのでいけない。思い切って外にでて、ノンアルコールビールとやらを買いに行ったけど、近くのスーパーでは売っていなかった。仕方がないので、値上げあされた発泡酒を買って帰った。運動不足は解消されなかった。 

あこがれの晴耕雨読

5月12日(月)
 無職の人間は、曜日がわからなくなる。明日雨が降りそうかどうかで、そのひの行動が決まる。

今日雨が降るという予報だったので、昨日ほんの小さな畑に、トマトとナスを植え付ける。キュウリの苗を買ったつもりだったが、まちがえてナスだらけになっていた。来週はキュウリを植えよう。

収穫の時には、畑の脇でとトマトとキュウリをつまみにしてビールを飲もう。つまみなら枝豆だ。苗を売っていたかなあ。苗を買うと高そうだ。

 あこがれの晴耕雨読の生活になりつつある。

車検は自分で!

2003年5月7日(水)

●弟の車の車検にいく。なんたってヒマ人なので車やさんに頼んだりしない。自分で全部やってしまおうという言うことだ。でも少々知識は必要だ。そのためにちゃんといまでも代書やさんが活躍しているんだから。

◆九州から引っ越してきたので名義変更も必要だ。まず最初に車庫証明を取らなければならない。これは知り合いの駐車場にたのむが、証明書1枚で1万円必要だ。自分の家に駐車余地があればいいのだが、そうも行かない。自宅から2km以内に車庫を借りなければならない。譲渡証明に実印も必要だ。書類は結構多い。しかし新しいナンバーが付けられたときには、やったーという感じ。これから代書屋もやろうかな。

◆そのあと車検。車が新しければ、これは実に簡単。
事前に準備する書類は、車検証、納税証明書、強制保険証(27630円)
車検場で準備するものは 重量税納付書(37800円印紙貼付)
自動車検査表(1400円印紙貼付)

5月7日(水)
●弟の車の車検にいく。なんたってヒマ人なので車やさんに頼んだりしない。自分で全部やってしまおうという言うことだ。でも少々知識は必要だ。そのためにちゃんといまでも代書やさんが活躍しているんだから。

◆九州から引っ越してきたので名義変更も必要だ。まず最初に車庫証明を取らなければならない。これは知り合いの駐車場にたのむが、証明書1枚で1万円必要だ。自分の家に駐車余地があればいいのだが、そうも行かない。自宅から2km以内に車庫を借りなければならない。譲渡証明に実印も必要だ。書類は結構多い。しかし新しいナンバーが付けられたときには、やったーという感じ。これから代書屋もやろうかな。

◆そのあと車検。車が新しければ、これは実に簡単。
 事前に準備する書類は、
    車検証、
    納税証明書、
    強制保険証(27630円)
 車検場で準備するものは 
    重量税納付書(37800円印紙貼付) 
    自動車検査表(1400円印紙貼付)