昨日から急に神さまづいてきた。
本日は川口で「A.I.」についてのお話をしてきたが、その帰りに赤羽駅で「七福神」の像を見つけた。七福神というのは一体何の神さまか? よく知らなかったが、インターネットで調べると、インド、中国、日本の神さまを適当に選んで「めでたい神さま」という信仰を得たという。
とりあえずその像の写真を載せておきます。今回の写真は新しいデジカメcanonIXYでとりました。
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今日も雨:芸術鑑賞
今日も雨が降っていた。きのうちょっと晴れたが、本日はまた雨に逆戻り。寒い。朝の最低気温は10℃を切ったようだ。家でぐずぐずしても仕方がないので、友人の高名な書家の展覧会を見に行く。銀座アートホールでの日書学春秋展。今年で35回だそうだ。我が友人は今やそこの代表で、さすがに立派な書を書いている。しっかりと本人解説してもらった。掲載許可あり
雨の中、新橋まで歩き、バスで根津美術館へ。再来週にお茶会で来ることになっているのだが、「ほとけを支える」という企画展が22日までと聞いたので、行ってみた。年を取ったせいか最近「神・ほとけ」が気になるようになった。仏さまも神さまも一人ではなく、組織がある。日本の昔の神さまは自然神で、みな平等だったが、階級制度の厳しい仏教の影響でだんだん序列がついてきた。天照大神は大日如来と同じとか・・・。今回の展示は「ほとけを支える」いろいろな神(?)が主役だった。その中でも金剛界八十一尊曼荼羅(重要文化財)がすばらしかった。写真はパンフレットをコピーしたが、このようなほとけ様が81描かれている。その一体一体が微妙に異なっていて、見飽きない。曼荼羅はチベットで見たが、こちらの方が精密で美しい。たくさんの仏さんを見て、”ほんのちょっと”だけほとけの世界の組織が分かったような気になった。
尾張国一宮:真清田神社
尾張国一宮は、JR東海道本線の尾張一宮駅のすぐ近くにある。というより一宮のそばにできた駅なので尾張一宮となった。もともとは一宮駅だったが、ほかにも一宮という駅があったので、1916年に尾張一宮とか上総一宮となったそうだ。
それはさておき、尾張一宮のページを作りました。ページを作ってみると、服織神社など末社、摂社などのことをもっとよく見ておくのだったと感じた。次回にもっと充実したものにするが、とりあえずアップしておきます。
尾張一宮:真清田神社 ☚ クリック
本日はマレーシアからINAMURA君が帰ってきたので、東京駅の前のレストランに仲間が8人ほど集まった。平均年齢ほぼ70歳、私は最年長。私の話題は健康問題だが、皆さんまだまだ元気で、ジャズの話など、私はついていけない感じ。ムムー、時代から取り残されているなあ。まずい!
志摩国一之宮 伊雑宮
伊雑宮はいざわのみや、いぞうのみや、と呼ばれる。表示はいざわだが、一般的には「いぞうぐう」のほうがなじみがある。志摩の国伊勢神宮の神様に食事を供給する「御食津国」であった。(ほかには若狭国、淡路国。)
現代の志摩もおいしいお食事がある。その象徴的は神社である。海産物を取るのが志摩の海女さん。彼女たちはセーマンドーマンというお札を魔除けにして海にもぐった。
志摩国一ノ宮 ← クリックしてください
伊勢国一宮 椿大神
ここのところ全国一宮をまわった報告ページを作っている。本日は鈴鹿にある伊勢国一之宮のページを作った。伊勢の国の一宮は当然伊勢神宮と思うが、伊勢神宮は別格で、天照大神を伊勢にお連れした導きの神である「猿田彦大神」が祭神になっている。猿田彦神は鼻が高く赤ら顔なので、外国人を模しているのではないかと言われている。かなり謎の神様で、近年は強力なパワーを持った神として人気が高い。おばあさんの原宿である巣鴨地蔵通りにも猿田彦神社がある。
伊勢国一之宮 椿大神社 ←クリックして下さい!
東京峠楽会 石川台雪見峠
14日土曜日、雨が少々降っていたが洗足池から歩きました。今回は中原街道を歩い石川台駅へ。この駅は台地の中ほどにあり、きつい坂の途中駅です。駅前の喫茶店で、のんびりとしていた仲間を拾って雪谷八幡神社へ。この神社も斜面を利用してうまく作られています。ちょうど結婚式の最中で、新郎新婦が笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき )の演奏家の後をついて石段を上っていました。お嫁さんは慣れない履物で雨の中歩くのが大変なようでした。 そこから下流に歩き雪見坂から石川台に上っていきました。二段上りですが頂点に立つと反対側の町が見えます。皆さんの同意で、わが東京峠楽会では雪見峠と名付けることにしました。昔は富士山の雪が見えたそうですが、今は武蔵小杉の高層ビル群が見えます。写真は雪見峠のちょっと南の場所から撮りました。 わが峠楽会には坂道に詳しい人がいます。「この先に車も登れない急坂があるよ」というので早速行ってみました。車道ですがあまりにも急なので通行禁止になっています。写真を撮りましたが、あまり急には見えないですね。本当はブレーキをかけても滑り落ちるぐらいの坂です。この坂を上がって荏原病院を下る場所も「峠」ですが、いい名前が思いつかないので、そのままになっています。次回までには何か名前を付けましょう。
夏みたいな日!
夏みたいな日がまたやってきました。世の中も騒がしく、なんだかわからない選挙で盛り上がっています。結局は選挙を前に民進党が′雲散霧消しただけという結果になりそうだ。小池さんは読みを誤ったかな。人気はそう長く続かない。悪い噂もすぐに忘れる。昔の私の住まいである新座市でもハゲーのおばさんが出馬するそうだ。でもまだ忘れていないのだが・・・
ところで10月14日の「峠楽会」の掲示板を、今回は早々と作りました。
http://kazmiwa.sblo.jp/?1323349071
に載せましたので、見てください。
今回は必ずお茶時間をとります。前回は
「高いからヤダよ!」とのことだったので、コンビニでお茶とおやつを買って
池のほとりのベンチでお茶ということにします。雨だったら止め!
池月と磨墨(するすみ)
池月と磨墨(するすみ)って何のことかわからないだろうが、爺さんになるとこれぐらいのことはわかるのだ。次の峠学会の下見調査に洗足池に出かけた。池の周りをまわっていると千束八幡神社があった。今回は神社はパスするつもりで、石段を上がらずに池之端をめぐると、台の上の境内に馬の銅像が目に入った。名馬「池月」とあった。平家物語に出てくる宇治川の争いで、名馬二頭が先陣を争って急流を渡る話である。私が知っているのは「平家物語」ではなく、日本昔話のような子供向けの本だったと記憶している。
池月と磨墨の名馬は二頭とも源頼朝の馬だったが、池月は佐々木高綱に、磨墨は梶原景季に与えられた。再起した源頼朝は宇治川で木曽義仲と戦うが、その時に急流を馬で渡ろうとした。梶原と佐々木は先陣を争って川に入った。梶原のほうが先行したが、佐々木は磨墨の腹帯が緩んでいると指摘した。梶原がそれを直している間に佐々木と池月は川を渡ってしまった。子ども心に佐々木高綱って人はズルイと思ったことを覚えている。
その池月の銅像が洗足池にはあったが、梶原景季の磨墨の塚も見たような気がしてきて、昔のブログを探してみたら、大田区の郷土博物館の近くの万福寺で梶原家の墓を見たことが記されていた。行ったことを思い出した。名馬は二頭とも洗足池近くにいたのだ。そんなことで感心していたら、肝心の峠を歩くのが遅くなった。でもまあいいか。
中国で大火球
またまた野川!
伊賀の一宮 敢国神社
一宮めぐりのページを作っている。
摂津一宮:坐摩(いかすり)神社、
近江一宮:建部(たけべ)大社、
伊賀一宮:敢国(あえくに)神社
先日行った3つの神社のページを作った。
まあ絵日記のようなものですが、
お暇があったら見てください。
100ヵ所以上の一宮があり、ほとんどは参拝しているが
昔のことなので忘れているのもあります。
今回からしっかりと記録しておこうと思っていますが、
まだほんの少しだけ。
今年中に100ぐらいは報告を作ろうと思っています。
上の青いところをクリックするとページを見ることができます。
一宮めぐり:旧国とは
奈良時代の律令制に基づいて置かれた五畿七道にあった行政区分を旧国という。五畿は都の範囲にあった特別な国、山城、大和、河内、和泉、摂津の五国であり、その他は東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道の七道だった。七道にはそれぞれ伊勢国、武蔵国などがあり、六十八国があった。
北海道はまだなかったし、白河の関以北は全部ひっくるめて陸奥国一国だった。奄美や琉球もなかったが、日本海側の島、佐渡、隠岐、壱岐、対馬などは一国を成していた。陸奥の国が磐城、陸前、陸中、陸奥、羽前、羽後に分かれたのは明治時代になってからである。
その旧国にはそれぞれ一宮が置かれていた。しかし様々な経緯があり、一国に二、三の一宮があるところもある。なので現在一宮と名乗っているのは100以上もある。
数年前には全国ほぼまわったと思っていたが、いくつかはまだ行っていなかったり、記憶が薄れていたりだったので、2011年から再び再確認の旅を始めた。初めてだと思ったら、昔撮った写真が出てきたりしたこともあるので、今回はきっちり日時を入れたデジカメ写真を残すことにした。そして私なりの一宮のページを作成することにした。まだ1/10 程度しかアップしていないが、今年中には全部上げるぞ!と意気込んでいる。
とりあえず本日の報告。摂津一宮坐間神社、近江一宮建部大社、伊賀一宮敢國神社をまわった。雨の中だったのでかなり苦労をした。摂津一宮でとったカメラを大阪の宿に忘れてしまった。ほとんどぼけている! 草津線の油日駅でホテルに電話をかけたら、とってあるという。大阪のアパホテルは親切です。宅急便で送ってもらうことにした。よかった。建部、敢国は別カメラで撮った。予備は必要ですね。
大江能楽堂 京都
今年も京都の大江能楽堂で、我が奥さまが仕舞を舞うのにビデオ係としてつきあってきた。前日に兵庫県の豊岡で植村直己冒険賞の授賞式があったので、そちらに参列して、お昼ごろに京都に戻った。
大江能楽堂は京都市役所のすぐわきにある100年の歴史を持つすばらしい能楽堂でここで舞うことができるのは、我が奥さんのようなものにとっては大変な光栄。さらに謡は満次郎先生とあれば、緊張しないわけにはいかない。今回は東京からも何人かが見に来て下さったので、いつもより硬い感じがしました。でも今回もよくできました。
来年もこの舞台に立てるよう、これからも励むようです。私もビデオ係として頑張ららねば。小さな目標でも、それがあるというのは我々年寄りには生きがいになりますね。そうだ!もう機材が古いのであたらしいのにしなければ・・・
神鍋火山の噴火口
植村直己冒険賞
毎年6月に行われる植村直己冒険賞の授賞式が、今年は本日行われ、平出和也さんが受賞した。受賞者は2月の植村さんの命日に東京で発表され、6月に地元の豊岡で式が行われる。しかし今年は平出さんがヒマラヤのシスパーレという山に登山するので、帰ってからということになり、本日に決まった。
この山にかけた思いをすばらしい映像とともに語ってくれた。平出さんは世界的にも傑出した登山家であるだけでなく、カメラマンとしても超一流なのだ。三浦雄一郎さんのエベレストの映像もヒマラヤ8000m14座を登った竹内さんを撮ったのも彼だった。この超一流の二刀流が評価を受けたものだ。
今回の受賞の評は京都大学総長の山極寿一さんが行ったが、これまた素晴らしい解説だった。久々に世界的な人たちの話を聞くことができたことは幸せだった。私の解説では何も伝わらないだろう。いずれ植村直己冒険館のホームページで公開されるだろうから、興味のある方はそちらを見てください。